【 襟巻きと玩具の刀 】
◆QIrxf/4SJM




127 :No.37 襟巻きと玩具の刀 (1/5) ◇QIrxf/4SJM :07/02/25 23:32:09 ID:6Tu5S6sN
 季節の移り変わりは、誰の目にも映ることはなく、いつの間にか過ぎてしまっているものだ。今が秋であるのか、冬であるのか、そのようなことは誰も気にしてはいない。
 ああ、すっかり日が短くなってしまったね。そろそろこたつを出してもいいかなあ。
 そう呟く人が出て初めて、秋や冬の到来を意識するのである。
 子どもたちが退屈だと感じている今の時期は、間違いなく晩秋だった。
 虫を取ることも、雪を投げることも、木の実をもぎ取って遊ぶことも出来ない。その上、気が付けば日が沈みかけてしまっている。
 一日って、こんなに短いものだったのかな。
 誰もがそう疑問に思いながら帰っていく。今日も例に漏れず、門限までの時間を余した子どもたちが、ぱらぱらと公園から去っていった。
 すでに空は黒と橙がグラデーションを描いて、太陽と月が、東西にそれぞれ顔を出している。
 少年はお使いから帰る途中、その公園の脇を通った。ほんの一時間前までは、友達と砂山を作って遊んでいたものだ。
 ふと立ち止まり、誰か残っていないものかと公園を覗き込んだ。
 閑散とした公園には木枯らしが吹き、砂場に突き刺さった忘れ物のスコップが、かたかた音を立てて揺れている。ジャングルジムにもすべり台にも人の気配はなく、長い影を作って佇んでいるだけだった。
 少年は、その影を目で追った。
 するとその先で、ただ一人ぽつねんと、ブランコに女の子が座っていたのである。
 少年とさほど変わらぬ年であろう、そのいたいけな少女は、両手で脇のチェーンを握りしめ、俯いている。二つに結われた黒髪は、少女の顔を隠して、肩まで伸びていた。
 ほとんど沈みかけた夕日は、少女の姿を物悲しく映した。
 黒髪に隠れてしまって顔をよく見ることが出来ないが、少女は微動だにせず、じっと地面を見つめているのだろう。
 あの子は一体、どのような表情をしているんだろう。
 突如、木枯らしが吹き荒んだ。
 少女の黒髪がはらりと舞い、顔があらわになる。夕日に照らされて、少女の目元がきらりと光った。
 泣いている。
 少年は買い物袋を持ったまま、惹き付けられるように少女の元へと歩み寄った。
 足元に映る少年の影を見て、少女は顔を上げた。泣き顔を一瞬見せると、すぐに俯いてしまう。
 どうして泣いているのかと、なだめるように問いかけるが、少女は首を横に振り、声も上げずにさめざめと泣き続けている。
 早く帰らないと、日が暮れちゃうよ。ほら、あっちの空にはあんなに大きなお月さまが出ているじゃないか。
 少年はしゃがみこみ、少女の顔を見上げて言ったが、やはり首を横に振られてしまった。
 少年は頭を掻きながらひどく悩んだ。この女の子をどうしたものか。
 まさか置いてけぼりにするわけにもいかないし、かといってこのままでいるわけにもいかない。
 とりあえず、少年は買い物袋からお菓子を取り出して、少女に差し出した。
 彼女はまたもや首を横に振り、言った。
 おうちに帰りたくないの。

128 :No.37 襟巻きと玩具の刀 (2/5) ◇QIrxf/4SJM :07/02/25 23:32:23 ID:6Tu5S6sN
 その時、公園の真ん中にある時計台から、六時を知らせるメロディが響いた。
 少女は立ち上がった。
 でも、もう帰らなくちゃ。遅くなったら、もっと叱られちゃうもの。
 少女はありがとうと言い残し、涙を拭って公園から走り去っていった。
 そういえば、初めて見る少女だった。一体、何があったのだろうかと疑問が残ったが、少年はそのまま家に帰った。
 翌日、少年は早々と朝食を済まし、家を飛び出した。向かう先はもちろん公園である。
 公園は少年の家からほんの二、三軒越えた辺りの極めて近い場所にある。走らずとも一分とかからないのに、急いでいた少年は、今日も一番乗りを気取るつもりだった。
 しかし、公園の入り口から中を覗いてみれば、すでにブランコが揺れているではないか。
 近寄って見てみると、そこに乗っている人物は、昨日の少女だったのである。
 少年は彼女に負けを告げた。休みの日には毎度のように公園にやってきて遊んでいたけれども、一番乗りを逃したのは久しぶりのことである。
 少女はくすりと笑って、ブランコから勢いよく飛び降りた。少年の前に着地して、実に可愛らしい笑顔を作ったのである。
 少年は胸が熱くなった。それをごまかすように言い放つ。
 ぼくの方が、もっと高く飛べるもんね。
 少年がそう言ってブランコの上に立つと、少女が隣のブランコに立った。
 二人はしばらくの間、いろいろなもので競争したりしていた。ブランコだけでなく、砂場で山を作ったり、穴を掘ったりして遊んでいたのである。
 別の男の子がやってきては、二人を冷やかしたりしたものである。それでも彼らは、二人で遊んでいた。
 それからというもの、二人は大の仲良しになった。
 少女は、どんなに寒くとも、暗くなろうとも、六時になるまで公園にいた。少年もそれに付き添って、最後まで二人で遊んでいた。
 晩秋はやがて初冬へと移り変わり、木枯らしは北風へと変化する。少年の家でも、こたつが活躍し始めた頃合である。
 二人はいつものようにブランコや、砂場や、ジャングルジムで遊んでいた。時にはいろいろな友達を混ぜて、鬼ごっこや缶蹴りをした。
 日はさらに短くなり、四時を過ぎれば家に帰り始める者も少なくない。今日も遊び足りないうちに日は沈み始め、友人たちは家に帰っていく。
 残された二人は、地面に絵を描いて遊んでいた。
 すると、少女が急にきょろきょろし始め、深呼吸をした。そして、肩から提げていた黄色い鞄の中から、桃色の襟巻きを取り出したのである。
 少年が何かと尋ねると、少女は頬を上気させたまま、無言で少年の首に巻いた。
 指編みで作ったの。あなたにあげる。
 少年は照れくさくなって頭を掻いた。
 翌日も、そのまた翌日も、少年は襟巻きを首に巻いて公園で遊んだ。家族以外の人から初めてプレゼントされたものである。一番の宝物になった。
 少年は、いつまでも二人で遊んでいられればいいと思っていた。現にそう信じて疑ってはいなかった。
 だが、ある日、異変が起きたのである。
 少年たちはいつものように公園で戯れていたが、二人きりになると、少女が泣き始めたのである。

129 :No.37 襟巻きと玩具の刀 (3/5) ◇QIrxf/4SJM :07/02/25 23:32:40 ID:6Tu5S6sN
 おうちに帰りたくないよ。こわいおじさんがやってくるの。おうちに帰りたくないよ。
 何のことだかさっぱり分からない。けれども、少年はこう言った。
 大丈夫だよ。ぼくが守るから。
 それでもすすり泣く少女をかばって、少年は励まし続けていた。
 時計台のメロディが、六時を告げる。
 少女は立ち上がらない。泣き続けたままである。
 帰らないと叱られちゃうよ。帰ろうよ。ママが心配しているよ。
 いやよ。こわいおじさんがくるの。おうちに帰りたくないよ。
 大丈夫だよ。こわいおじさんがきても、ぼくがやっつけてあげるから。
 何度もそういうやり取りを交わした。少年には、少女の取り巻く環境なんて、一つも分からなかったが、何かに怯えているのは明らかである。ならば、自分が守るまでのこと。
 少年の説得に応じたのか、少女がふらりと立ち上がった。
 守ってくれるのなら、わたし、おうちに帰ってもだいじょうぶかな。
 大丈夫だよ。ぼくが守るから。
 二人は指切りを交わした。
 それから二人は公園の出口まで寄り添って歩き、別々の方向へと歩き出した。少年は振り向かず、近くの自分の家までずっと俯きながら歩いた。
 家に戻ってからも、少年は少女のことが心配でならなかった。あんなことは、出会った最初の日以来のことである。一体何があったというのだろうか。
 少年の背筋に悪寒が走った。もしかして、少女にはもう会えないのではないか。
 こわいおじさんが、少女のことを連れ去ってしまうのではないか。
 少年はいてもたってもいられなくなり、自分の部屋をひっかきまわして武器になるものを探した。
 しかし、出てきた最も強そうな武器といえば、日本刀を模ったおもちゃの剣であった。
 迷っている暇はない。少年はおもちゃの鞘からおもちゃの刀身を引き抜き、家を飛び出した。
 背中に母親の怒鳴る声が聞こえたような気がしたが、意に介さない。ただ少女のこと想って、公園に向かって疾走したのである。
 公園の敷地が見えてくると、女の子の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
 いや。こないで。わたしは帰りたくないの。わたしはどこにもいきたくないの。
 それは間違いなく少女の声である。あれから結局、公園に戻ってきていたのだろう。
 少年はおもちゃの剣を握り締めた。約束したからには、どこまでも守り抜いてみせなくてはならない。
 少年は公園へ飛び込んだ。
 奥の方で、少女を手にかけようとしている男がいる。
 少女は尻餅を付き、泣きながら後ずさっているが、男が少女の腕を掴んで離さない。
 連れて行かせてなるものか。

130 :No.37 襟巻きと玩具の刀 (4/5) ◇QIrxf/4SJM :07/02/25 23:34:48 ID:6Tu5S6sN
 少年は少女のもとへと全力疾走した。
 途中、少女と目が合う。彼女は驚きの表情で、少年のことを見ていた。
 少年は、持てる力全てを込めて、少女を掴む男の腕におもちゃの剣を叩き込んだ。
 男は何か言葉を発したようだったが、構わず第二撃をお見舞いする。
 たまらず男は手を離し、仰け反った。少年はこの隙を逃さず、男の腹部を突く。
 しかし男は倒れない。
 男は鬼のような形相になって、少年の頬を引っ叩いた。
 吹き飛ばされて地面に転がった少年は、涙を堪えて立ち上がった。
 ぼくが守るんだ。約束したんだから、絶対に守るんだ。
 男はまたもや少女に手を伸ばす。
 させまいと少女の前に立っておもちゃの剣を振りまわした。
 けれども同じように叩き飛ばされてしまう。
 もしもこの剣が本物の日本刀であったのなら、こんなやつやっつけてやるのに。
 いくら幻想を抱こうと現実は変わらない。連れ去ろうとする魔の手は止まらない。
 少女も逃げようと必死になっている。
 少年はおもちゃの剣を杖に立ち上がった。
 もし、この剣が本物の日本刀だったなら。
 思い浮かぶのはその様な幻想ばかりである。
 それでも少年は、地面を擦っている剣先を男目掛けて振り上げた。
 男が一歩後ずさり、悲鳴にも似た鈍い声を張り上げた。
 少年には何が起こったのかわからなかった。この剣が一瞬だけ、本物の刀のようになったというのだろうか。
 男は左手で両目を押さえ、苦しんでいる。それでも少女の腕を掴んでいるので、少年は男の右腕を叩きまくった。
 これには堪らず、男は腕を放した。少年はその隙をつき、少女の手を取り、剣を放り投げて走り出したのである。
 少女は涙を拭いながら、しっかりと少年についてきた。
 公園を飛び出し、少年の家を通り過ぎた。
 このままどこかへ行ってしまおう。二人で、あの男の手の届かないどこかへ。
 秘密基地を作ろう。ぼくたちだけしかしらない秘密基地を。そこにいれば、あいつはもうやってこないよ。
 少女は走りながら頷いた。
 ずっと一緒にいようね。
 少年は後ろを振り向いた。男が、走って二人を追ってくる。

131 :No.37 襟巻きと玩具の刀 (5/5) ◇QIrxf/4SJM :07/02/25 23:35:37 ID:6Tu5S6sN
 いたいけな子どもたちと、大人とでは走る速さに差がありすぎた。どんなに道を選んで走ろうとも、確実に距離を詰めてくる。
 もっと速く走るんだ。
 そう少女に言おうとしたときだった。
 少女は足をもつらせ、転んでしまったのである。
 すぐさま男が追いついてくる。
 応戦しようにも剣が無かった。男の腕に引っ掻き、噛み付き、と必死に抗ったが、遂に少女は連れ去られてしまったのである。
 それからというもの、少女と会うことも遊ぶこともなかった。
 少年は少女のことを忘れないように、襟巻きを大切にすることにした。

 高校から帰る途中、遠回りをして買い物をしようと思っていたのに、にわか雨に見舞われてしまった。
 彼は近くの商店の入り口で雨宿りをすることにしたのである。
 こんなに寒いのだから、雪でも降ればいいのに。
 そう愚痴をこぼした彼の首には、桃色の襟巻きが巻かれている。
 しばらくして、両手で頭の天辺を隠しながら必死に走ってくる女の子がいた。俯きながら走っているせいで、顔を見ることが出来ない。
 彼女は、彼の隣に立った。雨宿りをしようというのであろう。
 空気が湿っているせいか、女の子の香りが余計に漂ってくる。ばつが悪くなって、少年は襟巻きを引っ張ったりして誤魔化していた。
 ぐすん、と咽ぶ音が隣から聞こえた。
 少年は女の子の方を振り向いた。
 ああ、この泣き顔は。
 見覚えのあるその表情は、まちがいなく少女のものだった。全く変わっていないというわけではなかったが、大人びているその中に、かつての面影がある。
 まだ、それを持っていてくれたんだね。大切にしていてくれたんだね。
 そういうと、彼女は彼に抱きついた。
 あなたが刀を持って助けに来てくれたことは一度だっても忘れたことがなかったわ。
 わたしには、あの刀がきらきらと輝いて見えた。
 お義父さんに連れられて、引っ越すことになってしまったけれど。
 少女は涙を拭った。
 ありがとう。また会えた。
 ずっと、ずっと一緒にいようね。
 少年は少女の顔を見ると、照れ隠しに言った。
 あれは、おもちゃの刀だよ。



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