【 魔性な不安定 】
◆/7C0zzoEsE




99 名前:No.35 魔性な不安定 (1/3) ◇/7C0zzoEsE[] 投稿日:07/02/18(日) 22:10:09 ID:h9YV0QBh
 これから起こる悲劇に恐怖と多少緊張して、
私の心臓は高鳴っていた。
 目の前にいる愛しい彼は、疲れた顔をして座りこんでいる。
 ふっ、と私が微笑むと、
「どうしたの?」
 なんて彼がとぼけて尋ねてくる。
ううん、なんでもないのよ。本当に、何でも。

 私がジュエリー専門店なんかで、
あの人を見つけなかったらよかったのに。
 楽しそうに小脇に女の子を抱えている彼は、まるで醜悪の塊だった。
二人で仲良く指輪を選んだりなんかして、
私が全てだと語ったのは一体どの口なのだろうか。
 私の傷つけられた自尊心は、復讐という形でしか癒すことができない。
「拓也、コーヒー入れるね」
 私はカップに並々とコーヒーを注いだ。
彼はブラックでしか飲まない。
いつもと同じように作ったコーヒーを渡した。
――毒薬を渡した。

 市販のコーヒー豆に、スミソン乳剤を染み込ませている。
この農薬は、実家の棚に保管されていたもの。
ラベルが剥がれるほど古いものだったが、
致死量は十二分に含ませておいた。おそらく問題ないだろう。


100 名前:No.35 魔性な不安定 (2/3) ◇/7C0zzoEsE[] 投稿日:07/02/18(日) 22:10:49 ID:h9YV0QBh
 彼はコーヒーを手にすると、怪訝な顔をした。
「おい、夕子も飲めよ」
 私は、一瞬どきっとした。
 コーヒーを飲むときはいつも一緒。つまらない約束。
「……うん、そうだよね」
 冷蔵庫の中から牛乳を取り出すと、
自分のコーヒーに注いでカフェオレにした。
 事前に牛乳の中には、PAM製剤を混ぜている。
有機リン中毒に効果的な解毒剤。
ネットで手に入れていた。なんのぬかるみもない。
 いただきます。そう言うと、二人で一緒にそれを喉に通した。
薬のせいか口の中はあまりに気持ち悪く、吐きそうになった。
彼のぼんやりとした顔を見ると、いささか後悔してくる。 
 この男の為に人生を棒に振るなんて、馬鹿のすることだろうか。
 完全犯罪を済ませる手順を頭の中で繰り返していると、彼が話し出した。

「なあ夕子、指のサイズいくつだっけ?」
 指のサイズ? 今から死に向かう男が何を言うんだ。
「なんで?」
「いや……あの、指輪買おうと思ったんだけど。
指のサイズが分からなくて買えなかったんだ」
 なるほど、そういう事なら冥土の土産に教えても……。ってあれ?
何かが引っかかる。妙に頭の中が混乱してくる。
「妹と一緒に宝石店いって選んでもらったんだけどさ……。
びっくりさせられなかったよ。やっぱり、今度一緒に行こうな」
 彼はそういうと、気分悪そうにカーペットに寝転がった。
 農薬と解毒剤と、彼の言葉が渦を巻く。 
私は真っ白な頭の中で、全てを繋げると思い切り叫んだ。


101 名前:No.35 魔性な不安定 (3/3) ◇/7C0zzoEsE[] 投稿日:07/02/18(日) 22:11:21 ID:h9YV0QBh
「飲め! 早く! もっと飲め!」
 目を点にしている彼を羽交い絞めにして、ひたすら解毒剤。
いや、牛乳を飲ませ続けた。
「拓也。本当に……」
 私は大粒の涙を流しながら、愚か過ぎる自分を呪った。
彼は何事かと、口から牛乳を溢れさせている。
そして、これでもかと私に牛乳を流し込まれていた。
 拓也、早とちりしてごめんね。
あんたが死んだら、絶対私も死ぬからね。
お願い、助かって。私、馬鹿でした。

 神様に祈りながら大声で泣き叫ぶ私と、
薬の味がする牛乳を顔から浴びせられている拓也。
 この奇妙な光景は、世界から切り離されていた。


 なお後に、私はもう一つ大きな勘違いに気がつく。
実家の棚に置いていたそれ――
賞味期限の切れたコンデンスミルクでは、
腹を壊しても死にはしない。      

                     (了)



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