【 お返しは唇で 】
◆twn/e0lews




81 名前:No.28 お返しは唇で (1/3) ◇twn/e0lews[] 投稿日:07/02/18(日) 17:07:31 ID:+whaIOjc
 意識は旋律に溶け、手が鍵盤を踊る。そういう時は決まって、視界にホットミルクを飲む男が映っている。
日常と言えるまでに慣れきった世界で、しかし冷静に考えると妙なのはここがバーであると言う事。
ここ二年間、一営業日として休むことなく通い続けている彼は、ホットミルク以外の物を飲まない。
 いや、正確に言えば一度だけ、スコッチをロックで飲んだ事もある。
それは二年前、彼が一番最初にこの店に来た時であり、同時に、このバーのピアノ奏者に
――彼曰く『一目惚れ』して――初めて告白した時でもある。
結果は惨敗、必死に食い下がる彼に、面倒臭くなった女が理由として口にした、
『酒臭い男が嫌い』なんてのを本気にとったかどうかは知らないが、
以降、彼がホットミルク以外の物を飲んでいるのを見た事は無い。

 一時間のステージは気が付けば終了、お客さんから拍手を貰って、軽くお辞儀を。
立ち上がり、ピアノから離れようとする私に、彼は今日もやってくる。
常連しか来ない店、中には逐一彼の告白と私の返答をメモする人間までいて、最早一つのショーと言って良い。
「薬指のサイズ、教えて?」
「ん……雨降ってないから駄目」
 遡れば、同じようなやりとりを何百としているはずだ。

 店仕舞いの最中、マスターが、明日で丁度五百回目だ、と言った。
「数えてたの?」
 二年前から今まで、まさか逐一数えているとは思わない。
「毎日ホットミルクはインパクト強かったし。で、気が付けば習慣になってた」
 言いながら、マスターは奥に引っ込んだ。
何を飲む、と聞かれたのでジントニックを頼み、その間にもテーブルを一つ一つ拭いて周る。
一通りの作業を終え、カウンターに腰を掛けた所で丁度マスターも戻って来た。渡されたのは、カップだった。
「ご注文はホットミルクだったよね?」
 苦笑しながら、けれどカップは受け取る。口を付けると、温かかった。
「恋人にしか見えないけどなあ、傍から見てると。今日だって、アイツの周りで遊んでて。
客は喜んでるけど、お前一応ウチの店員なんだよ?」
「アイドルだから、みんなに愛されてるの。良かったじゃない、こんな子雇えて」
「今のままでも良いけど。タイミング逃すと、後悔するよ?」

82 名前:No.28 お返しは唇で (2/3) ◇twn/e0lews[] 投稿日:07/02/18(日) 17:08:01 ID:+whaIOjc
「それは、ヤだな」
「やっぱ好きなんじゃん」
 サラっとマスターは言うけれど、ここまで来ると尚更、好きだなんて、とても言えない。
返答代わりに小さく肩を竦めてから、カップに口を付ける。
ほんのり香る甘臭さは、口に入れると柔らかくて、とても幸せな味だと思う。
「それな……アイツのカップ洗ってないヤツ。間接キスがそんなに幸せ?」
 突然そんな事を言われて、ホットミルクが口から吹き出た。
「小学生じゃないんだからさあ。それに、衛生的に問題あるでしょ、店として」
「いや、幸せそうな顔してたから、つい。どう見ても恋する乙女って感じ」
 言われた瞬間、急激に頬が火照った。二十半ばで未だ子供、情けない。
「間接よりも直接の方が、もっと幸せなんじゃない?」
 なおも続けるマスターに、もう笑うしかなくて。
 そう、その時に、何となく、本当に何となく、素直になろうと思った。
「ねえ、マスター。明日のホットミルク、特別甘くできる?」
「良いけど、どうして?」
「甘くないよりも甘い方が、もっと幸せでしょ?」
「メープルシロップ、入れとくよ」
 有難うと言った私に、明日は全品無料にしようか、なんてマスターは言った。




 ふと、視界に虹がかかって、それは窓から降ってきた夕陽のせいだ。
我に返り、壁掛け時計に目をやると、随分と経っていた。気を入れ直し、鏡に向かう。
いつもはファンデーションも塗らない癖に、今日は薄くだけど、アイシャドウまで引いてある。
昔のコンクールで着たドレスなんて引っ張り出して、挙げ句サテンの白地だから、
頭のどこかでウエディングドレスみたいだ、なんて考えている。
調子乗りすぎの自分を少々腹立たしくも感じ、けれどやはり、どうしようもなく嬉しい。
最後に一つ、鏡に向けて微笑んで、自分の可愛さに胸キュン一つ。
ボロアパートに鍵を掛け、向かうは職場のピアノバー。

83 名前:No.28 お返しは唇で (3/3) ◇twn/e0lews[] 投稿日:07/02/18(日) 17:08:28 ID:+whaIOjc
 マスターは私の格好を見てまず笑い、今日の全品無料を本当に決めたらしい。
開店時間が近付き、ややフライング気味に顔を出した一人から情報は広まって、
来る客みんなが片手に花束、小さな店は良いものだ。
 酒を片手に彼を待つ、ちょっとした騒ぎを余所に、私は一人ピアノに向かう。
今日の曲はアレで行こうかなんて考えて、頭の中で譜をなぞる。
アンダンティーノ、緩やかなシンコペーションに始まる。
メゾフォルテからデクレッシェンド、甘く、柔らかに、ドルチェ――。
愛する人に贈るには、この上ない曲だろう。そんな事を思った、正にその時、扉が開いた。
 入り口に立ったままの彼と、視線が交わる。突如響いた歓声と共に、皆が彼を指定席へと連れてくる。
私の格好を見て呆ける彼に、マスターが特別製のホットミルクを差し出して。
何か言いたそうなのは解っていたけれど、私はずるい微笑みで返した。

 瞳を向ければ、そこには彼が。ばれないように、深呼吸。
 Salut d’amour。特別製のメープルミルクなんかより、ずっとずっと、甘い甘いこの曲を、アナタの為に奏でてあげる。
音楽は殆ど知らないから、きっとこの曲の意味も知らないんだろうけど、本当はとっても意味があることなのよ? 
だって、五百回も振った男に、本当は好きです、なんて言えないもの。
ああでも、そんなこと、気付かなくて良いの。
アナタはただ、いつもよりも甘いホットミルクを飲みながら、この曲を聴いてから、いつも通りに告白を。
そうしたら、私は瞳を閉じるから。その時は、ね?

 曲が終わって、もう私は立ち上がる。一曲弾ければ十分過ぎる、それに何より待ちきれない。
ソファになんて座ってないで、ほら、立って。良い曲でしょう?
 だからほら、ダーリン・ダーリンお返しを、何より甘いその唇で――触れた瞬間ミルク味。
                
                       了




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