【 見上げたら星がある 】
◆sjPepK8Mso




501 名前:見上げたら星がある ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/27(土) 18:20:40.05 ID:B8G7N8oB0
 つい先日起こった人存教のデモ行進は、月面ドーム「静かの海 三番地」に特に大きな爪あとを残した。
 人存教徒とは、多くの宗教ではすでにいないとされている地球上の人類と、月面に住まう人類を合わせて神とするのだという宗教である。
 法的に非公式でありながら、百年以上も前から信じられ続けている「地球上人類存在教」通称人存教は、非公式であるからして、当然役所に感知される事は無い。
 つまり、人存教は信者以外の誰にもデモの存在を知らせること無く、予告無しにデモを強行した事になる。
 以前朝地新聞が調べた所によると、月面に住まう全人類の約九十パーセントがキリスト教、五パーセントが仏教神道の入り混じった月神教、三パーセントが名も知られぬ新興宗教の類で、残りの二パーセントは無神論者とされている。
 新興宗教なんて、この月面上に云百云千とある事を考えれば、大した問題にはならないが、残りの二パーセントを無視する事は絶対に出来ない。
 やはり非公式であるからして、人存教はこの統計には数えられていないからだ。
 実際の所、今の月面上には神様を信じないヤツなんて一人もいない。
 話せば少し長くなるのかもしれない。かいつまんで話せば少しは短くなるだろう。
 十数年前にあった、ベビーブームがそもそもの原因と言えるかもしれない。
 新暦四百五十年、この年ばかりは前年に比べて、子供を産む女性の数が八倍にも膨れ上がった。
 このベビーブームが起ったのが何故かは、依然として定かではない。その手の研究者によると、「母なる大地を離れた人間の自立精神」が関係あるらしい。昔ッからこの類の研究者は役に立たない。
 兎にも角にも、人口はその年を期に激増し始めたのだ。ベビーブームの後も、毎年一定以上の出産率が確保されていた。
 これはちょっととんでもないことだった。
 ご存知の通り、月面に人間の住める環境は本来用意されていない。今人類は、一つ云百兆円を賭けて作られる、球体ドームの中に居を構えて今日のパンを食べている。
 もともと、人口ギリギリの数のドームしか用意されていなかった所為で、今人類は明らかに飽和状態にある。
 酸素の確保もままならず、明日の食事も危うい。そんな状況の中、さらに人口は増え続ける。
 子宝はめでたいが、今の状況は決してめでたいとはいえないだろう。
 かく言うわけで、人類は日夜信じるモノを求めている。
 だからこそ、朝地の統計は馬鹿に出来ないのだ。
 今、月面には千万を越える人間がひしめき合っている。そのなかの二パーセントとは、優に二十万人に相当する。
 もちろん、月面全土をあわせて二十万人ではあるのだが、もしもその二十万人の内半分でも、一つのドームに押し寄せてきたらどうだろう。
 そして、その十万人が予告無しに、過激なデモを決行すればどうなるだろう。おして知るべしである。
 浩二が通っている学校は、静かの海三番地にある。ここは、デモ行進の中心ともなった地域である。幸い、学校に被害は無かったものの、人死にが多く出た。生徒も少しばかり死んだ。
 卒業式を目前にして逝く事なんてあってはならないと思う。

502 名前:見上げたら星がある ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/27(土) 18:21:17.21 ID:B8G7N8oB0
 「先日の悲しい事件には、私も向ける言葉を持つことが出来ません。ただ、ご冥福をお祈りするばかりであります。きっと、お亡くなりになった六人の生徒も、皆さんの気持ちを待っているでしょう。黙祷」
 静かの海三番地は、キリスト教信者の多いドームではあるが、この学校の校長は月神教徒だった。
 浩二も含めた卒業式出席者の八割が静かに黙祷する。手を合わせるやつも、ただ目を瞑るだけのやつもいた。浩二と同じく、形ばかりをまわりに合わせているものもかなり多いことだろう。
 実際、死んだ生徒と知り合いでもなければ悲しくもなんとも無いのが、人間としての性というものだ。
 黙祷もせずにとなりのヤツと喋ってるやつもいた。
「死んだヤツって野次馬だったんだろ? 自業自得だよなあ」
 そういう奴は何人もいた。ひそひそ声ではあったものの、それ以外の声が飛び出さない体育館内では、その声はよく響いた。
 しかし、誰一人としてその生徒に注意しようと言うやつはいない。校長までもが、聞こえないフリで黙祷を続けている。彼には三年前から聴力が異常に落ちたのだという噂がある。三年前も、同様のデモ行進があった事を、浩二は知っている。
 今日は記念すべき浩二の卒業式の日である。正式には第十六期生合同卒業式。
 月面では、ハイスクールを卒業すれば、もう大人である。二十年前までは最終学歴が重要だったらしい世の中は、ここ最近、見事な様変わりを遂げた。
 その証拠に、ここ二十年で私立大学の九十パーセントが倒産の憂き目にあっている。大学に行かず、働くものが増えているらしい。
 今の世の中では、ハイスクールを卒業するという事は、大人の世界に踏み出す事を意味しているのだ。
 黙祷は一分もしないうちに終わる。黙祷やめ、というしわがれた声に全員が素早く反応して、すぐに祈る事を止めてしまう。
 この卒業式で一体何があるのか、というのは誰もが知っていることで、そこらの生徒に聞けばすぐに答えてくれるだろう。
 校長のキリスト教半分月神教半分といった様相のスピーチだ。特に長い事も無いのだが、生徒にはすこぶる不評である。
 静かなブーイングの中、おなじみのスピーチが始まる。マイクの前に立った年寄りが、ハウリングに苦心しながらマイクの位置をずらした。
 その姿も浩二の目には惜しい。ある意味では、高校生活を象徴するものであった、演説がもう聴けなくなるのはさびしい。
 決して、校長の声が聞けなくなるのが寂しいわけではない。それについて回る高校生活が懐かしいだけだ。
 そして、大人になるのが嫌だった。大人は嘘つきだからだ。
『キリスト教では、人類の祖の事をアダムとイヴと呼んでいます。ある日、イヴが知恵の木の実をもいだ事で人類は神に見放されたと言います』
 おとぎ話とは、子供相手につく大嘘のことだ。しかし、この程度の嘘なんて他愛の無いものではある。誰しもが嘘だと知ってることで、小学生だってそれぐらいわかっている。
 熱心な信者には、たまに信じているやつもいるが、そんなやつの全体の一割にも満たない。
『知恵の木は、一本だけではありませんでした。それはどこにでも立っているものだったのです。地球のいたるところに生える知恵の木を、人間は我が物にしました。
しかし、人間の欲望はここだけに収まることはありませんでした。もう地球上の知恵の木を取り尽くしたかと思うと、今度は宇宙に向かって知恵の木を探しにいきました。』
 今更おとぎ話なんて聞きたくは無いと思う。嘘であることをよく知っている人間に、わざわざ語る必要なんて無い。釈迦に説法も同然だ。
『やがて、人間は地球上の知恵の木を全て枯らしてしまいました。主の、月神教で言う所の太陽に見放された人間は、知恵の木無しで暮らしていくことが出来ませんでした。』
 浩二は、三年間も同じスピーチを聞き続けてきたのだ。この先なら目を瞑っていても言える。決して、言いたくて言えるわけじゃない。
 嘘と坊さんの髪の毛は結ったことが無いのを自慢している浩二は、幾ら他愛なくとも、大嘘の片棒を担がされるのが嫌だった。見ているだけならともかくとして。
 それでも、記憶の片隅から言葉の束が顔を出す。
 人類は自らが知恵の木から得た知識を駆使して、この地に知恵の木の模造品を作ったのです。それらを増やし、我らをお産みになられたのです。

503 名前:見上げたら星がある ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/27(土) 18:21:34.34 ID:B8G7N8oB0
 馬鹿を言うな。月に作られたのは知恵の木の模造品じゃなくて、人間が生活するための基地だ。
 三年前のデモ行進で死んだ親戚のおじさんが、教えてくれた事だ。彼は人存教徒だった。
 大ぼら吹きと、親戚中から嫌われていたが、彼が言っていたことは嘘ではないと浩二は信じている。だから、分類するとしたら、浩二も人存教徒である。

 卒業式が終わって、十分もしないうちに体育館から七百何十人かの人間が出て行く。
 浩二は体育館の入り口に並ぶ列の最初の方に並んで、すぐに体育館から出て、すぐに家路につく。
 リノリウムを蹴って石段を下って、人の手が加えられた「清潔」な土を踏んで、公共道路に出る。整然とした、静かの海三番地の公共道路は、アングラのコラム欄でも味気ないと大評判である。
 ただ、真っ白なだけというイメージだ。すぐ隣の二番地を少々うらやましく思う。中国系が多いという二番地には、地図なんて役にも立たない迷路のような繁華街があるらしい。迷路と聞いただけでもわくわくする。
 しかし、その清潔さは教育好きな親御さん達にはすこぶる評判がよく、ドーム「静かの海」連合においても、重要視されている。
 だから人存教徒に目をつけられたのだ。地球人類に住む人々と月に住む人々をあわせて、神とする教徒たちに。
 神が自分たちだと主張するのは、人存教徒ぐらいのものだ。そうじゃない人はみんな天にまします我らが神を信じている。
 浩二の父も母も、親戚一同もそうだ。そうでないのは死んだおじさんとおじさんを好いていた浩二ぐらいのものだが、浩二は建前上はキリスト教徒である。
 いくらおじさんが信じていたとはいえ、殺人教を信じているなんておおっぴらに言う事は出来なかった。
 人存教としての浩二は人間関係という土壌において、全く認知されてはいなかった。
 これは、浩二が無意識のうちに働いた大嘘だ。浩二が自慢している「坊主の髪を結ったことがない」はこの時点で嘘だった。
 さすがに今となっては浩二もそれには気付いている。心が痛いが、それでも「坊主の髪を結ったことがない」のは自慢のままだ。周りが何も知らないのであれば、いまさら嘘をついてましたなんていえるとは思えなかった。
 また、嘘をついてしまっていた。酷く情けない思いをしているが、浩二は一生懸命に平気な顔を作って、もう既に結ってしまった坊主の髪を、まだ結っていないものだと自分に言い聞かせている。
 嘘も方便だと言ってしまえれば、どんなに楽なことかと思うのだ。
 大人になれば、自分が信じる神様をきっちり決めなければならない。そしてハイスクールを卒業した浩二は、もう大人である筈だった。
 社会的な事を考えれば、キリスト教徒になるのが一番いいはずだった。周囲との諍いも無く、順風満帆な船出を送るには、そうであるべきだった。
 しかし、キリスト教になると言う事は、自分が今まで信じてきた価値観を捨てるという事でもある。
 周りにとってなんら意味の無いことであろうが、浩二自身にとっては一大事だ。人類にとっても大きな損失とも言える変化の第一歩だった。
 事実を、事実だと信じられる地球人類の存在を否定することは、目を塞いだまま車道を歩くようなものだ。無謀極まりない、傲慢な選択のハズだ。
 それをする事で安全が得られるのだと、信じられれば良かったかもしれないと思うが、それはあまりにもバカバカしすぎることだと思える。
 ――やがて、人間は地球上の知恵の木を全て枯らしてしまいました。主の、月神教で言う所の太陽に見放された人間は、知恵の木無しで暮らしていくことが出来ませんでした。
 違うと信じている。ひょろひょろのキリストや、姿も見せない神様の言う事なんて信じられるわけが無かった。

504 名前:見上げたら星がある ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/27(土) 18:22:19.61 ID:B8G7N8oB0
 そして、これ以上嘘を重ねたくないと思うのだ。やはり、大きな顔をして、校長のような話を出来る人間にはなりたくない。
 なによりも。
 その時、ぶっつんとおおきな音がして、ドーム内全域への放送が入った。
『ただいま19時00分、夜になりました。照明を消して、展望窓を開放します。地球の輝く姿をお楽しみください』
 地面が揺れるほどの駆動音と共に、天井を覆っていた白い壁が真ん中から割れていく。継ぎ目さえ見えなかった壁が割れていくのは、いつ見ても奇妙な光景だ。
 そして、その向こうに見えるのは壁の白とは正反対の宇宙の黒。しかし、その中には、そうでないものもある。蒼い水と雲に包まれた星が見える。
 夜空を見上げれば、必ずそこに蒼い星がある。
 人存教のいうところによる、人類の片割れの地、地球。
 地球を染め上げる青と白と若干の緑は、どの夜に見たって新しい感動をもたらしてくれる。
 浩二は、そんな地球にならば神様ぐらいいたっていいと思うのだ。
 そして、今までさんざっぱら嘘をついておきながら、あらためて、嘘をつくのはいけないと思った。
 浩二は、どうもキリスト教徒を名乗れそうにない。
 




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