【 盗んだバイクで 】
◆59gFFi0qMc




614 名前:盗んだバイクで1/4 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/01/28(日) 01:03:17.48 ID:KPMTYf/v0
 ほんの一時間ほど前の電話で始まった。
「ごめんね、もう駄目なの。でも、誰かには言っておきたくて」
 同じ高校の女友達から、今から新潟へ行って自殺するという予告電話が入ったのだ。
別に彼女とつきあうという程でもないのだが、ちょっといいかなと思っていた矢先に、
まさか僕にこんな連絡が降り注ぐなんて。
 近くの駅に電話で確認すると、彼女が乗ったらしい時刻では最終列車しか無いそう
で、僕が後追いすることは出来ない。だが、兄貴のキーもガソリン満タンの単車、ツ
ナギやメットも丸ごとパクれたし、正月を超えた今は現金も充分にある。後は彼女が
降りる新潟駅まで走り切ればいい。
 但し、問題がある。
 新幹線を相手にしなければならないのだ。
「これ、本当に三百キロ出るのかな」
 ヘルメットの顎部分で跨る単車のガソリンタンクをコツコツと叩いた。
 原付なら友達に借りて何度か乗ったことはある。だが、自動二輪の免許が必要な単
車なんて初めてな上、常日頃から兄貴が自慢している【車並みの排気量で、直線道路
なら間違いなく番長になれる】単車なんて、跨るのも初めてだ。
 高速道路は百キロで走る、それだけは無免許の僕も知っている。
 強張る右手で恐怖を押し殺しながら、中途半端な位置からスロットルを目一杯ひね
る。深呼吸をする間に針はすぐに二百キロの数字の上を通り過ぎていった。
 なんだこれは。
 こんな単車、恐怖しか感じない。
 前傾姿勢で腰が痛い、ガソリンタンクに顎を押し付けられる姿勢を直そうと頭を上
げると、即座に風圧で押し付けられる。あまりの速度にトイレットペーパーの筒を覗
くほどにしか前方が見えない。
 関越道の路面を見下ろすと、まるでおろし金にしか見えない。この兄貴の皮ツナギ
を着てても、転倒したら僕は単なる肉片になってしまうだろう。
「これで新潟まで走ろって?」
 今ならまだ間に合う、戻って家の車庫へそっと単車を戻しておけば、いつも通りの
明日を迎えられる。変わることといえば、クラスの席がひとつ空くだけだ。


615 名前:盗んだバイクで2/4 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/01/28(日) 01:04:45.30 ID:KPMTYf/v0
 バックミラーが真っ赤に煌く。
「あれ、何台分だろう」
 恐らくパトカーからスピーカーで何か言っているのだろうが、あまりの速度で聞き
取れない。だが不思議なことに、結局僕は止められることなしに新潟駅前へと辿り着
いた。歩道へ前輪を乗り上げ、駅の出入り口に横付けで単車を降り、全力で構内を走
る。後ろからも軍隊の突撃を思わせる足音が地響きのように伝わってくるが、僕の方
が明らかに足は速いようだ。だが立ち止まると間違いなく捕まる。それだけは確かだ。
 新幹線改札を飛び越えると、即座に後ろから叫び声が聞こえてきたが、そんなこと
は無視して到着する列車の名前と時間をちらりと見た。終電は後一分でホームへ到着
だ、どうやら間に合った。
 エスカレータを目一杯で駆け上がってホームへ出ると、丁度新幹線らしきヘッドラ
イトが闇の向こうから迫ってくる。振り返ると何人もの制服の人だかりが、まるでア
リが登山するかのようにこっちへと階段を昇って来る。

 僕は両手を筒状にして口にあてがった。
「抵抗はしないから、三分だけ時間をください!」
 だが、間もなく僕は後方へと吹っ飛ばされた。
 警官の一人にタックルされ、全身を土砂崩れで生き埋めにされるように、一杯の警
官にのしかかられる中、いつの間にか後ろ手にされて固いものをはめ込まれた。
 手錠だ。
 ここまで来たのに。彼女は、その新幹線から降りてくるのに。
 全身を地面に押し付けられながら、首を必死に捻った。警官達の格子状になった足
の間から新幹線の乗客の姿をなんとか見てやろう、見つけたら彼女に声をかけようと
思って。
 だが、新幹線から下車する客の中に彼女を見つけることが出来ないまま、僕はホー
ムからひきずり降ろされていった。


616 名前:盗んだバイクで3/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/01/28(日) 01:07:35.31 ID:KPMTYf/v0
 一ヶ月の停学、そして裁判所通い。それら人間の屑の気分にさせる期間が終わり、
やっと学校へ戻ることができた。てっきり退学かと思っていたから、最初は復学のこ
とを知らされて喜んだ。
 だが、クラスでは誰も僕に近寄らない。元々無口だったのは確かだが、無免許、速
度違反、公務執行妨害。免許は向こう三年間取れない。おまけに凄い罰金。高校生レ
ベルを超えた重犯罪者なのだ。
 裁判はカタがついても、社会の罰がここにも存在する。
 だが、そんな僕が座る席の横に、誰かが静かに寄り添ってきた。
「新潟駅まで行ったんだ?」
 顔を上げた。そこには自殺予告電話を入れた彼女が、背中で両手を組んで僕に少々
の微笑みを手向けている姿があった。
 その表情に僕は少し憮然とした。
「ホームで捕まってパトカーへ押し込まれたから、探す余裕も無かった」
「私の電話のこと、誰にも言わなかったの?」
「取り調べでも裁判所でも、理由を聞かれる度に”尾崎豊になりたかった”って言い張った」
 何それ、と彼女は少し笑った。

617 名前:盗んだバイクで4/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/01/28(日) 01:08:23.98 ID:KPMTYf/v0
 僕は複雑な気持ちに包まれた。彼女は生きている、自殺なんてしていない。僕が彼
女を止められなかったにも関わらず。そうすると僕がやったことは何だったんだ。そ
もそも新潟へ行ってたのか? 単なる彼女のいたずらだとしたら、僕は更なる重犯罪
者になるかも知れない。
「警官に潰されてるの、見てた。何人もの警官にひきずられてた」
 呟くような、微かな彼女の声が、はっきりと僕の耳に入った。
 その瞬間、僕の心の靄は消し飛んだ。彼女の姿や言葉を、純粋な素材としてそのま
ま受け入れられる気がした。
 本当に自殺しようとしてたのか。
「じゃあ、新潟で」
「嘘」
「へ?」
「そうじゃないと、耐えられない。私のせいであんなに酷い目に会わせてしまって、
私、どうすればいいのか分からない……」
 彼女は俯いた。長い髪の毛が簾となって表情が伺えないが、両手で顔を覆い、肩を
小さく震わせていた。

618 名前:盗んだバイクで5/5 ◆59gFFi0qMc 投稿日:2007/01/28(日) 01:09:01.12 ID:KPMTYf/v0
 帰りに、彼女が「一緒に帰ろう」と声をかけてきた。
 校門を過ぎ、商店街を並んで歩く彼女の制服が浅い夕日に色づいている。そういえ
ば、女の子と一緒に帰るなんて凄く久しぶりだ。
「どうかした?」
「ん?い、いや」
 慌てて目を逸らした。
「それでね、どうしようかと思って」
「何?」
「全部嘘にしたいけど、そうもいかないよね? あれだけ酷い目に会わせているに私が
何もしないというのって絶対に許されないと思う」
 正直なところ、僕自身はもういいやって気になりつつある。学校で彼女が泣いたのを
見て、あれが彼女の全てだと思った。わだかまりは大きいが、もう彼女を責めるような
気は無い。
「別にいいよ」
 僕がそう言うと、彼女は急に僕の前で立ちふさがった。
「駄目。私、何でもするよ?」 
 平静を装ってはいるが、目が真剣だ。とてもじゃないが適当にごまかせるような気が
しない。少し躊躇したが、何か穏便なことで決着をつけようと思った。
「じゃあ……仲良しになる?」
「え?」
 彼女は少し目を大きくした。
「遊びに行ったり、一緒に勉強したり。それでどうかな?」
「それだけでいいの?」
「うん」
「嘘つき」
 そう言って彼女は、口元を緩めながら何か含みを持たせたような表情で、僕のことを
をずっと見つめ続けた。



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