39 名前:No.14 ミルクの気持ち (1/3) ◇QIrxf/4SJM[] 投稿日:07/02/17(土) 18:34:32 ID:zux+39MN
とても穏やかな春先。せっかちな植物たちは、すでに青々とした枝葉を精一杯伸ばして、やわらかい太陽の光を受け止めている。
あたたかな春風が大草原を撫でると、揺らされた草花はさらさらと優しい音を立てた。
草木の間からときどき顔を出す小動物たちは、冬の厳しさから開放されたことを喜び、その大きくて可愛らしい目を輝かせている。
一匹のウサギがぴくりと耳を動かし、草原から森の中へと逃げていった。
二人の子どもが、嬉しそうに飛び跳ねながらやってきたのである。
少年と少女が一人ずつ、恋人同士というには幼すぎる二人組みだった。
彼らは両手を大きく広げて、青草の柔らかい絨毯の上を駆け回っていた。動植物たちと同じように、春の訪れが嬉しくて堪らないのだろう。
走り回ることに飽きたのか、少女が寝転ぶと、次いで少年も寝転んだ。
「あったかくて、きもちいいね! なんだか、おひさまがとっても嬉しそうだよ」
口を開いたのは少年である。彼は姉のことを思い出した。大きく年の離れた姉は、いつもぽかぽかと、嬉しそうな笑顔で少年のことを照らしていてくれる。
少女は仰向けのまま、口元を隠して笑った。
「おかしなことを言うのね。お日さまが笑うわけないじゃない」
彼女はいつも、少年に対して否定的なことばかり言った。少年はそんなことには慣れっこだったけれども、それが原因で喧嘩になってしまうことも少なくなかった。少年にだって、譲れないことはあるのである。
それから二人はごろごろと転がって、若草の醸す春の匂いと、日差しを満喫していた。
すると突然、少女が起き上がり、周囲の草を抜き始めたのである。
少年は興味深そうに覗き込んだが、少女は低く唸って背中を向けた。
「見ないでよ。できるまであっち行ってて!」
少女は背中を向けたまま、ごそごそと手を動かしている。
覗いてやろうという気は起きなかった。そんなことをすれば、いつものように容赦ない平手が飛んでくる。少年は大人しく少女の後ろで空を眺めていた。
できたというので、少年が振り返ると、少女は後ろ手に隠し持っていたものを頭の上に乗せた。
それは草花を編んで作った冠だった。少女の金髪に緑と白の色合いがみずみずしさを与えた。
「どう? お姫さまみたいでしょ!」
弾けるような笑顔で、くるくると回って見せた。
回るたびにふわふわと揺れるスカートは、まるで妖精の羽のように見え、太陽の光できらきらと光る金髪は、妖精のりんぷんが舞っているようである。
「すごく可愛いよ。妖精さんみたいだ」
思わず出た言葉は、そのような褒め言葉だった。すると、少女は顔を真っ赤に染め上げた。
「おかしなことを言わないで!」
少女は頬を紅潮させたまま、そっぽを向いた。
「妖精なんているわけないじゃない!」
少年は少しだけ腹が立った。
40 名前:No.14 ミルクの気持ち (2/3) ◇QIrxf/4SJM[] 投稿日:07/02/17(土) 18:35:03 ID:zux+39MN
「おかしなことなんて言ってないよ。妖精さんはすごく可愛いいんだ。さっきのきみはまるで妖精さんのようだったよ」
少女はさらに頬を上気させて、強い口調で言った。
「妖精なんていないの! そういうのはメイシンっていうのよ。メイシン!」
「妖精さんはいるよ! お姉ちゃんの友達なんだ!」
「絶対いないわ! もう知らないんだから!」
「ぼくだって、もう知らない!」
二人は互いに逆方向へ歩き出した。今日の遊びはそれでおしまいだった。
少年が家に帰ると、姉は机に座ったまま本を読んでいた。
少年は姉の隣に座ると、急にもの悲しくなって肩を落とした。
「どうしたの? さっき沸かしたミルクよ。これでも飲んで、元気出しなさい」
少年は、姉の出してくれたミルクを一口飲んだ。あたたかなミルクは、とても甘くて、まろやかで、優しい気持ちにさせてくれる。
「妖精さんなんていないって言われたんだ。―――お姉ちゃん、妖精さんはいるよね?」
「ええ、いるわよ。私のシチューの隠し味は、妖精のキスだっていつも言ってるじゃない」
「でも、それはメイシンなんだって言われちゃった」
姉は少年の持っているミルクを見て、何かを思いついたかのように言った。
「迷信ねぇ。―――いいわ。私が妖精に会わせてあげる。彼女をここへ連れてきなさい。いい? 今夜はうちに泊まるように言うのよ?」
少年が少女を家に連れてくると、姉は妖精について説明した。妖精は真夜中に現れ、料理を美味しく変えてくれるものなのであると。
「だから、この温かいミルクを妖精に美味しくしてもらいましょう」
「そんなことできるの?」
「もちろんよ。でも真夜中まで待たないといけないけれどね」
少年たちは夕食を済ませて、ベッドの中へ潜り込んだ。
枕元にミルクの入ったコップを置いて、今日は寝ずの番をするのである。
「妖精は絶対来るよ。来なかったら、きみの言うことを何でも聞いてあげるよ」
少年が自信満々に言ってのけると、少女が続けた。
「だったら、妖精が来たら私は、あなたにキスしてあげてもいいわ」
少女はこれ以上無いほど価値のあるものを賭けたつもりだった。しかし少年は素っ気無い。
「そんなものはいらないや」
「なによ! いいわ。どうせあなたが言うことを聞く羽目になるだけだもの。」
少年たちはしばらくの間睨み合って、そっぽを向いた。
41 名前:No.14 ミルクの気持ち (3/3) ◇QIrxf/4SJM[] 投稿日:07/02/17(土) 18:35:29 ID:zux+39MN
翌朝、少年が目を覚ました。寝ずの番をするつもりで、寝てしまったのである。
はっとしてミルクを見た。ミルクの見た目は特に変わっていない。だが、手に持ってみて異変に気付いたのである。
「か、固まってる!」
少年は慌てて少女を起こすと、食卓へと飛んでいった。
既に姉は起きていて、朝食の準備をしている。
「お姉ちゃん、ミルクが固まってるよ!」
「当たり前よ。妖精がやってきて、ミルクにキスしたんだからね」
少女は驚きを隠せなかった。寝ている間に本当に妖精がやってきて、ミルクにキスしたとしか考えられない。
しかし、少女は諦めなかった。どうしても、少年に言うことを聞かせてやりたかったのである。
「本当に美味しくなっていなかったら、妖精とは限らないんじゃないかしら?」
「それじゃあ、食べてみましょうか。――――その前に、顔を洗っていらっしゃい」
洗面を済ませ、少年たちは興奮気味で朝食の並べられたテーブルについた。
どろりとしたものに変わってしまったミルクを姉が一人ひとりの小皿に小分けしていく。
少年は恐る恐るそれを口に運んだ。少女も同じように、スプーンですくって口に運んだ。
「おいしい!」
二人とも同時に声をあげた。甘酸っぱい味が口の中に広がっていたのである。
少女は負けを認めざるを得なかった。寝ている間に、確かに妖精はやってきていたのだ。
「やっぱり、妖精はいたのね。私の負けよ」
朝食を済ませると、少女は、少年の近くへ寄り添った。少年は、少女の甘い香りに戸惑った。
少女はそのまま目を瞑って顔を近づけてくる。少年も目を瞑った。
ちゅっ、と可愛らしい音が、朝の食卓に響く。
二人とも、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
少年は、しみじみと感じたものだ。
(そりゃあ、ミルクも固まっちゃうよね)
食器を片付けながら、姉は一人微笑んでいた。
「どんなにませていても子どもは子どもね。可愛いものだわ」
片付け終えると、いつものように、持っていたヨーグルトの種をミルクの中にいれ、棚にしまった。
<fin>