【 ギリ義理不ユカイ 】
◆h97CRfGlsw




23 :No.6 ギリ義理不ユカイ (1/5) ◇h97CRfGlsw :07/02/04 00:28:51 ID:U4UVSXof
 酷い気分だった。もう今すぐにでも家に帰ってセルフバンジーするか、もしくは今向かいから歩いてきている幸せそうな少年の首をカッターで千切ってやろうかと思ってしまうほど、酷い気分だった。
 この酷い気分の原因はなんだろうか。決まっている。くだらない自問自答してんじゃねえよ。自分の頭をコンクリートの壁にきつつきが如く打ち付けたくなる衝動を抑えつつ、わたしは気を落ち着けるために深呼吸をした。
 幼馴染に、フられた。二月十四日、バレンタインデー。今日この日のついさっき、わたしは幼馴染の山田に告白してフられた。あっさりと、わたしの恋は一瞬で終わりを告げた。
 それこそが、わたしのはらわたがいい感じに煮えくり返っている理由だ。おい、誰だ今「ぷぷっ、失恋っスか?」って言いやがった奴。
介錯してやるから腹切れ。
「クソ山田がァァッ!」
 怨嗟の篭った雄たけびを上げながら、コンクリートの壁に思い切り拳を打ちつける。するとなんと、コンクリートの壁がこなこなに壊れたではないか! 凄いわたし。なんという憤怒か。怒りで人が殺せそうだ。
 まあ、実際はわたしの拳が壊れたわけだが。ただ脳内麻薬まみれになっている頭の中では、しっかりと粉々になったコンクリートが映し出されている。ふへへ、と笑む。そそくさと、周囲にいた人たちが逃げていく足音が聞こえた。
「うっうっ……なんでさ、山田ぁ……」
 拳がじんじんと痛んできて、その痛みに誘われるようにして涙が後から後から溢れてくる。わたしは情緒不安定な娘だった。今ではもう怒りなどなく、ただただフられたことが悲しかった。
 わたしと山田は、年齢が1に満たない時から一緒にいた。わたしの親と山田の親が、とても親密にしていたせいだ。フられたわたしが言うのもなんだが、実の兄妹のように親密だった。
 ほとんど毎日のように一緒にいたし、小中高と同じ学校だし、同じ文系だし、それに一緒にお風呂に入ったこともあるし、同じベッドに一緒に寝たこともあるし、擬似結婚式だって挙げたこともある。
 なのに何故!? 思い出に浸っているうちに、現実とのギャップにまたふつふつと怒りが湧いてきた。ごろごろと道路の上を転がりまわる。ひき殺して欲しい気分だったが、こういうときに限って人っ子一人こない。
 道路の中心に書かれている仕切り線の上に体の線をあわせて、うつ伏せになる。はあ、と深く溜め息をつく。引きずったせいで幾分かぼろぼろになった鞄から、今日山田に渡そうと持ってきていたチョコが首を出していた。

24 :No.6 ギリ義理不ユカイ (2/5) ◇h97CRfGlsw :07/02/04 00:29:16 ID:U4UVSXof
 わたしはそのチョコを引っつかむと、勢いよく立ち上がり、道路に叩き付けるべく腕を振りかぶった。しかし、硬直する。放課後、夕焼けが体を包む、柔らかな風のふく校舎裏。今日の告白のことを、不意に思い出したのだ。
「あ、あのさ、山田……ちょっと、聞いて欲しいことがあるんだけど……」
「え、なに? ってかそれより、聞いてよ! 俺、あの佐藤先輩からチョコ貰ったんだよ! いやー、俺もなかなか捨てたもんじゃないね! でさ、なんて返事――」
「山田の馬鹿ァ!」
 わたしはそれ以上聞くことが出来ず、山田のみぞおちにミドルキックを決め、更にうずくまった背中にかかと落としを決め、とどめにキャメルクラッチを決めて失神させてからその場を走り去ったのだった。
 よよよ、とわたしはチョコを投げ捨てることも出来ず、その場に崩れ落ちて再び泣いた。山田なんか、佐藤のアバズレとヤってる途中に心臓発作にでもなってくたばればいいんだ。
 大体、うら若い乙女が二月十四日、二月十四日にだぞ! そんな重要な日に呼び出しているんだから、わたしの想いは推して測るべきなのだ! 毎年恒例行事ではあったが、それでもだ。様子とか挙動とかでわかれ。
 再び怒りが湧いてきた。家族のようにいろいろなものを共有してきたわたしを捨てて、何故佐藤のような女を選ぶのだ、山田は! うう、あんまりだ……。もう死にたい……。 
「チョコ下さいー。チョコ下さいー」
 そのときだった。わたしが山田を包丁で後ろから刺し殺してやろうと決心しかけた、ちょうどそのときだった。唐突に背後から、声が聞こえてきたのだった。
「チョコ下さいー。いやマジで。義理でもいいんで」
 振り返ると、そこには見るも無残な顔をした、筆舌にしがたい不細工な男が、トレンチコートを一枚だけ羽織って突っ立っていた。汚らしい生足が見え隠れしている。一目見てわかった。ああコイツ、ギリギリだ。
 わたしは思い切り顔をしかめ、「ああん?」と凄んだ。すると男は「そんな顔、君には似合わないぞ、ハート」とのたまった。全身が総毛立つ。バーコードのように張り付いた髪が、微風に揺れた。
「誰だ、お前。いきなり現われてチョコよこせだ?」
「はい。生まれてこの方、わたくし一度もこの日にチョコというものを貰ったことがなくてですね。なのでこうして、美しい女性に声をかけて回っていることろなのです」
 なにがなので、なのかはなはだ疑問だったが、気負うことなく阿呆なことを口走る男の顔には形容しがたい覚悟のようなものがありありと浮かんでいた。生理的に嫌悪感を感じたので、逃げることにする。
「お待ちなさいお嬢さん。あなた今日、失恋しましたね?」
「え……なんで、それ……」
「わたくしにはようく、わかります。今のあなたは、わたくしと同じ顔をしていらっしゃる。そう、悲しみに満ちた顔をね」
 失恋を言い当てられ、思わず足を止めてしまう。すると男はその隙を逃さずわたしに一足飛びで詰め寄ってきて、顔を寄せてきた。鼻息がかかる。臭いんですけど。

25 :No.6 ギリ義理不ユカイ (3/5) ◇h97CRfGlsw :07/02/04 00:29:36 ID:U4UVSXof
「そう、失恋……甘美で酸味のきいた、切ない思慕の崩壊。そこから迸る悲しみは暗く、深く。……ぷっ、失恋だって! ダッセー! あっははははは!」
「なっ!」
 真面目な口上から、男は一変して笑い出した。わたしの顔面に指を突き出して、腹を抱えて男は笑う。迸る殺意に任せて絞め殺してやろうかと一瞬思ったが、その激情は溜め息と共に流れていった。
 そう、わたしは恋の戦争に負けた、惨めたらしい敗残兵なのだ。笑われても仕方ない、情けない女なのだ。でもこの気持ち悪い男に笑われるのはしゃくなのでとりあえず蹴っ飛ばしておいた。
「アンタさ、チョコがどうとか言ってなかった? それとも、ただわたしをからかっただけ?」
「両方です。すいませんもう蹴らないで下さい」
「はあ……。まあいいよ。これ、アンタにあげる」
 鞄から可愛らしく、物凄く可愛らしく包装されたチョコを取り出して、無造作に差し出す。山田に上げるはずだったチョコ、もうわたしには無用の長物だ。男は口元を歪め、にやりと笑った。
「心を込めて作ったチョコだから。きっと美味しい……美味しい……から……」
 声が水気を孕んで、喋れなくなってくる。結局なにを言っているのか、自分でもなにを言いたいのかわからなくなって、またその場に座り込んでしまった。なんだろうこの状況。とってもシュール。
 バレンタイン当日のずっと前から構想をはじめて、やっとのことで考えを纏めた告白作戦。わたしは結局計画を実行に移すことすら出来ず、今こうして得体の知れない変なおっさんにチョコを差し出している。
 ああ、無情。こんなことならチョコなんか作らなければよかった。山田なんか好きにならなければよかった。山田と仲良くなんかしなければよかった。生まれてなんか、こなければよかった。
 わたしは泣いていた。結局理不尽な怒りも、ただ悲しみの裏返しだっただけなのだ。
「うんうん、わかるよユアマインド。すっごくサッドだよね。失恋ってさ、マジ笑える、最高。密の味」
 いまいちキャラの固まっていないおっさんは、チョコを受け取ると図々しくもわたしの肩に腕をまわして、頬を摺り寄せてきた。剃り残したであろう髭がちくちくして、思わず払い腰を決めてしまう。
 倒れ伏したおっさんを足蹴にしながら、嘆息する。これからどうしよう。私の計画によれば、今度の告白でわたしと山田はめでたく結ばれることとなって、一生をむつまじく暮らす予定だったのに。
 人生設計を狂わされてしまった。くそう、佐藤め……。憎しみで人が殺せればなあ、と思っていると、足許で声がした。
「まあ、あんまり気にしんすな。男など、星の数ほどいるものさ。例えば今君の目の前に――」
「山田は一人しかないんだよ! 優柔不断で、情けなくて、馬鹿でアホでおっぱい星人だけど、それでもわたしは山田だけが好きだったんだ! アンタになにがわかるんだよ!」
 怒りとも悲しみともつかない感情が溢れ出してきて、わたしはむきになって言い返した。たしかに男なんて一杯いる。この気持ち悪いおっさんだって男だ。でも、違うのだ。わたしが好きなのは山田であって、男じゃない。
 だからこそ苦しい。義理のチョコを渡す相手なんかいない。わたしには山田しかいなくて、でも山田にとってわたしは義理のうちのひとつだったのだ。だからこそ、悔しい。
 顔が歪む。眉間に深々と皺を寄せ、下唇を噛み締め、目に涙をためる。わたしはいたたまれなくなって俯くと、おっさんと目が合った。おっさんは恍惚とした表情をしていた。

26 :No.6 ギリ義理不ユカイ (4/5) ◇h97CRfGlsw :07/02/04 00:29:54 ID:U4UVSXof
「いいよ、その表情……! そうそれ、その顔だよ! いいね失恋、最高のシチュエーションだよ!」
「……なんなんだよ、アンタ……」
「あー、いいもの見せてもらった……と、ここでネタ晴らし」
 とうとう気が触れたのだろうか。初対面の時点で脳が温かめのおっさんだとは思っていたが。そんなことをぼんやり思いながらおっさんを睨んでいると、通りの向こうのほうから誰かがこちらに歩いてきていた。
 佐藤だ、とすぐにわかった。恋敵の佐藤。マジ殺したい女ランキングぶっちぎり一位の女だ。図らずも湧き出す殺意に拳を振るわせたまま、佐藤を睨みつける。
「美香ー、ちゃんと配ってくれたみたいだねー。おかげでお父さん、楽しい思いが出来たよー」
「お父様は悪いお人。純真な乙女心を暴いて、傷口を広げるような真似を。あまり快いものではありませんことよ」
「え……なんの話?」
 自称生まれこの方チョコを貰ったことがない男と、学校一の美貌を誇ると噂される佐藤が、まるで親子のように会話をしている光景を見て、思わずわたしは口をはさんだ。
 すると、佐藤がこちらを振り返って、ごめんなさいねと頭を下げた。生憎理解が追いついていないのでまったく意味不明なだけだったが、どうも陰謀の匂いがするということだけは理解できた。
「おっさん、今わたしはどういう目に会ってるのか詳しく教えてくれる?」
「バレンタインに告白されそうな男子に、手当たり次第にチョコを配るよう美香に頼んだの。で、浮かれる男子と失恋する女子が大量発生。おっさん女の子の失恋顔見て大喜び」
「おっさん、殺してもいいかな」
 鞄からカッターを取り出して、血走った目で刃をチキチキと伸ばす。一目散に駆け出していくおっさんを苦虫を噛み潰したような顔で見送りって、嘆息しつつ。カッターをしまう。
 なんて頭の悪い展開なんだろう。こんなストーリーを考えた奴は絶対馬鹿だなと、脱力する。考えたのはおっさんか。みしみしと、拳がきしむ。
「ごめんなさいね。悪気はないんです」
 悪気しかないだろうに。なにを言っているんだアンタは。脳にプリンでもつまってんのか。やーい、お前の父ちゃん露出狂ー。Dカップー。
 口には出さず、頭の中で暴言を吐きまくる。ふざけたことしてんな!と一発殴りたくもあったが、女性は殴るものではない。ぐっと堪えて、拳を抑える。
 今の話が、仮に全てそうだとする。つまり山田は、佐藤の偽本命チョコを受け取った、ということだ。つまりは……山田は私に対してより、佐藤の方に愛のベクトルをむけているということになる。
 それじゃあ、同じだ。佐藤と付き合うか付き合わないかだけの違いで、結局わたしは失恋しているということになる。今度は悲哀の波がやってきて、わたしの膝から力を抜いていく。
 わたし、ダメだぁ……。こんな、こんな露出狂の娘なんかに負けるだなんて……。くそう。もう死にてぇ……。
 無念にうなだれる。すると、佐藤が近づいてくる足音が聞こえた。見上げると、佐藤は微笑んでいた。思わず目を見張る。佐藤は天使と見紛う程に、慈愛に満ちた表情をしていたのだ。

27 :No.6 ギリ義理不ユカイ (5/5) ◇h97CRfGlsw :07/02/04 00:30:13 ID:U4UVSXof
「ですがあの方は、わたしからのチョコをお受け取りには、なりませんでしたよ」
「え……!」
 なんでもないように言う佐藤。しかしその内容は私にとってまさに福音で、思わず声を裏返して食いついてしまう。マジすか!?
「ええ。悪いですけど、俺にはもう大切な奴がいるんです。だから気持ちは凄く嬉しいんですけど、受け取るわけには行きません、と」
「や、山田ぁ……」
「義理堅い方ですのね、あなたの想い人は」
 あ、ああ……と、声にならない声をあげる。佐藤の白い足にまとわりついて、感涙にむせび泣く。山田はやっぱり、わたしのことが好きだったんだ。ああ、なんだ、勘違いだったのか……。よかったよぅ……。
 気を取り直し、むしろハイテンションになって、わたしは立ち上がった。スカートについた砂を払って、鞄を肩にかける。今すぐ山田の下へ。誤解を解いて、謝らなければならない。
 でも、チョコはあげてしまったし……。今からでも別のものを買いに行こうかと悩んでいると、ふと佐藤が手を差し出した。手には、わたしのチョコレートがあった。
「佐藤先輩……」
「お父様から取り戻しておきました。……あなたの想い、届くとよいですわね」
「先輩ぃー……ありがとぅー……」
 えぐえぐと泣く私を、先輩は抱いてくれた。ふわりと胸に顔を埋めて、深呼吸する。先輩はふっと笑むと、最後に一つだけ伝えることがあります、とぽつり言った。顔を上げると――
「全部嘘だ、ぶぁーか! 死ね!」
 悪鬼のような表情をした佐藤の顔があった。佐藤は私を突き飛ばすと、あはははははー!と嬉声を上げながらクラウチングスタートで走り去っていった。ぽかんと口を開いて、わたしは道路に仰向けになったまま呆然としていた。
 ああ。しばらくして、理解が訪れた。結局山田は佐藤先輩のチョコに浮かれていて、わたしは失恋していて、おっさんと佐藤はわたしの不幸の密を一滴残らず舐めとっていったのだ。
 なんというバレンタイン、最低最悪に不愉快な青春の一ページ。あの親子は、父娘そろって、義理に外れた人間なのだった。



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