【 いつか天の川を渡って 】
◆tGCLvTU/yA




116 名前:No.41 いつか天の川を渡って(1/3) ◇tGCLvTU/yA[] 投稿日:07/02/18(日) 23:26:16 ID:h9YV0QBh
 長いような、短いような三年間だった。
 校舎の屋上から校庭を見下ろす。式からもう結構な時間が経つのに、帰ろうとする人がほとんどいない。
 仲の良い奴らとは最後に話したし、そろそろ帰ろうかと考えていると、
「ここにいましたか」
 ドアの方で声がした。聞き覚えのある、どこまでも響き渡るような透き通った声。どこか安堵を覚えてしまった。
 振り返ると、やはり彼女だった。両手にビニール袋を提げていたのは予想しなかったが。
「お前か、やっぱり」
「はい。私です」
 にっこりと愛嬌のある笑顔でコツコツと足音を立てて近づいてくる。
 よいしょ、と口に出して少し距離を置いて腰を下ろす。この距離感が心地いいと思う。もう一歩でも近づけば恋愛、
もう一歩でも離れてしまえばただの友人。そんな絶妙な距離感。愛だの恋だのは、正直あんまり得意じゃない。
「ご卒業おめでとうございます」
 そういうと、わざわざ体ごとこちらを向いて正座までしてペコリと頭を下げた。
「お互い様にね」
 彼女のようにわざわざ頭を下げることはしないが、礼儀としてこちらも体を彼女の方に向けて言う。
「それでは、乾杯といきましょうか」
 袋からコップを取り出し、目の前と彼女自身の前にもコップが置かれる。
「おいおい、酒はまだ飲めないぞ」
 もっとも彼女なら笑顔のままで何杯でも飲んでしまいそうな気がしないでもない。
「何言ってるんですか、お酒なんか飲みませんよ。私たちが乾杯するといったら……これです」
 袋からガサゴソと音を立てて、彼女は紙パックの牛乳を取り出した。
「これは私の、これは和彦さんの分で」
 市販されている一リットルの牛乳パックが目の前に置かれる。少しだけ苦笑を漏らす。しかし、構うこともなく
彼女はコップに牛乳を注いでいく。
 思えば最初もこんな感じだった。この屋上で、一人でこの牛乳をとても美味しそうに飲んでいる変な女の子。クラス
になかなか馴染めず、一人屋上でパンを食べようとしていた男。なんとも奇妙な出会いだった。
 女の子と牛乳とパンをはんぶんこに分けあうやりとりはとても新鮮だった。
 それから二年。自分自身、学校にも慣れれば、彼女もクラスに友達だっている普通の女の子だと知るには充分すぎる
時間だった。牛乳から出会いが始まって、牛乳に終わる出会い。こうやって、ここで牛乳を飲むのもこれが最後か。


117 名前:No.41 いつか天の川を渡って(2/3) ◇tGCLvTU/yA[] 投稿日:07/02/18(日) 23:26:43 ID:h9YV0QBh
 無言で牛乳をあおる。牛乳なんて別に好きでもないし、飲む習慣なんて二年前まではなかった。ただここで、屋上で
毎日一緒に昼を食べるようになってから、毎日のように飲んでいたせいだろう。今はこの独特のコクのある味わいがた
まらなく愛おしい。
 コクコクとどんどん牛乳を飲んでいく彼女を横目にふと思う。彼女はなぜ牛乳が好きなのか。
「なあ」
 彼女が牛乳を飲みながらこちらを向く。
「なんでそんなに牛乳が好きなんだ」
 はたと、牛乳を飲む動きが止まった。
 まずいことを聞いたつもりはない。だけど、肌で感じてしまうこの気まずい空気はなんだろうか。
 一分か十分か、時間の感覚がよくわからない沈黙が続く。
「私、中学校の時友達が一人もいなかったんです」
 沈黙を破り、彼女が口を開いた。頷くこともなく、ただ彼女の言葉に耳を傾ける。
 正直意外だった。彼女の人柄を考えるとにわかには信じがたい話だ。
「入学式が終わって少しくらい経って、やっぱり高校でも友達は全然出来ませんでした。そんなある日、たまたま読ん
でいた雑誌の占いのコーナーに書いてあったんです。牛乳を飲んでいると素敵な出会いがありそう、って」
 それを言ったあとに、ちらりとこっちを見るのは正直反則なんじゃないか。まさかとは思うがこいつ――
「……なーんて、そんな話だったらどうします?」
「え?」
 したり顔をしている彼女に軽く頭痛を覚える。ああ、そういえばこういう冗談好きだったんだ。こいつは。
「嘘かよ」
「嘘ですよ。でも、あなたも最後まで呼んでくれませんでしたね。私の名前」
 今度はこっちの動きがピタリと止まる。
「呼んでくれませんか? 最後だと思って」
 どうする、彼女みたいに適当なエピソードを作ってごまかしてしまうか。観念して名前を呼んでしまうか。どうして
も呼びたくないわけじゃない。ただ、怖い。今保っている、絶妙な距離感が壊れてしまうのではないかということが。
「それを言ったらお前だって、その敬語最後まで……ん、最後?」
 確かにここで会うのは最後になりそうだが、まだ会う機会だけならなんとか――
「はい、最後。私アメリカに行くんです。というか、今日はそのことをここに言いに来たんです。乾杯も兼ねて」


118 名前:No.41 いつか天の川を渡って(3/3) ◇tGCLvTU/yA[] 投稿日:07/02/18(日) 23:27:15 ID:h9YV0QBh
 まずい、このタイミングで言われたら動揺が隠せそうにない。いや、動揺する必要なんてどこにもないはずだ。
「……なんで、行くんだ?」
「そうですね、理由は色々とあるので省略ということで。勉強が一番の理由ですけど。あと、敬語は癖なんです。中学
校の時からの」
 その言葉を最後に、再び沈黙が流れる。気まずいなんてレベルじゃない、重苦しい沈黙。何か言葉をかけてやりたか
ったが、今は動揺を押さえつけるのに必死だった。
「私、もう行きますね。牛乳も私の残りあげちゃいます。いつもはもっと美味しいのに、今日はなんだか――あんまり
美味しくないですから」
 彼女が立ち上がる。何か言葉をかけないとなぜだか一生後悔しそうだった。
 馴れ合いはあんまり好きじゃなかった。愛だの恋だのはもっと苦手だったはずだった。
「……美味くないなら、また飲めばいい。最後に俺と飲んだ牛乳が不味かった、なんてのは納得がいかないぞ。織姫」
 不思議なくらい、すんなりと名前が呼べた。だけど、俺の中で保っていた距離感は一気に壊れた。
 俺の保っていたものを壊してまで織姫に放った言葉は、なんとか通じたらしい。コツコツと立っていた足音がピタリ
と止まる。
「……うん、そう、だね。飲もう。もし今度会うことがあるなら、カルーアミルクでも奢ってあげるよ。その時はお酒
も飲めるようになっててね、和彦くん」
 バタンと、扉が閉まる。振り向かせることはできなかった。でも、敬語じゃなくなった。何か届いたものはあるはず。
 名残はしばらくつきそうにない。けど、いつかきっと会える。そう信じよう。
「また牛乳かよ……アイツは」
 ふと、織姫が残した牛乳が目につく。わけのわからない衝動に駆り立てられて、一気にあおる。
「……まずい」
 ああ、なるほど。と思った。今日の牛乳には、いつも飲んでいる牛乳のようなほのかな甘みがどこにもなかった。
 その代わり、ほんの少し。ほんの少しだけしょっぱい味がした。




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