【 フィルター 】
◆iWwJ8KBlgM




190 名前:フィルター(1/3) ◆iWwJ8KBlgM 投稿日:2007/01/21(日) 16:50:13.28 ID:Pmu59ZFs0
 その日も、佐野真は大学から帰ってくるとすぐにパソコンの電源をつけた。
 パソコンが起動している間に手洗いうがいを済ませ、電気炬燵の電源を入れ、そのまま
炬燵にもぐりこんだ。丁度いいタイミングでデスクトップが表示され、真はためらわずに
2ちゃんねる専用ブラウザのアイコンをダブルクリックした。ハードディスクがカリカリ
と音を立て、ブラウザが起動する。お気に入りからニュー速VIPを選択する。スレッド一覧
が更新されると、真は適当に目に付いたスレッドを開いてみた。
 引きこもりのニートから学生、社会人が集うここニュー速VIPでは、二十四時間休むこと
なくバカが馬鹿なことを繰り返している。真がたまたま開いたスレッドでも、オタク達が
アニメについて熱く議論したり、煽り合いなどをしていた。
 真はスレッドを流しながら読んでみた。しばらく前に大人気となったアニメに関して、
何が面白いのかを議論しているようだ。ある人はレス一つ一つに対して真面目に自分の意
見を返し、ある人は自分の主張をひたすら言い続け、ある人はアニメとは全く関係のない
ことを書き込んでいた。
 インターネットという匿名空間において、人は自分の姿が他人に見られないということ
をいいことに、全く別の人物を装う。ここに書き込んでいる人々も、本気でこんなことを
思っているとは限らない。言っていることが真実なのかどうか。これらを判断する
ことは、ネット上ではなかなか難しい。
 真はスレッドを読んでいくにつれ、一人の書き込みが目に付くようになった。
 彼もしくは彼女は、かなり一方的に自分の意見を主張し、他人の主張を徹底的に否定し
ていた。否定の仕方は非論理的で破綻しているところもいくつか見受けられ、誰かがその
ことを指摘すると、指摘されたところは無視して話をすり替え、指摘してきた相手を批判
していた。かなり自己中心的な書き込みだった。
 最初は、馬鹿なことやってるな、と苦笑しながら見ていた真だったが、だんだんその自
己中心的な書き込みに腹が立つようになっていた。
 スレッドを更新すると、また無責任な書き込みが増えた。いらいらが怒りへと移り、真
はついに我慢することができなくなり、キーボードに手を伸ばした。
 煽り合いが始まった。真の指摘は、すぐに煽り返され、それに対するレスもまた流され
た。

191 名前:フィルター(2/3) ◆iWwJ8KBlgM 投稿日:2007/01/21(日) 16:50:34.67 ID:Pmu59ZFs0
―何熱くなってんの?wwwwwキモイよアニオタwwwww 鏡見てからしゃべれよキ
モメンwwwwwww―
 本来の議論とは全く関係のない、こちらの感情を逆なでする煽り。真は視線をパソコン
の画面から外して、炬燵の上に置かれた鏡へと向けた。鏡には、目鼻立ちの整った綺麗な
顔の男性が映っていた。
 真はそれを見てため息をつき、再び視線をパソコンに戻した。
―それで話を逸らせれてると思ってるの? 残念だけど、お前と違って俺はイケメンだか
らwww―
 その後もしばらく煽り合いは続いた。スレッドの勢いは早く、一時間もしない内にスレ
ッドは千レスに達した。
 真はいらいらを忘れるため、何か別の面白そうなスレッドはないかと探した。そして、
「今から隣の家に凸するwwww」というタイトルのスレッドを見つけ、そのスレッドを
開いてみた。

 某私立大学三回生の大森卓也は、今日の午前中に二年間付き合っていた彼女から別れ話
を切り出された。
 卓也がいくら説得しても、彼女が意思を変えることはなく、結局昼をすぎる前に二人は
別れることが決定した。
 意気消沈して帰宅した卓也は、昼間から酒を飲み、そしてパソコンの電源を入れた。
 ブラウザで2ちゃんねるのニュー速VIPを開き、新規スレッドを立てた。
 酒が回り酔い始めていた卓也は、彼女に振られた旨をスレッドに書き込み始めた。
―彼女に振られた\(^o^)/ なんか他に好きな人ができたらしいwwwwww家で自棄
酒してたらなんかテンション高くなってきたwwwwwww 今なら空も飛べそうwww
wwwうぇwwwwっうぇwwwwwww―
 すぐにレスがついた。卓也を同情する書き込みもあれば、嘲笑する書き込みもあった。
―俺の隣に女の人が住んでるみたいなんだよな。干してある洗濯物が女物だったから多分
間違いない。てことで、玉砕覚悟で隣の女の人に告ってみるwwwwwwww―
 首尾一貫しない行動は、このニュー速VIPをよく利用する者、通称VIPPERにはよくあるこ
とで、論理よりもネタを重視するのが彼らの特徴だ。

192 名前:フィルター(3/3) ◆iWwJ8KBlgM 投稿日:2007/01/21(日) 16:50:55.46 ID:Pmu59ZFs0
 卓也は勢いよく立ち上がるとそのまま部屋を出た。隣の部屋の前に立ち、一度深呼吸を
してから木製のドアを二回ノックした。「はーい」と返事が聞こえ、扉が開いた。
「はい?」
「あのっ! 俺と付き合って――うぇ!」
 出てきたのは卓也の予想通り女性だった。しかし、その顔は予想外だった。表現に苦し
むその顔は、一言で言うと不細工だった。酔いが一気に醒めた卓也は、しどろもどろにな
りながら何とか言い訳をして、逃げるように自分の部屋へと帰って行った。
 部屋に戻ると、卓也はさっそく今起こったことの詳細をスレッドに書き込んだ。
―びびった! 隣の女超絶ブサイク! あれは無理。告白とか絶対できないって! 部屋
の中がちょっと見えたんだけど、なんか壁一面にジャニーズの壁紙が貼ってあった。暗い
部屋にパソコンだけが青白く光ってたし。あれは絶対無理!―
 面白い展開を期待していた他のVIPPERが、この報告に満足するわけがなかった。つまん
ない展開と叩かれ、卓也もそれ以上なにもすることができずに、スレッドからは人が離れ
ていった。

 誰もいなくなったスレッドを見ながら、真は大きくため息をついた。
 もう一度、視線を鏡に向けた。鏡に手を伸ばし、その向きをちょっとだけずらす。鏡に
映っていた景色が変わり、真の顔がそこに映った。
 それを見て、真はまたため息を一つついた。
 インターネットでは個人が明かされることがない。鏡の中の現実は、ネットの中とは切
り離される。
 故に、真は今日もネットの海へと潜っていくのだった。


終わり



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