【 ごめんなさいデリバリー
】
◆h97CRfGlsw
33 名前:No.12 ごめんなさいデリバリー(1/3) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/17(土) 16:23:42 ID:vU1INAKQ
私は牛乳が嫌いだ。あの味あの色あの匂い。どれをとっても吐き気がする。私にとって牛乳とは、例えればABC兵器に匹敵するほど危険で、親の仇のように憎い存在だ。
突き詰めれば、牛乳は牛の体液というわけだ。なんと汚らわしい、なんとおぞましいものか、牛乳とは。人間の食べるものではない。少し考えるだけでえづきそうになる。
そして今この瞬間、そんな悪魔の血が如き牛乳という存在が、目の前にある。一体、どういうつもりなのだ。私にこれを飲めというのか。責任者を呼びつけて足蹴にしてやりたい。
「あの、園崎さん……」
私が腕を組み、しかめ面で牛乳を睨みつけていると、トロそうな顔をした女が話し掛けてきた。胸の無駄に大きい、牛のような乳をした女だ。ほんわかとした暢気そうな雰囲気が、私を苛々とさせる。
「牛乳、苦手だったら残しても……」
「黙りなさい、公立中学校の教師風情が。私を誰だと思って意見しているのかしら? 私の力をもってしたら、あなたを懲戒免職処分にしてやる事だって出来るのよ。わかったら消えなさい、牛女」
泣きそうな顔で教卓へと戻っていく教師の後姿に軽い嗜虐心の満足を感じつつ、牛乳に向き直る。まったく、貧民層の分際で恐れ多くも私に声をかけるなど、愚鈍もいいところだ。
ところで今、私は公立中学校における「学校給食」なるものを食している真っ最中だ。以前通っていた私立中学では、昼食はバイキング形式だったので、給食というものはこれが初めてだ。
それにしても給食というものは、酷い味だった。ゴムのような肉に、雑巾の絞り汁のようなスープ、硬いだけのパン。そしてなによりも、この白濁色の液体。牛乳の存在が、更に質を下げている。
ふう、と目を細める。まったく何故私ともあろうものが、こんな下々の人間が騒ぐ淀んだ空間で、牛乳などと顔を突き合わせなければならないのか。そもそもの原因は全て、お父様にある。
園崎太郎、それがお父様の名だ。日本を影から支える園崎グループ。その名誉あるグループの会長の一人娘、それがこの私、園崎音色だ。容姿端麗才色兼備精錬潔癖質実剛健。それもこの私、園崎音色だ。
父が地方で新たな事業をはじめると言い出したのが、一週間ほど前のこと。そして、長い期間を家族と別れるのは辛いと父が言い出したのが、事の発端。私たちは父に連れ添う形で、この辺狭の地へと赴いたのだった。
以前通っていた私立中学を休学する形で、こちらの地方で家から最寄の公立中学へと転校した。本来なら学校など行かずともなんら問題はなかったのだが、一般庶民の生活に興味をもった私は学校へ通うことを決めた。
そして今に至る、というわけだ。退屈で程度の低い授業や、私に対する下々の尊敬のまなざしなどは、難なく捌くことが出来た。だが、この牛乳だけはどうにもならない。
どうしたものか、と思案を巡らせる。この場で机をひっくり返し、牛乳瓶を叩き割って校長を呼び出し、私に対し無礼を働いた責任を追及し、見せしめに市中引き回しに処すことは出来る。だが、それではお父様の評判に泥を塗るも同義。
食べ物を粗末にしてはダメよと、お母様にも言われている。だからこそ豚の餌のような食事も口に運んだし、しっかりと完食した。牛乳もゲテモノとはいえ、食べ物の一つであることにかわりはない。
飲まねば。私は決意する。牛の乳を飲むのは、物心ついて以来これが二度目のことだ。あの時は嘔吐してしまうという痴態を晒してしまったが、この衆人環境でそんなことは出来ない。その心得も、私を強くしてくれることだろう。
紫のビニールを取り外し、キャップを除く。ひしと瓶掴み上げ、あいているほうの手で鼻をつまみ、唇につけてゆっくりと傾ける。口内に、冷たい感触が広がる。
34 名前:No.12 ごめんなさいデリバリー(2/3) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/17(土) 16:24:13 ID:vU1INAKQ
「うぶ!」
うげええぇ。思わず瓶を机に叩きつけ、鼻を抑えていた手で口を抑える。ダメだ、甘かった。いや、牛乳ではなく、私が。
まずい。いや、まずいというレベルをはるかに超越している。そう、例えるなら拷問、毒、自白剤。死ぬ、これは死ぬ。誰だ、園崎グループに対立するものの攻撃か? 何でも言いますから許してください!
待って、落ち着くの。落ち着くのよ音色。大丈夫、これはただの牛乳。飲み下せばいいの。それで終るわ。その苦しみからは、解放されるの。さあ!
「う……んぐ……ううっ!」
はい無理。とてもじゃないが無理。一気に飲み込んでしまおうとしても、喉が拒絶する。口を手で抑えて、そのまま嘔吐しそうになるのを堪えるのが精一杯だ。じんわりと目に涙がにじんでくる。
「どうしたの、音色ちゃん? 大丈夫?」
隣に座っていた平凡な少女が、心配そうな顔をして声をかけてきた。私にちゃん付けとは何事かと叱責したかったが、口を開けば牛乳もろとも吐瀉物をも吐き出してしまいそうなので、何も言えずただ首を振る。
「トイレ、行く?」
背中をさすってくれる少女。その心優しい行動に胸を打たれ、思わず彼女に聖母を見る。なんて優しい子なのだろう。将来、本社ビルの受付嬢にでもしてあげようかしら。結構高給なのよ。って、それどころではない。
さすられているうち、だんだんと本当に気分が悪くなってきた。口内で温くなってきた牛乳が、より生臭さを増してきたのだ。このまま吐き出してしまいたい。是非ぶちまけたい。しかしそれでは、お母様のお心を冒涜することになってしまう。
絶体絶命。そんな言葉が、頭をちらつく。どうすればいいのだ、この状況。八方塞がり。しかしなんとしてでも、私の園崎音色としての矜恃をかけてでも、どうにかしなければならないのだ。
うう……頭の中は冷静でも、私の体は確実に牛乳を吐き出そうと頑張っているようだ。おえ。少しでも気を緩めれば、待っているのは……死。誇張ではない。完璧超人園崎音色の高貴なイメージが、即死する。
「ねえ、園崎さん園崎さん」
その時不意に、ぽんぽんと後ろから肩を叩かれた。私に触れていいのは家族と未来のフィアンセとローマ教皇だけよ!と言ってやりたかったが、そんな余裕はない。しぶしぶと、普通に振り返る。
「ごでりばー」
「ぶふっ!?」
後ろにいたのは男子生徒だった。両手を使って顔の造形を崩し、奇怪な表情をしている。要するに、変な顔をしていたのだ。しかも意味不明瞭な言葉を伴っている。思わず、吹き出してしまった。
入った。思い切りつぼに入った。普段の私ならば一笑に伏す、まったくもってくだらない行動なのに、今は妙におかしく思えるから困る。牛乳を口に含んでいるというこの切羽詰った状態が、神経を過敏にしているのだろう。
地獄だ。牛乳が気持ち悪くて吐きそうで、笑いで噴き出しそうでもあり、しかし絶対吐いてはならないという、悶絶地獄。今吐き出したりしたら、牛乳とゲ○まみれになって笑い転げてしまうこと請け合いだ。
楽しそうに笑う隣の女子生徒と男子生徒から目を逸らす。おそらく今の私の表情は、すごいことになっているだろう。目は血走り、額に青筋を立て、ふーふーと鼻息を荒くしている。我ながら、情けない……ん?
視線を向けたその先。そこには複数の男子が集まり、こちらを一心に見つめていた。あまりの熱視線に、不覚にも顔が赤くなる。いくら私が絶世の美女だからといって、そんな――
「ごでりばー」
鼻から牛乳出た。
35 名前:No.12 ごめんなさいデリバリー(3/3) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/17(土) 16:24:44 ID:vU1INAKQ
「ごでりばー」
「ごでりばー」
変な顔をした男子たちが詰め寄ってくる。そのゾンビのような動きと、変な顔と、わけのわからない言葉が合わさって、私はもうチワワのようにプルプルと震えるしかなかった。抑えている手の中は牛乳まみれだ。
わかった。これは試練なんだ。お父様が私を、後継者として足る人間か試しているのだ。この悪夢のような、拷問のような状況に打ち勝つ精神力、知力、体力。それらをお父様は、きっとお試しになられているのだわ!
「ごでりばー」
「もごぶっ」
すいません無理です。お父様無理です。私吐きます。嘔吐してしまいます。いろいろなところから、いろいろな体液が出てきそうです。
あまりの責め苦に、私はとうとう涙を流してしまった。眉根を限界まで寄せ、手が白くなるまで口元を抑え、ぼたぼたと牛乳を滴らせながら震えている。その光景を見て男子たちは笑い、女子たちは……ケータイで写真を撮っていやがる。
『ごでりばー』
ケータイから声がした。どうやら撮影時の音声のようだ。ごでりばー。ごでりばー。そこらじゅうからごでりばー。ごでりばーって、なに――!?
ダメだ、死ぬ。このままでは死んでしまう。ほとんど白目をむいている状態で、最後の力を振り絞り先生のほうに顔を向ける。助けを、救いの手を差し伸べてください、先生……。
先生は笑っていた。私から目を逸らし、唇を薄くしてせせら笑っている。復讐? さっき牛女だなんて言ったから、それの復讐? 土下座します、土下座しますから助けて下さい!
男子生徒が私を取り囲み、何かの儀式が如くごでりばーごでりばー言いながら回り始めた。もはや限界である。何かのきっかけ一つで、私の意思は決壊し、プライドと共に何もかもぶちまけることだろう。
しかし苦しさが限界に達しかけたところで、脳内物質が多量に分泌され、かえって体に落ち着きを取り戻してくれた。鼻を拭ってから大きく息を吸い込み、気を落ち着ける。私は園崎音色。こんなところで、負けるわけにはいかないのだ。
「ねえ、園崎さん、見てー」
隣に座っていた女子生徒が話し掛けてきた。その手にはケータイ電話が握られている。その画面部分を、私に見せるように持ちなおす女子生徒。
その中には、なんともいえない、周囲にいるどの男子生徒よりも醜い顔をした人間が映っていた。酷い顔である。顔は真っ赤になり、目は充血して涙を流し、手を牛乳で真っ白にして、ぼたぼたと牛乳を――
――私だ。
そして次の瞬間、園崎音色十四歳は、クラス全員に見守られながら陥落したのだった。
(死)