【 喫煙は頭を悪くします 】
◆9IieNe9xZI




669 名前:喫煙は頭を悪くします1/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/01/28(日) 12:45:42.25 ID:/yXtcsex0
 僕はタバコの前で正座をしていた。
 深夜、掃除中にタバコを見つけた。絨毯の裏から、ひょっこりと出てきてしまった。
 僕はとりあえずそれをテーブルの上に置いたまま、ゴミ袋を持って部屋を出た。
 夜の十一時なので、そっと階段を降りる。
 ゴミ捨て場に他のゴミはなかった。 
 寒い。もうすぐクリスマスだ。
 二階の部屋に戻って、テーブルの前に再び座る。
 それはとても短かった。というか、ほとんどフィルターしかない。吸えそうなところは
一センチていどだ。途中でちぎれていて、本体というか、残りの部分は見つからなかった。
 だが腐っても鯛、吸えるタバコがここにある。
 掃除を終えて、体は程よく疲れている。おいしくタバコを頂くには最高のコンディションだ。
 これ以外に買い置きなどはない。
 自動販売機は販売を停止している。近くにタバコを売っているコンビニもない。
 喉から手が出るほど吸いたい。
 しかしそうはいかない。
 僕の彼女は同じクラスの大学生で、大のタバコ嫌いだった。ほとんど筋金入りだ。
付き合ってくれるかわりに彼女の出した条件は、禁煙することだった。とても約束は破れない。
 よって、こんな危険物はすぐに捨てるべきなのだ。
 よし、という掛け声とともにタバコをつかむと、空のゴミ箱へ投げた。
 すっきりした気分で立ち上がり、空気を入れ替えるために窓を開けた。
 風のない夜だった。
 今夜は満月だ。
「きれいだなあ」
 つぶやくと、白い息が舞った。
 まるでタバコの煙のようだ。



670 名前:喫煙は頭を悪くします2/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/01/28(日) 12:46:55.52 ID:/yXtcsex0
 そう思った瞬間、抑えがたいものがこみ上げた。
 一口だけ。一口だけなら、たぶん許される。
 僕は台所へ向かい、戸棚からライターを出した。一ヶ月前家じゅうのタバコとライターを
彼女に捨てられた時、たまたま助かったものだ。もう何年も使っていないが。
 ゴミ箱からタバコを拾い上げると、窓の方へ足音をたてて歩いた。
 外へ煙を吐けばばれないだろう。
 深呼吸をする。待ちかねていた瞬間だった。
 輝く月を見上げる。
 僕はライターの火をつけた。
 目の前が赤く光った。熱い。眉毛がちりちりと燃えた。
 何が起きたのか理解できず、部屋の中を転げまわる。
 どうやら古かったために、中のフィルターが劣化してガスが出やすくなっていたようだ。
火をつけたとき、ガスが燃え広がって顔を襲ったに違いない。
 顔を洗って冷静になった後でそう考えた。
 大したやけどをしなかったのは幸運だったけれど、唯一のタバコを窓から落としてしまった。
それが悔しい。
 落ち込んでいると、ベッドの上の携帯電話が鳴った。
 そういえば、今晩電話すると彼女が言っていた。
 沈んだ声で電話に出た。
 ところが不思議なもので、彼女とクリスマスの打ち合わせをしているうちに、僕はタバコのことなんてすっかり忘れていた。
 やっぱり彼女を裏切らないでよかった。心からそう思った。
 デートの場所の候補について楽しくおしゃべりをし、おやすみと言って電話を切ろうとした。
 その時だ。
 僕は鼻をひくつかせた。開けっぱなしの窓から妙な臭いが入ってくる。



671 名前:喫煙は頭を悪くします3/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/01/28(日) 12:48:09.48 ID:/yXtcsex0
 何だろうと思い、電話を持ったまま窓から身を乗り出すと、下で炎が上がっていた。
 部屋の真下はゴミ捨て場だ。
「うわあぁああああ」
「何、なに? どうしたの?」
 電話のむこうで彼女がうろたえる。かまわず僕は携帯電話をベッドへ放り投げ、台所に備え付けの
消火器をつかんで部屋から飛び出た。
 炎は五十センチほどの高さまで上がって、元気よく踊っていた。燃えるゴミのおかげで燃料には
困らない。放っておけばアパートにまで延焼するだろう。
 僕の落としたタバコが出火原因なのは明らかだ。
 急いで消火器のピンを抜き、レバーを握った。
 十数秒後、アパートの壁に消化剤と焼け焦げでまだら模様ができていた。
 僕は消火器をその場に残し、震えながら部屋に戻った。
 動悸がおさまらない。
 床に転がった携帯電話を拾うと、まだ彼女とつながっていた。
「もしもし? どうしたの? 聞いてるの?」
 彼女が必死に呼びかけている。
「もしもし。僕は大丈夫だよ」
 なんとか声を出す。
「何があったのよ」
 彼女はほっとした様子で言った。
「うん、実はその……」
 動揺していたせいで、僕は彼女に話してしまった。誰かに打ちあけたくて仕方なかったのだ。
タバコのことまで言ってしまった。
「馬鹿、早く消防車を呼びなさい」
「でも、もう火は消したよ」
「完全に消えてるとは限らないでしょ。もういいから、私が呼ぶからじっとしてて」
 そう言うと、彼女は電話を切った。



672 名前:喫煙は頭を悪くします4/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/01/28(日) 12:49:49.88 ID:/yXtcsex0
 ぼんやりと部屋で待っていると、外からサイレンの音が聞こえてきた。
 ウーウー。ウーウー。うるさい。
 外を見ると、宇宙服のようなものを着た消防隊員が数名、消防車から降りてくる。
 だんだんアパートや近所の住人たちが起き出し、集まってきた。
 なんだか現実とは思えない。
 僕も部屋を出ることにした。
 アパートの前には十人くらいの人間がいて、がやがやと騒いでいる。
 不幸中の幸いで、少量の水をかけるだけで処置は済んだ。
 その間、僕は消防隊員に説教をもらっていた。彼らが帰った後、大家さんともその場で話した。
部屋を追い出されずにはすんだが、後で修繕にかかった費用を請求するそうだ。
 これ以上最悪の事態はないと思っていた。
 彼女を見るまでは。
 彼女はアパートの前の道路に立ち、腰に手をあててこちらを見ていた。鬼のような形相だ。
 歩いて十五分もかからない場所に彼女の家はある。何をしに来たのか、想像はつく。けれど、
想像したくない。
 僕は大家さんとの話を終え、おびえながら彼女のもとへ出頭した。
「タバコなんて吸うからこんなことになるのよ」
 開口一番彼女が言う。
「いや、吸ってはいないんだけど」
 苦しい言い訳だ。
「でも吸おうとしたんでしょ」
「それは、まあ」
「付き合う時に、絶対に禁煙するって約束したのにね」
「うん、まあ」
「最悪」
「ほんとだよ、まったく。とんでもない目にあったなあ。あはははははは」
 笑ってごまかそうとしたが、無駄だった。
「あんたが最悪なのよ。嘘つき」



673 名前:喫煙は頭を悪くします5/5 ◆9IieNe9xZI 投稿日:2007/01/28(日) 12:52:08.53 ID:/yXtcsex0
 そう言い残し、彼女は去っていった。
 その後、僕はぼんやり道路の上に立っていた。
 ああ、月がきれいだ。
 集まった人々が僕をにらみながら、それぞれの家に帰りはじめた。
 明日謝ったら許してくれるだろうか。無理だろうな。
 今年のクリスマスは、生まれて初めて一人じゃないと思っていたのにな。
 まんまるお月さまが僕を見ている。はは。
 やがて彼女の消えた方向から男が歩いてきた。
 四十代後半で、白いジャンパーを着ている。
 未だに残って世間話に話題を移している野次馬を見て、男は足を止めた。
「火事?」
 男が僕に聞いてきた。
「……はあ」
 僕は彼をにらみつけて答える。
「ふうん」
 彼は懐からタバコの箱を取り出し、一本抜くと火をつけた。
「怖いねえ。気をつけないと」
 そこで僕の怒りが爆発した。知らない奴に気をつけろなんて言われたくない。
だいたい火災現場に来てくわえタバコで野次馬なんて、不謹慎にもほどがある。
馬鹿にしているとしか思えない。
 僕は男のジャンパーの胸ぐらをつかんだ。
「あんた――」
 僕は言う。
「な、何だよ兄ちゃん」
 彼は煙を吐きながら言った。
 それはとても良い香りで。
 僕は言う。
「すいません、タバコ一本もらえますか」



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