【 僕が彼らが聴いたものは見たものは 】
◆2LnoVeLzqY




88 名前:No.23 僕が彼らが聴いたものは見たものは (1/4) ◇2LnoVeLzqY [] 投稿日:07/02/11(日) 23:35:33 ID:bq2pvqJO
 礼儀正しく寛大でそのうえ思慮深い悪魔の話なんて聞いたことがない。おそらくそんなのいないのだろう。
 とある国の王の目の前に突然現れた悪魔もその例には漏れず、寝ている王様を叩き起こすと「今から七十二時間後、その時点で誰かがもしも絶望していたら、この国を滅ぼしてやる」とだけ言って去っていった。
 そのとき王は夕食の真っ最中だった。悪魔を見るや王は持っていたワイングラスを取り落とし、カーペットに血痕のような染みができた。
 側近や給仕は怯えきっていて声が出ない。王はというと、声こそ出せるが出すべき言葉が見つからない。
 そんな彼らを横目に悪魔はテーブルの上の上等な肉を一口で食べると、上のセリフを残してふっと消えてしまったのだった。
 城じゅう大騒ぎである。
 王を含めた重役たちは夜を徹して考えた。本当に悪魔はやって来たのか。しかし王の他にも証人はいるから、幻覚だとは思えない。
 それでは悪魔の言葉は本当なのだろうか。七十二時間後、つまり三日後に“誰かが絶望していたら”この国は滅ぶ。だけどこれが嘘だと決め付けて本当に国が滅んだらお話にならない。だから彼らが本当に悩んだのは次の問題だった。
 “誰も絶望させない”ための方法はないのだろうか。
 彼らがあれこれ考えているうちに、人から人へと話は広まり、あっという間にこの話は国じゅうの人の知るところとなった。
 ある人は「大丈夫、きっとなんとかなるよ」と明るく言い、またある人は「もう駄目だ、おしまいだ」とひどく嘆いた。
 最初のうちは前者のように言う人が多かった。しかし時間が経つにつれ、後者の暗い波はだんだんと前者のような明るく前向きな人を飲み込んでいった。
 そもそもこれはある種のジレンマなのである。
 たとえ「自分は絶望しないぞ」と心に決めて実行したとしても、他の誰かが絶望してしまえば水の泡と化す。そして、絶望するだけの理由は十分にあるのだ。その理由はもちろん「誰かが絶望すればこの国は滅ぶ」である。
 誰かが絶望してしまえば国が滅ぶ、という事実に絶望する。堂々巡りである。
 王を含めた重役たちもそのことは十分に理解していた。「絶望しないようにしましょう」と呼びかけたところで意味がないということももちろん知っていた。
 だからこそ彼らは悩んだのである。国が滅ぶのを防ぐ方法を見つけるために。七十二時間後、国民全員を絶望させずに済む方法を見つけるために。
 しかし一日経っても、彼らは誰も解決策を思い浮かばなかった。ひとつだけ出たアイディアといえば、「国民から案を募ろう」だった。
 そこで王は国じゅうにお触れを立てた。「国を救う方法を思いついた者には金一封」。しかしそれからさらに一日経っても、集まる意見や案はどれも王たちが考慮し却下したものばかりだった。
 ついに最後の日の朝が来た。今日の夕食どきに、正確には午後八時三十分に、誰かが絶望していれば、この国は滅んでしまう。
「もう駄目だ」という嘆きの波は、もはや国じゅうを覆っていた。なんとかしなくてはいけないと誰もが思っていても、それを上回る絶望の気持ちが彼らを支配していた。
 王ですら絶望の淵に立ちかけていた、そのときだった。
「王様、我々の思いつかなかった案を持ってきた者がいます」
 そう言う側近の後ろから姿を現したのは、若い修道女だった。
「どのような案なのか、話してみよ」と王が言うと、彼女は「はい」という静かな返事のあとに続けた。
「私たちの聖歌隊に、歌を歌わせてください」

89 名前:No.23 僕が彼らが聴いたものは見たものは (2/4) ◇2LnoVeLzqY [] 投稿日:07/02/11(日) 23:35:58 ID:bq2pvqJO
 ……歌だと?
 王はあっけにとられた。歌が嫌いなわけではない。しかし歌で国が救えるとは全然思えなかったのだ。
「話にならん、帰れ」
 王がそう言おうとしたまさにそのとき、側近の一人が深刻な顔をして言った。
「王様、我々には、時間がありません」
 そこで王はふと我に返った。いや、開き直ったといった方がいいのかもしれない。駄目で、もともと。
 だから次の言葉は、自然と王の口をついて出た。
「詳しく話を聞こうか」
 修道女の話を要約するとこうだ。
 彼女らの聖歌隊は全部で二十五人いる。それぞれが、確かな歌唱力の持ち主だ。
 また、この国はそう広い国ではない。大なり小なりの街や集落が全部で二十四。そこのひとつひとつに、聖歌隊を一人づつ派遣する。そして、城にも一人。合計二十五人。
 午後の八時三十分になる少し前、彼女らは歌いはじめる。そして悪魔が言ったまさにそのとき、国民全員が、彼女らの歌を聴くことになる。そうすればきっと、誰も絶望せずに済むはずだ。
 彼女の案は明快だった。そして歌う予定の歌を少しだけ口ずさんだ。すると絶望に飲み込まれかけていた王の心に、希望の光がどっと射した。
「彼女らの聖歌隊をいますぐ各地に派遣しろ。いますぐにだ」
 聖歌隊を一人ずつのせた馬が全力で駆けた。修道女が言ったように、この国はそう広い国ではない。休まず馬は走りつづけ、“悪魔の時間”まで少しの余裕を残して、彼女ら聖歌隊は各地に着くことができた。
「みんなを、この場所に集めてください。お願いします」
 彼女ら聖歌隊は派遣された村の、街の、一番目立つところに立ち、そう呼びかけた。
 それは村であれば広場であり、街であれば集会場であったり、広い公園であったりした。
 しかしなかなか人は集まらない。みんなが途方に暮れ絶望に沈む中で、彼女らの言葉を聞く者はあまりに少なかった。
 彼女らは呼びかけるのをやめた。けれどそれは諦めではない。彼女らの口は再び開かれ、そしてそこから出てきたのは――歌声であった。
 歌が、村に、街に、響き渡る。
 人々はその歌声に聴き入った。美しいばかりではない、その歌詞は、未来への希望を高らかに謳いあげていたのだ。
 美しい歌を歌う女性がいる。その噂は村じゅうを、街じゅうを駆け巡り、そうして大勢の人が、彼女らのまわりに集まった。
 午後の八時三十分まで、あと五分。夕闇の中、彼女らは一斉に、口を開いた。

90 名前:No.23 僕が彼らが聴いたものは見たものは (3/4) ◇2LnoVeLzqY [] 投稿日:07/02/11(日) 23:36:52 ID:bq2pvqJO
「みなさん、お揃いでしょうか」
 すると村の広場で、街の集会場で、公園で、人々が口々に言い合った。「全員いるな? いない奴はいないな?」と。
 誰もが、心のどこかでは助かりたいと願っているのだ。絶望に全身を支配されても、心の奥底では、わずかな望みがあればそれにしがみつきたいのだ。誰もがそう願っているのだ。
 その小さな願いを、彼女らの歌が呼び覚ましたのだ。
 そして彼女らは、まったく同じ時間に、同じことを言う。
 村の、街の、全員が、耳を傾ける。国民全員が、同じ言葉を聞く。
「今から私は、歌を歌います。他の村や街でも、私の仲間が同じ歌を歌います。同じ時間に、別の場所で、みんなが同じ歌を聴くのです」
 一瞬の静寂。そして、歌声。
 村の広場で、街の集会場で、公園で、夕闇の中、彼女らは歌い、人々はそれに静かに聴き入る。
 ある人は星の輝く空を見上げた。同じ星空の下、同じ歌を聴いている人がいる。その人もやはり同じ星空を見上げて、同じことを思っている。そう考えるだけで、何だか嬉しくなる。
 ある人は隣にいる愛する人の顔を見つめた。愛する人と、同じ歌を一緒に聴ける。愛する人も、自分を見つめて同じ歌を聴いている。それは、すごく幸せなことなのだと思う。
 またある人は、その詩に心を奪われた。未来への希望が、明日への望みが、美しい旋律とともに歌い上げられている。ずっと昔に忘れてしまったものを、ようやく思い出した気がする。
 歌が終わってしばらくの間、誰も一言も発しなかった。彼らの中では、国が滅びずに嬉しいという気持ちと、ずっと歌を聴いていたいという気持ちの両方がせめぎあっていたのだ。
「終わったんだよ、な」
 誰かがぽつりといい、誰かが「ああ、終わった」と返した。だけど何かが違う。終わったという感じじゃない。
 歌は? この悪魔騒ぎは?
 確かにそれらは終わった。だけどもっと大きな何かが始まったのだ。だけど何が始まったのか、彼らはまだわからないのだ。だから、「終わった」という言葉は奇妙な響きを持っているのだ。
 彼らは夜通し考えた。歌と騒ぎは終わった。じゃあ何が始まったのだろう。けれど夜の間には、結論は出なかった。
 その結論が出たのは、彼らが地平線の向こうから昇る朝日を見たときだったのだから。

91 名前:No.23 僕が彼らが聴いたものは見たものは (4/4) ◇2LnoVeLzqY [] 投稿日:07/02/11(日) 23:37:35 ID:bq2pvqJO

 僕の知っている言い伝えはこれでおしまいだ。この話に出てくる国のみんなが朝日を見て気がついた「始まったもの」が何だったのかは、聴いてくれた君の想像に任せるとする。
 そもそも言い伝えと言うよりは、この話は伝説とか作り話といった方が良いのかもしれない。
 まず悪魔なんて実在するはずがない。礼儀正しいも寛大も思慮深いもあったもんじゃない。それに三日後に国を滅ぼすなんて話も、まるで荒唐無稽だと思う。
 まあそれも、作り話なのだからしょうがない。けれど作り話には大抵、テーマがあるものだとも思う。
 たとえば勧善懲悪を題材にした昔話はたくさんある。そういう昔話はストーリーを借りて、何かメッセージを伝えているものなのだ。
 じゃあこの話はどうなのだろうか。ううん、勧善懲悪といった感じじゃなさそうだ。
 この話に出てくる悪魔には動機がない。いや、きっとあるのかもしれないけれど、話の中でそれが語られることはない。きっとこの悪魔は何かの比喩なのだろう。
 勝手にやって来ては勝手に国を滅ぼすぞと脅す。避けられない脅威。天災だろうか。ちょっと違う。もっと理不尽で、どうしようもない脅威。
 そんなのは今、僕らのまわりにいっぱいあるじゃないか。
 僕らは力を合わせて、そんな脅威を取り除くことができるんだろうか。
 この話に登場する人々はそれができた。でもそれは、作り話だからなんじゃないだろうか。
 確かにそうかもしれない。でもいつの日か僕らは、みんなが協力しないと解決できない問題にぶち当たるかもしれない。
 そのとき僕らは絶望に打ちひしがれるのかもしれない。美しい歌声なんて聞こえてこないのかもしれない。
 滅ぶのを待つだけなのかもしれない。
 だけどそれじゃいけない。僕らは朝日を見なくちゃいけない。この話はそれを教えてくれたのかもしれない。
 僕は今日も歌声に聴き入る。外に出て涼しい風を浴びて、暗闇の中、星空の下でイヤホンを耳に当てて、お気に入りの歌を聴く。
 同じ時間、同じこの空の下で、別の誰かも同じ歌を聞いているのかもしれない。
 そう考えるだけで僕は嬉しい。朝になると地平線の向こうからすっと太陽が昇ってきて、僕はさらに嬉しくなる。




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