【 名も無きミューズの物語
】
◆4dU066pdho
37 名前:No.11 名も無きミューズの物語 (1/5) ◇4dU066pdho[] 投稿日:07/02/11(日) 17:42:08 ID:IAaxD8zE
世の中には多くの歌が存在している。新しい歌が次々と生まれて、古い歌は次々と忘れ去られ
ていく。食べ物のように消費されていくんだ。僕はそんな儚い歌の神で、僕が司るのは名前の無
い歌。名前が無いんだから、あまりいい歌ではなかったのかなぁ、と悲しくなることもあったけ
ど、僕を歌ってくれる人がいたときは凄く嬉しくなれるんだ。
僕の歌が忘れ去られてしまうと、僕は消えてしまう。きっと、名前が無いことよりも悲しいこ
となんだろう。僕はそれが怖くてたまらないけど、どうすることもできない。
だから僕はあの女の子にいつも会いに行くんだ。あの子はいつも僕を歌ってくれる。だから僕
は嬉しくて、悲しいことも怖いことも忘れられるんだ。
僕はあの子に笑っていて貰いたいんだ。いつも僕を嬉しくさせてくれるから、あの子には悲し
い気持ちになって欲しくないんだ。
今日も女の子は歌っていた。僕はその横で耳をすませて綺麗な歌声に聴き入っている。
「あら、今日も来たの。本当にこの歌好きね。悲しいんだか嬉しいんだか分からない変な歌な
のに」
「君の声が好きなんだ。とても綺麗なんだ。君が歌うと僕は嬉しくて嬉しくて暖かくなれるん
だ」
「よくまぁ、そんな恥ずかしいこと平気で言えるわね。持ち上げても何も出ないわよ。他の歌
も歌おっか? あんまり分からないし上手じゃないけど」
「いや、ずっとこの歌を歌っていて欲しいんだ」
女の子の知ってる僕の歌は完全ではない。彼女はどこで僕の歌を知ったか分からないけど、そ
れは不完全なものなんだ。彼女は僕の歌の所々間違っている歌詞とテーマしか知らない。
「どこで憶えたか分からないけど、この歌好きなんだよね。変な歌だけどね。まるであなたみ
たいな歌よ」
「君が歌ってくれるから僕もこの歌を好きになれたんだ」
名前もつけられなかった僕の歌。僕は自分に名前が無いことが悲しかったけど、彼女が僕を好
きでいてくれたから、僕も自分の歌を好きになれたんだ。
38 名前:No.11 名も無きミューズの物語 (2/5) ◇4dU066pdho[] 投稿日:07/02/11(日) 17:42:32 ID:IAaxD8zE
できれば彼女に完全な形の僕の歌を知ってもらって、僕の前で歌って欲しいけど、これでも僕
は歌の神であり、そんなことはできない。
でも、不完全でもいいんだ。それでも彼女は僕を歌ってくれる。だから僕は忘れ去られて消え
てしまうまでの短い時間を彼女と過ごすんだ。
女の子は最近悩んでいるようだった。悲しそうな表情をするんだ。僕にはそれがとても辛かっ
た。どうせもうすぐ僕は消えてしまうのだから、その悩みを背負ってあげたかった。
「ねぇ、どうしてそんなに悩んでいるの?」
「あなたに言ってもどうにもならないわよ」
「そっか……、ごめん」
僕は何もできない自分が悲しくなってきた。いくら背負ってあげたくても僕は彼女に何もでき
ないんだ。彼女は僕をとても嬉しくさせてくれるのに、僕にはそれができないなんて悲しいよ。
「あぁ、悪かったわ、そんな泣きそうな顔しないで、ね。ちょっと将来のことで悩んでいるの
よ」
将来。僕にはもうそれが無い。彼女には未来がある。どうしてそんなに悲しいのだろうか。
「高校卒業して、仕事に就くか大学に進むかして、どうせあたしは社会に出ることになる。で
ね、どんどん齢をとって最後には死んでしまうの。そう考えると虚しくなってきちゃって。あた
しは死ぬために生きてるんだろうかって、生きてるのではなく徐々に死んでいってるのだろうか
って考えちゃうの。
そう思うと全てのことが馬鹿らしくなってきちゃって、しばらく学校にも行ってないのよ」
そっか、彼女も僕と同じなんだ。僕と同じで自分が消えてしまうことが怖いんだ。
「僕も同じだよ。僕には名前が無いんだ。僕が消えちゃったら、僕は存在しないことになるん
だって思ってたから、とても悲しかったんだ。
でもね。君が歌ってくれれば僕は嬉しいから、だから、もう悲しくないんだ」
「あなた名前が無いの? 親に育児放棄でもされたの?」
「うぅん、どうだろう、名前がつけられなかったんだから、あんまり愛されてなかったのかも
知れない」
39 名前:No.11 名も無きミューズの物語 (3/5) ◇4dU066pdho[] 投稿日:07/02/11(日) 17:42:56 ID:IAaxD8zE
「あたしが名前をつけてあげようか?」
「うん! 君が僕に名前をつけてよ! 君がつけるならどんな名前でもきっと素敵だよ」
「また恥ずかしいことばかり言って、うぅん、何がいいかな……。ごめん、すぐには思いつか
ないよ。だって、名前ってとても大切なものなのだから」
今日の女の子はとても落ち込んでいるようだった。僕はとても心配になった。何もできないの
が悔しかった。
「あたしね、留年決まっちゃったんだ。随分学校休んでたからね」
彼女は歌を歌うことさえできないくらいに落ち込んでいた。
「馬鹿らしいと思っていてもショックだなぁ。今まで目隠しをしながら歩いてて、ある日、突
然目隠しを外されるの、それでね、今自分がどこにいるのかを一生懸命探すんだけど、全然分か
らなくて、そうしている間にみんなは目隠しをしながら、どんどんどんどん先に進んじゃうの。
私だけ取り残されちゃうの。そんな感じなのよ」
こんなに悲しそうにしている彼女を見るのは初めてだった。僕は何もできないなんて思ってい
る場合じゃないと感じた。やれることをがんばるんだ。
「ねぇ、こんなことしかできないんだけど、一生懸命がんばるから、こんなことやっても何の
解決にもならないんだけど、僕にはこれしかできないから、がんばってみるよ」
僕は音を集めた。自動車のエンジン音、クラクション、鳥の羽ばたき、鳴き声、、人の足音、
話し声、家から漏れるテレビの音に工事現場の金属的な騒音。
僕はそれらを沢山沢山集めて並べた。雑然とした音の集まりを綺麗に並べ直した。そして、そ
れを僕の歌のメロディーにして演奏した。彼女が知ってる不完全な僕の歌しか演奏できないけど、
僕はしっかり指揮を執り、僕の歌を自然のオーケストラにして演奏した。
主旋律のみの単調なオーケストラで、相変わらず悲しいんだか嬉しいんだか分からない変な歌
だけど、僕は精一杯がんばった
40 名前:No.11 名も無きミューズの物語 (4/5) ◇4dU066pdho[] 投稿日:07/02/11(日) 17:43:19 ID:IAaxD8zE
「ねぇ、聴こえる? これは僕の歌なんだ」
ちぐはぐな音の集まりが大きな一つの流れになって僕と女の子を取り囲んだ。
「え!? 凄い! どうやって!?」
「僕は君がいつも歌う歌の神なんだよ。こんなことしても意味無いって分かってるけど、僕に
はこれしかできないから、本当にごめんね」
良かった、驚いてるようだけど彼女に笑顔が戻ってきた。
「神様なの?」
「そんなに凄いものじゃないよ。歌に宿る魂みたいなものなんだ」
「だからいつも私の前に現れて、ずっとあの歌を聴いていたのね」
「うん。もっともっと君の歌声を聴いていたかったけど、僕はもうすぐ消えてしまうんだ」
「そんな! どうして!」
「完全に僕の歌を知っている人がいなくなっちゃったんだ。僕の歌を忘れてしまったんだ。君
が歌う僕の歌は完全じゃないけど、でもとても綺麗で僕は凄く嬉しかったよ」
「あたしが憶えるから、ねぇ、あたしが完全なあなたを歌うから、だから消えないで、もっと
あたしの歌を聞いてよ!」
「歌はね、自分で自分を歌ったりしないし教えたりもしないんだよ。僕を歌ってくれてありが
とう。君に愛されて僕は幸せだったよ」
「最後まで恥ずかしいことを平気で言うのね」
今日が僕の最後の日になるのは薄々分かっていたんだ。僕は黙って消えるつもりだったんだ。
彼女が悲しむと僕も悲しくなるから、最後は笑って欲しかったから。やっぱり僕は何もできない。
黙って消えようと思っていたのに、それさえもできなかったんだ。
でも彼女は笑ってくれた。目に涙を湛えながら精一杯笑顔を作っていた。
「ありがとう。本当にありがとう。僕が消えても僕を忘れないでね。僕は確かに存在したんだ」
41 名前:No.11 名も無きミューズの物語 (5/5) ◇4dU066pdho[] 投稿日:07/02/11(日) 17:43:50 ID:IAaxD8zE
名も無い歌の神はその日を最後に消えてしまった。
世の中には多くの歌が存在している。新しい歌が次々と生まれて、古い歌は次々と忘れ去られ
ていく。食べ物のように消費されていく。そんな中でも名曲というものは存在する。
女の子が大人になり精一杯がんばって作曲したこの歌もそのうちの一つと言える。悲しいのだ
か嬉しいのだか分からない独特のメロディーが特徴で、多くの人たちを魅了した。
その歌は消えてしまった彼のことを忘れないように、彼女がいつも歌っていた歌だった。
題名には彼女が悩みに悩んだ末にとても美しい言葉がつけられた。