【 アイキャントヒア 】
◆K0pP32gnP6




89 :No.26 アイキャントヒア (1/5) ◇K0pP32gnP6:07/02/25 22:22:01 ID:6Tu5S6sN
 ちょっと、そこのお嬢さん。

 薄暗い自分の和室でライトノベルを読んでいると突然そんな声がした。
 それは私が久しぶりに聞いた声だった。いや、耳の聞こえない私が声を聞くと言うのも
おかしな話だけど、それでも私は声を聞いた。
 頭の中で声がしたような感覚。
 周りを見ても、この部屋には私しかいない。
 別に声の主を探したわけでは無い。ふと、久しぶりに声を出してみようと思ったから誰
もいない事を確認しただけ。
 なんでしょうか。私はそう呟いてみる。
 とは言っても、その自分の声も私には聞こえていない。もしかしたら、なんでしょうか、
とも発音できていないかもしれない。
 もしかしたら間違って凄く卑猥な言葉を呟いてたのかも、なんちゃって。

 お嬢さん、何考えてるんですか。こっちが気恥ずかしくなっちゃいますよ。

 さっきと同じ声が、やはり頭の中で聞こえた。
 しかも、今の言葉からすると私の心中を読んでいる。心を読まれている、と言う事は私
が声を出す必要はないのかもしれない。
 試しに、文章を思い浮かべてみる、
 私はさっき卑猥な言葉を呟いてはいませんでしたか。という文章を。

 それは僕にはわかりません。この屋敷の蔵の中にいるので。音までは聞こえません。さ
らに言わせてもらえば。さっきと同じ声が、というあたりから心を読んでました。

90 :No.26 アイキャントヒア (2/5) ◇K0pP32gnP6:07/02/25 22:22:25 ID:6Tu5S6sN
 蔵。意外と私の家は大きくて蔵なんて物もある。
 私が子供の頃、まだ祖父が生きていた頃。
 あの蔵に入ると幽霊が話し掛けてくるんじゃ。と祖父は言っていた。
 そう、祖父は言っていた。あの頃は私の耳もまだ健在だった。
 祖父としては私に、蔵に入るな、という意味で言ったのだろうけど、むしろ逆効果だっ
たように思う。その話を聞いてから一週間ほど、私は毎日のように幽霊の声を求めて蔵に
通っていた。
 でも、幽霊の声など全く聞こえなかった。
 
 それは、お嬢さんが本当に私の声を求めていなかったからですよ。本当は幽霊の声など
聞きたくなかったんです。そういう意味では、お爺さん忠告は大成功だったのでしょう。
 しかし、耳が聞こえなくなった今、お嬢さんはなんでも言いから音が聞きたい、そう思
ったのでしょう。

 でも、あの時も幽霊の声が聞きたくて蔵に行ったはず。

 分からない人ですね。貴方は本当は幽霊の声なんて聞きたくなかったんですよ。まあ、
私は幽霊ではありませんけど。そうだ、蔵まで来ていただけませんか?


 私はしばらく振りに家の外に出た。家の外、といっても正確には家屋の外に出ただけで、
敷地内にいることには変わらない。
 歩いて蔵へ向かう。
 外を歩くとき、私はしきりに空を見ながら歩く。空を爆撃機が飛んでいても私は目で確
認しなければ気づくことが出来ないから。
 前にこの話を筆談で弟の太郎にしたら、
 お姉ちゃん、心配性すぎるよ。今時爆撃機なんていない。本の読みすぎだね。
と言われた。書かれた。確かに耳が聞こえなくなって以来、私は心配性になったと思う。

91 :No.26 アイキャントヒア (3/5) ◇K0pP32gnP6:07/02/25 22:22:44 ID:6Tu5S6sN
 蔵の扉には鍵はかかっていなかった。確か私が幽霊の声を探しにここに来た時も鍵はか
かっていなかった。子供心に、無用心だな、と思った記憶がある。
 扉は意外に軽かった。小さい頃はこれを開けるのも一苦労だったのに。
 中は薄暗く、物置のように物が乱雑に置かれている。

 本当に来てくれたんですね。ありがとうございます。入って右の階段を上がって下さい。

 再び頭に声が響いた。言われたとおりに階段を上がる。
 一階とは違い、二階はとてもすっきりしていた。良い金になりそうな壷や鎧兜。骨董品、
というやつが沢山置いてあった。五年前に亡くなった祖父の骨董品趣味が収集だった。
 その整理された骨董品の中に、一つだけ奇妙な物があった。
 うっすらと、蛍光を放つ鞘。日本刀に見える。

 それです、今お嬢さんが不思議そうに眺めてる刀。それが僕です。

 私はとっさに周りを見回した。今度は本当に他に声の主がいないかを探すため。
 やはり誰もいない。
 この日本刀が話しているのか、すべて私の妄想なのか。二択だ。
 もし後者だった場合、私は耳だけではなく頭もおかしくなってしまっている。
 耳の事だけでも相当家族に迷惑をかけているのに、さらに病院代がかさむとなると私は
どうすればいいのだろうか。

 大丈夫です。お嬢さんの頭はなんともありません。

 自分の妄想に大丈夫です。と言われても余計に大丈夫じゃない気がする。お母さん、お
父さん、太郎、ごめんなさい。私、やっぱり本の読みすぎだったのかも。耳が聞こえない
のに幻聴なんて。

 もう少し落ち着いてください。本題に入れないじゃないですか。

92 :No.26 アイキャントヒア (4/5) ◇K0pP32gnP6:07/02/25 22:22:59 ID:6Tu5S6sN
 妄想になだめられた。もういいや。すべて流れに任せてしまおう。妄想と私の力関係も
分かってきたし。

 とりあえず、本題に入らせてもらいますね。僕、日本刀は断ち切る為の物です。
 そしてお嬢さんは家族との関係をどうにかしたいと思っている。貴方の存在が家族の迷
惑になっているから、という理由でね。

 ほぼ間違ってはいない。高校卒業直後に事故で耳が聞こえなくなり家に引きこもって、
さらに頭までどうかしちゃった娘など、実際邪魔だろう。

 断ち切っちゃいましょうよ。そんな思い。お嬢さんを迷惑がってる存在なんてどうにで
もなってしまえばいいんですよ。あと、頭は大丈夫ですって。

 私はいつの間にか日本刀に手を伸ばしていた。軽く、何も持っていないような感触。
 自分を迷惑がっている存在。断ち切る。

 言っておきますが、僕に人を斬る力はありません。あくまでも思いを断ち切るだけです。

 おそらくそう言って家族を斬殺させる気なのは分かった。喋るような日本刀だ。まとも
な存在ではない。しかし、そんなことはどうでもいい。
 という日本刀に対して失礼な事を考えたにも関わらず、声は頭に響いては来なかった。

 
 部屋に日本刀を持って戻った。玄関のところで郵便配達の人と目が合ったが、日本刀を
持ってる不振な女に怯える様子も無く、挨拶か何かを呟いていたが、私には聞こえない。
 あと一時間後ほどで夕食の時間。毎日、午後六時になると母が部屋に夕食を持ってくる。
それを私は黙って食べる。母が迷惑な娘に食を提供してくれることに感謝しながら。 
 私は日本刀を鞘から抜いて、何度か素振りをしてみた。軽い。やっぱり妖刀だ。

93 :No.26 アイキャントヒア (5/5) ◇K0pP32gnP6:07/02/25 22:23:18 ID:6Tu5S6sN
 それから一時間後。不意に部屋の襖が開く。音が聞こえれば不意でもないのだろうけど。
 母の手にはお盆に乗った肉じゃが、ご飯、味噌汁と漬物が乗っている。
 私の手には日本刀が握られていて、自らの喉に突き立てられている。十分ほど前から。
 そんな私の様子に母は驚く様子も無く、お盆を床に置いて微笑んで去って行った。

 まさか、自分に突き立てちゃうとはね。

 刀の声が聞こえた。十分も喉に刀が刺さっていたら死ぬはずなのに私は生きている。
 とりあえず私は喉から刀を抜くことにした。痛みも何も無い。
 
 だから、人を斬る力は無い、って言ったじゃないですか。

 そう言って、日本刀は消えた。やっぱり、私の妄想だったんだ。
 明日病院に連れてって貰おう。県内で一番設備の良い所に。いくらお金がかかっても、
迷惑になろうとも、もうどうでもいいや。
 あと、肉じゃがも食べたくないからお母さんの所に行って別のもの作って貰おう。


 僕は断ち切った。耳の聞こえなくなった彼女の、遠慮、と言う思いを。

 終わり



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