【 彼女の優雅な昼休み
】
◆Pj925QdrfE
18 名前:No.07 彼女の優雅な昼休み (1/3) ◇Pj925QdrfE[] 投稿日:07/02/17(土) 13:01:26 ID:zux+39MN
「おばちゃん、牛乳ッ!」
男子顔負けの威勢のいい声が、肩の向こうから飛んでくる。そいつは、いや、アキホは、
購買部の長蛇の列を某巨大テーマパークのファストパスよろしく、まるで意に介していない
かのように通り過ぎる。公共のマナーを! と言ってやりたくなる瞬間ではあるが、俺ならび
一般観光客の面々は彼女の横柄な振る舞いを見て見ぬふりでやりすごす。
「80円ね」
アキホはあらかじめ右手に握っていた小銭をおばちゃんの目の前でぶちまけ、
ノンストップでカウンターの角にある小さなパック牛乳に手を伸ばす。ありがとう、という彼女の声が
聞こえているのかいないのか、アキホは一陣の風のように俺達の横を去っていった。
アキホは決まって牛乳を買う。
それが、俺達のアキホを見逃す理由でもある。購買部に並べられた色とりどりのパックジュースには
目もくれず、当校ぶっちぎりの不人気メニューである牛乳だけを手に取る輩など、アキホの他には居なかったからだ。
わずらわしい早い者勝ちの小競り合いには不干渉、とばかりに、もたつく新入りの女子生徒を押しのけて
颯爽と牛乳を手に取るその姿は、どこか胸のすく所もあった。いつからか購買部のカウンターには、
入荷を減らしたパック牛乳が、彼女の指定席とばかりにたった一つだけ置かれるようになっていた。
魔が差した、としか言い様が無い。
四限目の数学が少し早く終わったからか、普段なら人でごった返している購買部の前にはまだ誰も居なかった。
カレーパンと焼きそばパンと牛乳と……とオーダーを告げる合間に、ふと俺の目がカウンター左隅の
パック牛乳をとらえた。今日もパック牛乳は一つだけしか置かれていない。
「おばちゃん、牛乳も」
俺の言葉で馴染みのおばちゃんは一瞬面食らったように見えたが、俺が小銭を出して牛乳を手に取ってしまうと、
いつもの笑顔で、ありがとう、と言うだけだった。
19 名前:No.07 彼女の優雅な昼休み (2/3) ◇Pj925QdrfE[] 投稿日:07/02/17(土) 13:01:55 ID:zux+39MN
そして教室に戻り、立ち並ぶ三角屋根の住宅街と合間にそびえるマンションを望みながら、
具入りのパンをふんだんに並べて、普段より際立って豪華な昼食に手を伸ばそうとしたその時、
窓枠が揺れだす程の、雷の様な音が俺の手を止めた。
ドアの開く音だ。反射的に音源の方へ――俺だけではない、クラス全員の首が向くと、そこには
肩で息をし、般若の形相をしたアキホの姿があった。あろうことか彼女の目は、
俺の手元にある牛乳にぴたりと照準を合わせている。
擬音語を生み出しそうな歩調でアキホは俺の方へ向かってくる。俺の目の前で立ち止まり、
たじろぐ俺及びクラスの面々を尻目に、開口一番、
「その牛乳、私のなんだけど!」
大きな声。だがその真意を測りかねた俺が更なる説明を求めると、アキホは黙って牛乳に手を伸ばそうとする。
「ちょっと待て。俺が買ったんだぞ」
そう。この牛乳は昼を乗り切る俺のたった一つの水分。いくら彼女の指定席だからといって、譲ってやるわけには
いかない。そもそも、何故こいつがこれほどまでに激昂しているのかが理解できない。
アキホは舌打ちをしてあたりを見回すと、牛乳を掴んだままの俺の右手を引っ張る。
「ちょっと来て」
「お、おいおいっ!」
優雅な昼食が、昼の楽しみが、と抵抗を試みる俺だが、彼女の気迫と、驚くほど強く握られた右手に圧倒され
俺はなすがままに教室を連れ出される。周りの生徒の注目を浴びながらずんずんと進んでいった先は、
屋上へ向かう階段の踊り場。普段は人の滅多に通らないところだった。
そこで彼女は掴んだ手を離す。
「な、何のつもりだ!」
「牛乳! とにかくその牛乳、私によこしなさい」
「だから、コレは俺が買ったんだって」
「だったらお金も払うわよっ!」俺の目の前に差し出されたのは一万円札だった。馬鹿な。
血走った目でアキホは俺を睨み付ける。視線に耐えられず、俺はアキホに言う。
「なんだってそんなに牛乳が欲しいんだ」
20 名前:No.07 彼女の優雅な昼休み (3/3) ◇Pj925QdrfE[] 投稿日:07/02/17(土) 13:02:24 ID:zux+39MN
「教えてあげようか、多分あなたは信じないでしょうけど」
アキホは急に声のトーンを落とす。その落差に驚いて、俺もなぜかアキホの表情に目をとられる。
「私はねっ、牛乳を飲まないと死んじゃう宇宙人なのよ」
「……は?」
突拍子も無い、だが真顔で発せられた彼女のセリフに俺は呆気に取られる。
「今すぐ飲まないと命がもたないの! だから早く私に牛乳を頂戴!」
「い、意味がわからん」
「意味ったってそのままよ! だから早く!」
荒唐無稽支離滅裂、だがアキホの表情にはどこか真に迫るところがあった。俺は呆然としたまま、
アキホに牛乳を手渡す。アキホはそのまま目にも留まらぬ速さでストローをはがし、パックに突き刺して、
一気に牛乳を飲み干した。
「助かった……」
安堵の表情を絵に描くとこんな感じ、と言って差し支えは無いだろう。アキホは大きく息を吐く。
演技だとしたらとんでもない名女優だが、信用できるはずがない、そんな話が――
「む」
急に呼吸を止められたから、変な声が出た。ピンボケするほど近くにあるアキホの顔、
そしてなによりこの感触は、彼女の唇??
「ありがとねっ」
突然の出来事に目の焦点すら定まらない俺に、軽やかな声が届く。なにこれなにこれ意味わかんないこれなに
小気味良い音を鳴らしながら階段を下りて行く彼女に向かって声をかけられたのは、もうその姿が廊下の向こうに
消えようかという時だった。
「お、お前っ」
彼女は振り向いて俺に手を振った。
世界観が、いや宇宙観が変わってしまうほどの笑顔だった。