【 ホワイト・カーニバル 】
◆2LnoVeLzqY




60 名前:No.21 ホワイト・カーニバル 1/3 ◇2LnoVeLzqY[] 投稿日:07/02/18(日) 08:45:08 ID:V50whKxg
「ハァゴロモフゥゥゥゥゥゥズ」という脱力感溢れる拓也の言葉がぴんと張った祐輔の緊張の糸を次々と断ち切っていく。いとも容易くぷつんぷつんぷつんと。
 そうして解けきった緊張の先にあるのは爆笑への欲求。体の奥からこみ上げてくる爆笑への欲求だ。そもそも「ハァゴロモフゥズ」という言葉自体、この場合は明らかに笑いを誘っているのだから。
 祐輔の抵抗も空しく、牛乳は閉じたはずの口の隙間から漏れ出してくる。ちろちろぴたぴたと垂れた牛乳は、机の上に白くて丸い模様を次々作り上げる。まだ大惨事には至らない。
 しかし祐輔の顔は必死な忍耐からか真っ赤になってきていて、祐輔と拓也以外のニ班全員がすぐに身構える。そろそろ来るな、と。
「はあーインポテンt#@$^&:*!」
 拓也のダメ押しである。ご丁寧に両手で自分の顔を左右から潰して更に両小指を鼻の穴に突っ込んでいる。正視に耐えないというよりただの変人だ。
 二班全員が拓也の変人顔から祐輔の真っ赤な顔に目を移したまさにそのとき、恐れていた事態が発生してしまう。
「ぶっ、ごっふぁあ!」
 祐輔の口から笑いと共に豪快に飛散する白い飛沫。教室の窓から差し込む真昼の日差しを浴びて、飛沫は文字通りの乳白色に輝く。
 それらは美しくない孤を描いて教室の宙を飛び、そして給食が載る各々の机の上へと着地した。びちゃりびちゃりびちゃり。
 大惨事である。
「よっしゃーあ、やりぃ!」
 これに喜んでいるのは、二班の中では拓也だけだ。一方の祐輔は口から牛乳を垂らしながらも全然平気な顔をして、「やられたぜ」とでも言いたげである。
 拓也と祐輔以外の二班のメンバー四人にとっては、しかし嬉しいはずもない。自分のナプキンや、果ては給食の上にまで口から飛び出た牛乳を撒き散らされてたのだから。
「あんたたち、やめてって昨日も言ったでしょ!?」
 拓也のちょうど正面に座る春花が怒って言う。けれど拓也は苦笑しながら「いや、悪い悪い」と言うだけだ。牛乳を豪快に噴いた祐輔も「そんなこと言ったって、なあ?」とまるで反省していない。
 春花は不満を顔じゅうで表現しているけれど言葉は継がない。言っても無駄だとわかっているからだ。
 自分の牛乳には手をつけずに春花は「ごちそうさま」と言って給食を配膳台へと戻してしまう。
 そして、ちょうどそのころ他の班でも、牛乳を巡る熱く不潔な争いが始まっていた。
 牛乳を噴き出す音と女子の悲鳴と男子の歓声が耳に届く。五年三組の給食時間は今、さながら戦場なのだ。

 少し前なら練りケシで、さらに前には紙飛行機。そして今は、給食時間の牛乳噴かせ。五年三組内での流行の移り変わりだ。
 おおよそこの時期の小学生といえば、熱しやすくて冷めやすい。サッカーやバスケットといった年中盛んな遊びも確かにあるが、一過性のブームもまた非常に発生しやすくなっている。
 誰かが何かのきっかけで初めて、それが瞬く間にクラス内に広まって、けれど気がつけば、いつのまにか誰もやらなくなっている。そんな一過性のブームはこの五年三組内でこれまでいくつも発生し、いくつも消えてきたのだった。
「ひでぶっ! あべしっ!」「ぶぶっ!」
 給食のたびに配られる牛乳。一人がそれを飲み、別の誰かが飲んでいる生徒を笑わせる。笑って噴き出したら負け。飲みきれば勝ち。シンプルといえばシンプルなゲームである。
 しかし、迷惑といえば迷惑なゲームでもある。
 五年三組には全部で三十六人の生徒がいて、給食のたびに彼らは男女混合で六人づつ、六つの班に分かれるようになっている。
 そのとき机同士は隙間なく向かえあわせにくっつけられる。だからひとたび誰かが牛乳を噴き出せば、間違いなく隣接する机にも飛び散ってしまうのだ。

61 名前:ホワイト・カーニバル 2/3 ◇2LnoVeLzqY[] 投稿日:07/02/18(日) 08:45:39 ID:V50whKxg
「……今日はやめてよね、本当に」
「はいはい」
「わーってるよ」
 春花の忠告に拓也と祐輔が同時に答える。しかしまた今日もやるんだろうな、と春花は思う。
 こんなのを先生が見たら黙っているはずもない。しかし五年三組担任の高橋先生は、授業以外については相当いい加減な教師であり、給食時間も職員室にいることが多かった。
 もちろん先生が教室にいる日は、このゲームは発生しない。
 しかし、先生がいない日は――
「おい、四班のやつら、もう始めやがったぞ」
「誰が牛乳飲む? ジャンケンするか?」 
 そんな声があちこちの班から聞こえてくる。そう、まさに今である。
 そしてもちろん春花の、そして拓也と祐輔のいる二班でも、
「くっそー、また今日は俺が牛乳担当かよ」
 と言って、祐輔が牛乳パックにストローをぶすりと刺したのだった。
 心底うんざりとしたという表情で、春花はそれを眺めていた。いや表情ばかりか、春花は本心でも、もうやめて欲しいと思っていた。人一倍だ。
 春花が誰よりも強くそう思うのには、机が汚れるということ以外にも理由があった。

 春花の祖父母は酪農家なのである。北海道の本当に何もないような農村で、春花の住む都市では想像もつかないくらいの広い牧場の中に、たくさんの乳牛を飼育している。
 そんな彼らの牧場が、春花は大好きだった。夏休みのたびに両親に連れられてそこを訪れては、ニ週間ほど泊り込んで祖父母の手伝いをする。牛に餌をやる、牛の乳搾りをやらせてもらう、ときには広い牧場で遊びまわる。
 春花は牛乳が大好きだったし、また祖父母の姿をいつも見ていたから、彼らが作っていると思うと牛乳には人一倍の愛着を持った。
 だからこそ春花は、この牛乳噴かせゲームが許せなかったのだ。
 ふと見れば、ストローの刺さった牛乳を構える祐輔を、にやにやと笑いながら拓也が見つめている。今日もまたいつものゲームが始まる。
 こいつらが、言っても止めないのはわかっている。けれどいつ来るかもわからないブームの終わりを待っていられるほど、自分が我慢強くないことも春花はわかっていた。
 春花は牛乳を手にとった。そしてストローを刺し、再び机に置いた。拓也と祐輔が「おっ?」という顔でそれを見た。
 このブームが始まって以来、誰も牛乳には手をつけなくなっていたのだ。ブームに乗っかる男子たちを除いては。
 しかし春花とてこのブームに乗るつもりなど毛頭ない。男子たちの前で平然と牛乳を飲んでみせることで、この馬鹿げたブームが少しでも下火になれば、と思ったのだ。
 上手くいくかなんてわからない。上手くいかないかもしれない。けれど黙っているのはもっと嫌だった。
「レディ……ゴーッ」
 拓也の馬鹿げた声と同時に祐輔がストローを口に含んだ。春花も慌ててそれに続く。そんな春花を見て拓也が「よっしゃー! 今日は気合い入れて笑わせるぞぃ」と叫ぶ。
 しかしいざ集中して牛乳を飲もうとすると、なかなか難しいものだ。今の拓也の声にさえ、集中しているからこそ逆に笑いそうになってしまう。いや、もしかしたら緊張しているのかもしれないな、と春花は思った。
 落ち着かなければ。そう思い始めたときに、拓也の一発目のギャグが突き刺さる。

62 名前:ホワイト・カーニバル 3/3 ◇2LnoVeLzqY[] 投稿日:07/02/18(日) 08:46:07 ID:V50whKxg
「コマネチ」
 座っている拓也の下半身は机の下なのだから見えるはずもないのだ。しかしそれでもコマネチを敢行する。シュールだ。シュールすぎる。しかしいけない、笑ってはいけない。祐輔の「ぐふっ」という声が聞こえる。
 気を紛らわせないと。春花は想像する。あの牧場の風景を想像する。
 しんと静かな牧場の朝。もやのかかった視界の中に、緑の芝生がどこまでも広がっている。日はまだ昇っていなくて薄暗く、あたりの気温はまだ低い。
 けれどそれがいいのだ。吹き抜ける風は心地よく感じられ、湿った草の匂いが鼻へと届く。しんと静かな牧場の朝。この朝を独り占めしたような感覚。するとどこか遠くから牛の鳴き声が――
「蒙古斑 お前の母ちゃん 蒙古斑」
 想像の中の牧場が消えると耳の穴と鼻の穴に人差し指と親指を差し込んだ拓也の顔が春花の前に君臨していて、爆笑への欲求が頭の中を駆け巡ってしまう。
「くふっ」
 それをなんとか押し留める。少しだけ口の隙間から牛乳が飛んでしまったかもしれない。春花の顔が赤くなる。
 祐輔の顔はもっと真っ赤で、口から白い筋が伝って机に垂れている。もう限界なのかもしれない。そこに拓也の次の攻撃が襲う。
「うーこんのちから。うーこんのちから。痔にはうーこんのちーかーらー」
 う、下品すぎる。給食のカレーが台無しである。そして祐輔はみるみる顔を赤くしたかと思うと、「ぐばぁ」という声とともにカレーの上に豪快に牛乳を噴き出してしまっていた。
 春花だけが牛乳を飲み続けている。
 しかし春花にも例の「うこん」は効いたようで、口からはひとつだけ白い筋が伝い、目にはうっすらと涙を浮かべているようにも見える。
 この珍事を一目みようと、今やクラス中が春花の様子を見守っていた。
 すると俄然やる気を出したのが拓也である。「目を瞑るなよ」という言葉と共に、自身の顔と両手で最強の変人へと自己をプロデュースしていく。
 何気ない一挙動一挙動が春花の笑いを誘う。もう何を見ても何を聞いても笑ってしまいそうになる。まず白目。鼻の中に入った人差し指と中指。それを引き抜いて舐める……と思いきやまた鼻の穴に逆戻り。そしてやっぱり舐める。そのあいだずっと白目。
 何度も牛乳が逆流する。それを無理やり飲み下す。口からはいくつも白い筋が伝い机を濡らしている。けれどもう牛乳は残り少ない。ネタ切れなのか、拓也もすっかりうつむいてしまった。勝てた、と春花が思いかけた、そのときだった。
「……クロちゃんDEATH!」
 聞こえてきた高い声の主は安田大サーカスのアレではなくもちろん拓也だった。うつむいた状態からのお馴染みのクロちゃんポーズ。しかし一瞬の気の緩みだった。
 牛乳が春花の喉を駆け上がり口に届き外に飛び出し、おまけに鼻へと達しそこからも牛乳は垂れた。春花の鼻と口の両方から、牛乳が流れ机を白く染める。
 げほ、げほという春花の咳き込む声。その目は真っ赤に充血し、今にも泣き出さんばかりの表情だった。クラス中が春花の表情を追っている。
 しかし春花は泣かなかった。それどころか牛乳を再び手に取ると、無言でそれを口に運び、充血した目をかっと開いて拓也を気丈に見据えたのだ。クラス中の視線が、春花から拓也へと移った。
「わ、わかったよ。俺の負けだ、降参するよ。降参!」
「……こんなふざけたゲーム、もうやめにすること。いい!? わかった!?」
 それを言う春花の顔はひどいものであったが、彼女の迫力ゆえか、それを指摘する者も、また反論する者もいなかった。
 結果として、これきり牛乳噴かせは五年三組の教室から、永遠に姿を消したのだった。

 その数日後。また誰かが新しいブームを五年三組にもたらした。今度はあや取りである。
 けれどこれは誰にも迷惑をかけないようだ。だから今度は自分もブームに乗ってみようかな。春花は今、そう思っている。




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