【 人の夢 】
◆twn/e0lews




27 名前:人の夢 ◆twn/e0lews 投稿日:2007/01/14(日) 22:26:24.74 ID:00fN2nLV0
 店内は淡いブルーの照明がついていて、店員の応対もどこか洒落ている。
チェーンの居酒屋とは少し違うねと感想した僕に、亜里砂は空気を読めと、しかし笑った。
席へと案内される途中、ちらりとカウンターの人間を確認したら、やはりカップルが多かった。
 通された個室は二畳程度の狭いスペースで、簡単な愛撫をするには良い場所だろうと思う。
向かい合って座るのではなく、隣に密着して座る事を目的にしている、角の無いテーブル。
暖簾のお陰で外からも見られない。
 壁に備え付けられたハンガーにジャケットを掛け、腰を下ろす。
店員が、注文が決まったらお呼び下さい、と言って去った。
「良いお店だね」
 亜里砂が、隣に座りながら言った。
僕はそうだねと返しながら、亜里砂の腰に手を回す。
「ここなら、エロい事しながら酒が飲める」
「お触りは追加料金、取るよ?」
「いつからキャバ嬢に?」
「知らない、奢ってよ」
 煙草を咥えながら、冗談だろ、と返す。
「金なら、他の男にした方が賢いよ」
 言って、火を点けようとした僕の手首を、亜里砂が突然掴んだ。
「どうしたの?」
 尋ねた僕に、亜里砂は言う。
そのジッポ、元カノがくれたんでしょ?
気を使え、そういう意味だろうと僕は解釈した。
「今これ以外に持ってないんだ。お前、煙草吸わないだろ?」
 しかし、亜里砂は僕の手から半ば強引にジッポを奪い取った。
銀色のカバー、ステンレスには僕と、前の彼女のイニシャルが彫ってある。

28 名前:人の夢 ◆twn/e0lews 投稿日:2007/01/14(日) 22:26:44.36 ID:00fN2nLV0
「これ、どうやって彫ったの?」
「解らない。返せよ、それとも擦ってくれる?」
「絶対嫌、死んでも御免ね。呼ぶよ、生で良いの?」
「いや、ジントニ。良いから、返せよ、それ位どうだって良いだろ?」
 亜里砂は僕を無視して、コールボタンを押した。
「なあ、そんなに言うならお前が買ってくれよ、新しいの」
「嫌よ、対抗してるみたいで、そんなの嫌――」
 その時、暖簾が開いて、現れた店員の男に、僕は亜里砂の腰を撫でていた手を離した。
「カシスオレンジとジントニック、あとシーザーサラダ」
 復唱し、注文を確認する店員に、短く頷いてから、亜里砂は続けた。
「ねえ、お兄さんは煙草吸う?」
 僕ではなく、店員に向けられた質問。突然話を振られた、恐らく僕等より若干年上だろう彼は、
しかし手慣れた風に、吸いますよ、と答えた。
それを聞いた亜里砂は満足気な表情で、僕のジッポを持っていた手を、店員に差し出しながら言う。
「これ、あげる、要らなければ捨てて良いわ」
「おい、勝手な事言うなよ。すいません、返して下さい」
「うっさい、良いの、お兄さん。本当に、コイツ最低なんだから、空気も読まないの」
 一歩も退かない、そんな態度で言い切った亜里砂に、僕は何も言い返せなくなって、
困った表情の店員に申し訳なくもあったから、お願いします、と言った。
「それ、捨てて下さい」

29 名前:人の夢 ◆twn/e0lews 投稿日:2007/01/14(日) 22:27:02.45 ID:00fN2nLV0
 店員は若干戸惑いながらも、解りました、と言って下がった。
二人きりになった個室で、僕はもう一度、亜里砂の腰に手を回した。
「エロ、猿なんじゃないの?」
「健全な証拠だろ。それに、不細工にはやらないよ」
 亜里砂は、まだむくれている。
「悪かった。あれにこだわってた訳じゃないんだ、ただ、ジッポは高いからさ」
「私が買ってあげたら、どうする?」
「買わないと言ったのは?」
「つまらない事言うと、買ってあげない」
「あまり派手な装飾じゃない物を、お願いします」
 言って大袈裟に頭を下げたら、亜里砂は頬を緩めながら溜息を吐いて、傍らに置いてあった彼女のバッグに手を伸ばした。
まさかと思っていたらそのまさか、出てきたのは丸裸のジッポライター。
「あげる、それ、使いなさいよ」
 手渡されたそれを、しかし亜里砂に突き返して、僕は言う。
「擦ってよ」
 蓋の開く鋭い金属音、石が擦れる音、揺らめき昇る薄茜。
炎を挟んだ彼女は、歪み、ぼやけ、表情も、顔の輪郭も、朧だ。
擦る人間が変わっても、変わらない。虚像の彼女に、僕は愛を囁く。
「有難う」
 異性が二人、揃えば舞台は出来上がる。
演出道具のジッポライター、喩えるならば炎は本能、さしあたって情は陽炎。



                                了



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