【 5ポンド 】
◆c.1knr2tzg




858 名前:5ポンド 1/3 ◆c.1knr2tzg :2007/03/03(土) 15:22:57.55 ID:cFeNjjaT0
彼がイギリス一の守銭奴であることは周知の事実だった。鉤鼻で背は曲がり、いつも鋭い目で電卓のキーを叩いている。金のためなら何でもする卑劣な男だという噂が絶えなかった。
ヨーロッパ中の闇取引のドンだと囁かれていたし、娘を売ったとも人を何人か殺したとも言われていた。それらは噂の域を出なかったが、何にせよ、彼に対していい印象が持たれる事はなかった。
『ガーウィンの雑貨店』――それが彼の営む店だった。しかし、彼の名はガーウィンではない。先代のガーウィン氏から古びた雑貨店を受け継ぎ、看板をそのまま掲げているのだ。
人々は、彼は看板を直す費用すら惜しんでいるのだと思っていた。
店には蔓が巻き付き、街の中の森と化している。触れるだけで朽ち果てそうな煉瓦造りで、窓ガラスにはヒビが入っている。そんな彼の店にあの少年がやってきたのは、その年で一番雪の降った冬のある日だった。

店のドアが軋み、低く篭もった鈴が来客を知らせる。ベレー帽に黒くてほつれの目立つコート、そしてぼろぼろのスニーカーを履いた少年である。店に入るなり少年は、
「こんにちは! あの、すみません」
と大声で彼を呼ぶ。店主は顔を一切上げることなく、新聞の株式欄を見ていた。彼はブツブツとなにやら呪文めいた言葉を呟くが、よく聞き取れなかった少年はもう一度、腹に空気を貯めて叫ぶ、
「すみません! 黒い紙ありますか?」
店主は少年のほうを向かずに、少年の右手側にある木の箱を指差した。確かにその中には黒い紙が無造作に入っていた、他の色と共に。
少年は小箱をごそごそ漁り、1分程度で手頃な黒紙を見つけ出した。そしてレジに近づきつつ言う、
「これ、いくらですか?」
店主ははぁ、とため息一つつくと、さっきと同じ方向を指差した。よく目を凝らすと木箱には乱暴に字が書きなぐられてある。そこには『紙 1枚5ポンド』と記されてあった。
少年にとっては、せいぜい5インチ(12.7センチ)平方くらいしかない紙にこれだけの金を支払うのは躊躇われた。少年は少し悲しそうな顔をして、埃の積もった床を暫く見つめていた。
しかし、まっすぐ店主を見つめ返して微笑んだ後、ポケットからクシャクシャになった5ポンド紙幣を差し出した。
店主は苦々しげな顔をしながらそれをむしり取り、レジスターの中に入れた。少年はそれを見ると安心して、店から走り去っていった。
「これで今日の売り上げは5ポンド……と」
店主は台帳を引っ張り出して、そこにそう記した。
 店主は不思議でならなかった。あんな高額をつけていたのに買っていく者がいるなんて、それもあんなに貧しそうな身なりの子供が。そして、何故黒い紙など買っていくかも。


860 名前:5ポンド 2/3 ◆c.1knr2tzg :2007/03/03(土) 15:24:25.39 ID:cFeNjjaT0

 次の日も少年は店を訪れた。今日も昨日と同じ格好だ。着替えすら持っていないのか、と店主は顔をしかめた。少年は彼のそんな表情の変化に気づかぬまま、店主に尋ねた。
「すみません! 白い紙ってどこにありますか?」
 その発言に店主は憤った。
「昨日言った場所と同じだ! それくらい学習しろ!」
彼は少年を睨むと、小さく舌打ちして新聞に目を通し始めた。少年はそれに臆することなく言う、
「ありがとう。やっと話しかけてくれたね」
店主はぴくり、と眉を上げたが、咳払いを一つすると再び元の彼に戻った。少年は白い紙を箱から探し出し、それを持ってレジに来た。
「えっと、5ポンドですよね」などと少年がポケットに手を突っ込み始めると、店主は少年の方へ向き直って言った。
「昨日は黒い紙、今日は白い紙。やっぱり昨日のアレじゃ文字も何も書けなかったんだろう。あんなのは無用なものだからな」
「ううん、そんなことないよ。あの黒い紙も使っているんだ。これ、クリスマスプレゼントなんだよ」
少年はそう言うと、にっこりと微笑んだ。店主は不機嫌になった。クリスマスだなんてイベント、大嫌いだ。幸せやら愛やら、そういうものは虫唾が走る。
「クリスマスだから安くしろとでも言うのか? だが安くはしないぞ。1枚5ポンド。これは絶対に変えない」
彼がそう言うと、少年はポケットから5ポンド札を引っ張り出して支払った。店主はひどいことを言ったはずだが、少年の顔には笑みが浮かんでいた。
そして少年は両手をポケットに突っ込み、クリスマスムードの漂う街へと走り去った。

そして、その次の日もやはり少年はやってきた、同じ服を着て。しかし店主はあまり気にしなくなっていた。いちいちイライラするのはもったいないからだ。
彼は守銭奴であると同時に、時間においても厳しいのだった。少年はいつものように店主に尋ねることはせず、店内をキョロキョロ見渡した。
「言っておくが紙なら箱の中だぞ」
店主はいつもと同じように無愛想に答えた。少年はうなずき、しかしこう言った、
「今日はリボンを買いに来たんだ。真っ赤なリボン、あります?」
店主は顎で少年の足元を指した、「昨日仕入れた奴がその箱に入っている。プレゼントならこういうモンも売れると思ってな」
少年は箱の封を開けた。そこにはリボンが一本だけ入っていた。5フィート(1.524メートル)程しかないそれを見て少年は思った。
これはぼくだけのために仕入れてくれたんだ。守銭奴の彼がこんなに無意味な、金がかかるだけのことをしてくれたんだ。少年は満面の笑みを浮かべた。店主は少年を煙たがりながら言う、
「代金は5ポンドだ。だが、在庫が残るのは面倒だし、お前は貧しそうだからな。3ポンドにしてやる」そういうと彼は手元の札束を数え始めた。
少年はポケットを探り、1ポンド硬貨3枚を店主に差し出した。店主はそれを受け取ったが、その手には少年がはじめて訪れたときのような荒々しさはなかった。


862 名前:5ポンド 3/3 ◆c.1knr2tzg :2007/03/03(土) 15:25:30.19 ID:cFeNjjaT0
店主は支払いが終わると、苛立った様子で言った、
「買ったなら早く帰れ。俺はクリスマスだプレゼントだとはしゃぐ奴は嫌いなんだ。あんなことの何が面白い?」
しかし少年は帰ろうとせず、ポケットの中を探し出した。そして1分ほどが過ぎた頃だろうか、彼はようやくカードを見つけた。漆黒のそれに彼はリボンを巻き始めた。
店主はやっとわかった、少年はクリスマスカードを作ったのだと。贈る相手は可愛い妹か大好きなママか……実に愚かしい。彼はそう思っていた、彼にはそんな家族などもういなかったから。
少年はリボンを巻き終えると、小声で「できた」と呟いた。
「ほら、出来たんだったらとっとと帰りな。妹やママにプレゼントを渡すんだろ。俺はそういうのが大嫌いだ。金だけが俺の友達だからな」
店主がやや自嘲気味にこういうと少年は大切そうにそのカードを、店主に渡した。店主はうろたえ、目をあちこちへと泳がせる。すると少年は、ぐっと前にカードを突き出す。店主は暫く手を虚空で止め、少年からカードを受け取った。
「いつもおじいさん、一人ぼっちだから。ぼくも親とか兄弟いなくて寂しくて、それでお友達になろうと思ったから作ったんだ。」
そういうと少年はドアの方を向き、立ち去ろうとした。
「ちょっと待て……カードを読んでいる間はここにいてくれ」
少年はこくりとうなずくと、店の隅から椅子を引っ張り出して座った。店主はついさっき結ばれたばかりのリボンを解き中を開いた。内側には白い紙が貼ってあり、こう記されていた。
『ガーウィンの店二代目店主に贈る、友達を作れるお守り』
店主がハッとして少年を見ると、少年は微笑みを絶やさずそこに立っていた。知っていたのか、俺に友達がいないことを。店主は嬉しさと恥ずかしさで赤面した。
そして少年に、彼が何者かと尋ねた。初めて友と呼べる人が現れたと思ったから。
少年はくるりと向きをドアの方に変え、ゆっくり歩きながら言った。
「ぼくは……この店自身だよ。ガーウィン家の歴史をずっと見てきた。君にも彼らのように、素敵な友達を作ってもらいたいんだ」
そういうと少年は、すっと消えていってしまった。店主は見逃さなかった、彼の背中に白い羽が生えていたことを。
店主はしばし唖然としていたが、ひとり高笑いした。そして誰もいない店内に向かって
「ありがとうよ! この家の守護霊さん」
と叫んだ。
そして彼は、上から黒い外套を着て店の外へ出た。彼を疎む街の人々は、久しぶりに見たとか、あれがいやしんぼの店主よ、とか囁いていた。
彼は自分の評判の悪さに肩を落としたが、心機一転満面の笑みでこう言った、
「ガーウィンの店はクリスマスセールだよ! 何でも半額、子供は80パーセント引きだ! さぁ、みんな持っていきな」

その後、ガーウィンの店に多くの人が訪れたのは言うまでもない。そして彼は、素敵な友をたくさんつくり、幸せな晩年を暮らしたのだそうだ。



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