【 きづく 】
◆YaXMiQltls




77 :No.18 きづく (1/5) ◇YaXMiQltls:07/02/04 23:00:35 ID:YvSIN2jt
 バレンタインってなんですか? ってな具合に、世の中の男子諸君がなんだかんだ言いながらわくわく
しちゃう今日の素敵な日に、俺は一ミリ足りとも期待しちゃいない。だって十七年間一度もチョコもらっ
たことないんだもん。――ってそれは嘘。もらったことくらいはあるぜ俺だって。おふくろに。
 まあそれはいいとして、そんなわけだから、今日も俺は何も期待しないで、普通に登校して、普通に授
業を受けて、普通に部活に向かったわけだ。部活ってのは文芸部。って言っても本なんかラノベくらいし
か読んだことねえけど。部室でゴロゴロするだけの典型的文科系部活。それで今日も数人でぺちゃくちゃ
おしゃべりしてたわけ。文芸部ってなぜかどこもそうだけど部員は女子ばっかで、今日の面子も男子は俺
だけ。チョコもらった? うっせーよボケ、そんなこと言うまえにお前らがよこせ。いいよ、百倍返しし
てくれるんだったら。はいはい、そんなこと言ってごめんなさいでした。
 馬鹿話を続けているうちに空が暗くなってきて、そろそろ帰ろう的な雰囲気になった。でも俺はもうち
ょっとここで暇潰すってかテスト勉強してくって言ったら、森田がじゃああたしもって残って、夕日の差
す部室に二人きりになった。おいおいロマンティックなシチュエーションじゃないかって、俺は森田のこ
とをなんとも思っていないくせに、ちょっと嬉しかったりするのはなんでだろう。
「ねえ、ほんとに今日誰からもチョコレートもらわなかったの?」
 唐突に森田が聞いた。
「俺が誰かからもらうと思うか?」
「……思うわけないじゃん」
 ちょっと待て、何だ今の間は。ってあれ? 俺もしかして期待してる? ……ああやっぱり期待してる
よ。俺も軟派になったもんだな、鏡見ろ鏡。期待することが恥ずかしい顔だと思え、このチンカス野郎。
心の声による俺自身への必死の説得を、森田がさっくりと無効化する。
「さっきは言いずらかったんだけどさ、私今井にチョコレート持ってきたの」
 来たこれ。森田がカバンを探って、紙袋を取り出して机の上に置いた。惜しいことに、束ねていないセ
ミロングの髪とメガネに夕日が反射して、森田の表情は見えなかった。
「ありがとう」
「義理だからね、義理」
 森田はちょっと怒ったような拍子で言った。
「わかってるよ」
 と言った俺の内心は、嬉しくてしょうがない。だって人生で初めてのチョコなのだ。しかも森田から。
森田は実在することが本当に貴重な、文科系美少女メガネっ娘なのだ。ぶっちゃけ男子からのマニアック

78 :No.18 きづく (2/5) ◇YaXMiQltls:07/02/04 23:00:54 ID:YvSIN2jt
な人気も高い。
「じゃあ私、帰るから」
 森田は俺に一回も目を合わせないまま、部室を出て行った。送っていくよ、なんて野暮なことは俺は言
わない。今日は一人で帰らせてあげるべきなのだ。俺は森田の女心をそう汲み取る。でも俺の男心はだら
しなくて、部室のドアが閉まった瞬間に紙袋を開けた。
「なんだこれ?」
 中から出てきたのは、十連のチロルチョコだった。……うわ、俺恥ずかしい。本命かと思った。しかも
なんか俺たぶん言動にかっこつけた。森田は義理だってちゃんと言ったのに。うわ、マジねえよ。ありえ
ねえ。――でも、一個じゃないだけマシか、うん。と元来のポジティブ思考が俺を救う。そうだよ、一個
じゃなく十個ってとこに森田の俺に対する友情が表れている。

 翌日の放課後、部室に行くと森田が一人で参考書を読んでいて、俺は普通に話し掛けた。
「うっす。つーか早いね」
「うん、六限サボったから」
 何事もなかったように接してくる森田に、俺はちょっとがっかりする。って本当に俺は何を期待してる
んだ。たかが義理チョコ一つもらっただけで。勘違い野郎全開じゃないか。森田は本命を誰かにあげてる
かもしれないし、義理チョコだって俺だけにくれたわけじゃないかもしれない。
 自分でも信じられないことだが、見るからに義理チョコでしかないチョコをくれた森田は実は俺のこと
が好きなんじゃないか、と俺は考えていた。そんなことはありえない。俺は人生で初めてもらったチョコ
に舞い上がっているだけだ。そんなことはわかっている。けど、わかっているつもりでも、実は……って
阿呆みたいな考えは俺の脳から去ってくれない。何で? 何でなの? もう森田に確かめてみるしかない。
あくまでも遠まわしに。
「昨日はありがとな」
「え、何が?」
「チョコだよ」
「ああ。つーか義理なんだから、お礼なんていいからホワイトデーにちゃんと返してよ」
「わかってるよ」
「……ちょっと、あんたなんか勘違いしてんじゃないの? 普段そんな寡黙で従順なキャラじゃないで
し? 義理なのよ、わかってる?」

79 :No.18 きづく (3/5) ◇YaXMiQltls:07/02/04 23:01:13 ID:YvSIN2jt
「わかってるよ」
 ――ごめんなさい、わかっていません。もしかしたら俺はラノベの読みすぎかもしれない。なまじ森田
が美少女メガネっ娘なんて非現実的なキャラだけに、実はツンデレなんじゃないか、なんてこれまた非現
実的なことを考えてしまう。そしてやっぱりどう頑張ってみても、俺の脳から森田=ツンデレ説は消えて
くれない。
「ねえ、ここわかんないんだけど。今井数学得意でしょ?」
 森田がさらっと話題を変えて、俺に参考書を差し出す。
「こんな問題もわかんねーのかよ」
 とか、森田のことなんて全然意識してません的なオーラを頑張って出しつつ、俺はその問題を解いてみ
ると途中で詰まった。
「ねえ、そこからどうしていいかわかんないでしょ。ここがさ――」
 森田がちょっと身を乗り出して、俺の顔のすぐ下に森田の頭がくる。ふわっとシャンプーの香りが漂っ
た。うわ、こいつ髪の毛すげー綺麗。キューティクル半端ねえ。意味不明な感想が俺の頭を駆け巡って返
事を返さないと、
「ねえ、聞いてる?」
 と森田は俺のすぐ下で上を向く。上目づかいの森田とメガネ越しに目が合って、俺の心臓は今にも爆発
しそうなくらいに激しく脈打った。俺はもう色々やばくて、何か萎えること萎えることって考えたら、ふ
と小学校のときやった蛙の解剖を思い出して、ちょっと気持ち悪くなった。このまま吐いたりしたら、森
田の顔が俺のゲロまみれに――って落ち着け俺。
 
 ガチャっとドアを開ける音がして、文芸部の数少ない男子部員の一人である高橋が入ってきて、森田は
さっと俺から離れた。
「おう今井、久しぶりじゃね?」
「おう、久しぶり」
「つーか森田、六限サボってこんなとこいたのかよ」
「だって今日あったかかったんだもん。六限何やった?」
 高橋が、なんだよその理由って突っこんでから授業の内容を話し出して、その間に俺が入れないのは、
俺だけ違うクラスだからだ。クラスの話題というのは往々にして、他のクラスのやつには入れない。まる
で森田と高橋が共通の秘密を持っているようで、俺はちょっとムカつく。高橋め、同じクラスだからって

80 :No.18 きづく (4/5) ◇YaXMiQltls:07/02/04 23:01:34 ID:YvSIN2jt
調子に乗りやがって。……ってこいつらはクラスメイトとして普通の会話をしているだけだろう。調子に
乗っている? なんだそれ。意味がわからない。そもそも俺は何でムカついてるんだ? 高橋と森田が俺
に入れない話をしてるから? それで俺が高橋にムカつく。ああそっか、俺高橋に嫉妬してるんだ。なる
ほどね。ってえっ、何それ? 何で高橋に俺が嫉妬すんの?

 グラウンドから、野球部の号令が聞こえた。四月並みだという今日の暖かさで空気が緩んだのか、号令
にエコーがかかっているような気がした。暦の上ではもう春なのだ。金属バットでボールを打つ音がやわ
らかな暖かさを帯びて、森田の声と同時に俺の中で響いた。
「今井、まだこの問題考えてるの?」
「えっ、うん。結構むずかしくてさ、これ」
 適当な返事をしながら、俺は確信した。

 俺は森田が好きなのだ。

「ふーん」
 やばい。このなんでもない一言にドキドキする。おれが今まで聞いた「ふーん」の中で、一番色っぽい
「ふーん」だとか意味のわからない感動が俺を襲って、ああこれが恋か、みたいな変な納得をする。
「あっそうだ」思い出したように高橋が口を開く。
「チロルチョコうまかったよ。あそこまで義理ですって感じのもねーだろって感じだけど、やっぱうまい
よね、チロルチョコ」
「うん、私大好きだもん。それに義理感をアピールするのが大切なのよ。変に勘違いされると嫌じゃない。
でも今井は間違いなく一瞬本命だと思ったね」――ぐさっときた。
「勝手なこと言ってんじゃねーよ。チロルチョコだぞ、チロルチョコ」
「えーつまんなーい。せっかく二人きりのシチュエーション作って演出してみたのに」
 演出って。そのせいで俺はおまえが……って、むしろ感謝するところか? ともかく俺の恋はさっそく
前途多難なようだ。森田は高橋にも同じチョコをあげていて、だから俺へのチョコは義理に間違いなくて、
じゃあ本命はいるのか? と思った矢先に高橋が言う。
「おまえ今井は純情なんだからあんまりいじめんなよ。で、本命は誰にあげたの?」
 直球すぎだろ、と俺はちょっと引いた。でもよく言ったという思いの方が何倍も強い。

81 :No.18 きづく (5/5) ◇YaXMiQltls:07/02/04 23:01:55 ID:YvSIN2jt
「誰にもあげてないです、これはマジで」
「本当か?」
 高橋がニヤニヤしながら、森田の表情を窺う。
「本当だってば」
 森田の顔がちょっと怒ったようにむきになる。かわいい。その顔に思わず俺もからかってしまう。
「あやしいな」
「ちょっと、あんたまで何言ってんのよ」
 本当にあげてないんだって、という森田の必死の弁明の最中に、一年の女子たちがやってきて、何熱く
なってるんですか? とか言われて、森田は後輩に必死に擁護を求めた。どうやら森田は本当に、本命チ
ョコをあげてはいないようだった。俺はほっとしたのもつかの間、残された大問題に気づいた。

 俺はこれからどうすればいいのだろう。森田に義理だ義理だと力説されるまでもなく、チロルチョコな
んて明らかに義理なチョコをもらって、それで自分の気持ちに気づいたのか、そのとき好きになったのか、
どちらでもいいけれど、とりあえず今俺は森田が好きで、森田は俺のことを嫌ってはいないだろうが、他
に特別好きな奴もいないっぽい。さすがにもう、実は森田は俺のことを……なんて甘い期待はしていなか
った。だからどうにかして俺から森田に向かっていかなきゃいけない。だって、いくら義理だと言われて
も、好きになっちゃったものは、どうしようもない。この気持ちをどうにかするには、当たって砕けるし
かないんだきっと。あっ、砕けるのはデフォじゃねーや。――ああ、これが恋か、大変だなあ。色恋沙汰
とは無縁に十七年間生きてきた俺は、初めての恋のつらさをしみじみと味わう。
 森田のくれたチロルチョコを食べながら、俺は自分の部屋の机に向かって感慨にふけっていた。バレン
タインにチョコで告白なんて、お菓子メーカーの策略とは知っていたけど、案外間違っちゃいない気がす
る。甘くて苦いチョコには恋という字がよく似合う。って何言ってんだ俺。でもチョコの味は恋の味……
駄目だ。頭が馬鹿になった気がする。テスト勉強しなきゃいけねーのに。そうだよ、俺勉強中じゃんと思
い出して五分後、俺はノートにホワイトデーのお返し候補リストを書いていた。





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