【 あのときのまま 】
◆8vvmZ1F6dQ




60 名前:No.16 あのときのまま (1/4) ◇8vvmZ1F6dQ[] 投稿日:07/02/11(日) 21:32:16 ID:bq2pvqJO
夏祭りの夜。文字通りお祭り騒ぎの向こう側、懐かしいメロディーが僕の耳には届いていた。
メロディーにあわせて口ずさむ自分にはっとし、耳を済ませる。
どこへ行くでもなくフラフラとしていた僕、ただ懐かしいという動機だけでそちら側へ足を向けていた。
人ごみを掻き分けると現れたのは、屋台の屋根を支える金具に、賑やかしのために取り付けられたラジカセ。
僕がそこにたどり着いたときには、もう歌は終わり、自動的にCDが次の歌を読み込み始める頃だった。
僕はふぅ、と息をつく。同時に、や、と横から声をかけられた。声の主は屋台の中で焼きソバを焼く女性だった。
一瞬、僕に声をかけたのかどうか迷い、こちらに視線を向ける女性を数秒じっと見てから、あぁ、と悲鳴に近い高い声をあげる。
懐かしい歌に導かれた僕は、なんとも懐かしい人に再会してしまった。名前は首藤美奈。五年前、中学の同級生だった子だ。
その時より髪が伸びて、顔つきも大人っぽくなった。しかしそんなことに関心する暇もなく、僕は驚き片眉を跳ね上げた。
「なんだその格好」
「客寄せのためよ、客寄せの」
美奈は学校の制服を着ていた。中学のものではなかったが、美奈の進学した西高校のものだった。
「もう卒業しただろ?」
「まだイケてるでしょ」
フフっと美奈は笑って制服の袖をひっぱってみせた。僕は理解しがたい、ということを首を傾げてジェスチャーした。
「でもそれより……田中君いつ戻ってきたの?」
僕は中学を卒業すると共に隣県へと越したのだった。美奈とはそれ以来の再会になる。
「向こうの高校を卒業した後、向こうの大学に通ってるんだけど……今は夏休みで旅行がてら来たのさ」
へえ、と美奈が言った直後、客が一人やってきた。美奈は威勢良くいらっしゃいませ、と声を張り上げた。
僕は脇に寄り商売の邪魔にならないようにする。見れば屋台の奥では、まちまちの高校の制服を着た女性たちが
忙しなく動いていた。きっと美奈の友達たちだろう。僕はこれ以上邪魔をしてはいけない、と思って去ろうとした。
すると客に焼きソバを渡し終えた美奈が
「十時には店じまいするから、それからうちにおいでよ! 地元の仲間片っ端から呼ぶからさ!」
と言った。僕は了解、と手をあげると人ごみに混じっていった。


61 名前:No.16 あのときのまま (2/4) ◇8vvmZ1F6dQ[] 投稿日:07/02/11(日) 21:32:52 ID:bq2pvqJO

美奈の家は軽食も兼ねた喫茶店を営んでいる。仲間内で放課後によく集まったものだ。
あの広い夏祭りの会場で、美奈の店を見つけられたのは実に幸運だったかもしれない。再びあの店に行くチャンスに恵まれたのだから。

人ごみにのぼせた僕はジュースを片手にもち人の少ない場所のベンチにふらふらと座る。遠くのざわめきが海の波の音のようにも聞こえて心地いい。
僕はさっき聞いた歌を思い出していた。
五年前に流行ったJ-POP。歌った歌手は現在は活動休止中。当時はラジオやなんやでよく流れたし、CMにも起用された曲。
ありふれた流行の歌、最近ではめったに聞かない。
今日本であの歌のことを考えているのは僕だけしかしないのではないか、という思いに囚われる。自分だけがその時代に取り残されているのではないか、と。
ジュースをぐいっと飲み干す。喉に冷たい感触が下っていく。僕は空を見上げたままあの懐かしい歌を口ずさみ始めた。


62 名前:No.16 あのときのまま (3/4) ◇8vvmZ1F6dQ[] 投稿日:07/02/11(日) 21:33:19 ID:bq2pvqJO

五年前のあの喫茶店。僕は彼女と二人きり。店の主に店番を頼まれたから。
店に置かれたレトロなラジオから、似つかわしくない明るいDJの声が漏れていた。僕はふいに彼女に向き直る。
「引っ越すんだ、卒業したら。……黙っててごめん」
「知ってたよ。田中君、美奈にはそのこと話したんだってね」
「……うん」
彼女はふいに明るく笑う。
「引っ越す前に美奈に告白しちゃいなよ」
「……」
僕は黙る。仲間内では僕は美奈のことが好きだというのが確定事項なのを、僕は知っていた。
静かな時間。ラジオの向こう側でDJは喋り続ける。
ふと、物悲しい伴奏が始まった。あの曲だった。
別れ、だとか誤解、だとかそんな言葉が連ねられた歌。
曲が終盤に差し掛かった頃、ドアが大きく開いた。店の主の娘だった。手には大きな紙袋。買出しから戻ってきた。
「それじゃ、俺はもう帰るから」
素っ気無く言って、入れ違いに外にでる。夕方だった。道路も電柱も赤く染まっていた。背後に聞こえる音楽の歌詞に、夕暮れ、という言葉があった。
それから僕はこの曲が忘れられない。ただの流行の曲が、僕の中ではとても不思議な力を持ってしまった。


63 名前:No.16 あのときのまま (4/4) ◇8vvmZ1F6dQ[] 投稿日:07/02/11(日) 21:33:38 ID:bq2pvqJO

美奈の家でのわいわい騒ぎ、懐かしいメンバーが集まったが、あのとき一緒に店番をした子はいない。
さりげなく話題に出すと、どうやら都会の方の大学に今は通っているようだ。
深夜、皆が帰った頃、美奈はラジカセにCDを入れた。彼女が選んだのは──あの曲だった。美奈は語りだす。
「五年前……あたしが吉田君を好きだって噂聞いてたでしょ? あれ嘘なんだ。実は田中君が好きだった。
 田中君があたしのことどう思ってるか知ってたし、ちょっと待ってたところもあるんだけど……気付いてた?」
美奈の表情はいたって明るい。極普通に思い出話をする風だった。
「この歌……なんだかあたし達のこと歌ってるみたいでずっと頭から離れなかった」
そう言う美奈の顔はやはり笑顔。僕はああ、と口元を緩めて返事をした。

おわり





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