【 最後の人 】
◆59gFFi0qMc




34 :No.9 最後の人 (1/5) ◇59gFFi0qMc:07/02/04 12:24:03 ID:U4UVSXof
 ある日、バイトから帰って夕食に冷凍しておいた肉を捌いていると、玄関の向こうから掃き掃除のような音が聞こ
えてきた。たまに大家さんがアパートの通路を掃除をすることはあるのだが、今はもう夜の十時を過ぎている。
 何か事情がある人がいるのだろう、そう思うと余り関わりたくは無いのだが、音の出所が明らかに僕の玄関の向こ
うなのだ。
 ドアノブに手をかけ、力をこめてゆっくりと回した。そしてドアを少しずつ、すこしずつ開いていった。
 そして見つけたその掃除の主は、僕の足元で地面にうずくまり、もがくように羽を振る白くて大きな鳥だった。顔
が赤くて長いくちばし。その鳥に僕は見覚えがある。
「トキ?」
 絶滅したと言われる、あのトキだ。
 生きているトキを見るのは、実はこれが初めてではない。小さい頃にじいちゃんと一緒に里山へ入った時にカスミ
網に引っかかっていたのを助けたことと、高校を卒業する直前に何故か家の庭で今と同じようにうずくまるのを見つ
けたことがあったのだ。
 じいちゃんは「山の不思議は家族以外に語っちゃあいけねえ」と僕達家族に常々言い聞かせていたこともあり、
そのことは未だに誰にも話をしたことがない。
 僕は、あたりを見渡してから大急ぎでトキを抱えて部屋へ入った。

 枕元の時計に手を伸ばして確認すると、朝の九時過ぎだ。今日の授業は午後からだからまだ大丈夫。夕べはトキの
エサの調達から水やりとか、しばらく様子を見たりと明け方まで起きていたからもう少し眠りたい。
 顔の向きを変えて何気にトキの巣箱を見ると、夕べは長方形を誇っていた段ボールが、何故か平べったくなっている。
「あ?」
 壊れたのか? だがどうして、という疑問の回答も目の前にあった。女の子が段ボールを潰した上で、うつ伏せに
なって倒れているのだ。
「あ、あああ! ちょっとちょっと!」
 布団を飛ばして僕は立ち上がり、その女の子を抱きかかえて投げ出した。トキは、トキは?
 そこにトキはいない。抜けた羽と少々汚れたバスタオル一枚が残るだけだ。
 僕は、投げ出した先で眠ったようになっている女の子を見据えた。自分でも今なら人を半殺しにできる自信がある。
 だが、すぐに僕の表情から怒りの要素が消えていき、狼狽の色一色に塗られていった。
「どうして裸なんだ」
 僕はその場で膝をつき、力なく正座した。
 トキがこの大都会に迷い込むだけでもおかしな話なのに。今、僕の周りで何が起こっているのか、未だに分からない。

35 :No.9 最後の人 (2/5) ◇59gFFi0qMc:07/02/04 12:24:21 ID:U4UVSXof
「−−ご理解いただけましたでしょうか?」
 彼女は湯飲みを両手で抱えながらそう言った。僕のカラーシャツを羽織り、髪の毛をまとめてお団子にした姿でち
ゃぶ台の前に座る姿は、知らない人が見れば単なる朝帰り前の女の子だろう。だが、僕にとってそれ程嬉しい存在で
は無い。
「あのね、おうちに帰りなさい」
 僕は眉間に拳をあてがいながら言った。頭が痛い。物理的に痛いのではなく、別の意味で痛い。
「帰りたくても、帰られないんです」
 唇を噛みしめ、悲しそうな表情で湯飲みを見つめながら、彼女は言った。
 彼女の説明によると、自分はトキであり、以前助けてもらったお礼をするために、今までに何度もここまで通って
いたというのだ。だが、以前からの持病で羽がしびれて羽ばたきにくいのが最近更にひどくなり、今ではもう殆ど羽
ばたくことが出来なくなってしまったそうだ。
「人間の姿だと問題ありませんが、姿が戻った時」つぶやくような声で彼女はそう言い、「殆ど動かないのです」と、
湯のみをちゃぶ台へ置いた。その拍子にまとめたお団子の髪のひと房がほどけ、肩まで垂れ下がった。
 この際とばかりに、重い口をこじるようにして僕が今まで持っていた疑問も洗いざらい聞き出した。
 すると、やはり霞網に引っかかっていたのは彼女だそうで、家の庭でうずくまっていたのも、羽が動かなくなった
彼女だったのだ。
「あの頃からずっと私は恩返しをしていたのですが、貴方は今でも気づいてくれていないようですね」
 寂しそうに笑った。
 どうやら僕は、気づかないうちに彼女を傷つけ続けていたようだ。僕は心の苦痛に顔を僅かに歪めた。
「郵便受けをご覧になったことはあります?」首を小さく傾げる彼女。「奥底を探してみてください」
 僕は、裸足で玄関の郵便受けへ走った。蓋を開け手を突っ込み、底を手でまさぐった。何も無い……いや、物とい
うには余りにも小さく範囲が広いが、何かある。その微かな手ごたえを感じた手を抜き出し、指先に付着した物をま
じまじと見た。黄色、いや、金色の砂粒。
「……砂金?」
「ええ、今まで川で一粒拾っては、ここまで来て郵便受けに入れておりました」
 いつの間にか、僕の後ろで立つ彼女がそう言った。

 数日後、彼女の普段着が通販で一通り揃った。そして早速彼女を外出へと誘いつつ、そのまま病院へと直行した。
 人間に変身していれば問題無い、と彼女は言いつつも、時々突然膝をついたり、気が付くと床で横になっていたり
するのだ。原因には薄々気づいていた。だから医者にもその可能性について予め伝えた上で検査してもらった。

36 :No.9 最後の人 (3/5) ◇59gFFi0qMc:07/02/04 12:24:38 ID:U4UVSXof
 診断の内容についても、僕が想像していた通りのものであった。
『重金属障害』
 別に砂金が毒性を持つわけでは無い。自然界には砂金と同じ場所に濃集する重鉱物なんていくらでもある、それだけ
の話なのだ。彼女は砂金をついばむと同時に、そういった重鉱物もついばんでいたのだ。検査では複数の金属が検出さ
れたという話であった。
「それって、治るのですか?」不安が入り混じる表情で彼女が尋ねた。
「そうですね」医者はレントゲン写真を眺めた。「ある程度までは、としか言えません。でも、これ以上悪くならな
いように頑張りましょう」
 どうとでも取り様のある言葉だ。要は”どう転ぶかはよく分からない”といいたいのだろう。
 それでも彼女は精一杯の作り笑顔で、「はい」とだけ答えた。
 俺の知る限りにおいて確かにある程度までは回復する、だが回復しない機能もある。そしてその機能に羽が含まれ
ないことを祈るしかなかった。

 二週間に一度の通院、そして毎日の薬の服用。彼女の表情が日々少しずつ明るくなってくるのが判った。
 人間に変身していれば大丈夫といいつつも、相当辛い日々を送っていたのだろう。
「今日もパンですか?」彼女は遠慮がちではあるが、多少不満そうに言った。
 こんな表情も余り見たことが無かった。また一歩だけ進歩したようだ。
「いや、すまんね」頭をかきながら僕は言った。
 彼女は健康保険の適用を受けられないから治療費がとんでもない金額となり、最近はバイト先のパン屋さんの残り
で食いつないでいるのだ。男やもめであれば普通の話、もしくは笑い話だが、トキとはいえ女の子だ。ひもじい思い
をさせる自分が情けない。気が付くと自分の表情が苦痛に歪んでいる。
「でも、人間の食べ物って美味しいですよね」
 微笑と言葉で僕を慰めようとする彼女に、少しだけ僕の気持ちは軽くなった。
 しかし実際のところ、どこまで費用がかかるのだろうか。男が金のことでとやかく言うのは問題だが、来年へ向け
た、半年程の長期貧乏海外旅行を目標に溜め込んでいた資金を使い果たしてしまった今、このまま彼女に治療を受け
させつづけることが出来そうになかった。治療でどこまで回復するのかもまだ見えていないという不安もあるのだが、
今はもっと治療を続けてやりたい。
 休学するか。バイトに半年も専念すれば、もう少しまとまった治療を受けさせる金を用意することができる。
「砂金、お金にしないのですか?」不安そうな面持ちで彼女が尋ねた。
「君が一生懸命に集めたものを売るわけにはいかないだろ? それ以前に気に入ったからずっと飾っておきたい」

37 :No.9 最後の人 (4/5) ◇59gFFi0qMc:07/02/04 12:24:59 ID:U4UVSXof
 実際のところ、郵便受けから回収したもの全てを大学の電子秤で測定すると二十グラムほどだった。上野の地金屋
へ持ち込んだところで精々二万円にもならないのであれば、彼女の気持ちとして手許にずっと置いておきたい。
 彼女は突然、手許のパンをちゃぶ台に置いて両手を太ももの間に挟んだ。そして心持ち俯き加減でため息をひとつ
ついた。
「どうした? 早く食べて薬飲まないと、治るものも治らないぞ」
「私、一体何をしているのでしょうか」呟くような、微かな声で彼女が言った。
「とにかく元気になろう、な?」僕はパンを置き、彼女の横へ座り直してから両手を肩へ乗せた。細い。細いが人間
そのものだ。
 彼女は突然僕を見上げて食い入るように見つめた。
「私は、先祖の伝承どおりに頑張った積りだったのです。人間に助けられたらちゃんとお礼をするようにと。そうす
ることがトキ一族の種を守ることになると」
「種を守る?」突然、何の話をしようとしているのだ。

「人間の間では、”鶴の恩返し”として伝承されていますが、私たちトキの先祖が題材の物語があります。あのよう
に人間へ印象づければトキの一族は人間から危害を加えられないと言われていました。でも、実際には違いました」
 彼女は再び顔を伏せ、太ももの上へ白く強張った両手の拳を乗せた。
「最後まで佐渡島に残っていた親戚一族は死に絶え、今は日本中でもN県の山奥で人から隠れるように暮らす、私た
ち一族だけになってしまいました。どうして、人間は私たちが何もしないのに滅ぼそうとするのですか?」
 彼女の両肩も強張り、微かに震えている。
 僕は、彼女の肩へ再び手を乗せようとした。だが、力強く弾き飛ばされた。
 今までそんな強い感情をぶつけられたことのない僕は、どうしていいのか分からなくなった。
 それでも踏ん張り、辛うじて「いや、人間は君達を守ろうとしている」とだけ言い切った。
「今更、今更ですか?」
 即座に言い返した彼女の目は真っ赤に潤んでいる。口元を真一文字にして、怒りを僕にぶつけようとしている。
「間違っていたと分かったから、今は守ろうとしている。だから、君達と人間とで話し合えば悪いようにならない」
「もう遅いのです」彼女は顔を背けた。「一族で子供を生める可能性のあるトキは、私だけになりました。オスは
もういません」
 何てことだ。僕は額に手のひらを当てて目を閉じた。
「もう私は、意味のない言い伝えを守るだけの存在。守ったところでもう、それが何も意味を持たないのです。でも
命尽きるまで、最後までやり遂げる覚悟はあります」そこまで言うと彼女は床へ崩れ、両腕を重ねた上へ顔を置いた。

38 :No.9 最後の人 (5/5) ◇59gFFi0qMc:07/02/04 12:25:16 ID:U4UVSXof
 しばらくの間、微かな嗚咽だけが部屋に響いた。

 結局僕は、半年ほど学費を滞納する覚悟とバイトに専念することにした。最後に繁殖能力を持つ彼女をずっと守
ってやろうと自分自身に誓ったのだ。
 だが、彼女は僕の半年の努力では羽のしびれを回復することが出来ず、人間の姿での完治にとどまった。
 そして「もうこれ以上、迷惑をおかけするわけにはいきません」という彼女の治療拒否兼同居拒否宣言が出た瞬間、
僕と彼女の生活は終わることとなった。
「これからどうするの?」
「一族の元へ戻ります。羽が回復しましたら再び恩返しに参ります。駄目でしたらこのまま朽ち果てていくことにな
るでしょうが、それも運命として受け入れます」毅然とした態度でそう言ってから、彼女は微笑んだ。人間なら半端
ではない覚悟が必要な言葉も、この子には簡単に受け入れられるのか。それとも鉄の意志が心に篭もっているからな
のだろうか。
 だが、このまま返すべきなのか?彼女をどこまで説得できるか皆目検討はつかないが、僕の答えはひとつだ。
「お前は、俺に半年の学業を遅らせた上、大金を吐き出させつづけた。恩を返すどころか迷惑をかけっぱなしじゃな
いか。俺はお前が勝手に朽ち果てるなんて許す積りも無いし、どうしてくれるんだ?」
「え?」彼女は明らかに、困惑と動揺に包まれている。両手を祈るように組んで背中を丸め、僕の言葉に身構えている。
「ちゃんと恩を返せ。それも今までの分を全て耳揃えて」
「それは私の命に代えて」
 こいつはまだ分かっていない。僕は段々苛々してきた。
「お前が死んだら僕が悲しむんだよ、分かるか? 今までよりもお前は明るく楽しく生きろ。笑顔を見せれば僕も楽
しいんだ。俺が望む恩返しはそれだよ」
 ここまで僕は一気に言い切って、ひと呼吸おいてから再び口を開いた。
「お前は一族の元へ戻って、いったいどうやって俺に恩返しをする積りだ?」
 俺は腕組をして、彼女を見下ろすような偉そうな態度で、返事を待った。
「申し訳ありませんでした。明るく楽しく生きる姿を日々お見せすることで、これからも恩返しをさせて頂きます」
 彼女はそう言って、人差し指で目尻を拭いながら微笑んだ。



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