【 青りんご、朱に交わる 】
◆NA574TSAGA




162 名前:青りんご、朱に交わる(1/5) ◆NA574TSAGA 投稿日:2007/01/21(日) 11:29:54.81 ID:1SDybHVS0
 “VIP”と呼ばれるその掲示板に対しては、正直「ゴミ溜め」という認識しかなかった。
 いい年をした大人たちが働きもせずに、意味もなく馴れ合っているというイメージ。
 無職。ニート。引きこもり。
 確かに今の俺も、そんな人間たちの一人として数えられるのかもしれない。
 だが俺は、自分がVIPの住人とは全くの別人種だと自負していた。
 大学を出てから、日雇いのバイトで食い繋いで早三年。
 傍目からみればそこらのフリーターと変わらないのだろうが、ただ一つ決定的な差があった。
 起業して、ビッグになってやろうという誰よりも強い野望――。
 それを叶えるために俺は今日まで、この現状に甘んじてきたのだ。
 人一倍努力してきた。だからこそ舞い込んできたこのチャンス。
 友人の友人から紹介されたその仕事は、本社から買い取った商品を自社で売りさばくというものだった。
 成功するかどうかは、売り手の腕次第で決まる。

 普段はくだらないくだらないと避けているだけで、書き込むことのない俺だったが、
 今日初めて、VIPにスレッドを立ててやった。
 今回の出来事を暇人共に自慢するためだ。
 同時に「俺はおまえらとは違う!」と高らかに宣言するためのスレッドでもある。
 匿名掲示板相手に何を言っているんだお前は、と思う奴もいるだろうが、
 ともかくこのことを誰かに自慢せずにはいられなかったのだ。

 きっとうらやむ人間の暴言でいっぱいになっているだろうなあ、などと考えながら
 ブラウザの更新ボタンをクリックした俺は愕然とした。
「テラワロス」
「ちょ……」
「死亡フラグ」
 この掲示板において「嘲笑」を意味する言葉の数々。何故笑われているのか、すぐには理解できなかった。
 やがてその真意を知るに足る、一つの発言が目にとまる。

「待て、それは詐欺だ」


163 名前:青りんご、朱に交わる(2/5) ◆NA574TSAGA 投稿日:2007/01/21(日) 11:32:05.81 ID:1SDybHVS0
 それを見て、俺はもう冷静ではいられなくなっていた。
 詐欺だと? 
 俺がこれから人生の新たなる一歩を踏み出そうとしているというのに、それを詐欺だと?
 ――フザケルナ。
 俺は怒りを込めてキーボードを打つ。
 違う。これは詐欺なんかじゃない。
 確かに運送用のトラックは買わされた。確かに始める前から在庫は山のようだ。
 だが断じて詐欺なんかじゃない。詐欺であってたまるか。
 紹介してくれた人は、そりゃあもういい人で、詐欺なんかするような人では――
 あ、わかった。やっぱ妬んでいるんだろう、お前ら。
 だからこんな事を言って、俺を慌てさせようとしているんだな。
 お前らのようなキモオタニートが俺を騙そうなんて百年早いわ。
 俺は、お前らとは違うんだ!

 言いたいことをさんざん言い尽くして、布団に入る。
 胸くそ悪い。明日に備えてさっさと寝てしまうことにする。


 翌日、記念すべき初仕事。
 俺は精一杯の笑顔で客寄せをする。
「いらっしゃいませー! いらっしゃいませぇー!」
 のどが枯れるほどの大声を、駅前通りに響かせる。
 だが昼間だというのに人通りはまだらで、客が寄ってくる様子はない。
「……どうぞいかがですかー。美味しいですよぉ……」
 精一杯の作り笑顔が、だんだんと引きつってくる。
 結局トラックいっぱいに積んできた商品はその日、一本たりとも売れなかった。
 
 ――たまたま人が少なかっただけだ、そうに違いない。明日はもっと人の多いところでやろう。
 そう決意して、初日の勤務は終了した。
 なあに、明日があるさ、明日が。などとつぶやきながら俺は家路についた。

164 名前:青りんご、朱に交わる(3/5) ◆NA574TSAGA 投稿日:2007/01/21(日) 11:32:54.96 ID:1SDybHVS0
 結局その後も状況は好転することなく、数ヵ月後、俺の会社はあっさりと倒産してしまった。
 あの日VIPで指摘されたことそのままの現実を、俺は受け入れることが出来なかった。
 
 騙された?
 この俺が?
 そんな馬鹿な。嘘だろ? アリエナイ。
 借金。大量の在庫。
 絶望――。
 夢なら、
 夢ならどうか覚めて――
 
 気がつけば、俺はまたパソコンの前に座っていた。
 ブラウザを立ち上げ、向かうはあの掲示板。
 交わされているのは、いつもと変わらぬ馬鹿げた会話だ。
 くだらない。心底くだらない。
 俺がこんな目に遭っているというのに、こいつらはこんな所で何をやっている。
 俺は腹を立てていた。だがその矛先は分からない。
 顔の見えない何者かに対してなのか、それともふがいない自分に対してなのか。
 ともかく腹わたが煮えくり返る思いで俺はパソコンのキーを弾いた。
 今なら荒らし行為だろうと、なんだろうとやってやる。
 そんな気分だった。

 だが送信ボタンをクリックしようとしたところで、指が止まる。
 ふとあの日のことが思い出される。
 ――俺は今何をしようとしているんだ。
 考えてもみろ。
 奴らは俺をおとしめようとなんて、これっぽっちもしてないじゃないか。
 あの日、あの時、奴らは俺の発言を――今となっては馬鹿げた発言を笑いこそした。
 けれど馬鹿にはしなかった。
 ただ真実を伝えようとしただけじゃないか。

165 名前:青りんご、朱に交わる(4/5) ◆NA574TSAGA 投稿日:2007/01/21(日) 11:35:01.08 ID:1SDybHVS0
 俺は今しがた立てようとした荒らしスレッドのプロットを消去し、新たに作り直した。
 タイトルで事業が破綻した旨を報告し、本文には一文だけこう記した。

 『それでも俺はりんごの苗を植える』

 送信ボタンを押し、かたわらの在庫の山からりんごジュースを一本取り出す。
 栓を開け、一気にのどへと流し込んだ。
 美味い。何度飲んでも美味い。
 何故これが売れないのか? 冷静になってみれば簡単な話だ。
 一本七八〇円もするジュースなんて、俺だって欲しいとは思わない。
 何故それが売れると思ったのか。何故詐欺だと気付かなかったのか。
 理由は簡単。俺が、馬鹿だったからだ。

 ビンを一気に空にして、ディスプレイに向かいなおす。
 目の前には一つのスレッド。自虐のために、笑われるために立てたスレッドだ。
 さあ、笑え! このどうしようもない馬鹿を、指を指して笑ってくれ!
 俺はブラウザの更新ボタンをクリックした。
 ……どうした、何故誰も笑っていない?
 その顔文字は何だ? 何故そいつは泣いている?
 おいおい、いつもの狂ったテンションはどうした。笑え、笑えよ、おかしいんだろ、俺のことが。
 もう一度更新ボタンをクリックし、新着の発言に目を通す。
 やはり一様に、泣いている。
 俺のために。
 俺なんかのために。
「……ウッ」
 気が付けば俺自身、泣いていた。涙でディスプレイが見えない。
 何故そんなにも親身になってくれるのか? わからない……わけがわからない。
 そんな心の叫びに応えるかのように、短い言葉が一言だけ返ってきた。

「それが、VIPヌクモリティ」

166 名前:青りんご、朱に交わる(5/5) ◆NA574TSAGA 投稿日:2007/01/21(日) 11:37:10.85 ID:1SDybHVS0
 数日後、俺はまたVIPにスレッドを立てることにした。
 先日言いそびれた、感謝の言葉を述べるために。

 立ててすぐに反応があった。だがそれは、先日のような甘い言葉などではなかった。

「糞スレ立てるな。氏ね」

 発言数が十に届かないうちに、スレッドは消えていった。
 ――感謝の言葉はいらない、か。
 俺はパソコンの電源を切り、出かける準備をする。
 りんごジュースを売りに行くのではない。行き先は、ハローワークだ。
 

 準備中、りんごジュースの在庫の山が目に入り、ふと古いことわざを思い出した。
 
 “One rotten apple can spoil the barrel.”
 直訳するなら「腐ったりんごは樽全部のりんごを腐らせる」といったところか。

 完全に腐ってしまうというのは、もちろんいただけない。
 だがVIPのようなゴミ溜めの中で下らない会話でもして、時には笑い、時には泣く。
 たまにはそんなふうに“堕落”に興じるのもいいかもしれないと、今では思う。
 適度な発酵は、果実の甘みを引き立たせるのだから。
 
 そんな“くだらない”ことを考えている自分が無性におかしくなり、自然と笑みがこぼれる。
 それは久しく表に出したことのない、偽りのない笑顔だった。


〜完〜



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