【 僕だけのために歌って
】
◆K/2/1OIt4c
52 名前:No.14 僕だけのために歌って (1/5) ◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/11(日) 18:46:10 ID:IAaxD8zE
本人に意味がなくても、他人には意味がある。そういった創作活動にこそ価値がある。
本来なら大人数に意味のあるものの方がよりその価値は上がるが、少人数の人間のために創るマイナーな創作物は、それはそれで創っていて楽しい。価値があまりなくても、少なくとも多少の価値がある。
この小説を書くのもそうだ。
これはある人物に向けて書いている。とは言っても、これはその人物から依頼されて書いているに過ぎないのだが。
でもまぁ望んで待っているたった一人の読者のためにも、より上質な作品を創ろうと思う。
その前に、これだけは言いたい。
誰のためでもなく、自分自身のためだけにする行為がある。それは自分だけが観察できればいいし、むしろ見られたくないものだ。
誰にだってそういうものがあることを、理解しておいてほしい。
×
母親が朝早くに出かけると言うので、必然的に自分も早く起きることになった。毎朝母親に叩き起こしてもらっているので、このくらいはまぁしかたない。たまにはゆっくり朝を過ごすのも悪くないか。
布団の外は少し寒い。九月も終わろうとしているこの季節は、布団から出ることが困難だ。完璧に冬になっていてくれればあきらめもつくが、この中途半端な気温ではちょっとまだやる気が起きない。
しかし、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかない。掛け布団を豪快に持ち上げて、一気に立ち上がる。数秒固まりはしたものの、無事に朝を迎えることができた。
いつもより早めの朝食を、いつもよりゆっくり食べる。ニュース番組も、いつもやっているコーナーとは違うものがやっていて新鮮だ。朝の占いは三位と、まぁまぁの成績だった。
トーストを二枚食べ終え、時計を見る。いつもより三十分ほど早く食べ終えていた。
しかし、ゆっくりしていてもしょうがない。さっさと着替えて、家を出た。
いつもと違う色彩がまたおもしろい。太陽の高度が低いからだろう。全体が少しだけ赤っぽい。
それにしても、いいかげん手袋をしたほうがいいかもしれない。ポケットに差し込まれている手はもう死体のように冷たい。死体の体温はよく知らないが。
自分はわりと寒がりだ。これは最近気づいた発見だ。でも、だからといって暑いのが好きなわけでもない。寒すぎるのも暑すぎるのも、どちらも嫌いだ。きっとこれは正常な人間だからだろう。
校門の前で少し立ち止まってそんなことを思った。
53 名前:No.14 僕だけのために歌って (2/5) ◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/11(日) 18:46:31 ID:IAaxD8zE
それにしても、うちの学生は真面目だ。こんな朝早くから行われる部活動に参加している。不満も漏らさずに。まったく自分の不真面目さが惨めに思えてくる。
入学して二年半ほどになるが、一度も朝連に参加したことがない。放課後の部活にも、数えるほどしか参加したことないが。
グランドをむやみにランニングする生徒。半そでにハーフパンツでがんばっている。いいことだ。隅のほうでは坊主の少年達が大声を出してボールを投げ合っている。これはこれは、さぞかし楽しいことだろう。
そんな寒さにも負けない小学生のような精神力を持った同じ高校生を横目で見ながら、昇降口までゆっくり歩く。なんとなく優越感を感じながら。
普段はこんな光景を見ることもない。朝礼の始まる五分ほど前に到着するからだ。その頃には彼らも惜しみながら運動を止め、しぶしぶ教室に戻っていくのだろう。その姿も見たことはない。
ふと、聴覚に意識を向けた。
これはなぜだかわからない。
きっと、運命なのだろう。
合唱部の歌声が聞こえてきた。三階建ての校舎の、三階の隅に音楽室がある。そこから聞こえてきているようだ。男子生徒のあまり美しくないハーモニーが、少しもやがかかったように聞こえる。きっと室内で歌っているからだろう。詳しいことは知らないが。
この実力で朝から練習する気になる彼らの実直さに感心することなどせず、ただ一つだけ聞こえる高音の声に注目した。
この声だけがはっきりと、なんの障害もなくまっすぐ聞こえる。気のせいかもしれないが。
立ち止まって、音楽室と思われる部屋を見上げる。外から校舎を観察した時、どの教室がなんなのかいまいち断言できない。それはしかたないか。
外からではなにも見えない。もう少し窓際で歌うよう伝えておこう。知り合いなどいないと思うが。
しかたない。気になってしまったのは自分の責任だ。止めていた足をまた始動させ、少し早足で昇降口に向かった。
なぜ男子ばかりの声の中にあのような高音が混ざっているのだろうか。男子は数人いるように思われたが、あの高音はたった一つだ。不自然ではなかろうか。
常識的に考えて、高音の方がよく聞こえるだろう。常識かどうかは知らないが。だからきれいに聞こえたのはわかる。でも、あれは複数ではない。一人だ。たった一人で、数人の男子を上回る声量と魅力を持っていた。
54 名前:No.14 僕だけのために歌って (3/5) ◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/11(日) 18:46:57 ID:IAaxD8zE
上履きに履き替え、廊下に出る。かかとを踏んでいたが気にしない。これはいつものことなのだ。
少しだけ早足で階段を上がる。廊下には人はあまりいない。
三階に着く頃には、多少息が上がっていた。運動不足なのかもしれない。
さすがに校舎内だったら音楽室の場所は完全に把握できている。何の寄り道もせず、そちらの方へ向かう。
徐々に歌声が大きく聞こえてきた。男達のなんとも無気味な低音が響く。きっと悪魔の呪文を歌っているのだろう。
音楽室のプレートが刺さった部屋のドアの前に立ち止まる。確実にここから男達の声が聞こえる。不快だ。あの高音は、なぜか聞こえない。歌うのをやめたのだろうか。
思い切ってドアを開けることした。思い切った行動ではあるが、ドアを開ける手はいたって慎重に動いている。気づかれないよう、細心の注意を払って、ゆっくりと取っ手を持つ手をスライドさせた。
中にいるのは十人ほどの男子生徒ばかりだった。女性などいない。あの高音の正体はなにものなのだろうか。ちなみに、ドアを開けたら全員がこっちを見ていた。歌も止まっている。
「なんですか?」
横一列に整列した男子達だったが、一人だけその輪から外れている男がいた。これはきっと指揮者だ。その指揮者が口を聞いてきた。
「いや、木下先生はいる?用事があるんだけど」
適当なことを言ってごまかす。音楽の先生のせいにしよう。とっさに出た言葉にしてはなかなか悪くない。悪くないというのは自分自身の評価だが。
「いないけど。っていうかまず最初に職員室に行くべきじゃないかな。多分いると思うけど」
なんだこの言葉遣いは。腹が立つ。それによく観察してみれば、この指揮者、メガネもむかつく。
太く真っ赤なフレームで、肝心のレンズ部分は細い。そのくせ、瞳は大きい。レンズからはみ出ているのではなかろうか。きっとこれが個性的でかっこいいと思っているのだろう。まぁ、美形なのは認めるが。
「わかったよ。ありがと」
そう言って、返事も聞かずドアを閉めた。しばらくその場にいたが、歌が再開される様子がないので、教室に向かうことにした。
自分の教室は二階にある。無駄なことをしたと多少後悔しながら、階段まで歩く。
もうあの声は聞こえない。毎朝歌っているのだろうか。それならまた明日がある。
明日も早く起きるのは面倒だ。母親は起きていないから、自力で起きるしかない。まぁそれくらいやって当然なのだろうが。
55 名前:No.14 僕だけのために歌って (4/5) ◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/11(日) 18:47:21 ID:IAaxD8zE
扉が開く音が聞こえた。
音が聞こえた方を見上げる。上から聞こえたからだ。ここが最上階のはずだが……。
逆光のせいでシルエットしか見えなかった人物は、開かれたドアを閉めることによって鮮明になった。見覚えがある。あれは同じクラスの……。なるほど。屋上か。
そこで、ある一つの仮説を思いつく。きっと正解だろう。誰の目にも明らかだ。
あの声の正体は、こいつだ。
声がクリアに聞こえたのは、外で歌っているからだ。しかし、外では音が拡散してしまう。それはまぁ教室で歌っているのを聞くのと同じだろうが。
なぜ屋上で歌う必要があるのか、ちょっと理解できない。わざわざ彼らの歌に合わせているようだった。合唱部に入ればいいような気もするが。
確か、名前は岡崎。下の名前は使わないので把握していない。
岡崎は、立ち止まってこちらをじっと見ている。目のやり場に困るだろうが。
「屋上なんて入っていいの?」
とりあえず話し掛ける。間が持たないのだ。
「さぁ」
岡崎はそう言って首を少し傾ける。
「もしかして、歌ってた?」
もう、単刀直入に聞いた方が早いと判断した。
「うん」
一言で返す。
「合唱部に入ればいいじゃん」
「あんまり人に聞かれたくないから」
質問を予測していたかのように即答する。もう返す言葉もない。
立ち尽くしている岡崎を置いて、階段を降りることにした。
さきほどよりもずっと気温が上がっている。涼しいくらいでちょうどいい。
きっと、陽が昇ってきているからだろう。
そうに違いない。
56 名前:No.14 僕だけのために歌って (5/5) ◇K/2/1OIt4c[] 投稿日:07/02/11(日) 18:47:48 ID:IAaxD8zE
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この後、いろいろあって二人は交際をはじめる。この場合の交際は、付き合うということだ。さらになんと結婚までしてしまった。まぁその辺は省略しよう。
そして今、この物語の主人公が執筆を観察している。作品をオーダーしたのだから執筆を見るのは当たり前、と屁理屈を言う。うしろでごたごたと、こんなにグレてない、とか言っているが、そんなことはお前が判断することではない。
少なくとも、僕にはこう見えた。
「あの頃の声はかわいかった」
うしろでこんなことを言ってくる。しかたないだろう、声変わりをしてしまったのだから。声変わりをしたのは僕の責任だが、それに対して文句を言われる筋合いはない。
別に、僕の声が高いから好きになったわけでもないだろう。
僕のどこが好きなのかは、よく知らないが。
完