【 ゆめのうた 】
◆IbGK9fn4k2




57 名前:No.15 ゆめのうた (1/3) ◇IbGK9fn4k2[] 投稿日:07/02/11(日) 19:12:46 ID:IAaxD8zE
薄暗い店内へといつものように足を踏み入れ、マスターにいつもよりも強いカクテルを頼んだ。
そんな日常風景の片隅で、あの男はカウンターの隅の席で一人で飲んでいた。日に焼け色褪せたギターを傍らに。

「あれ? あの人初めてですよね」
マスターとの雑談の合間にふと問いかける。あの人、というのは勿論隅の席の男の事である。
「毎週この時間に来てるお客さんだけど、鉄ちゃんは会うの初めて?」
彼の手元にはマスターの特製カクテル《夢の歌》、店一番の強いカクテルで、その七色の彩りはここからでも見て取れる。
「初めて、だと思いますよ。一度話した相手なら覚えてるはずですし」
「そう、なかなか素敵な人よ……あら? 電話ね」
そう言ってマスターが奥へと入ってしまったので、また二つ離れた席に座る男を見る。
室内が暗いため年齢を見て取る事は出来ないが、平日の夜に私服と言う事は大学生であろうか。
などと取りとめもなく考えていると、電話が済んだのか、マスターが出てきた。
「ちょっと用事で出かけてくるわ。閉店時間には戻るから二人でゆっくりしててね」
そう言い残してマスターは返事も待たずに飛び出していってしまった。

「歌はお好きですか?」
男二人が残された店内の気まずさを紛らわせようと、何と話しかけようか悩んでいるうちに彼がそう聞いてきた。
「歌か……昔は好きだったが今はそうでもないな」
「そうですか。僕は歌が大好きなんです。作ったり、歌ったりそういうこと全部が」
そう言って彼は歌について色々と話し始めた。作曲の苦労、演奏の失敗談。語る事の種には尽きないようで、
笑ったり、涙ぐんだりしながらよく喋った。私は最初、形だけ相槌を返していたのに、いつしか白熱した会話を交わしていた。

58 名前:No.15 ゆめのうた (2/3) ◇IbGK9fn4k2[] 投稿日:07/02/11(日) 19:13:19 ID:IAaxD8zE
「ふふ。羨ましいな。その一途な気持ち、どこか懐かしいよ」
「ひょっとして、昔何かに熱中してた経験が?」
「そうだね。私はね……野球選手になるのが夢だったんだ」
「どうしてならなかったんですか?」
「ガキの頃に親父に猛反対されてね。あんなんで食っていけるか、だってさ。甲子園にも出たのに、今じゃ平のサラリーマンさ」
「諦めて…しまったんですか? その夢を」
「ああ、その代わりにこうして安定を得た。確かな地面を歩いている。だから親父には感謝しているよ」
「それで本当に良かったんですか?」
「私は良かったと思っている。それなのに隆志は……」
「隆志さん?」
「あぁ、大学生の私の息子だ。歌で生活するなどと言って一昨年家出して、それから会っていない」
「どうして家出したんでしょうね、隆志さんは」
「些細な口喧嘩が原因だったと思うだが、理由なんてもう覚えては居ないし、あいつの事を怒ってもいない。
あんな事気にせずにさっさと帰ってきて欲しいものだ」
「そういう気持ちであれば、きっと近いうちに隆志さんも帰ってきますよ。
一曲歌わせてください。このカクテルと同じ、夢の歌という曲です」
そう言って彼は歌い始めた。
それは切ないバラードであるのに、不思議とココロを揺さぶる、どこか熱いものを感じた。
 ――でも夢は叶うものだから――


『親父の分らず屋っ。時代遅れの石頭っ』
『何が分らず屋だ、この馬鹿息子が。日がな一日歌って生きるなんて夢見てんじゃない!』
『はん。実現できるからこそ夢だって言うんだ。自分が夢諦めたからって僻んでんじゃねぇよ』
『そういうところが甘いっていうんだ。現実を直視しろ!』
『試してもみないうちから諦めてたまるかよっ。それでも夢は叶うんだよっ』
『おい、待ちなさい!』

59 名前:No.15 ゆめのうた (3/3) ◇IbGK9fn4k2[] 投稿日:07/02/11(日) 19:13:55 ID:IAaxD8zE
「ほらほら、鉄ちゃん。閉店よ、起きなさい」
「あ、マスター」
いつの間にか寝てしまっていたようだ、マスターに揺すり起こされて辺りを見回す。
あの男の姿は無い。眼の前には《夢の歌》が半分ほど残っているグラス。
「マスター、あのお客は?」
「お客? 今日は鉄ちゃんだけよ」
「えっと、それ、本当ですか?」
「鉄ちゃん、来てすぐに酔いつぶれちゃったから分からないかもしれないけど本当よ」
「えっと、こういう客が居たかと思うんですが」
そう言って彼の容貌を説明する。
「そういうお客さんは覚えてないけど…でもそれって…」
「何か心当たりあります?」
「前に話してくれた隆志君にそっくりよね。会いに行ったら? 心当たり、あるんでしょ」
「そう…だね。ありがとう。マスター」
「どういたしまして」
おどけた会釈をするマスターを背に外へ出る。

春先、まだ風は少し冷たい。店を出て少し路地を進むと、あの歌声が聞こえてきた。
――でも夢は叶うものだから、諦めはしない。
 白い鳥舞うようにこの歌声響け――
掛ける言葉はあのときから決まっていた。
「いい歌をありがとう」
「どういたしまして、父さん」






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