【 ワナビの歌 】
◆h97CRfGlsw




47 名前:No.13 ワナビの歌 (1/5) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/11(日) 17:48:41 ID:IAaxD8zE
「由香……僕と、結婚して欲しい」
 夕方頃に、彼氏からの呼び出しがあった。どうしても直接話したいというので、意気揚々と彼氏の部屋へとはせ参じた。開口一番、彼氏のセリフである。
 長い年月を費やして、やっとのことで彼氏からこのプロポーズの言葉を引き出した、このときの私の心情を考えてみて欲しい。まるで、天にも昇るような気持ちだ。上物のコカインだって、この昂揚感には劣るだろう。使ったことないけどさ。
 苦節二十三年。私はこの佐藤と言う男と、これだけの期間を共に過ごしてきた。長かった……本当に長かった。これまでの遍歴を少し振り返るだけでも、涙が出てきそうになる。
 佐藤太郎。容姿端麗……ではないが温和で、天下の東京帝国大学生。しかも主席。親は政治家。その資産は億をゆうに超え、質素な生活ならば一生働かなくても生活していける。要するに、佐藤はこれでもか!というほどに、上等な男だった。
 ただ、この至高の性格設定は、はじめから佐藤に備わっていたものではない。この私自身の手で、佐藤が私に相応しい男になるよう、仕立て上げてきたのだ。時には幼馴染として、時には彼女として、時には姉貴分として。
 充足。私の心が満たされていく。ここまでの道のり、本当に色々なことがあった。ああ、今では懐かしき思い出たちよ。
 虐められていた佐藤を、体を張って助けたこと。受験ノイローゼに陥った佐藤に、一晩中付き添って励ましたこと。離れ離れにならないためにと、必死で私も受験勉強をしたこと。恋敵の美香さんを討ち果たしたこと。
 感無量。流石に東大には入れなかったので、一時はどうなることかと思っていたが、佐藤はちゃんと浮気することなく私を選んでくれた。はふう、と息を吐く。これで私の人生は安定が約束されたというわけだ。
「うん。……ありがとう、佐藤」
 このときの為に取ってあった、最高の笑顔で返事をする。佐藤が可愛らしい顔で、照れくさそうにはにかんだ。愛い奴だなあ。よしよし、と頭を撫でてやると、嬉しそうに頭を下げた。
 この分なら、この男を尻にしくのは容易いだろう。笑顔が止まらない。欲望も止まらない。素敵な大きさの豪邸で、優雅にソファーでくつろぎ、紅茶に舌鼓を打つ自分を思い浮かべる。うん、悪くない。いいよいいよー。
「えっと……それで、由香にもう一つ大事な話があるんだ」
 婚約指輪は?と思わず聞きそうになってしまったが、佐藤が珍しく真面目な表情をしていたので、口をつぐむ。
 まあ、指輪は焦らなくてもいいものがもらえるだろう。単位がよくわからないのであれだが、五十万カラットくらいのが欲しい。
 佐藤は立ち上がると、部屋の奥へと消えていった。なんだろう、と乙女心にときめきを感じてしまう。なにか私を驚かせるような、気のきいた催しでも計画しているのかもしれない。
 しばらくして戻ってきた。佐藤は抱えるようにして、ピカピカと光を反射するきれいなギターを運んできた。歌の用意でもしていたのだろうかと、楽しみに思う。
 そして、佐藤が決意を込めた声で、言った。
「僕さ……歌で生活していくことに決めたんだ」

48 名前:No.13 ワナビの歌 (2/5) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/11(日) 17:49:09 ID:IAaxD8zE
「…………なんだって?」
「メジャーデビューするんだよ!」
 じゃかじゃーん、とギターがけたたましい音をかき鳴らした。防音設備が完璧に整っている高級マンションなので、音漏れを気にすることはないが、私の魂が体から漏れかけていた。歌が……なんだって?
「え……ギャグ?」
「ギャグじゃないよ。僕は本気さ、由香。天の啓示があったんだよ、お前は音楽に生きるんだ、って!」
 佐藤の表情が輝いている。今までは全く顔を出さなかった、雄としての攻撃性を全面に押し出したような、覇気に満ち満ちたオーラを醸し出している。私はそのオーラにあてられて、どろどろに溶けてしまいそうだった。
「それで由香、僕歌を作ったんだ。人前で歌うのは初めてだから、最初は由香に聞いて欲しくて」
 床にへたり込みそうになっている気を持ち直して、なんとか姿勢を戻して佐藤に目をやる。佐藤は私の返答を待たず、ギターの調整……のようなことをはじめた。私に音楽の素養はないのだ。
 じゃじゃん、と楽しそうに佐藤はギターを鳴らしている。人前で歌うのは初めてってお前、歌手舐めてるのかよ。一朝一夕の努力でメジャーデビューできるほど、音楽の世界は甘くはないだろう。と、思う。
 しかし、疑問が残る。そんなことは、私より成績のいい佐藤だって、わかっているはずだ。それならば、何故?
 まさか、と思う。まさか佐藤、実はめちゃくちゃ歌が上手かったのではないだろうか!? ギターの扱いだって、主観的だが慣れたものだ。腐っても佐藤。東大生の名は、伊達じゃないよ!
「じゃあ……聞いてて。由香のことを想って作った曲なんだ」
「うん、聞かせて」
 たんたんたんたんと足がリズムを刻む。ぎゃぎゅい〜ん、という派手な音から、曲は始まった。これ以上擬音表現を重ねるのもあれなので省くが、ギターの扱い自体は、なかなか卓越しているように思う。
 そして、歌が始まった。

 『愛しい人』
 作詞作曲:佐藤幸助

 好きです 好きですマジで どのくらい好きかっていうと キーマカレーくらい好き
 キーマカレーくらいって言うけど 僕ほんとにカレーが好きなんですよ 食べ物で言うと 一番好きです
 だから君が一番好き〜 あっは〜ん いえ〜 おっお〜 はーふ〜ん へいへーい
 愛してる 世界で一番 愛してる でもやっぱカレーの方が…… うーん……
 しぬほど好きー あーあー 君と 永遠に寄り添っていーたいー
 ていっても男性のほうが平均年齢は短いのでおそらく僕のほうが先に逝去するでしょうけれど
 るーるー それでもー うおぉ〜 僕と一緒に いてください〜
 僕にー…… カレーを作ってください〜……
 はーはーん…… カレー マイラーブ…… ふんふ〜ん……
 君よ 愛しい 君よー
 をうをーう いええ〜……

49 名前:No.13 ワナビの歌 (3/5) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/11(日) 17:49:37 ID:IAaxD8zE
 私は泣いていた。ぼろぼろ泣いていた。いい感じに死にたくなったからだ。佐藤の曲は、残酷なほどに心に響いた。ていうかそもそも何の歌だよ! カレーの歌か!
 佐藤はというと、歌いきった充実感からか、体をのけぞらせて満足感に浸っているようだった。そんな佐藤の様子に、私は顔を抑えてうなだれるほかなかった。なに、この状況……。
「どうだった?」
「……いや、その……まあ……」
 初めて書いた絵を母親に見せにきた子供のような表情の佐藤に、くたばれヘタクソ!とはさすがに言えず、曖昧な言葉で返答を濁した。佐藤のこんな表情を見るのは久しぶりのことで、少しきゅんとしてしまう女の自分が憎い。
 佐藤は本気のようだ。本気で音楽で生活していくつもりでいるようだ。腕をちぎってでも引き止めたくあったが、ものは考えようである。この分なら、オークションの段階で落ちるだろう。
 それに音楽で生活するといっても、佐藤には親の資産がある。質素な生活を心がければ、一生困らないだけの金はあるのだ。まだ一寸先は闇、という状況ではない。
 大丈夫だ。一度失敗すれば、佐藤はちゃんとそれから学んでくれる。失敗は成功の元だって、ばっちゃはよく言っていたもの。
「父さんにも言ったんだけど、わかってもらえなくてさ……。もう勘当だって言われちゃったけど、でも安心して! きっと上手くいくから!」
 一寸先は闇だ……。この佐藤についていったら、まず間違いなくブルジョワジーな生活は雲のうえの存在となってしまう。私はこの葛藤に堪えきれなくなって、頭を抱えたまま床にごろりと転がった。
 佐藤は、一度こうと決めたら決して信念を曲げない奴だった。だからこそ、こうして良好なステータスを手にし、私に求婚してくれた。そこまではよかった。そこまではよかったのに……何故今更、こんなところで選択を誤るのだ!馬鹿!
「それで、改めて言うけど……。由香、僕と結婚して欲しい」
「え、あ……その……」
 返答に窮する。考えろ私。今この瞬間こそが、おそらく私の人生において最大の選択だ。ここでミスを犯せば、私の人生は一気に最悪なものになってくる。うああ、どうすればいいんだよ。
「あのさ……音楽で生活するって、ホントのホントに、本気なの?」
「うん」
 即答かよ!と肩を落とす。目が据わっている。佐藤幸助二十三歳大学生童貞は、どうやら本気で音楽を極める気でいるようだ。
 冗談じゃない! 私が今まで佐藤に費やしてきた時間は、これで全て水泡に帰するということだ。あれだけ必死になって、佐藤を応援して、一緒に頑張って、ようやく辿り着いた至高のスタートラインなのに。
 豪邸とダージリンが遠のいていく。私は佐藤の目も気にせずに、頭を抱えてうんうんと悩んだ。佐藤だって、プロポーズを言い直したのだ。こうして悩む余地は、与えられているということだろう。
 佐藤についていくか、いかないか。それは幸せに暮らすか、暮らさないか、という問いと同義……でいいのだろうか? 私が望んでいるのは、どういう意味での幸せだ? よく考えろ、私。
 豪邸があれば幸せ? 紅茶が飲めれば嬉しい? そうじゃない、そうじゃないだろう。そうじゃないんだ。豪邸があって、紅茶があって。そしてその隣に佐藤がいて、初めて幸せなのではないだろうか?
 でもカレーだよ? カレーの歌を歌ってしまうような佐藤に、本当についていっていいの? 後悔しないで済むの? 良くも悪くも、女は男の動向に人生を左右されるんだよ? ボロ借家暮らしは嫌だよ!

50 名前:No.13 ワナビの歌 (4/5) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/11(日) 17:50:03 ID:IAaxD8zE
「由香……」
 顔を上げると、佐藤の不安そうな表情があった。私の返答を待っているのだろう。ぬいぐるみでも抱くかのようにギターを抱えて、眉根を寄せてこちらを見つめている。そんな目で見るなよ……。
 はあ、と溜め息をつく。……決めた。というか、はじめから決まっていたのだ。悩むことなんか、なかったのだ。
 私が一体いつから、佐藤を好きでいると思っているのだ。私の、馬鹿めが。
「……いいよ。私は佐藤についていく。何処へでも連れて行ってくれ」
 言いながら、佐藤の頭にぽふっと手を落とす。苦笑いのような、困ったような、そんな顔を私はしていたと思う。そもそもそんな顔をさせるようなことをする佐藤が悪いのだから、私は悪びれない。
「そっか……よかった、よかったよ……」
「え? ちょ、泣くな!」
 感極まったのか、佐藤は女々しくも泣き出して、私をあたふたとさせる。佐藤は昔からことあるごとによく泣く奴だったが、私は未だに泣かれるたびに困ってしまう。
 仕方がないので、抱きしめてやることにした。頭を胸に抱いて、よしよしと、子供あやすように慰めてやる。普通逆だよねとか、やっぱり別れたほうが……と思ったのは、秘密だ。
 しばらくして落ち着いたのか、佐藤が私から離れていった。目こそ充血していたが、表情はさも嬉しそうにほころんでいる。その顔を見て、私もつられて微笑んでしまう。やっぱり、これでいいのだな、と改めて思った。
「いやあ、てっきり由香のことだから、別れてやるとか言うかと思ったけど……由香は僕のこと、ちゃんと好きでいてくれたんだね」
 佐藤はそう言うと、ギターを持って再び部屋の奥へと消えていった。ぽつんと取り残された私は、間抜けに口を半開きにして佐藤の背中を目で追っていた。ちゃんとって、どういう意味だ。
「手、出して」
 戻ってきた佐藤は、後ろ手に何かを隠していた。私は咄嗟に、女の直感と言う奴で、しっかりと左手を突き出していた。くすりと笑う佐藤の表情に余裕が見て取れて、長年の立ち位置が微妙に変わってきているのを感じた。
「これ、婚約指輪」
 いつ調べたのか、佐藤が私の薬指にはめてくれた指輪は、寸分の狂いもなくそこにおさまった。勘当されてお金がないんじゃ、という考えにいたる前に、私はその指輪に思考を奪われていた。
 でかでかとした、なんだかよくわからないが黄色くて大きな宝石が、一つ指の上で自己主張していた。思わず佐藤の方に顔を向けると、佐藤は微笑んでいた。なんだか悔しくなって、顔を背ける。
「由香、そういうのが好きだったでしょ? ……親のお金で買ったものだけど、今はそれで我慢してね」
 婚約指輪だけは、親もお金を割いてくれたのだろうか。それとも佐藤が、頼み込んでくれたのだろうか。どちらにしても、だ。私はこの指輪に、応えなければならない。
「……うん。私、これからも佐藤のこと応援するから。佐藤の歌、歌詞はあれだったけど、結構いい感じだったと思う。私文系だし、歌詞とか考えてあげる」
 意気込んでまくし立てる私。佐藤が自分で、自分のやりたいことを見つけたのだ。それを応援して、共に頑張るのが、妻というもの。我ながら、私はいい女だと思う。自分のあまりの健気さに、涙が出る。悲痛だ。

51 名前:No.13 ワナビの歌 (5/5) ◇h97CRfGlsw[] 投稿日:07/02/11(日) 17:50:28 ID:IAaxD8zE
「だから一緒に――」
「ああ……あれ、全部嘘だから」
 ……あれ? 佐藤が私の言葉を遮って、なにかをのたまった。先程とは別の意味で、思考が停止する。え、嘘?
 しれっと言う佐藤に、なにを言えばいいのかわからない。さまざまな感情が頭の中で入り混じって、思考回路はショート寸前だ。全部、嘘だから?
「いやあ、即興で思いついたドッキリだったんだけどね、案外上手くいって驚きだよ。由香のことだから歌を歌ったところで気付くかと思ってたんだけど、ふふ、あの時の由香の顔ったらないよ」
 ぷるぷると拳がわななく。理解が及ぶにつれ、得意げに語る佐藤の顔面に一発ストレートを決めてやりたい気分になってくる。ドッキリ? 人生最大の選択の場面で、ドッキリとな?
 だが、私は佐藤に暴行を加えることはしない。昔殴ったら肋骨が折れてしまったという過去を鑑みての判断ではなく、私にも少し、思うところがあったからだ。
 佐藤は不安だったのだと思う。私が、佐藤の金や、ついて回る肩書きだけを目的にしているのではないのかと、疑心暗鬼に陥っていたのだろう。実際、そういう目的で佐藤に付きまとう奴はいた。心配になってくるのも、致し方がないというもの。
 そう思うと、目の前で楽しそうにしている佐藤が、酷く可愛く見えてくるから困る。いつもなら、怒鳴って蹴飛ばして足蹴にして土下座させるところだが、今回だけは大目に見てやることにする。
 曲の成り立ちを話す佐藤の言葉を遮って、思い切り胸に飛び込んでやる。華奢な佐藤をそのまま押し倒して、キスをする。それだけのことで一気に顔を赤くする佐藤が、この上なく愛しい。
「でも許さない」
 愛しいけど、それとこれとは話が別だ。殴る蹴るの暴行は加えないが、きちんと罰は受けてもらう。大方立場逆転を狙うつもりでこんな三文芝居をしたのだろうが、私はそんなに甘くはない。例えるなら、私はカレー。
「え……」
「五十万カラットの結婚指輪で手をうとうか。それが用意できないなら、結婚してやんない」
 最上の笑顔で、私もしれっと言ってやる。単位がよくわからないのであれだが、五十万なら結構大きいものになるだろう。佐藤の顔が見る見るうちに引きつっていくので、私は愉快だった。
 立場が入れ替わった。今度は逆に佐藤が頭を抱えて、うんうんと唸っていた。ふ、と溜め息をつく。一体どれほどの時間を、共に過ごしてきたと思っているのか。今更金銭だけが目当てで、二十年近くも一緒にいられるか。
「……佐藤、大丈夫だから。私は佐藤のことが、大好きなんだ」
「……由香……うん、ありがとう」
 ひしと、佐藤の細い腕に抱かれる。ようやっと、私は佐藤を手にいれることが出来た。もとい、佐藤のものになることが出来た。長年の計画は成就。これで今後は、素敵な結婚生活が待っているのだ。
 よかった……よかったよう。不覚にも涙が出てしまう。ぐすぐすとしゃくりあげていると、佐藤が顔を覗き込んできた。私の涙を、指ですくってくれる佐藤。幸せにしておくれよ。
「結婚式に、また歌うよ。今度はもっと、面白いのを考えておくから」
 そう言って無邪気に笑う佐藤に、私はただ苦笑を返すほかなかった。ウェディングドレスを着て、大きな指輪をはめて、佐藤が歌っている。なんだかとても、シュールな光景に思えた。だから私は、こう言った。
「歌詞は、私が考えるから」
 カレーの歌など、歌われてたまるかってんだ。不敵な笑顔の私に、今度は佐藤が顔を引きつらせていた。
 そして結局佐藤は、結婚式の日に、紅茶の歌を歌ったのだった。




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