【 笑う小学生 】
◆K/2/1OIt4c




54 名前:No.19 笑う小学生(1/3)◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/18(日) 00:35:50 ID:tywl3YxX
 僕は、意識して給食を早く食べた。すべての器が空になったことを確認し、顔を上げる。会話をしながら楽し
そうに給食を食べるものがほとんどだが、教室の後ろでは、すでに完食し終えた男子達が数人集まっていた。彼
らは二人の男子を取り囲む形で輪になり、静かに何かを見守っている。
 僕は立ち上がって、彼らのもとまで歩いた。平均身長一四〇センチメートルの彼らの後ろに立つ僕は、すごく
目立つ。彼らとは身長が違いすぎるのだ。目立つせいで、輪の中心にいた一人が僕に気づいた。僕の顔を見ると、
微笑んでそれを伝えてきた。
「どう?」
 少し体を屈めて、近くにいた坊主頭の青木に聞いた。
「全然ダメ。あいつ、もうこれやりすぎて慣れてきちゃってんだ」
「そっか」
 とりあえずまだおもしろいことは起きていないようだ。とりあえず見学することにした。
 輪の中に入っていたうちの一人が、顔を下に向けて輪に加わった。なんだか少し疲れているようだ。
 中央にいる高柳は、少し太ったごくごく普通の小学五年生だが、他の人にはできない、特別な才能があった。
この才能を見るために、いつも数人の男子が給食を急いで食べる。給食のこの時間にやるのが最適だからだ。
 口に牛乳を含んだ状態で笑うと、鼻からそれを噴出させる、という特殊な能力を、彼だけが持っていた。誰に
だって、時々そんなことが起きるが、彼はいつでもそれができた。みんなマネをしてみたが、誰にもできなかった。
 今、高柳の口には少量の牛乳が入れられている。少量なのは、あまり多すぎると口から出てしまい、鼻から出た
量がわかりにくくなってしまうからだ。彼がおもしろいと感じる度合いが高いと、鼻から出る牛乳の量も多くなる。
この二つの比例関係がおもしろい。おもしろさが具体的な量として計測されるからだ。
「俺が行く」
 メガネをかけた三上が名乗り出る。誰も止めることはなく、彼は高柳の前に立った。
 三上は一度高柳を睨みつけると、回れ右をして背を向けた。僕から見ると、正面を向く形になる。
 何を思ったか、三上は自分のズボンを半分ほど下ろした。高柳にはおしりが半分ほど見えるだろう。何をする
つもりなのか。
「垂直尾翼っ!」
 三上はおしりを高柳に突き出して、そう言った。誰も笑わなかったが、僕だけはおかしくて口を押さえてしま
った。
 数秒そのまま固まっていた三上もさすがにあきらめて、ズボンをはき直し、また輪に戻った。


55 名前:No.19 笑う小学生(2/3)◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/18(日) 00:36:47 ID:tywl3YxX
 ここしかない、と僕は思った。この冷めた場なら、きっといける。そう思った。
「じゃあ次は僕がやろう」
 そこにいた全員が、僕の方を見た。そして拍手喝采を注ぐ。僕がやる、というだけで、彼らはたのしいのだ。
 坊主頭の青木を押しのけて、僕は高柳に対峙した。彼は口角を上げて余裕を見せる。
 僕はがに股に足を開いて、両手をひざに乗せた。その体勢で一度高柳を睨みつける。そして、そのまま右足を
持ち上げた。お相撲さんが四股を取る体勢だ。
 高く上がった足を、数秒そこに待機させる。あとはこの足を下ろして決め台詞を言うだけだ。これはもう二日
も前から考えていたネタだ。練りに練られたこれは、美しいくらいに洗練されている。絶対な自信があった。
 僕は足を勢いよく下ろした。その足を高柳は見ている。僕は彼の目を見ている。
 足を下ろした瞬間、バチン、という聞いたこともない音が聞こえた。僕の口から声が溢れる。
「ああああああ」
 右足から体が崩れた。立っていられないのだ。右足首に激痛が走る。まさか、アキレス腱が逝ったか?
 転げまわる僕をみんなが見下ろしている。高柳は口をふさいで僕を見ている。誰もが沈黙している中、僕の断
末魔だけが響く。
 最初に沈黙を破ったのは、やはり高柳だった。鼻から、今までに見たこともない量の牛乳が溢れる。それにつ
られて、周りの男子もげらげらと笑い出した。
 肝心の僕は、それどころではない。手を差し伸べて真剣に痛みを伝えようと試みるも、誰にも伝わらなかった。
 ここで奇跡の女神が現れる。クラス委員の女子、佐藤がやってきたのだ。尋常でない叫び声につられたのか、
それともどんなにおもしろいことが起きているのか気になったのか、どちらかはわからない。彼女は僕が苦痛に
顔を歪めるのを見て、本当に痛いのだと察したらしい。口を押さえて声を殺していた。
「誰でもいいから先生を……」
 口を押さえたまま、彼女は頷くと、振り返って走り出した。
 みんなは僕を見るのをやめて、走り去る佐藤を眺めた。ようやく事態の重大さに気づいたのだろう。誰もが黙
ってしまった。
 僕は痛みをこらえて仰向けになった。鼻の下に牛乳の跡を残した高柳が、心配そうに僕を見下ろしている。僕
は左手をこぶしにして彼の前に突き出すと、親指だけ立てた。
「心配すんなって」


56 名前:No.19 笑う小学生(3/3)◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/18(日) 00:37:48 ID:tywl3YxX
 このあと誰か先生が来て、救急車を呼ばれた。生まれて初めて救急車に乗った僕だったが、あまりの痛みにほ
とんど記憶はない。
 アキレス腱が断裂したらしい。おそらく、というか確実に、足を下ろしたときに切れた、とのこと。思ってい
たよりも入院期間は短く、一ヶ月でいいと言われた。
 個室のベッドはいつも静かだ。テレビはあるが、見ることはあまりない。いつも一つだけある窓を眺めている。
 窓際にはクラスのみんなから送られた千羽鶴が飾ってある。千羽鶴とは言っても、確実に千羽ない。百羽くら
いだろう。形にも統一感はない。きれいなものもあれば汚いものもある。一つ一つに製作者の名前を付けさせれ
ばよかった。そしたらおもしろかったかもしれない。
 日曜日に、クラスの代表数人がお見舞いにきてくれた。こんなことを言っていた。
「臨時の先生が怖い。それに高柳君が鼻から牛乳を出すのをやめさせたの。つまんないよぉ」
 こう言ったのは佐藤だった。佐藤は陰ながらあのイベントを見ていたのだろうか。
「つまらないのはしょうがない。それが先生ってものだからね。ちゃんと言うことは聞くように」
 僕がそう言うと、眉間にしわを寄せて帰っていった。
 大人はいつもつまらないものだ。つまらないことを教えるし、つまらないことが重要だとも言う。そうだろうか。
 大体、僕ら教師は小学生の彼らより優れているのだろうか。ただ単に、知識と経験があるだけだ。それだけの
差だ。
 僕はいつも、彼らの前ではたのしそうに振舞う。大人はつまらないかもしれないけど、大人になったらたのしい
んだと、そう思って成長してほしいからだ。
 早く知ってほしい。早く経験してほしい。早く巣立ってほしい。
 それが僕の願いだ。それはきっとたのしいことだから。
 僕は窓から外を眺めた。枯れた木の枝に、スズメが二羽、寄り添って止まっている。それらは、窓から侵入し
てくる太陽光をさえぎり、真っ白なベッドにシルエットを映した。
「早く退院したいなぁ」
 僕は小さくつぶやいた。


 完



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