【 牛乳 】
◆aO9PcI2T/6




21 名前:No.08 牛乳 (1/3) ◇aO9PcI2T/6[] 投稿日:07/02/17(土) 13:03:46 ID:zux+39MN
美味い・・・昨晩から冷蔵庫で冷やされた牛乳は、何の迷いもなく
食道をすべり落ち、僕の欲求を満足させた。僕は窓辺にむかい、朝日に
照らされた庭を見ながら、余韻を味わうように今度は声にだしてつぶやいた。
     「美味い」
 僕は昔、牛乳が嫌いだった。何度も挑戦したものの、口に入れた数秒後
期待は幻滅に変わった。匂いが駄目なのだ。いや、牛の母乳という存在自体が
うけつけない、などと理由をつけていたが、実際なぜだったのか思い出せなかった。
テレビのワイドショーがサクラを映し出している。もう春か。それを一瞥して頭を掻きながら、
牛乳を冷蔵庫にしまった時、今日は由紀子と会う約束だったことを思い出した。
。携帯を手に取りボタンをおした。一回発信音がなり、由紀子はすぐに電話に出てきた。
 「もしもし」
とはっきりとした声が返ってきた。
 「ああ、由紀子か?今起きて牛乳飲んだ所だから、まだちょっとかかりそう。」
牛乳のくだりはいらなかったなと思った。
 「うん、わかってる。ていうか、ああ由紀子かって確認する癖まだ治らな
  いのね。携帯で、しかも自分がかけてきたんでしょ。あっ・・それとも
  私の声を忘れちゃったとか?」
と由紀子は意地悪そうな声を出した。
 「いやいや・・・とにかくもう少しかかるよ。家に行けばいいんだよね」
 「うん。近くまで来たらまた電話してね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 電車をおりて隣町に着くとふと今朝の牛乳の事を思い出した。嫌いなものが好きになる。
人はいつ、どんな時に変わってしまうんだろう。もみじが寒い風に吹かれ紅葉していくよ
うに、徐々に変わっていくのか、あるいは夢から覚めるように突然かもしれない。でも僕は
その瞬間をどうしても思い出せなかった・・・・・

22 名前:No.08 牛乳 (2/3) ◇aO9PcI2T/6[] 投稿日:07/02/17(土) 13:04:11 ID:zux+39MN
 由紀子の家は、駅前の繁華街から少し離れたワンルームのアパートだ。
狭い道路は全て舗装されて、緑と呼べるものは屋上のテラスガーデンや、
そこかしこから飛び出したベランダからのぞく観葉植物くらいのものだ。
それらはどれもほこりをかぶり、すすけて見えた。むしろ植えない方がいい。
僕は家の前に着くと由紀子に電話をかけた。暫くして由紀子が電話に出た。
 「・・・もしもし?」
 「もしもし?家の前に着いたよ。」
 「ああ、、ごめん。ちょっと近くのコンビニまで行ってたの。悪いけど
  ちょっとそこで待ってて、すぐ行くから」
周りが騒がしい所にいるようで、由紀子は声を張って言った。電話越しに街頭演説
の声が聞こえる。
 「わかった、待ってるよ。」
 「順調ね・・・」
 「何?」
 「ううん。とにかく待っててね。」
そう言って電話を切った。あの街頭演説の声はヤワハダミノルの声だ。今年の市長
選挙に出馬したヤワハダミノル、その独特の口調で注目を集めている。僕はヤワハダ
ミノルが嫌いだ。何故嫌いなのかと言えば言葉で現し難いのだが、この男にどこか
異常なものを感じるからだ。生理的に受けつけないのだ。世間では賛否両論が飛び交って
いるが最近賛成派が増えつつある。僕はため息をつくと、風に揺れるベランダの観葉
植物を見あげた。「やっぱり緑はあった方がいいな」

23 名前:No.08 牛乳 (3/3) ◇aO9PcI2T/6[] 投稿日:07/02/17(土) 13:04:36 ID:zux+39MN
 危ない・・・
 僕は目を覚ました。。隣で由紀子が寝息をたてている。そうか、あれから由紀子と買い物
に行き夕食を食べたあと、今日は泊まることにしたのだ。喉がからからに乾いていた。無性に
牛乳が飲みたい。体を起こすと薄明かりの中、手探りで冷蔵庫に向かう。冷蔵庫を開けて牛
乳をがぶ飲みする。再びソファに戻って横たわると由紀子の顔を眺めた。ふと、由紀子が寝言
を言った。
くらがりの中呟いた。「・・・好き」「僕も・・・好きだよ」
 だるい体をさすりながら大きなあくびをするのを見て由紀子が笑いながら言った。「じゃあまたね。」
さくらの柄の入った半そでのワンピースを着た彼女はとてもかわいく見えた。
 いつもの道を通って駅に向かってわざと音を立てて落ち葉を踏みながら
街路樹の下を歩き出す。肌寒い風が吹いた
。ふと、何か違和感を感じた。でもそれが何なのかわからなかった。
 駅に着くとロータリーの一角に人だかりができていた。独特の声が聞こえてきた。
ヤワハダミノルだ。僕は耳を傾けた。「・・のような改革をしていてもわが国に、春はきません。つまり・・・」
なかなか言い事を言っている。・・・・僕は突然おかしな感覚に襲われた。前にもこんなことがある。デジャブ?
いや、そんなものじゃない。演説、そう演説の内容一字一句を僕は知っている。
急にめまいがした。「危ない、危ない、危ない危ない危ない」僕は知らず知らずに口走っていた。僕は何を言ってるのだろう。
・・・お前はずいぶん前から俺のものだ・・・・
{今起きて牛乳飲んだ所だから}{うん、わかってる} {ああ由紀子かって
確認する癖まだ治らないのね}{順調ね}{ワイドショーがサクラ}{街路樹の下には}
{牛乳が嫌いだった}{・・・・好き}{僕も好きだよ}{あなたは牛乳が好き}
 美味い・・・昨晩から冷蔵庫で冷やされた牛乳は、何の迷いもなく
食道をすべり落ち、僕の欲求を満足させた。僕は窓辺にむかい、朝日に
照らされた庭を見ながら、余韻を味わうように今度は声にだしてつぶやいた。「美味い」
テレビで牛乳のCMが流れている「3/3縦読み牛乳!美味い!」
僕の好きなヤワハダミノルの声だ。この乳製品の会社のスポンサーになったのだ。
 人はいつ、どんな時に変わってしまうんだろう。もみじが寒い風に吹かれ紅葉していくよ
うに、徐々に変わっていくのか、あるいは夢から覚めるように突然かもしれない。でも僕は
その瞬間をどうしても思い出せなかった・・・・・「完」




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