【 末路のあと 】
◆9IieNe9xZI




32 名前:No.10 末路のあと (1/5) ◇9IieNe9xZI[] 投稿日:07/02/11(日) 17:39:44 ID:IAaxD8zE
「まさかお前が自首をする日が来るとはな。空も嬉し泣きしてるよ」
「そんなに偉いもんじゃないです」
 確かに、と刑事は笑った。取調室には片山と刑事の二人だけだ。
「じゃあさっそく唄ってくれるか。事件にもなっていないのにわざわざ来たんだ。全部話す覚悟は出来てるんだろう」
 うたう、とは、警察の隠語で自供する、自白するという意味だ。かたぎの人間には通じない、こんな言葉を使われるあたりに片山が
いかにここの常連であるかが表れていた。
「はい。俺はある資産家の娘を誘拐して、金を奪いました」
 片山がそう言うと、驚いたのだろう、刑事の眉がぴくりと上がった。
「最初から詳しく頼む」
 片山は頷いた。雨粒が窓を叩いている。あの日もこのような激しい雨だった。嫌な光景が片山の脳裏に蘇る。
 倉庫の屋根がドラムを鳴らすような音を響かせる中、片山は二人を見ていた。ナイフを胸に突き立て床に転がる飯田と、それを見下ろす
藤川の姿。誘拐された少女は恐怖に打ち震え、言葉を失っている。外の車には金の詰まった鞄が幾つも積んであった。それは計画が成功
したことを告げていた。そして藤川がポケットから盗聴器を取り出すと、革靴で踏み潰した。
 片山は語りだす。
「二ヶ月前、俺と幼馴染の藤川耕一は、いつもの酒場で飲んでいました」

 その日の話題は重く、正月気分の抜け切らない片山の目を醒ました。今年十つになる藤川の娘が心臓病で倒れたのだ。夏までもたないだ
ろうと医者に宣告され、藤川はふさいでいた。
「だが助ける方法もある」
 藤川は暗い声で言った。移植手術を受ければ、助かる可能性があると医者が教えてくれたのだ。しかし現状で、心臓の移植は日本ではほ
ぼ無理だ。かといって、心臓移植が可能なアメリカに渡って手術を受けるには金がかかる。藤川が公務員の頃ならいざ知らず、警備員をし
ている今の彼では工面できない金額だった。そこで『救う会』なるものを設立したはいいが、思ったように支援金が集まらないのだそうだ。
 藤川の妻は去年心臓の病で亡くなった。それで彼は無気力になってしまい、警察を辞めていた。
 その上娘まで失ったのでは気の毒にも程があると、片山は自分にもできることはないか考えはじめた。しかし片山の財産と言えるものは
アパートの敷金くらいで、借りるならともかく貸す金など逆さになっても出てこなかった。宵越しの金など持たない性格だ。
 そこで片山は意を決した。
「これからある計画を話すが、乗り気になれなければ忘れてほしい。どうにもならない時の最後の手段だと思って、聞いてくれ」
 片山は説明を始めた。最初は面食らった顔の藤川も、話が進むにつれて真剣な表情になっていった。
 誘拐計画を持ちかけてきたのは、やくざ崩れのならず者である飯田という男だった。片山がごろつきの道を歩きだした頃から、彼との腐
れ縁が始まった。飯田の評判と言えば、とにかく乱暴者で後先を考えない、つまり馬鹿だ。しかし面倒見だけは良く、むかし世話に

33 名前:No.10 末路のあと (2/5) ◇9IieNe9xZI[] 投稿日:07/02/11(日) 17:40:10 ID:IAaxD8zE
なった恩が片山にはあった。ちょっとしたいざこざを仲介して貰っただけだったのだが、いつの間にか飯田の中では片山を助ける
ために大立ち回りをしたことになっているらしい。何かにつけてその話を持ち出されるので片山はうんざりしていた。
 そういう男の持ってくる計画がろくなものであるはずがない。聞いてみれば、確かにこれは上手くいきそうだという思いはあった。
美味しい獲物、という言葉にぴったりな相手だ。だが飯田自身を信用できない片山は一度断った。拉致や監禁の経験は片山にもある。攫
うだけなら大の大人でも簡単に攫ってしまえるが、本格的に身代金まで取ったことはないので不安が勝った。それは飯田も一緒のはずだ。
しかし元刑事の藤川が仲間になるのであれば勝機は飛躍的に高まる。飲み屋を出たあと片山は飯田に連絡をとった。
 飯田には、ギャンブルで借金を作った男という設定で藤川を紹介した。素直に経歴を教えても警戒させてしまうだけだというので、片山は藤川の助言に従った。
 三人は都内のはずれの廃倉庫で作戦を練った。飯田が借りた倉庫の近くに民家はなく、寂しい所だった。飯田の立てた計画は、片山の
思った通りにずさんな物だったらしい。藤川は穴だらけの図面を素人目にも鮮やかに直して見せた。片山はその手腕に感心すると同時に、
余計な才能を世に送り出してしまったかと苦笑する。
 彼らは計画を実行に移した。狙うのは宝石商の娘で、都内の中学校に通っていた。友人と一緒に校門を出ることはなく、いつも一人で駅
まで歩いていく。部活の後で、帰りはいつも暗い。尾行して調べた結果、寄り道をしないで夕食に間に合う時間には必ず家に到着していた。
 拉致する場所は、少女の自宅の最寄り駅から離れた暗い道に決まった。運転役の片山は緊張しながら車をゆっくり走らせた。少女は道の
前を歩いている。真横にワンボックスカーをつけると、後部座席の飯田が彼女を無理やり車に乗せた。顔を見られないよう、彼は少女の頭
に黒い布をかぶせてから手首を後ろで縛る。
 根城の倉庫に着くと、藤川が石油ストーブを用意して待っていた。少女は布袋を外され、代わりにハチマキで目隠しをされた。縛られた
手首はきつくないかと藤川が問うと、平気です、という気丈な声が帰ってきた。藤川は状況を説明してやった後、使い捨ての携帯電話で
彼女の自宅の番号を押した。
 その日は底冷えのする夜だった。片山たちがストーブで暖をとっていると、床に寝ている少女がくしゃみをした。藤川がハンカチを
出して彼女の鼻を拭いてやる。
「勝手なことをするな」
 飯田が突然いきり立つ。主導権を藤川に盗られた格好なのが面白くないのか、彼は時々苛ついた様子を見せていた。
 実際、リーダーは藤川の方がふさわしいと片山は思っていた。飯田にこのような知能犯罪は向いていない。彼の功績といえばターゲット
を見つけてきたことだけで、後は高校生でもできそうな仕事ばかりだ。本人も気づいているのか、雑用を命じられても渋々だが従った。
 小便、と言い残して飯田は外へ出た。ガキじゃあるまいしと思いつつ、片山はふて腐れた背中を見送る。
 ありがとう、と小さな声で少女が言った。寒くないかと藤川が訊ねた。
「埃が苦手なんです」
 少女は鼻をすする。もう長い間使われていない倉庫だから仕方がない。
「すまん、掃除しておくべきだったな」
 藤川が頭を下げる。

34 名前:No.10 末路のあと (3/5) ◇9IieNe9xZI[] 投稿日:07/02/11(日) 17:40:34 ID:IAaxD8zE
「慣れてるので大丈夫です。私いじめられっこだから、よく体育倉庫とかに閉じ込められるんですよ」
 強がっているのか、少女は笑いながらそう言った。藤川が妙な顔をした。
「俺の娘も、前に学校でいじめられてな。気づいた時には不登校になってしまっていた。あれはなんだ、先生や親には相談できないものなのか」
 それが出来れば困りません、と少女は笑った。そういうものか、と藤川は沈んだ声を出す。
「お父さんがお金を払わなかったら、私は殺されちゃうんですか」
 少女が急にそう聞いた。大人二人は顔を見合わせた。どう答えるべきかと片山が悩んでいると、藤川は首を振って言った。
「安心していい。秘密にしてほしいんだが、おじさんは昔警官だったんだ。だからそんな事は絶対にしないよ」
 そうなんですか、と少女は驚いた。片山も驚いていた。警察が身元を割り出すようなヒントを与えるのは得策でない。それに、もし飯田
に聞かれたら――。
「おぉ、外は寒いぜ」
 図ったように飯田が戻ってきた。ややこしいことにならなければ良いが、と片山は思った。
 それから片山は飯田の挙動に注意を払った。彼は時々ふいに倉庫を離れ、車でどこかへ出かけるようになった。戻ってから車内を
見ると、煙草やカップラーメンの入ったレジ袋が置かれていた。目立った動きはするな、と藤川に釘をさされても、どこ吹く風だ。
気晴らしぐらいさせろ、と開き直る始末だった。
 藤川と少女は、よく二人で話していた。安心させるためだと彼は言うが、片山が聞き耳をたててみるとほとんど身元を特定できるような
内容だった。正気とは思えず、情が移ってしまったのだろうかと片山は疑う。それとなく注意してみても、藤川は気にしていない様子だ。
 誘拐の計画じたいは順調に進んでいた。少女が誘拐されてから三日目、彼女の親がついに身代金を現金で揃えたという。それはかなりの
額だった。苦労も忘れ、三人は手を取り合って喜んだ。

 その日は冷たい雨が降っていた。前日の夜中からぽつぽつと来て、正午には地面を叩きつける豪雨に変わった。冬には珍しい。札束の
詰まったバッグを持って片山と藤川は車に走った。少女は無事、家に返された。
 帰り道では二人とも車中ではしゃいだ。計画は成功だ。片山は胸をなでおろした。身を隠す場所も田舎に用意してあるし、後はほとぼり
が冷めるまで大人しくしていればいい。片山は車を倉庫へ向けて走らせた。飯田が後片付けを終えて待っているはずだ。相棒としては問題
児だが、彼も功績者の一人だ。賛辞を惜しむこともあるまい、と片山は考えていた。
 倉庫の前の小さな資材置き場に停車しようとして、片山は首をかしげた。そこにはもう一台の車があったからだ。仕方なく建物の前の
道へ停めると、藤川が青ざめた顔でここで待っていろと言った。片山も事の重大さに気づいた。ここは誰も来るはずのない場所なのだ。
訪れる人間がいるとすれば、倉庫の貸し主か、警察か――。まさか、と首を振る。あり得ないことだ。
 藤川は雨の中、ぬかるんだ地面を歩いた。ゆっくりと倉庫へ近づく。片山は窓を開けて彼の後ろ姿を見ていた。
 本当は、飯田など見捨てて逃げる方が賢い選択だ。だが、警察がこれ程早くここまでたどり着くなど通常考えられない。それにナンバー
を良く見れば、レンタカーと分かる。だとすれば、誰の車か。片山の頭に一つの可能性が浮かんでいた。

35 名前:No.10 末路のあと (4/5) ◇9IieNe9xZI[] 投稿日:07/02/11(日) 17:40:56 ID:IAaxD8zE
 藤川が倉庫に入ってから五分が経った。片山がしびれを切らして車を出ようとすると、建物から甲高い悲鳴が聞こえた。女の声だ。
急いでドアを開けて車から飛び出る。水たまりをよける暇も惜しんで片山は走った。扉の向こうは暗く、離れた所では中が窺えない。
足をもつれさせながらやっとの事でたどり着くと、彼は扉の隙間に身体をねじ込ませた。
 倉庫の床に人が倒れていた。それが飯田と理解するまでに少し時間がかかった。胸にナイフを刺したまま仰向けに寝ている。藤川は彼を
見下ろして、手に付いた血をコートで拭いていた。彼らの傍らに視線を移すと、後ろで手を縛られた少女が一人、床に座って泣いている。
どこかで見た娘だと片山は思った。藤川がコートの内ポケットから何か小さな物を取り出す。床に落とすと、それをぐりぐりと踏みにじった。
盗聴器だ、と藤川は吐き捨てるように言った。
「こいつは俺たちの話をずっと盗み聞きしていたらしい。元刑事と知って、裏切るのではないかと心配したんだろうな。コートに盗聴器を
仕掛けて、俺のことを探ったそうだ。居場所の見当がつくと、こいつは娘を攫いやがった。別の場所にずっと監禁してたんだとさ」
「お前の娘なのか」
 片山はすすり泣く少女を見た。
「ああ。……それにしても、殺すつもりはなかったんだが。もみ合いになって、はずみで刺してしまった」
 藤川は飯田を見下ろしながら言った。片山はそれより、この死体をどうするかの方が気になった。
「確か、物置にスコップがあったな」
 藤川が顔を上げた。
「どこへ埋める」
「倉庫の裏がいいだろう。ちょっと時間がかかりそうだ。悪いが、ここで別れよう」
 娘を頼む、と言い残して藤川は出ていった。

「……お前の話の通りだった、裏は取れたぞ。死体が見つかったという連絡が来た。それに別の所轄で、身代金を払ったことを親から聞き
出せた。まったく、隠蔽体質のワンマン経営者ってのは手に負えん。相当大変だったようだ」
 刑事が手帳を身ながら言う。
「それと、『藤川祥子ちゃんを救う会』か、そこに匿名の寄付があった。どえらい金額だ。今ごろはアメリカへ渡る準備で大忙しってとこだな」
 片山は黙って聞いていた。
「それにしても、どうして自首してきた。言いたくなければ言わんでもいいが、お前のような悪党も後悔ってもんをするのか。それとも、
地獄で蜘蛛の糸でも欲しいのか」
 刑事は笑った。冗談のつもりなのだろう。片山は軽く目を閉じたまま微笑んだ。
「どうせもう全部調べてあるんでしょう」
「まあな。だが事実を並べてみても分からんことはあるよ」
「藤川が自殺したことは?」

36 名前:No.10 末路のあと (5/5) ◇9IieNe9xZI[] 投稿日:07/02/11(日) 17:41:22 ID:IAaxD8zE
 刑事は手帳をぱらぱらとめくった。
「ああ、もちろん調べたさ。事件のすぐ後だな。保険金を掛けてあって、受取人は娘の祥子ちゃんだ。しかし未だ審議中、と。保険金は
まだ下りてはいない。いつになるかも分からず、夏までに間に合う見込みもなし。そして」
 刑事は片山の目を見た。
「……『救う会』に、最近二度目の匿名での寄付があった。世の中も捨てたもんじゃない。その金で、念願のアメリカ行きが叶ったわけだ。
一度目の寄付では、必要な額の半分しか満たしてなかったからな」
 片山は窓の外を見ていた。雨が止んでいる。刑事は手帳に視線を戻す。
「ま、詮索はしないでおこう。どうせ汚いあぶく金の使い道なんて、ギャンブルか女に消えると決まってる。返還義務の生じるものにつぎ込む
のは馬鹿のすることだ。俺の知る限り、お前は馬鹿じゃない。だから今は奪った金を戻せっこない。そういうことで納得しておこう」
 外では春の陽気が近づいていた。刑事も片山と一緒に明るい陽射しの射し込む窓を見た。
「ここからは独り言だ。藤川のやつ、いったいどこまで計算してたんだ? こんなに都合よく事が運ぶと、飯田殺しも二度目の寄付も、
最初から計画に入ってたんじゃないかって思えてくるぜ。藤川はグループの実質的リーダーで、怪しい行動をとってる。それにそもそも、
予定の分け前だけじゃあ目標には届かなかった」
「藤川が何を考えていたとしても、俺には関係ないです。俺はあいつを疑った、だから自首しにきました」
 片山が口を開いた。しっかりと刑事を見すえている。
「疑ったって、それだけか。いったい何を」
 片山はしばらく黙ってから告白した。
「じつは俺、飯田がやっていることに薄々気づいてたんです。それなのに、怖くて黙ってました。飯田が怖かったんじゃありません。藤川
が怖かった。あいつの裏切りに戦々恐々となって、もしもの場合を考えた。それが悔しいんです。あいつは最後まで俺を信じてたって
いうのに。俺は対等になりたかったんです。あいつは死んじまってこの世の罪を洗い流しました、もう犯罪者じゃない。だから俺も罪を
償って、きれいな身体にならないといけない。そうじゃないと、俺にはあいつとの最後の約束を守る資格なんてありません」
 単なるプライドですね、と片山は笑った。刑事はだまって彼を見ている。片山は蜘蛛の糸という刑事の言葉を思い出した。
「そういえば刑事さん。藤川の女房は、あいつに輪をかけたような親馬鹿な人でした。どんな罪でも娘のためにしたことなら許すでしょう。
だけど天国と地獄に別れた夫婦っていうのは、いつか一緒になれるんですかね」

 了




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