【 義理が本命 】
◆MtAC573gmc




44 :No.11 義理が本命 (1/5) ◇MtAC573gmc:07/02/04 22:44:28 ID:YvSIN2jt
 二月十四日。午前一時過ぎ。家族はみんな眠り、静まり返ったキッチンで、一人の少女
 つい今しがた完成した手作りチョコレートの出来に口元をほころばせ、安堵のため息を
漏らした。
 チョコレートの詰まった絞り袋を台の上に置き、改めて完成品を見る。薄いハート形の
チョコレート板の上に本命となる相手の名前が、同じくチョコレートで記されている。ハー
ト形の縁に沿って綺麗にデコレーションされたそれは、少女の予想を超えた会心の出来
だった。
「やった……」
 ぼそりと呟いて、少女はふと顔を持ち上げた。誰かが侵入してくることを警戒するよう
に、リビングの入り口の扉を見つめる。幸い誰かが起きて入ってくるという様子はなかっ
た。少女は緊張の糸が切れたらしく、もう一度息をつくと、近くに置いてあった丸イスに
腰を下ろした。
 生まれて初めて作った手作りチョコレートは、もちろんバレンタインチョコで、本命の
人に渡すためのものだ。
 彼女――沙希は十六歳の高校一年生で野球部のマネージャーをしている。彼女の本命は、
その野球部の一つ上の先輩だ。名前は吉田裕也という。
 これは沙希の初恋で、彼女はどうしても裕也との恋を実らせたいと思っていた。これま
で彼女は、そのための努力をしてきていた。チョコレートを渡し告白すれば成功する自信
は、彼女にはあった。しかし、一つ問題があった。
 沙希は人から注目されることが苦手だった。特に恋愛沙汰での注目は絶対に避けたかっ
た。だから沙希は、できれば誰にも知られないで裕也に手作りチョコレートを渡したかっ
たのだ。
 そのために、沙希はどうやったら誰にも感づかれることなく裕也に本命のチョコレート
を渡せるかを考えた。
 沙希は視線をダイニングテーブルに移した。テーブルの上には近所のデパートで買って
きた安物のバレンタインチョコが置いてあった。これらはいわゆる義理チョコで、野球部
のメンバー全員、そして監督の先生に配るものだ。先生に渡すものは他のよりも少し豪華
なものにしてある。それ以外は一口サイズのチョコレートで、ちょうど部員の人数分買っ
てある。この部員の数には裕也の数も含まれている。

45 :No.11 義理が本命 (2/5) ◇MtAC573gmc:07/02/04 22:44:54 ID:YvSIN2jt
 普通、一人の人に義理チョコと本命チョコ両方を渡すことはない。沙希はそこを利用す
ることにした。
 まず、クラブ活動が終わった後にこの義理チョコを部員に配る。その時裕也にも一緒に
義理チョコを渡しておくのだ。一度義理チョコを渡したのだから、他の人から見たら沙希
にとって裕也は本命ではなく義理なのだと勘違いさせることができると沙希は考えたのだ。
 そして、その後で改めて裕也には本命のチョコレートを渡す。それが、沙希の考えた策
だった。「クラブの後では、裕也は部活の仲間と一緒にいるだろうから、こっそりと渡す
のは無理なんじゃないか?」といった疑問が浮かぶかもしれないが、沙希には、他に誰も
いないところで裕也にチョコレートを渡すことができるという確信と保証があった。
 沙希は出来上がった手作りチョコレートを、デパートのチョコレートに負けないくらい
綺麗に包装すると、手早くキッチンを片付け二階の自室へと戻った。義理チョコは鞄の中
に入れ、本命チョコは大事そうに机の引き出しにしまった。
 明日裕也に渡す時のセリフを考えながら、沙希はベッドにもぐりこんだ。

 人というものは、何か一つのことに集中しすぎると他のことに疎かになるものだ。
 沙希が目を覚ました時、普段なら七時に鳴るはずの目覚まし時計は八時十分前を示した
まま沈黙していた。
 勢い良くベッドから起き上がる沙希。すぐに目覚ましのスイッチを入れ忘れたことに気
付き、急いで階下へと降りていった。洗面所で顔を洗い寝癖を適当に直す。リビングに入
るとすでに朝食は完成しており、母親が朝のニュース番組を見ながらトーストを齧ってい
た。
「あら、おはよう。今日は遅いのね」
「寝坊したのよ! もう、遅いって思ったんなら起こしてよ!」
 ほとんど八つ当たりの非難を親にぶつけ、沙希はテーブルに着いた。焼きあがって並べ
られていたトーストにバターを塗り口の中に放り込んだ。
「そんな急いで食べたら喉詰まるわよ」
 母親の忠告を無視して、沙希はものの五分ほどで朝食を終えると母親にたずねた。
「よし――じゃなかった、おにいちゃんは?」
「彼ならまだ寝てるわよ。あの人は朝弱いみたいね。いっつも遅刻ギリギリなの」

46 :No.11 義理が本命 (3/5) ◇MtAC573gmc:07/02/04 22:45:18 ID:YvSIN2jt
 母親は笑顔でそう言うと、コーヒーを一口飲んだ。沙希もコーヒーが飲みたかったが、
あいにくそんな時間はなかった。学校までどんなに急いでも自転車で二十分はかかる。今
の時刻は八時ちょうどで、すぐに着替えをして登校しなければならかなった。
 十分ほどで着替えを終え、沙希は家を飛び出した。
 彼女の机の引き出しには、手作りチョコレートが大切にしまわれていた。

 二十分間、自転車で全力疾走した結果、沙希は遅刻を免れた。疲労困憊した沙希の様子
に、彼女のクラスメイト達が笑いながら「おはよう」と声をかける。沙希はそれに息を切
らしながら応えた。
 なんだか大変な一日になりそうだな。そう沙希は思った。

 昼休み、沙希はクラスの友達と一緒に学食で昼ごはんを食べていた。
 すると、学食に野球部の部員数名が入ってきた。その中には吉田裕也も混ざっていた。
 友達に気付かれないように、沙希は目線だけで裕也の後を追った。もう誰かからチョコ
レートを貰っているのだろうか。もしかして、もう誰かから告白されていたりしないだろ
うか。そんなことを考えながら、沙希は食堂の隅の席に座った裕也を見ていた。
「ねえ沙希、聞いてるの?」
「え? あ、ごめん。なに?」
 突然声をかけられ、沙希は面食らったように友達の方へ視線を戻した。
「あんた、今日誰かに本命チョコ渡す予定ある?」
「え、本命? そ、そんなのないよ。全部義理チョコだよ。野球部のみんなに配るだけ」
「本当? 沙希、恋愛話に積極的に入ってこないじゃない。実はなんか隠してるんじゃな
いの?」
「そんなわけないでしょ。そんなこと言う詩織のほうはどうなのよ」
 ドキッとすることを訊く友達を適当に受け流し、沙希は再び裕也の方をちらりと見た。
部活の友達と楽しそうに話す裕也の姿を見て、沙希の心臓は僅かだが心拍数を上昇させた。
 その後も沙希は、友達からの、沙希の家庭や父親に関する質問などを適当に受け流して
裕也の姿をうかがい続けていた。

47 :No.11 義理が本命 (4/5) ◇MtAC573gmc:07/02/04 22:45:43 ID:YvSIN2jt
 放課後、日が暮れてようやく練習を終えた野球部がグラウンドの整備をしているとき、
マネージャーの沙希は持ってきていた義理チョコを鞄の中から取り出した。
「はい、これチョコレートです。いつもお疲れ様です」
 そう言って、まずは二年生の部員達に義理チョコを配りだした。毎年恒例とはいえ、部
員達は可愛いマネージャーからのプレゼントに喜び、感謝の言葉を次々と返していった。
「はい、吉田先輩。お疲れ様です」
 ベンチの端に座っていた裕也に、沙希は他の部員同様、義理チョコを手渡した。
「お、おう……ありがとう」
 裕也は僅かに頬を赤らめながらそれを受け取ると、軽くため息をつきながら肩を落とし
た。
 グラウンド整備をし終えた一年生がやってくると、沙希は、今度はそちらに義理チョコ
を配り始めた。先生も含め全員に義理チョコを配り終えると、野球部はミーティングをし
て解散した。
 解散したあと、裕也は、昼食の時一緒にいた友達たちと夕飯を食べるらしく、自転車に
乗ってみんなと一緒に校門を出て行ってしまった。
 それを見送った沙希は、一人帰路につくことにした。

48 :No.11 義理が本命 (5/5) ◇MtAC573gmc:07/02/04 22:46:04 ID:YvSIN2jt
 家に着き自室に戻ると、沙希は机の引き出しから手作りチョコレートを取り出した。
(吉田先輩――じゃなかった。おにいちゃん、何時くらいに帰ってくるかな)
 綺麗に包装されたチョコレートの箱を胸に抱きながら、沙希は兄の帰りを待っている。
 去年の夏休み、両親の離婚で母親しかいなかった沙希に新しい家族ができた。吉田裕也
とその父親である。
 親の再婚に、クラスの友達は新しい父親や再婚後の生活について色々と質問をしてきた。
中には、「何か困ったことがあれば相談に乗るよ」と言ってくれた友達もいたが、沙希に
とってこの母親の再婚は喜ぶべきものだった。何故なら、初恋の相手と一つ屋根の下で過
ごすことができるようになったからだ。もちろん、母親の再婚相手が吉田裕也の父親であ
ることは友達には言っていない。
 裕也にばれないよう、夜中に作った手作りチョコレート。果たして彼はおいしいと言っ
てくれるだろうか。告白は成功するだろうか。
 午後七時を示す時計の秒針を目で追いかけながら、沙希は学校での友達の言葉を思い出
していた。
『あんた、今日誰かに本命チョコ渡す予定ある?』
 呼び鈴が鳴り、玄関が開く音がした。
 沙希はすぐに立ち上がり、期待と不安を胸に階段を駆け下りていった。
(あるよ、本命チョコを渡す予定。私が本命チョコをあげる人は、私のおにいちゃん。
 義理のおにいちゃんが私の本命)


おわり



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