【 勇気を出して 】
◆O8W1moEW.I




216 名前:勇気を出して(1/5)   ◆O8W1moEW.I 投稿日:07/01/28 23:00:52 ID:FSv9V6eg
――どうだ、学校のほうは。うまくやってるか?
「うん、楽しいよ」
嘘だ。
――そうか、じゃあもう友達もいっぱいできたか。
「うん、いっぱいできた」
これも嘘。
――また明日も電話するからな。
「いいよお父さん、そんなに電話してこなくても」
――ははは、そうだな。せっかく都会で自由な生活を楽しんでるのに、親が出しゃばってあれこれ言ったらうんざりだよな。
  じゃあな美咲。母さんと一緒に、近いうちにそっちに遊びに行くからな。
通話が途切れた携帯のディスプレイを、柊美咲は見つめていた。こちらに出てきてもう一ヶ月になる。
絵を勉強したいと思い、美術の名門校である私立渡良瀬高校に入学するために、柊美咲は単身東京へやってきた。いや、それだけではない。
中学時代に壮絶なイジメを受けていた美咲は、もう地元に居場所がないことを悟り、逃げるように東京の高校へ入学した。
だが、引っ込み思案な性格や、元々体も弱く、時々休んだり早退してしまうことも災いしてか、美咲には未だ友達は一人もいない。
また、お父さんに嘘をついてしまった。

昼休みは一日の中で一番憂鬱だ。自分が一人ぼっちであることを嫌でも自覚させられる。
実家が弁当屋なので、自分の作った弁当には少しだけ自信がある。もし友達ができたら、友達の分も作ってきてあげよう。
もっとも、そんな日が果たして来るのかどうか。勇気を出して話しかければ、この状況が好転するかもしれないということは、
美咲にも分かっている。だがその逆に、それがきっかけで変な目立ち方をすればイジメの対象にだってなり得ることも、経験上知っていた。
なにもしないことが一番だ。だから、目立たないようにして、自分の存在を教室の中から消してしまおう。それが美咲にとっての一番の安全策だった。
食べながらふと顔を上げると、教室の前のほうで机をくっ付けて弁当を食べている女子たちと目が合った。
それに気付くと彼女たちは、申し合わせたように美咲から目をそらした。自分の悪口でも言われていたらどうしようと、美咲は思った。

放課後の美術部の活動でも、美咲は孤立していた。美咲はここ数週間、桜の木の絵を描いている。
淡い色彩で少し抽象的な、すでに散った校庭の桜をモチーフにした水彩画だ。分類するとしたら、印象派ということになるだろうか。
ほとんど完成しているのだが、美咲自身何かが足りないような気がして、何度も直しを入れている。美術部の部員たちは、
みんながそれぞれ好きなように好きなものを描いている。中でも、同じ一年生部員の一色良太の描く絵は非常に大胆なタッチで、
色使いも美咲から見れば、どぎつい。とにかく真赤なのだ。

217 名前:勇気を出して(2/5)  ◆O8W1moEW.I 投稿日:07/01/28 23:02:13 ID:FSv9V6eg
前衛的と言えば聞こえはいいが、常人から見れば『よく分からない変わった絵』と分類されてもおかしくない。
そんな一色良太が、美術室の片隅で男友達数人となにやら話しているのが、美咲の耳にも少しだけ聞こえてきた。
こんな時美咲は、自分のことを噂されているのではないかといつも不安に思う。

その日は少し早めに部活を切り上げ、家路についた美咲だったが、日も暮れる頃に再び学校へ戻ってきた。
「財布忘れた……」アパートの玄関先で、バッグの中に手を突っ込んだ時に気がついた。
――誰かに取られたりしてたらどうしよう。
美術室は鍵がまだ開いていた。中には誰もいないが、席を外しているのだろう。自分の使っている机の中を探ると、そこに財布はあった。
とりあえず一安心だ。バッグの中に財布を入れて、早くここから退散しようと思ったとき、机の上に見知らぬ絵が
置いてあるのに気がついた。一瞬、美咲はそれを血だと思った。その赤は、そのくらいドス黒かった。
それがなにか気付いた時、美咲は声にならない叫び声をあげた。それは自分の絵だった。
赤い絵の具でべっとりと、太い線が絵の中央に一本入っており、桜の木はほとんどがそれに掻き消されていた。
美咲は美術室から逃げ出した。できることならどこまでも逃げたかったが、足が震えだし涙が止まらなくなって、
下駄箱まで来るとそこでうずくまって動けなくなった。学校が楽しい? 友達もいっぱいできた? 嘘ばっかりだ。
一度イジメがはじまってしまえば、もう取り返しはつかない。嘘が現実になる時なんて、もう二度と訪れない。
同じだ、中学の時と。また悪夢のような三年間を過ごすことになる。そう思うと、美咲はその場で泣き崩れた。
その時、自分の嗚咽の中から、なにかそれと異なる別の声が聞こえた。
その瞬間、美咲の胸が内側から張り裂けるかと思うほど猛烈に痛み出すと、薄暗いモヤモヤとした煙が美咲の体から立ち上った。
それはみるみるうちに形あるものとして実体化し、最後にはこの世のものとは思えない異形の怪物へと変貌を遂げた。
「きゃあああああああ!」
美咲の叫び声を聞くと、怪物は満足そうにニヤッと口を歪め、羽を広げて校舎の外へと飛び去っていった。
                      ◆
何がなんだか分からない。
怪物にしてもそうだが、そいつが飛び去った直後に変な恰好をした女の人が下駄箱にバイクで突入してきて、「ちっ、一足遅かったか」
とか言って、今は隣で呼吸を整えている。
自分が今置かれている状況への戸惑いと、自分の中で膨れ上がっていた悲しみの感情がごっちゃになって、美咲は混乱していた。
この女性、顔つきから察するに、自分より少し上くらい、年齢は十八か十九と言ったところだろうか。
服装は、チャイナドレスのようにボディラインを強調した服の上に、さらに西洋の騎士の甲冑を着込んだと言う以外に表現しようのない、
なんとも変わったものを着ている。髪は赤く、ずいぶんと長い。そして、
「てめえ、とんでもねえことしてくれたな! ライアトゥルスを呼び出しちまうなんてよ!」

218 名前:勇気を出して(3/5)  ◆O8W1moEW.I 投稿日:07/01/28 23:03:51 ID:FSv9V6eg
口が滅法悪い。
「あ? てめえ今心の中でこのリーエ様の悪口言ったろ。まあいいや、単刀直入に聞くが、てめえ誰かに嘘ついてるな。それも、とびきりのでかい嘘を」
信じられない。どうして今はじめて会ったこの女の人が、自分しか知っているはずのない秘密を知っているのだろう。
「なんで知ってるんだって顔してるな? よおし、この際だ。このリーエ様がパパッと単刀直入に説明してやんよ!」
彼女が言うには、こういうことらしい。
さっき自分の体から出てきた怪物はライアトゥルスと言って、現実と虚構の狭間に生息している実態のない精神生命体だという。
嘘をついた人間の心のマイナスエネルギーが一定値以上を超えると、その嘘を依代(よりしろ)にして実体化する。
倒すための条件はただ一つ、その嘘が事実になることのみであり、嘘が嘘である以上、怪物は何度倒されてもまた蘇り、
人間を無差別に襲い続ける。つまり、
「てめえが学校でお友達作るまで、ライアトゥルスは人をバンバン殺しちまうってことだよ。単刀直入に言ってな」

「しっかり掴まってろ! 振り落とされんじゃねえぞ!」
すっかり夜の帳が降りた湾岸の道路を、リーエは後ろに美咲を乗せてバイクで疾走する。一刻も早くライアトゥルスを見つけ出さなければ、
いつ一般人が襲われるか分からない。リーエの荒い運転にしばしば振り落とされそうになりながらも、美咲は一生懸命リーエと体を
密着させてしがみついている。リーエの体温を上半身で感じながら、美咲は思う。絶対に無理だ。他の条件なら多少難しくてもやり遂げる
ことはできたかもしれない。だけど、この学校で友達を作って楽しく過ごせだなんて、そんなこと絶対にできるはずがない。
中学一年のちょうど今の時期、美咲に対するイジメははじまった。
美咲自身このままではいけないと思い、なんとか今からでも関係を良くしよう、自分を分かってもらおうと、勇気を出して自分からクラスメイトに話しかけた。
それが逆効果だった。その美咲の必死な様子が逆に面白がられて、イジメはさらに加速した。もうそんなことは繰り返したくなかった。
「見つけたぜ! ライアトゥルス!」

ライアトゥルスを捕捉すると、リーエはバイクを飛び降り、一目散に走り出した。
リーエが天空に差し伸べた手のひらから炎が吹き上がり、それは真紅の剣となった。
「ひとまずおねんねしてもらおうじゃねえか!」
背丈にして五倍はあるであろうライアトゥルスの頭に向かって、リーエは勢いよく飛びかかった。狙うは額にあるひし形のキズ、
ライアトゥルス唯一の弱点だ。ここに強大なダメージを与えることができれば、ライアトゥルスは一時的に活動停止状態になる。
リーエは額に向かって剣を突き刺そうと何度も試みたが、その度に巨大な羽で全身を思いっきり弾かれ、地面に叩きつけられた。
「もう一度!」それでも、
「まだまだぁ!」それでも、リーエは諦めず、何度でも立ち上がった。

219 名前:勇気を出して(4/5)  ◆O8W1moEW.I 投稿日:07/01/28 23:04:42 ID:FSv9V6eg
美咲は、乗り捨てられたバイクの影に隠れて震えていた。どうしようもなく怖かった。
できれば今ここで意識を失って、全部知らないことにしてしまいたい。
そうすればなにも見なくて済むのに。そんな美咲の目前で、リーエがライアトゥルスに弾き飛ばされて倒れた。美咲は意を決して言った。
「あ、あの……逃げましょう。今なら、その、許してもらえるかも……」
「へっ、何言ってやがる。今さら後には退けるかってんだ」
リーエは切れた口から伝う血を、長い袖で拭きながら答えた。
「だって……そうしないとあなた、このままじゃ死んじゃいます!」
「いーや、このリーエ様はこんなことじゃ挫けないね。さっき切れなかったからと言って、次また切れないとは限らねえ。
たとえ何百回叩きつけられようが、たった一回切りつければそれで道は開けるんだ! ぜってえ諦めねえからな!」
リーエは自分の脚を右の拳で思いっきり叩き気合を入れると、ライアトゥルスに再び飛びかかっていった。
またも剣先は巨大な羽に阻まれたが、今度は弾き返されるのを必死に耐え、その羽に真紅の剣を突き刺すと、その勢いで一気に
ライアトゥルスの額を一突きにした。ライアトゥルスは耳をつんざくような鳴き声をあげ、
その体からはみるみる煙が立ち上り、やがて美咲の体から出てきたときのような気体となって消えた。
「単刀直入に言って、こいつが再生するまでにかかる時間は大体二十時間だ。あとは明日のお前次第で――」
そこまで言うと、リーエはその場に倒れこんだ。彼女もすでに体力の限界がきていた。

結局一晩中、美咲はリーエをつきっきりで看ていた。明け方になって意識を取り戻すと、自分のことはいいから単刀直入に学校に行けと
リーエが言うので、結果的に普段より早く学校についた。美術室の前を通ると、中に誰かいるのに気がついた。普段こんな時間から
部員がいることはまずない。美咲は廊下から中を覗いた。そこにいたのは、一色良太だった。彼はなにかを一心不乱に描いていた。
「あ、あの……」こっそり美術室に入ってきた美咲がそっと声をかけると、良太は「わっ!」っと声をあげて驚いた。
声の主が美咲だと言うことがわかると良太はさらにしどろもどろになって、何度も何度も「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返した。
「あの、えと、ご、ごめんね……」なぜか美咲まで謝ってしまった。
「お、俺のパレット、柊さんの絵の上でうっかりひっくり返しちゃって……絵の具が全部絵の上にこぼれちゃったんだ。なんとか修正しようと思って、頑張ってみたんだけど……」
良太の後ろには、昨夜真赤に染め上げられていた、美咲の桜の木の絵があった。昨夜は下の絵が隠れるほどに濃かった赤の絵の具が、
今はずいぶんと薄まって桜の木が顔を出している。
「あ、あと、昨日の夜、柊さんが部室に来たとき、俺ここにいたんだ。怖くなって隠れてた……最低だよな、俺」
「……一晩中、これを直してくれてたの?」
「うん、修正やれるだけはやったんだけど、これ以上は直しようがない……ごめん、本当にごめんなさい!」

220 名前:勇気を出して(5/5)  ◆O8W1moEW.I 投稿日:07/01/28 23:05:21 ID:FSv9V6eg
美咲はなにも言えなかった。一つは、昨晩あれだけ騒いだことの原因が自分の勘違いだったということに唖然としたから。もう一つは、
良太の手で修正された桜の木の絵が信じられないくらい美しかったからだ。美咲の優しい薄紅色の桜の花と、良太の大胆な色彩の赤が
見事に交じり合い、そこだけコラージュしたかのように絵の中から浮き出ている。そこには桜が息づいていた。
この絵に対するかねてからの『何かが足りない』という悩み。それが今はじめて美咲には分かった気がした。
「ううん、これでいいの。この絵は、これで完成――」

昼休みは一日の中で一番憂鬱だ。自分が一人ぼっちであることを嫌でも自覚させられる。美咲は不安で頭がいっぱいになっていた。
弁当箱を胸に抱いて、ゆっくり、ゆっくり深呼吸をしてみる。『一緒に食べませんか?』これを言えばいいだけだ。
待てよ、『一緒に食べようよ』のほうがいいか。でも、そんな馴れ馴れしくていいのかな。考えているうちに、教室の前のほうの
グループが弁当箱を開けはじめた。もう、今しか無い。中学の時のことが頭をよぎった。仲良くなりたくて話しかけたら、
それからもっとイジメが酷くなったこと。一瞬、心が折れそうになった。そのとき、リーエの声が聞こえた気がした。
そうだ、リーエは何度弾き返されても、自分の剣が届くと信じて何度だって立ち向かった。私だって――
「い、一緒に食べませんか!?」
言えた――
「うん、一緒に食べよ!」
「あたしたち、今度柊さんを誘って一緒に食べようって、昨日みんなで相談してたんだよー」
「柊さんのお弁当すっごーい! お弁当屋さんみたい――って、あれ、柊さん?」
美咲は声をあげて泣いていた。両手でくしゃくしゃになった顔を覆って、泣きじゃくっていた。
「あたし……自分の勇気がないこと、ずっとみんなのせいにしてた……ホントは、自分で勝手に思い込んで、壁作ってただけで……ヒック、ごめん、ね……」

その後、リーエやライアトゥルスが美咲の前に現れることはなかった。

――すみません、そちらリーエ教育相談所でしょうか。あのう、美咲の学校生活のほうは上手くいくようになったでしょうか?
「単刀直入に言うぜ。あんたのとこの娘さん、毎日楽しそうに学校行ってんよ。いやー、ショック療法は効くねえ。」
――あのう、そのショック療法というのは具体的にどんなことを?
「おっちゃん、それは企業秘密よ。まあ、あの手の大人しい子は、無理矢理にでも背中押してやらないとなかなか自分から動けねえからな」
『アネサン、オナカヘッタ』
「おうおう、もう飯の時間か。すぐエサあげるからな、ちょっと待ってろよライアトゥルス。ま、そういうわけだおっちゃん。
今後とも、なにかあったらリーエ教育相談所をよろしく頼むな!」



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