【 愚者と悪魔と 】
◆KARRBU6hjo




959 名前:愚者と悪魔と 1/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/28(日) 23:53:58.55 ID:8ZOejshq0
「悪魔を呼んでみようか」
 小汚いアパートの一室で、神尾さんはそんな事を言い出した。
「はぁ、悪魔ですか」
「うん。私が得意なのはレメゲトンの魔神なんだけれど、それでもかまわないかな?」
 俺の返事を聞かないまま神尾さんは立ち上がり、ごちゃごちゃの本棚を漁り始める。
 ばっさばっさと大小様々の本が埃を撒き散らしながら床に落ちるが、彼女は一向に気にしない。
 彼女の足元が半分くらい本で埋まった後、彼女は「あった」と言いながら一冊の古ぼけた本を手に取り、俺に向かって示して見せた。
 でかでかと表紙に描かれた魔法陣、タイトル部分には達筆過ぎて読めないような英語の羅列。
 どこからどう見ても、明らかに如何わしい香りが漂っている。
 嬉々としてその本を広げる神尾さんを眺めながら、俺は一体どうしてこんな事になったのかと密かに頭を抱えた。

 神尾さんは俺が入っているサークルの先輩で、サークル内で良き相談役として有名な人物だった。
 異様に上手い会話能力と、まるで先を見てきたかのような助言。
 まるで占い師か何かのようなその能力は抜群で、俺も何度か彼女の助言にお世話になっている。
 それでまぁ今回も、ある相談事の為に彼女に頼ってみたのだが。
『ふぅん。じゃあ、ちょっとついて来てくれないかな』
 俺の話を大して聞かないまま彼女はそう言って、俺を自分のアパートに連れ込んだ。
 そして、意外にも汚い部屋に驚愕している俺に向かって、悪魔を呼ぶとか言い出したのだ。
「あ、あの、神尾さん。何でいきなり悪魔なんです」
 俺の弱々しい抗議に、神尾さんは本を捲りながら口を開く。
「江西くん、オカルトサークルに属しててそこで後込むかなぁ。物は試しだよ」
 神尾さんはそこでようやく本から目を離し、ちらりと俺の方を見て言った。
「それに、正直言うとね、きみが持ち込んだ恋愛相談はこれで四回目でしょ。悪魔にでも頼った方が早いかな、って」
「ぐ」
 それを言われるとどうしようもない。現在俺は同じ班の戸張さんに片思い中で、神尾さんにした相談も全部それ関連なのである。

961 名前:愚者と悪魔と 2/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/28(日) 23:54:41.18 ID:8ZOejshq0
 俺が何も言えずに黙り込んでいると、しばらくして神尾さんは「これでいいか」と言って、本を開いたまま俺に突きつけた。
「レメゲトン、ソロモン王の小さな鍵、七十二柱の悪魔たち。聞いたことくらいはあるよね」
「まぁ、名前くらいは。ゲームとかでもよく聞く名前も多いですし」
 バルバトスとかベリアルとか。元ネタ探しで一度は行き着く場所の一つである。
「今回召喚するのはその中の三十四番目、二十六の軍団を持つ伯爵。悪天候を操り、神聖な秘密の事柄について話すことが出来る悪魔」
「……神聖な秘密の事柄、ですか」
 神聖なのだろうか。
 いや、確かに俺にとっちゃ戸張さんの事は神聖以外の何者でもないんだけど。
「あの、神尾さん。やっぱりこういうの止めにしませんか。悪魔に頼って戸張さんの事を聞いても、俺が後ろめたいっていうか」
「あと、男女の恋愛を好きな風に進展させる事も出来るね」
「やりましょう」
 ビバ悪魔。
 最初に言ってくれ。
 神尾さんが呆れたような目で俺を見たが、すぐに溜息を吐いて薀蓄に戻った。
「じゃあ、準備しよう。ちょっと床を片してくれるかな」
「了解しました」
 雑誌とか服とかを整理して脇に除け、十分なスペースを作る。そこに、神尾さんはどこから取り出したのか、そこそこの大きさのマットを敷いた。
「神尾さん、これって……」
「六芒星。悪魔っていうのは基本的に嘘吐きでね。適切な処置を取らないと真実を話さないの」
 今から召喚する悪魔の場合、この六芒星の中に呼ばないと危険な事になる、と神尾さんは言う。
 それを聞いて、俺は改めてぞっとした。
 オカルトサークルに属している以上、遊び半分で悪魔を呼んで悲惨な目にあったという逸話はよく耳にする。
 やっぱり止めましょう、と言おうと思い神尾さんを見ると、彼女は既に準備を終えていて、本を読みながらぶつぶつと何かを呟いている。
 何だか俺を取り残したまま、悪魔を呼び出す儀式は始まっていた。


962 名前:愚者と悪魔と 3/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/28(日) 23:55:47.62 ID:8ZOejshq0
 ぱちん、というラップ音。かたかたと何かが何処かで揺れている。
 神尾さんは息継ぎもせずにひたすら呪文を唱え続ける。
 薄暗い部屋の中でマットの上に描かれた魔法陣が微かに光り出し、赤い光の粒がふわふわと漂い始める。
 ヤバい。正直言うと本当はあまり悪魔を信じている訳ではなかったのだが、目の前では確実に超常現象が起きている。
 もうこの部屋から逃げ出そうか、と考えて腰を浮かせた瞬間、魔法陣の中でバヂバヂと火花が飛び散って、中から何かが飛び出した。
「よし」
 神尾さんが呟く。俺は魔法陣の中から目を離せない。そこで、常識を越える何かが揺らめいていた。
 鹿。見事な角を生やした逞しい牡鹿が、そこに圧倒的な威圧感を持って鎮座している。
 普通の鹿ではない事は明確だ。その鹿は微かに宙に浮いているし、何よりも、その尻尾には音を立てて燃え盛る炎が宿っている。
『我が名はフールフール、二十六の軍団を持つ偉大なる伯爵』
 ずごごごご、とかそんな感じの効果音が似合う瞳で俺を見つめながら、鹿は言う。
『召喚者よ、汝の望みを叶えよう』
(ほら、江西くん。早く言わないと)
(え、俺召喚者じゃないじゃないですか!)
 小声で会話する。シェンロンを前にした人間ってこんな感じなのかなとふと思った。
(ここでは江西くんが召喚者ってことになってるの。ほら、戸張さんに掛ける無駄に熱い情熱を今ここでぶつける!)
(無駄にって言った!? 今無駄にって言った!?)
『どうした召喚者。早く望みを言え』
 悪魔のドスの利いた声。怖い。っていうか、望みの代償とかあるんじゃないのか。
 無償で願いを叶えてくれる悪魔なんている筈がない。そして代償の定番といえば、命だ。
「すんませんホント勘弁してください」
 俺は土下座した。
「え、ちょ、ちょっと江西くん?」
 神尾さんが何か言ってるが気にしない。
 俺はへこへこと土下座をきっかり十三回繰り返し、そのまま回れ右をしてアパートから全力で走り出す。
「江西くーん!? 大丈夫だから戻っておいでー!」
 神尾さんの声が後ろから響いてきたが、俺は全速力でその場から逃げ出した。


963 名前:愚者と悪魔と 4/4 ◆KARRBU6hjo 投稿日:2007/01/28(日) 23:56:44.54 ID:8ZOejshq0
 江西が逃げ出した後。
『…………』
「…………」
 牡鹿と人間は沈黙の後、顔を見合わせて、溜息を吐いた。
『……また失敗だな、カミオよ』
「うう。今回は上手く行くと思っていたんだけれど」
 神尾、いやカミオは頭をがりがりと掻く。次の瞬間、ぼん、という音と共に、彼女は一匹のツグミへと姿を変えた。
『貴公も零落れたものだな。かつては論述と詭弁で名を馳せたものを』
『五月蝿い黙れ、私だけの所為にするなこの鹿め。馬の頭でも引っ付けてやろうか』
『ほう、小鳥如きが、それは我への宣戦布告か。そう言えば、この国では焼き鳥と呼ばれる料理があるらしいな』
 二匹の動物の間でばっちんばっちんと火花が散る。
 しかし、しばらくすると両者とも再び溜息を吐いて、殺気を霧散させた。
『なぁ、カミオ。毎回聞くが、本当にこの方法は有効なのか?』
『有効かどうかは分からないけど、フールフール、他に思いつくか? 私たちみたいな知名度の無い悪魔が、点数を稼ぐ方法を』
 そもそも、今の時分に本気で悪魔を呼ぼうなどと考える人間は貴重だ。
 それで代わりにカミオが仲間を召喚し、その場の人間と契約させる、という寸法だったのだ。
 おまけに、本当は三角形の魔法陣のところを六芒星と言う小細工まで仕掛けてある。
 人間に願いを言わせさえすれば、後はこっちのものだったのだが。
『……世の中は上手く行かないものだな、カミオ』
『全くだ』
 小汚いアパートの一室で、二柱の悪魔はがっくりと項垂れた。

 終。



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