122 :No.36 骨董刀 (1/5) ◇KARRBU6hjo:07/02/25 23:27:01 ID:6Tu5S6sN
まず最初に言って置かなければならない事は、私は最初から最後まで、蚊帳の外側に居たという事である。
何かがあったのは確かなのだろうし、何かが終わったのも確かなのだろうが、それが一体どういった類の話だったのかというと、私にはよく分からない。
夜野は獰猛に笑いながら、綿谷は狂乱しながら、私を置いてけ堀にして、夜の町を駆け回っていた。
だから、あの怪しい日本刀に纏わるお話に関して、私が語れる事は本当に少ない。
ただ、結果として夜野は頬に深い切り傷を作り、綿谷は真っ赤に目を腫らした。
何時だって刃物は恐ろしいのだ。
大学一回生の冬。私は夜野と綿谷と共に、三人で何時もの骨董市へと足を運んでいた。
夜野と綿谷は、人付き合いが苦手な私が大学で作る事の出来た、数少ない友人の中の二人である。
誰にでも平等で明るい性格をした夜野と、引っ込み思案で声の小さい綿谷。
あまり接点が無いというか、バラバラな性格をした私たちの共通点が、この骨董市であった。
確か、最初に一緒に行こうと言い出したのは夜野だったと思うが、今となってはどうでもいい事だろう。
私たちは骨董市が開かれる度に、こうして三人で出かけるようになっていた。
その日、私は乱雑に並べられた骨董品の中をぶらぶらと歩いていた。
三人で、とは言いつつも、市に着いたら完全に別行動になる。
綿谷はきょろきょろと市の彼方此方を彷徨い歩き、夜野は知り合いと思しき店主と話し込む。
そして私は、その様子を遠くから眺めながら、骨董品をゆっくりと見て回るのだ。
乱雑に配置された骨董品の数々を見て回るのは、下手な美術館や博物館を巡るよりも遥かに心が躍る。
何処の物とも知れぬ薄汚れた犬の置物、如何にも高価だと言わんばかりの扱いを受けている花瓶、今にでも崩れてしまいそうな古びた机。
そのどれにでも何かしらの逸話があり、古い物語がある。
そう思うと私は堪らなくなり、思わずにやつく顔を抑えながら、あれやこれやと想像を巡らせるのだ。
尤も、骨董品を買う訳ではない。むしろ何も買わずに帰る日の方が格段に多い。
売り手からすれば傍迷惑な冷やかし女だろうが、好きなのだから仕様が無い。諦めてほしい。
123 :No.36 骨董刀 (2/5) ◇KARRBU6hjo:07/02/25 23:27:14 ID:6Tu5S6sN
その日も、そのまま日が暮れて、何もないまま終わると思っていた。
私は例によって何も買わなかったし、夜野は知り合いと話し終わった後、市をぐるりと回ってから私のもとへやってきた。
綿谷の姿が見えなかったが、彼女が遅いのは何時もの事だったので、私と夜野は世間話をしながら、集合場所でそのまま綿谷を待っていた。
が、何時まで待っても綿谷は帰ってこない。
市が終わってから二十分も過ぎたとき、私は流石に遅すぎるのではないかと感じた。
夜野もそれに同感し、私と夜野は、二人で綿谷を探すことにした。
市自体は小規模なものだが、それが開催されている自然公園は結構入り組んでおり、袋小路のような場所が多々見受けられる。
長い棒のような物を抱えた綿谷が座り込んでいたのも、そんな場所だった。
綿谷の様子は、正に心此処に在らずといった感じだった。私たちが後ろから声を掛けても気が付かなかった程である。
夜野が綿谷の肩を揺さぶると、はっ、とした様子で、綿谷は顔を上げた。
その顔は真っ青だったが、目はちゃんと私たちを見ていたので、少しだけ私は安心した。
私と夜野は綿谷に手を貸し、ふらつく彼女を立ち上がらせる。
その時、かちゃり、と、綿谷の胸で棒状の物が音を立てた。
そこで初めてそれに意識が行き、それが何であるかを理解したとき、私は思わずぎょっとした。
ちゃんと鞘に納められてはいるが、それは間違いなく、長大な日本刀であった。
夜野が貸してと言い、答えも聞かないままそれを素早く奪い取る。綿谷はなすがままにしていたが、露骨に嫌そうな顔をした。
目を細め、夜野はその日本刀をまじまじと眺める。そして、ちきり、と、少しだけ鞘から刀身を引き抜いた。
その妖しい輝きに、私はごくりと唾を飲んだ。嫌に鋭い、ともするとその光だけで人を斬れるような刃。
夜野は、これを何処で買った、と綿谷に詰め寄った。
綿谷は答えずに、我々を睨むような目つきをしたまま、ふるふると首を振った。
124 :No.36 骨董刀 (3/5) ◇KARRBU6hjo:07/02/25 23:27:27 ID:6Tu5S6sN
予め言及して置くが、綿谷は無闇に刃物を好む類の人間ではない。
寧ろ、そういった危険な代物には、触れる事も躊躇うような性質の人間だ。
以前に一度、料理の際に包丁を使うのを見たことがあるが、素人のような、慎重に慎重を重ねた使い方をしていたものである。
その綿谷が、一体何故日本刀なんて代物を買う気になったのか、私には大いに疑問であった。
まさかとは思うが、あの日本刀、何か、ヤバい代物なのではないだろうか。
私が夜野にそう相談すると、彼女は険しい目をして、どうしようか、とだけ呟いた。
さて、悪い予感というものは的中するものである。
その日から出没するようになった通り魔は、人を殺しはしなかったものの、一週間で五人の人間を襲い、大怪我をさせた。
そして、襲われた人間は何れも、同じ大学の同級生だった。それも、綿谷と同じ学科の。
正直に言う。私は、彼女を疑った。
勿論、友人として、私は彼女を信頼している。彼女がそんな事をする筈がないと信じている。
だが、もし。そういう事があるのだと、あの日本刀に、そのような力があるのだと仮定して。
もし、綿谷にそういう類のモノが憑いているのだとしたら、何とか助けなければいけないと思った。
私はその夜、通り魔が出没するという住宅街に、一人で足を踏み入れていた。
もし綿谷が犯人なのだとしたら、どうにか説得ができるかもしれない。
分の悪い賭けだとは私も感じていたが、それでも、動かずにいることは出来なかった。
きん、と耳の痛くなるほどの静寂の中、私は人気の無い夜の住宅街を歩き回った。
稀に聞こえる犬の遠吠え、がさがさと音を立てる植木などに一々肝を潰したが、それでも私は懸命に歩いた。
そして、そのまま二時間が経ち、頭の中に弱音が浮かび始めた頃。
一本向こう側の道を、誰かが二人、全力で走って行くのを、私は確かに目撃した。
そして、その後姿は、剥き出しの日本刀を持った綿谷と、それを追いかける夜野のように見えた。
一瞬呼吸が止まったが、私は慌てて二人の後を追う。暗い夜道の先に、夜野の背中が微かに見える。
夜野も、おそらく私と同じように綿谷を探しに来ていたのだろう。
私は二人の名前を読んだが、その背中はぐんぐんと遠くなって行く。日頃の運動不足を後悔したが、既に遅かった。
肺と喉がぜいぜいと悲鳴を上げ、足は回らなくなり、私はすぐに二人を見失ってしまった。
125 :No.36 骨董刀 (4/5) ◇KARRBU6hjo:07/02/25 23:28:32 ID:6Tu5S6sN
私は悪態を付き、民家の塀を蹴り上げる。衝撃と後悔が交じり合い、訳の分からない気分になっていた。
とんとん、と肩を叩かれる。
何だ、と思わず振り返って睨んだが、そこで思いがけない人物を発見し、私はあんぐりと口を開けた。
そこに居たのは、涙目で、挙動不審におろおろとする、綿谷の姿だった。
どうしようどうしよう、と綿谷は狂乱しながら言う。
彼女が言うには、何時の間にか、自宅からあの日本刀が消えていたらしい。
それで、それを探す為に、ここまで出てきたのだという。
待て。
待て待て待て。落ち着け、私。
綿谷の言葉は信じよう。
日本刀を探すのにどうしてこんな場所にいるのか、という疑問は置いておくとして。
少なくとも、さっき、夜野に追いかけられていった人間が、今、この場所に居られる訳がない。
じゃあ。
さっき、夜野が追いかけていたのは。
一体、何だ。
夜の住宅街のどこからか、何者かの咆哮が響き渡る。
私と綿谷は蒼白になり、互いに顔を見合わせた。
126 :No.36 骨董刀 (5/5) ◇KARRBU6hjo:07/02/25 23:29:45 ID:6Tu5S6sN
さて。
何がどうなったのかは知らないが、その日、何かが終わった事だけは確かである。
私たちが夜野の元に駆け付けた時、夜野は頬に切り傷を付け、何だか妙に格好良く笑っていた。
あの日本刀はどうなったのかと私が聞くと、夜野は、圧し折った、とだけ答えた。
驚愕し、理由を問う綿谷の頭を夜野はぱこんと叩いき、そのまま手を回して頭蓋を締め上げる。
奇妙な悲鳴を上げてばたばたと手を振る綿谷と、けけけと笑う夜野を見て、私は何だか安心したのだった。
勿論、それ以降、通り魔は二度と出没しなかった事は言うまでもない。
余談として、次の骨董市の時、夜野に連れられていった綿谷は、日本刀の代金を取り戻して帰ってきた。
何だかんだで一番恐ろしいのは、夜野だったのかもしれない。
終。