【 ゆら、揺れ 】
◆hemq0QmgO2




74 名前:ゆら、揺れ(1/2) ◆hemq0QmgO2 投稿日:2007/01/14(日) 23:12:51.10 ID:bMcbSU1gO
 早春の夕、府中本町の駅から歩いて十五分程の多摩川沿いは、まだ少し寒かった。
草野球のグラウンドを横切って、左右に雑草が生い茂った道を進んだ場所、南武線の橋の真下の小さな平地に、
僕はたった一人で直立していた。平地の中心に焚き火の跡がある。知らない誰かの群像の跡だ。
川を望むと、夕焼けが水面に反射して馬鹿の飾りみたいにきらきらと輝いている。
 ここ最近いろんなことがあった。受験に失敗したり、高校を卒業したり、好きな娘に好きな男がいて
それが僕じゃなかったりした。考えなきゃいけない。考えて、整理して、膿を出さなきゃいけない。
僕は終わってしまったことの不可能性について考える。ぐるぐるぐるぐる、凡夫の凡庸な
とりとめのない何もかも、について考える。簡単に前を向く訳にはいかない。
まあ結局、最後には前進せざるを得ないのだけれど。たとえそれが絶望でも。僕には選択権が無い。
 どこかで、今日最後のカラスが、かあ、と鳴いた。
 日が落ちると共に水面の煌めきは少しずつ形を変えて行く。貴族趣味のシャンデリアのような輝きは
零れ落ちたように小さくなり、優しく、柔らかい光になる。意味を探る必要がない、映像としての美。
特に珍しいわけでもない煌めきの変遷に、何故か僕は心を奪われていた。それはうつけの美だった。
やがて、命の灯りが消えるように、ごく小さな煌めきも消えてしまった。世界が少し、暗くなった。
「本当に美しいものは何も暗示しない。ただそれが存在し、ただそれが美しいだけである」
そんなこと、偉そうに言われなくても、解っているさ。たぶん。南武線が轟音を立てながら橋を渡る。

75 名前:ゆら、揺れ(2/2) ◆hemq0QmgO2 投稿日:2007/01/14(日) 23:14:35.82 ID:bMcbSU1gO
 日が完璧に落ちてしまうと、本格的に冷えてきた。ささやかな炎を焚きたい。炎には過去の力がある。
そして僕は、僕は炎の中にゆらゆら揺れる美しい偽物の過去を愛でるんだ。
気の合う友人と最低の世界について語り、優しい家族と笑いながら夕食を取る僕。
愛してると百回唱えるあの娘。あいつにじゃない。スターバックスでカプチーノを頼み、脳みそを
腐敗させる糞みたいな音楽を聴き、低俗な笑いでクラスを席巻していたあいつにじゃない。この僕にだ。
「愛してるよ。愛してる。畜生以下のゲス野郎」
 止めよう。もう、いいんだ。久しぶりにここに来て解った。焚き火は要らない。歴史を整理すること
なんて出来ない。何処にいても僕の炎は燃えている。反骨、情熱の炎なんて格好の良いものじゃない。
膿を孕んだ不毛で絶望的でありきたりな過去の炎、僕だけの冷たい炎。冷え切った声が聴こえる。
「スクラップみたいな最低の未来を、世界の終わりに繋がるゲロだらけの道を、往くのかい?」
往く。僕は構わない。砂利を蹴って走り出す。南部線の灯りが少しだけ暗闇を照らした。(了)



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