【 正しい使い道 】
◆dx10HbTEQg




92 名前:正しい使い道(1/4) ◆dx10HbTEQg 投稿日:2007/01/14(日) 23:27:49.74 ID:qicZDEGA0
 ある小さな盆地の中に、ある一つの小さな集落があった。鹿を狩り魚を釣り、細々としているものの、平和な毎日を送る人々が住んでいた。
 一人の男が、ある天気のいい日に、皆を呼び集めた。その手に細い棒を握り、口には押さえきれぬ笑みを浮かべている。
「まさか、本当に火が作れるとは……」
「すごいな、これは。もうこれからは火種を必死に守る必要はないのか」
 ウゾラの手元で、ぱちりと小さな火が爆ぜた。
 木の板を敷き、木の棒を回転させながら擦り付け、摩擦によって火を起こす。ウゾラの考案したそれは単純なものであったが、集落の生活をより
良くする為の大きな一歩であることは明らかだった。
 火は、なくてはならないものだ。暖を取るにも調理をするにも欠かせず、もちろん照明としての利用もしていた。
 今までは、火は山火事や落雷により手に入れるしかなかった。しかも男達が交代で見張らなければすぐに絶えてしまう不安定なものだった。
「これでもう雨に怯えなくてもいい。心配せずとも、いつだって火は手に入る! がんばった甲斐があったよ」
 得意げに胸を張るウゾラに、人々は素直に賞賛を捧げた。彼の説明を受けながら、自分自身の手で火を起こしてみては感動する。本当に火なのかと
疑い、触れて火傷をする者さえいた。
「ねえ、ママ。僕もやってみたい」
「だめよレフ。火傷したらどうするの?」
 感嘆をもらすのは大人だけではなく、子供もまたその技に目を輝かせていた。 
 どこにでもある木さえあれば、簡単に火が作れるのだ。コツがいるとウゾラは説明したが、そんなものは大した問題ではなかった。
 やってみたいと口々に叫ぶ子供たちを、親が諌める。火に焼かれた山や、動物たちの最期は知っていた。
 しかし、本当は誰も理解していなかった。

 それは、ウゾラがその手で火を作れることを証明してから、数日後に起こった。
 いつでも手に入るようになったことで、火は彼らにとって早くも身近なものとなっていた。火への警戒が薄れると共に、子供達の好奇心は募っていく。
 新しいおもちゃで遊びたくならない子供などいるはずもない。小さな火は、乾いた草で出来た家に移り、瞬く間に大きく成長した。

 ちりちりと髪が焦げ、肌が焼ける感触にウゾラは身震いした。両腕で我が身を抱きしめるが、震えは止まらない。
 焼ける草と崩れる家が、嫌な匂いを辺りに振り撒く。木の骨組みが大きな音を立てて落ちる。
 助けを求める声はすでに途絶え、我が子と夫を助けようと火の中に飛び込もうとした女が、屈強な男達に取り押さえられ泣き喚いていた。
「誰のせいだと思う?」
 族長が低い声で呟いた。
 唖然と火を囲む人々が、その一言でウゾラへと視線を向けた。いつも優しく、助け合って生きてきた仲間達の氷りついた表情に、彼は慌てる。
「わ、私のせいだと?」

93 名前:正しい使い道(2/4) ◆dx10HbTEQg 投稿日:2007/01/14(日) 23:28:07.21 ID:qicZDEGA0
「……レフは元気な子供だった。アゴフは賢く、頼もしい男であった」
 しかし、死んだ。焼かれて苦しんで悲鳴を上げて、燃え盛る火の中で死んだ。
 他の家に飛び火をしなかったことは不幸中の幸いであったのだろうが、そのことに気付き安堵する者はいなかった。
 彼らにとっての火事とは、遠く山で起こるものか、落雷でのささやかな災害という存在でしかなかった。怖ろしいものとの認識がなかったわけで
はないが、火をもたらしてくれる、生活になくてはならないものだったのだ。
 こんな、理不尽に命を舐り取り、哀しみを生むものだとは、誰も知らなかった。
「なぜ、死んだのだと思う。誰のせいで二人は死んだ?」
 ウゾラが火を自在に起こせる方法を考案したせいで、死んだ。
 その目が、その態度が、彼を断罪していた。
 悪いのはすべてウゾラだ、と。
「私のせいではないでしょう! レフの不注意が――」
「なんですって!」
 絶望に嘆き悲しんでいた女が、突如顔を上げて叫んだ。
「レフだって、貴方がこんな怖ろしい術を考えなければ、考えなければっ!」
 危ない行為を咎める両親のいない隙に、レフは火を起こした。気付いた父親が助けようと、その中に飛び込んだ。
 それだけのことだった。それだけの単純な悲劇だったが、集落の人々は何か怖ろしい力を感じずにはいられなかった。
「火など、起こせなくてよかったのだ。確かに自由に手に入れば便利であろう。
 だが火は神の気まぐれで我らに与えられるもの。神の御業に手を出してはならぬのだ」
「あなたのせいよ! 返して、私の、ねえ、返して……」
「そんな……今更、今更……」
 愛しい子と夫の名を呼び続けながら、女は細い腕でウゾラの胸板を叩く。母親と妻という二つの立場を、一度に失った悲しみと怒りを、ウゾラに訴える。
 あんなに皆褒め称えてくれたのに。一瞬でひっくり返った態度に、ウゾラは動揺を隠せなかった。
 その火がもたらした数々の恩恵は彼の力によるものだった。彼はそう自負していたし、周囲もそう考えていた。
 しかしその火によってもたらされた災いなど関与するところではない。なぜなら、そのような想定はしていなかったのだから。
 なのになぜ、全ての悪因を押し付けられるのか。
「神の怒りだ。驕れる我々に対する、罰だ。ウゾラ――お前は、どうする気だ?」
 それは、疑問ではなく命令だった。この集落に住み続ける資格などないと、族長は言外に彼へ伝えた。
 言い訳も贖罪の機会も与えられず、ウゾラは追い出された。
 その手に悪魔の道具を携えて。

94 名前:正しい使い道(3/4) ◆dx10HbTEQg 投稿日:2007/01/14(日) 23:28:28.69 ID:qicZDEGA0
 ウゾラに行き場所などなかった。しかし一人で生きていくには世界は厳しすぎる。
 散々に罵られた技を使えば火は起こせるものの、それだけでは何にもならない。
「…………どうせ、このままでは死ぬしかないのだ」
 意を決して、ウゾラは隣の集落があるらしい方向へ歩き始めた。何代も前に、仲たがいをしてウゾラの集落から離反したと伝え聞いている。
 きっと、この技さえあれば、歓迎してくれるだろう。
 正しき使い道を知らせ、火事などは起こさぬよう忠告すればいい。
 この技さえ教えれば、正しい態度で以って自分に接してくれるに違いない。

 草だけで飢えをしのぎ、ニ週間ほどでたどり着いた集落もまた小さなものだった。助け合い、平和に暮らしている様子が雰囲気だけで伝わってくる。
 異質な存在であるウゾラに向けられた視線は、想像以上のものだった。人々は生活するために強い結束力を作ったが故に、他のものを受け付けない
閉鎖的な面も持ち合わせているのだ。
「私がこの集落の長だ。お前は?」
「ウゾラと申します。その……」
 もしもこの集落の仲間にしてほしいのなら、嘘や隠し事などしてはならない。正直にウゾラは事の顛末を語り、道具を見せた。
 疑わしげな人々に、実際に火を起こしてみせる。
 感嘆と、賞賛。初めて公開した時と同じ反応の心地よさに、ウゾラは酔いしれた。
「コツを教えます。出来ない人には、出来るようになるまで教えて見せます。ですから、私を仲間にして下さい」
 ウゾラの集落で起こったという火事に不安を抱く者はいたが、注意すればいいだけだ。火をいつでも入手できたらと切望していたのは彼らも同じ。
そして何よりも、そもそも其処はウゾラの集落と決別した人間たちが集まって出来たものなのだ。理不尽に追い出された彼は、いわば同士とも言えた。
 つまり、彼を受け入れぬ理由はなかった。

 ウゾラがその集落に仲間入りをして、数ヵ月後。ある天気のいい日に、族長が皆を呼び集めた。
「いつでも火が起こせるならば、絶やす心配もない。……そうだな、ウゾラ」
「ええ、そうですね。私がそれを考えたのです」
「そして、家に燃え移れば消す手段はない」
「……ええ、雨が降らねば私たちにはどうしようもないでしょう。ですから、気をつけなければなりません」
 ウゾラの返答に満足げに頷き、ならば、と集めた人々に彼は叫んだ。
「隣の集落に攻め入ろう。火の移動に困ることもなく、弓矢を以って戦わずとも火を点けさえすれば簡単に壊滅できる。いまこそ、祖先たちの無念を晴らす時が来たのだ!」
 祖先たちの無念。具体的なことは何も知らなかったが、そのずっと前の事件を今でも彼らが引きずっていることはウゾラにも分かっていた。加害者は
すぐに忘れるが、被害者はいつまでも恨み続けていくものなのだ。

95 名前:正しい使い道(4/4) ◆dx10HbTEQg 投稿日:2007/01/14(日) 23:28:54.62 ID:qicZDEGA0
 あちらの方が土壌が良い、あちらの方がよく獲物が取れる。ウゾラにしてみればただの思い込みすぎないようなそれをも、この集落の人々は信じきっていた。
 だから、その提案はほとんどの者に賞賛を持って受け入れられた。
 唯一反対したのは、他でもないウゾラだった。
「私はそんなことのためにこの道具を考えたのではありません! 生活を便利するために――」
「そうだな。……ウゾラは、元々あの集落の人間だ」
「そういうことを言っているのでは!」
 ウゾラを育てた集落が滅ぼされることへの恐怖も確かにあった。しかし、それよりも自分の火が再び自分の意に反した使われ方をすることへの怒りの方が、大きかった。
 彼はただ驚くべき発明を知らせ、尊敬されたかっただけなのだ。
 隣の集落との戦に勝てば、火を持ち込んだウゾラは称えられるだろう。ウゾラだけではなく、戦に参加した男達全員もまた褒め称えられるだろう。
 反対に、そのウゾラの住んでいた集落の人間は彼を恨むだろう。戦に参加した男たちよりも、彼一人を恨み憎むだろう。
「前の仲間に未練でもあるのか。……我らの敵に」
「それともただの意気地なしなのか?」
 あんなに皆親切にしてくれたのに。一瞬でひっくり返った態度に、ウゾラは困惑を隠せなかった。
 何とか真意を伝えようと言葉を尽くすが、誰もが聞く耳を持たない。
「この技には感謝している。お前にも」
「だが、火が神のものではなくなったと同時に、お前のものでもなくなったんだよ。我らのものになった瞬間からな」
 その一言に、ウゾラは激昂した。考案したのは彼自身であり、よってその技も彼のものであるはずだった。それを蔑ろにしあまつさえ所有権を主張する
彼らに、ウゾラは怒り狂った。
 叫ぶたびに人々の態度が硬化することにも気付かず――結局その集落を追い出されるまで。

 ウゾラは死ぬまでその道具を抱きしめて彷徨った。
 次の、正しき集落を探して。




終わっとく



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