【 一閃 】
◆4dU066pdho




78 :No.22 一閃(1/3) ◇4dU066pdho :07/02/25 15:31:24 ID:P8GIJP6V
 彼は日本刀を購入した。そして、それを常に持ち歩いている。正確には常に持ち歩いているつ
もりでいる。
 そうすることで、生来の気の弱さを補おうというのだ。
 自分には武器がある。そう思うことで、彼は気を大きく持とう考えた。
 かくして、その試みはうまくいき、彼は背筋を伸ばして通りを歩けるようになった。
 彼の購入した日本刀は大したものではないが、それでもその切れ味は素晴らしいものがあった。

 彼はよく電車を利用する。今日も電車を利用しようとした。
 目の前の中年女性が改札に切符を通すのに手間を掛けていた。
 発車時刻まで猶予は無かった。
 彼の手に握られているのはいつも日本刀とは限らない。今回は拳銃が握られていた。もとい、
拳銃を握っているつもりだった。
 彼は頭の中で銃口を中年女性に向け、そして引き金を引いた。
 弾丸は中年女性の頭を貫通し、彼女はそのままうつぶせに倒れた。
 彼はその死体を足蹴にしながら、定期券を通し改札をくぐった。電車に間に合った。
 つもりだった。現実は電車に乗り遅れ、一本待つことになってしまった。

 彼はよく近所の食料品販売店で買い物をする。今日は食料を買い貯めようと思った。
 五kgの米を含む、様々な食料が入ったカゴの重さが彼の指に食い込んだ。
 レジはかなり並んでいる。当分はこのカゴの重さに耐えなければならない。
 彼はおもむろにカゴを置くと、肩に掛けている短機関銃を握った。
 大まかに狙いをつけ、引き金を引き続けた。
 並んでいた客は次々と倒れ、残るは死体とレジ担当の店員のみとなった。
 彼は死体を踏みつけながら会計を済ませた。
 現実は、彼はまだ列に並んだままだった。

79 :No.22 一閃(2/3) ◇4dU066pdho:07/02/25 15:32:02 ID:P8GIJP6V
 日本刀は本来人間を斬るための武器であり、そうであるからこそ彼は日本刀を購入したのであ
る。
 彼は本やボール紙の試し切りに飽き、人を斬ってみたい衝動に駆られた。
 とは言っても、他人を斬りつけるのは犯罪である。だから、自分を斬ってみようと思った。
 左手首に刃を当て、少しだけ手前に引く。血が出るだろう。少し痛いかも知れない。
 しかし、他人を斬るよりはずっといい。
 彼は左手首に刃を乗せた。それをほんの少しだけ手前に引く。その動作ができなかった。
 自傷行為に対する抵抗感、あるいは痛みに対する恐怖。それらが彼を引き止めた。

 彼はよくレンタルビデオの返却期限を忘れる。今日も二日の延滞をしたDVDの返却をしに行
った。
 申し訳なさそうに貸出袋を店員に渡す。店員は無表情、抑揚無い声で延滞料金の請求をしてき
た。
 今回、彼の手に握られていたのは動力ノコギリ。彼はエンジンを掛けると、その回転するノコ
ギリの刃を店員に振り下ろした。
 彼は店員が絶命しただけでは飽き足らず、四肢が体から無くなるまで店員をバラバラに切断し
た。
 生来気の弱い彼からは考えられないくらい猟奇的な発想は、彼を楽しませた。
 もちろん現実は違う。彼は延滞料金を支払いレンタルビデオショップを後にした。


80 :No.22 一閃(3/3) ◇4dU066pdho:07/02/25 15:32:39 ID:P8GIJP6V
 自傷行為に対する抵抗感、あるいは痛みに対する恐怖。それは彼の試し斬りを引き止めること
はできたが、人を斬ってみたい衝動を抑えることはできなかった。
 彼は左手首に垂直に日本刀の刃を当てている。ほんの少し、ほんの少しそれを手前に引けば、
恐らく彼の目的は達せられるだろう。
 衝動と抑制の軋轢。それは彼の緊張を大いに高め、手には汗が握られていた。
 人目を気にせず破廉恥に振舞いたい衝動、世間体の悪化に対する抵抗感。
 無遠慮に暴力を振るいたい衝動、犯罪行為に対する抵抗感。
 旋盤に指を挟めてみたい衝動、指を失う恐怖。
 タバコの火に触りたい衝動、火傷を負う恐怖。
 衝動と抑制の万力は彼をぎりぎりと締め付けた。

 気がつけば、彼の左手首には細い傷がつけられており、僅かに血が滲んでいた。
 とても人を斬ったなどと呼べるような感触を味わったわけではなかったが、それでも彼は満足
感と虚無感を得た。
 人を斬るという目的を達した満足感。あれほど葛藤したのに結果はこんなものか、という虚無
感。
 それはほんの僅かな一閃だった。

 彼の住む部屋にはよく新聞の勧誘員が来る。今日もどこかの新聞の勧誘員がやってきた。
 勧誘員は口に泡を噴きながら彼に新聞を勧めた。しつこい上に喋り方が気に入らないと思った。
 彼は日本刀を手に持ち、勧誘員を突き刺した。
 勧誘員は傷口から血を噴き出しながら倒れた。
 そして彼はその勧誘員を蹴り飛ばし、ドアを閉め鍵を掛けた。
 現実は、彼は勧誘員を無視してドアを閉めただけだった。
 そのはずだったのだが、彼の手には血のついた日本刀が握られていた。
 ドアの外には血まみれ勧誘員が倒れていた。
 彼はとうとう一線を越えてしまった。



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