【 義理の兄弟たちに捧ぐ 】
◆nrrLyGpql2




49 :No.11 義理の兄弟たちに捧ぐ (1/5) ◇nrrLyGpql2:07/02/04 22:46:47 ID:YvSIN2jt
 今年もまたバレンタインデーがやってくる。甘いチョコレートの匂いは、絶望の記憶。これを読んでいる君た
ちには、おそらく理解されないであろう悲しみの記録。誰に嘲られようとも語り継がねばならない、男たちの闘
争の記憶。
 いま一〇年のときを超えて、忌まわしきあの日の真実を語ろう。

 物語の始まりは、十一年前に遡る。
 この年に発足した秋山リサ政権が、戦後日本史において特異な存在であったことは、誰もが認める事実であろ
う。初の女性首相が叩き出した支持率は九五%を超え、一説には一〇〇パーセントを記録していたとも言われる。
彼女の政治手腕は比類なきものであり、就任早々に国内の諸問題を鮮やかに片付け、日本の国際的な地位向上も
果たした。もちろんそれだけでその支持率が得られるわけもない。誰に対しても細やかな心遣い。あどけなく頼
りなさげな容姿。おまけに歌って踊れる。ありとあらゆる要素が彼女にとってプラスであったが、それにしても
あの頃の熱狂ぶりは異常であったと、当時を振り返る文章には例外なく書いてある。かく言う私も彼女の熱狂的
ファンであったため、大きなことを言える立場ではないのだが。
 十一年前といえば、世界を襲った大寒波を覚えている向きも多いだろう。農作物生産高が前年比七〇パーセン
ト減、未曾有の大飢饉でアフリカやアジアを中心に三億人が餓死の憂き目にあった。この危機を乗り越えた事も、
秋山政権の強固な地盤となった事は間違いない。
 この大寒波は一年で収まったが、地球に残された爪痕は癒えなかった。ここでの例は他の文献に譲ろう。われ
われにとっての問題は、カカオであった。チョコレートの原料となるカカオ。これは熱帯気候でのみ生育が可能
な植物であり、寒波によってその多くが枯死してしまった。結果としてその年のカカオマス生産量は例年の一割
にも満たず、わが日本への輸入量もそれに準ずる程度の水準にとどまった。
 需要と供給のバランスによりチョコレートの値段は高騰し、チョコレートは一部の富裕層の嗜好品になった。
それは正常な経済活動の結果であり、なんら問題ではない。問題はその後、日本で醜くその理念をゆがめられた、
バレンタインデーであった。
 当時のバレンタインデーの状況を振り返ってみよう。愛の告白をする日として輸入されたバレンタインデーは、
間もなく製菓会社のキャンペーンにより、秘めた思いとともにチョコレートを渡す日へと変貌を遂げた。やがて
義理チョコという風習が広まり、世紀をまたぐこと十余年。聖バレンタインの遺志はどこへやら、配ったチョコ、
貰えるチョコで社会的ステータスが決定するという暗黙の了解さえも出来上がっていた。一年のチョコの消費量
の八割がこの日に集中するというデータさえ出てくる始末である。

50 :No.12 義理の兄弟たちに捧ぐ (2/5) ◇nrrLyGpql2:07/02/04 22:47:25 ID:YvSIN2jt
 私の個人的な状況も併せて記しておこう。当時の私には特定のパートナーはおらず、チョコレートによる格付
けでは「下の上」程度であった。このチョコレートを絶対的な基準とした社会構造を理不尽とは思いつつも、た
った一人の個人に社会をどうこうする力もなく、その地位を甘んじて受け入れていたのが実情だ。おそらく我が
同胞たちも、私と同じように息を潜めて社会の底辺にくすぶっていたのだろう。
 話を戻そう。このチョコレート絶対主義は、非公式ながらも政府の認めるところであった。彼らはバレンタイ
ンデーに備え輸入カカオの大半を備蓄に回していた。懸命な判断だ。しかし日本に輸入されたカカオは、前年の
一割。バレンタインデーによる需要は、一年の八割。いくら価格が高騰すれど、それによって自らの価値が決定
するとあれば、財を投げ打つという人種はごまんといるのだ。
 結果、どうなるか。
 バレンタインデー用のカカオが放出されたのが二月一日。その日から、全国各地でチョコを巡る暴動が絶え間
なく続いた。後日発表されたところによれば、暴動は四〇〇〇件、負傷者はのべ二〇万人にものぼったという。
うち半分はチョコを買えない女性によって、残り半分は当日以降にチョコを貰えなかった男性の逆恨みによって
引き起こされたものだ。幸いにして死者は出なかったものの、この事件は秋山政権初の失態として批判を浴びる
ところとなった。

 翌年の状況は、さらに悪かった。カカオウィルスが蔓延し、アフリカ大陸のカカオは全滅。南米のカカオも前
年の不作を引きずり、結果として日本に輸入されたカカオは、前年のさらに一パーセントにとどまった。
 政府はさらに規制を強化。カカオは完全に政府の統制化におかれ、店頭での購入は一切不可能となった。
 そして政府が提示したものが、問題のチョコレート購入申請書である。チョコレートの購入希望者はまず所定
の用紙に、その用途(すなわち本命、あるいは義理の区分)、渡す相手、渡すべき理由を記入し、一月十五日ま
でに市役所に提出する。厳正なる審査によって相応の理由が認められた場合、購入の許可が下りる。購入の方法
は有資格者のみに極秘裏に伝えられ、暴動を防ぐ事となる。
 無慈悲な決定であったが、受け入れる以外の選択肢はない。世の女性たちは我先にと購入申請書にペンを走ら
せ、男性は相も変わらず天に祈るのみであった。
 しかし、ある掲示板への書き込みが状況を変える。原文には独特の言い回しが用いられており非常に読みづら
いため、ここではその要約を述べるにとどめよう。曰く。

・そこまでの手間をかけて義理チョコをくれるとは思えない
・政府にモテ男リストができる。格差の助長だ
・どう考えたって本命の分だけでチョコが尽きる

51 :No.12 義理の兄弟たちに捧ぐ (3/5) ◇nrrLyGpql2:07/02/04 22:47:51 ID:YvSIN2jt
 この書き込みが誰の手によるものなのかは、ついに明らかにならなかった。だがそれは些細な問題であり、重
要なのはこの意見に賛同したものが少なからず存在したということだ。
 書き込みから一日と経たないうちに、彼らは自らを「義理の兄弟」と称し、「チョコじゃなくていいからなん
かくれ。でなければ本命チョコも許さん」というスローガンを掲げていた。当初の書き込みからはだいぶ趣旨が
外れていたが、会員は日に日に数を増し、数万人にまで膨れ上がった。私もその一員となったのは言うまでもない。
 我々は掲示板上で熱い議論を戦わせたが、事態を打開する決定打は見つからないままに時間が過ぎた。その間
も、「チョコじゃなくていいから」と女性に願い出て、一蹴される同志は後を絶たなかった。義理チョコという
風習は女性に多大な心労と出費を強いるものであり、これを機に本来のバレンタインデーを取り戻そうとの気運
が高まっていたのである。
 二月。運命の日まで二週間を切ると、我々は焦燥感に苛まれていた。我々の拠点となった掲示板に書き込まれ
るのは、敗北の報告とそれを慰める声。一刻の猶予もない。誰もがそう思いつつも、何もできずにいた。何か行
動を起こすほどの積極性があれば、そもそもこんな掲示板でくすぶるようなことにはならないのだ。
 この頃には、我々の理念は「我々を見捨てたバレンタインに死を。女性に天誅を」へと変貌していた。
 そんな中、「裏飯屋」を名乗る人物が颯爽と現れ、一枚の写真を投稿した。「チョコレート」とキャプション
をつけられた写真に写っていたのは、固形のカレールウであった。続いて投稿された写真は、カレールウをラッ
プで包み、リボンを巻いたものだった。そこに添えられた「売れるんじゃないか?」の一言が、我々を動かした。
彼はまさしく我々のメシヤ、救世主であった。
 瞬く間に作戦の概要がまとめ上げられた。作戦の決行は二月七日の午後九時。闇ルートで輸入されたチョコレ
ートと称してカレールウを販売する。ラッピングは質素なもので非正規品であることを臭わせる。販売にふさわ
しい場所、狙いやすいターゲット、セールストークなども事細かに検討され、その日がやってきた。
 当日の様子については多くを語るまい。ただ、よく売れた、とだけ言っておこう。翌朝、ワイドショーがこの
事件を大々的に取り上げると、掲示板は喚起の声で溢れた。被害総額は少なく見積もっても二億円。この資金を
もって更なる作戦を検討していた我々に、裏飯屋より新たな情報がもたらされた。
 政府によるチョコの販売は、二月十三日の午後九時より、東京ドームにて行われる。開場は午後五時。午後八
時三〇分をもって入り口を封鎖し、それに間に合わないものは購入権を失う。
 偽チョコレート販売作戦の成功によって大きな信頼を勝ち得ていた裏飯屋の情報である。我々の多くはその言
葉を信じた。懐疑的なものも少なからずいたが、警備上の観点からみた物資集中の意義、当日と翌日の新幹線や
飛行機、ドーム周辺のホテルの予約状況、女性の有給休暇届けの集中などが報告され、情報の信憑性はますます
高まっていった。やがて妹や母親に購入許可が出たという者が次々と現れ、その通達文書の写真が掲載されると、
もはや疑うものは誰もいなかった。

52 :No.12 義理の兄弟たちに捧ぐ (4/5) ◇nrrLyGpql2:07/02/04 22:48:33 ID:YvSIN2jt
 決戦の日。二月十四日、バレンタインデー。
 鈍行を乗り継ぎ、あるいは自家用車を飛ばし、全国各地の同志が東京ドームへ集結していた。
 午後八時五五分。決戦の地は静かだった。既に購入者は場内へ入り、その時を待っているのだろう。屋外にい
る警備員は、通常のイベント時とさほど変わらないように見える。あるいは場内に待機させているのだろうか。
我々の姿を認めると、互いに連絡を取り合っているようであった。
 誰も、何も言わなかった。この期に及んで、言葉など必要なかった。十万の群集はいまや一つの意思を共有し
ていた。すべてのチョコレートを奪い、食べつくす。ただそのために存在する、一個の生命体となっていた。チ
ョコレートという幻想から、女性を、日本を救う正義の権化であった。
 時計の針が九時を指す。
 怒れる獣たちは雄叫びを上げ、あらゆる入り口から場内へ侵入していった。警備員は恐れをなして逃げ惑い、
我々はただまっすぐにチョコを探して走った。そして女性は――いなかった。
 
 誰もいなかった。チョコレートもなかった。ドームの中に存在したのはたった一つ、巨大なステージ。動揺す
る我々の背後で出入り口が閉ざされ、照明が落ちる。
『みなさん、こんばんはー』
 突如響き渡る声。スポットライトがステージを照らし、スクリーンにアップの映像が出る。映し出されたのは
我らがアイドル、内閣総理大臣秋山リサ。どよめきよりも歓声がこだました。信じられないかもしれないが、そ
んな時代だったのである。
『内閣総理大臣、秋山リサでーす。今日はわたしの特別イベントに来てくれてありがとー! 残念ながらチョコ
レートは全国に発送してしまったんですけど……その代わり、というのもなんですが、わたしの歌、聴いてくだ
さい!』
 すべての声が歓声に変わった。幻といわれたリサたんのコンサート。もう死んでもいい。義理の兄弟たちは、
より強固な結束のもとにいた。すなわち。
「リサたーーーーーーーーん!!!!!!!」
 萌え。その一言がこれほどふさわしい場面はないと断言できる。
 それから三時間、夢のような時間は一瞬で過ぎ去った。リサたんの持ち歌が惜しげもなく披露され、客席から
は完璧なコールが絶え間なく続いた。曲と曲の間のトークも最高だった。
『チョコがもらえない逆恨みって、そんなんだからモテないんですよ』
 ああ、もっとなじって! もっと!

53 :No.12 義理の兄弟たちに捧ぐ (5/5) ◇nrrLyGpql2:07/02/04 22:48:56 ID:YvSIN2jt
『そうそう、忘れてました。皆さんの掲示板に、わたし、「裏飯屋」って名前で書き込んでたんですよ』
 裏飯屋はリサたんだったんだね! ついてきて良かったよ!
『カレールウでだまされる人なんて、いるわけないじゃないですか。東京ドームまでの交通費にと思って、わざ
と買ってあげたんですけど、気づいてもらえませんでした?』
 まいった! リサたん、やさしいんだね!
『それにしても、皆さんそんなにチョコが好きだなんて知りませんでした。でも、いいえ、だからこそ。わたし
の用意したバレンタインデーのプレゼントなら、きっと喜んでもらえると思います』
 ああ、リサたんプレゼントくれるんだね。ぼくうれしい!
『ガーナ・カカオ栽培五年間パックを、皆さんのために用意しました!』
 ――文章が少々乱れたが、あの興奮を冷静に伝えることは難しい。それほどに、我々は彼女を愛していたのだ。
 最後の曲、彼女のデビュー曲「Quiet St.Valentine's Eve」の演奏が始まると、ドームに迷彩服の集団がなだ
れ込んできた。ふと我に帰った私はその場を離れ、ドームの隅で様子を伺っていた。
 義理の兄弟たちは迷彩服に気づくこともなく、コールを続ける。そして曲が終わった瞬間、彼らは投網によっ
て、文字通り一網打尽にされた。ドームから引きずり出された彼らの行く先は、待機していた自衛隊の輸送機。
程なくして轟音とともに輸送機の集団は去り、一人取り残された私はただ呆然とするのみであった。

 以上が事件の顛末である。
 この年以来、狂信的ともいえるバレンタイン騒動は鳴りを潜め、チョコレートによる格付けも姿を消した。私
は事件などなかったかのように、社会の片隅でひっそりとした生活を続けている。
 しかしそれでも、この時期になると思い出すのだ。おそらく今も遠いガーナの空の下でカカオ栽培に精を出し
ているであろう、義理の兄弟たちを。そして、あの日のコンサートを。
 秋山リサは最高のアイドルであったと、一〇年経った今でも、私は心からそう思うのだ。萌え。



BACK−義理が本命 ◆MtAC573gmc  |  INDEXへ  |  NEXT−退廃の義士 ◆4dU066pdho