【 送られた言葉 】
◆PUPPETp/a.




843 名前:送られた言葉 1/4 ◆PUPPETp/a. :2007/03/03(土) 13:52:36.81 ID:Xx8synUQ0
 日も暮れていき、木造の酒場に明かりが灯る。
 ――場末の酒場、そんな言葉がよく似合う場所である。
 グラスを高々と掲げて、日々の愚痴を言い合い、時には喧嘩も起こる。喧騒の只中にある酒場である。
 その酒場のカウンターで、一人の女がグラスを傾けている。
 長い髪が天井に吊るされたロウソクの灯りが照らされて、静かに揺らぐ。
 女は地味とも思える黒い旅姿をしていた。
 しかし胸元を一輪の白い花が飾る。ただそれだけで印象が少し華やぐようだ。
 その女の元へ離れた席で飲んでいた男が隣へ寄ってきた。
「美人が一人孤独に飲んでるなんてもったいないなあ」
 そんなこと言ってきた男の顔を見ずに女は、
「一人じゃない。連れの付き添いよ」
 と言い、背中越しに後ろを指差す。そこには一人の男が人に囲まれて飲み比べをしていた。
 立派な体躯をしている。しかし目線が定まっていない。酔い潰れるのも時間の問題だろう。
「ふーん、この町には初めて来たんだね」
「そう。旅の商人よ。どうして?」
「いや……」
 男は横目で後ろを見ながら、
「あんな風に馬鹿騒ぎをするのは嫌な上役が死んだか、旅人が来たときくらいだからね」
 冗談混じりにそう言って口元に笑みを浮かべる。
 男は少々すかした感じで肩をすくめながら言葉を続ける。
「と言っても、俺も八年ぶりにこの町に戻ってきたところだけど」
 その言葉に女は初めて男の顔を見る。
 商人にとって旅先の情報というのは、金と同じくらい重要だからだ。

844 名前:送られた言葉 2/4 ◆PUPPETp/a. :2007/03/03(土) 13:53:10.54 ID:Xx8synUQ0
 男は二十歳をいくつか過ぎたくらいの青年だった。
「へえ、あなたも旅をしていたの?」
「いや、俺は修行に出てたんだ」
 男はそう言うと自分の鞄から瓶を取り出す。
 薄い青紫の瓶は、光が揺らめく液体を通して煌びやかな宝石のようだ。
「外国にいる調香師の元で修行をして、今日帰ってきたばかりなんだ」
 瓶からふたを外し、懐から出した布に香水を数滴垂らすと女へと差し出した。
 女は手渡された布を手首へと軽く当てて、その手首を鼻へと持っていく。
 しかし訝しげな表情を浮かべ、布を男へと返す。
「いろんな臭いが混ざってわからないわね」
 あはは、と男は笑いながら受け取った布を懐へと戻す。
「酒と煙草の臭いに負けるようじゃまだまだね」
 そんな女の言葉を受け、笑顔から苦笑へと変えて男は黙って頭を掻いていた。
 女はまたグラスを傾けて、男へ疑問を投げかける。
「八年……ね。故郷が恋しくなって戻ってきたのかしら?」
「……この香りはラベンダーから作られているんだ」
 女の問いかけには答えず、男は話し始めた。
「この町の近くにラベンダー畑があるのを知ってるかい?」
「町に入る前にあったわね。ずいぶん広い野原だったのを覚えているけれど」
 男は女の顔から静かに目を逸らし、手の中のグラスに語りかけるように話しを続けた。
「子供の頃、俺と幼馴染はよくそこで遊んでいたんだよ。花の冠を作ったりしてね」
「……」
「そこで俺は一人前になったらその子に迎えに来るからと結婚の約束をして、修行に行ったのさ」
 自分に対して嘲笑しているかのように、男は口元を歪める。
「やっと一人前のお墨付きをもらって、この香水を持ってこの町に戻ってきた。けれど八年だ」
 もうグラスすらも見ずに俯いてた。
「所詮はままごとみたいな子供の約束だから」
 男は、もうそんなことがあったのすら忘れているだろう、他の誰かと結婚している頃だろう、と呟いた。

845 名前:送られた言葉 3/4 ◆PUPPETp/a. :2007/03/03(土) 13:53:41.21 ID:Xx8synUQ0
 しかし女は男の独白を聞いて納得がいったという顔つきで、
「ふーん」
 と頷くと、胸元を飾る花をつまみ男へと差し出した。
 男は怪訝な表情で女の手につままれた花を受け取り、今度はその表情を女へと向けた。
「これは私よりあなたが持っていた方がいいみたいね」
「どういうことだ?」
「広場で花売りをしている娘さんにもらったのよ。もう売り物にならないからって」
 なおも怪訝な表情のまま、男は花を握ったままである。
「この花の意味と旅人に花を配っていた理由、わからない?」
「意味? これはクロッカスだろ……?」
 女は何も言わずにグラスを傾ける。
 そんな女を見て、男はそのまま花を眺めた。
 背後の喧騒は否応なしに盛り上がっている。
「――っ!」
 急に男は何かを思いついたかのように立ち上がる。
「親父! 勘定を――」
「ここは私がおごってあげるからさっさと行きなさい」
 女はその男の言葉を遮り、面倒くさいとばかりに犬を追い払うように手を揺らす。
 ありがとう、と言葉を残して男は酒場から駆け出ていった。
 その手にクロッカスの花を持ちながら。
 女はようやく静かになったとばかりに、ため息をひとつ吐く。
 グラスを傾けるが、氷ばかりで酒がのどを通ることはなかった。

846 名前:送られた言葉 4/4 ◆PUPPETp/a. :2007/03/03(土) 13:54:11.13 ID:Xx8synUQ0
 そこに酒場の主人が話しかけてくる。
「あの、今の花にどんな意味があったんですか?」
 好奇心に負けたのであろう。今まで話に入らなかった酒場の主人が、グラスを磨く手を休めて不思議そうな
顔で聞いてきた。
 そんな主人を見て女は口元に笑みを浮かべながら答える。
「そうね。あの男の払いと、私に一杯奢ってくれたら教えてあげてもいいわよ」
 グラスを持ち上げ氷を鳴らす女に、酒場の主人は苦笑したまま両手を上げる。
 手渡したグラスに酒を注ぐ様を見ながら女は質問に答える。
「出来の悪い芝居のようなものよ」
 主人から渡されたグラスを手に取り、のどを潤してから続きを話す。
「約束を守って男を待っていた女と、約束を守って女を迎えに来た男。そんな恋物語」
 女の指先がグラスの縁を鳴らす。
 グラスが奏でる音色は、喧騒に塗れた酒場においても涼やかに響く。
「クロッカスの花言葉は『あなたを待っています』というのよ」
 その言葉に納得した表情を浮かべる主人は、もう一つの疑問を口にする。
「それじゃ何で旅人に花を渡してたんですか?」
「待ち続ける女から、ほんの少しだけ願いを込めて渡していたのよ。彼にメッセージが届きますようにって」
 それを聞きながら、主人はグラスをもう一つ準備して、そこへ酒を注ぐ。
 女はそれを見て「恋人の再会に」と軽くグラスを掲げる。
 主人も注いだグラスを持ち上げ、それに返す。
 後ろでは飲み比べに勝った男が勝利の雄叫びを上げていた。



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