【 探偵助手の憂鬱 】
◆BLOSSdBcO.




670 名前:探偵助手の憂鬱 1/5 ◇BLOSSdBcO. :2007/01/14(日) 11:16:59.59 ID:HqyJIzS80
「真の名探偵とは、その行く先々で事件に巻き込まれる宿命にあるのだ」
 そんな傍迷惑な格言は相馬探偵事務所の所長、相馬修二の信条である。そしてその助手である私、氷室咲も
また、彼と共に事件に巻き込まれることが運命付けられているようだ。
 さて、今回の事件は、私の心に火を点けてくれるだろうか?

 年が明けて半月が過ぎた頃。『年末年始をつまらない仕事でふいにした憂さ晴らし』といって半ば強制的に
所長の車に押し込まれ、夏でも全開の暖房にうつらうつらとすること六時間。冬の雪山の頂上近くにポツンと
一軒だけ建っている、個人経営のホテルへ到着した。小さいながらも趣向を凝らした洋風の館は、それなりの
資産を投じて建てられた歴史あるものだと分かる。が、しかし。所長がここを選んだ理由は
「素晴らしい、いかにもこれから殺人事件が起こります、と言わんばかりの雰囲気だ!」
 という基準らしい。そしてこういう時の所長の嗅覚は素晴らしい。
「ちょっと、私の前で煙草吸わないでよっ!」
「良いじゃねぇか、車の中ではずっと我慢してたんだからよ」
 私が期待に胸を膨らませていると、駐車場から歩いてくる四人の男女が何事かで揉めていた。背の高い男が
煙草を口に咥えているが、まだ火は点いていない。
「まあまあ、ホテルの中は禁煙かもしれないし、僕達はここで吸っていくよ」
「洋子、私達は先に暖かい部屋の中に入ってましょ」
 小太りの男と化粧の濃い女が二人の間に割り込む。どうやら男二人が喫煙することに対して、お嬢様風の女が
抗議していたようだ。ざくざくと雪を踏み鳴らしながらエントランスに向かう女達。寒そうに身を縮めながら
一つのライターで二本の煙草に火を点け、煙を吐く男達。そして彼らに近づいていく所長。
「愛煙家の肩身が狭くなりましたなぁ……おっと、煙草きれてたんだった。――くれるの? ありがたい」
 年中きらしている貰い煙草専門のくせに、よく言う。
「俺は相馬修二、いわゆる在宅労働者でな。こっちは従業員の氷室君だ。君らは大学生かい?」
 事務所兼自宅なのを在宅労働とは言わない。それにしても、誰にでも自然に接して情報を聞きだせる所長の
くだけた性格は、探偵に相応しい。彼らも気さくなオジサンに警戒心を持たず、自己紹介を始めた。男達、背の
高い方が森田、小太りが林原というらしいが、彼らはこんな雪の山奥までスキーをする為にやってきたそうだ。
 雑談をするうちに燃え尽きた吸殻を車の灰皿に放り込み、私達は館の中へと向かう。
 ロビーには先ほど入っていった女達がいた。嫌煙家の高飛車な女が洋子、化粧の濃い細身の女が真紀という
そうだ。私達は名前だけを告げて軽く頭を下げた。彼らに一緒に滑りに行かないかと誘われたが、わざわざ寒い
思いをしながら坂を上り下りする気にはなれなず、丁重に断ってチェックインを済ませた。

671 名前:探偵助手の憂鬱 2/5 ◇BLOSSdBcO. :2007/01/14(日) 11:17:35.60 ID:HqyJIzS80
 午後五時。荷物を置いて早々サロンへ引っ張られた私は、所長とかれこれ二時間ほどビリヤードをしていた。
「あなた、上手いわねぇ」
 ふいにかけられた声に振り向くと、洋子が缶コーヒーを手に立っていた。滑りに行ったのではなかったか。
「真紀が体調悪いみたいだから、帰ってきたの」
 まぐれを期待した所長のフルショットに目を丸くしながら、彼女は答える。
「まあ私も疲れてるし、ゆっくりできて良いんだけどね」
 私が狙い済ましたマッセで九番を落とすと、お見事、と軽く拍手をしてサロンを出て行った。
「ええい、もうやめだ! 次はアレをやるぞ」
 キューを棚に放り投げ、指差す先にはダーツボード。やれやれ、所長の負けず嫌いにも困ったものだ。

 午後六時半。私の投げた三本の矢が、ブルズアイをトンっと貫いた頃。
「腹が減った。我慢できん。晩飯はまだかっ」
 所長が子供のようにぐずり始めた。夕食は七時に一階の食堂で、と言われている。さすがに三十分の前倒しは
不可能だろうが、とりあえず食堂へ向かう。軽くつまむものでもあれば良いが。
「大丈夫なの? ――うん、分かった」
 食堂の奥、大きな暖炉の前で洋子が電話をしていた。滑りに行った彼らからだろうか。所長は近くを通り
がかったメイド服の女性に、食べ物を寄越せとすがり付いている。
「真紀? 自分の部屋で寝てるわ。明日には良くなるって言ってたけど。――ええ、それじゃあね」
 その後ろ襟を掴んで引き剥がすと、丁度洋子の電話も終わったようだ。
「軽く吹雪いてきたらしくて、戻るのが遅くなるって」
 私の視線に気付いて、肩を竦めながらぼやく。窓の外を見ると、一面真っ白に染まっていた。
「あ、メイドのあなた。今私の連れから連絡があって、二人は夕食に間に合わないわ。それともう一人は風邪
気味だから、消化の良さそうなものを作ってもらえるかしら」
 彼女は本当にどこぞのお嬢様なのだろうか。男達の分は仕方ないとしても、体調不良の真紀の食事については
もっと早く伝えるべきだろうに。メイド服の彼女は困り果てて厨房へ駆け込んで行った。
 さらに洋子は、お粥なら出来ますが、と申し訳なさそうに戻ってきた彼女にこう言い放つ。
「真紀にそれで良いか確認してきて頂戴」
 数分後、ドアをノックしても返事が無いと言うメイドに、洋子はしぶしぶ真紀の部屋に向かった。二人が
部屋に入ると真紀は熟睡していたらしく、食事は彼女が目覚めた後に作るという事で一段落した。
 所長がやけに静かだと思ったら、テーブルの上の燭台を虚ろな目で眺めていた。空腹の限界らしい。

672 名前:探偵助手の憂鬱 3/5 ◇BLOSSdBcO. :2007/01/14(日) 11:18:05.14 ID:HqyJIzS80
 午後七時。夕食は立派なものだった。立地条件の悪さから新鮮な食材は期待できなかったが、限られた食材で
よくぞこれだけ様々な美味しい料理を作れるものだと感心させられた。前菜を食べる姿はゾンビだった所長も、
メインの鶏を一匹丸焼きにしたものが出てくる頃には、すっかりいつも通りの喧しさを取り戻していた。
 私達の他の客は洋子達だけらしく、三人で和やかな夕食を終え、洋子が部屋に戻った後。
 事件は起きた。
 ガシャン、というガラスの割れる音と共に、上の階から女の悲鳴があがる。
 お腹を妊婦のように膨らませていた所長は一瞬で顔を引き締め、勢いよく駆け出す。私も追いかけると、
二階に朦々と煙が立ち込めているのが見えた。周囲を見渡し、見つけた消火器を抱えて階段を駆け上る。
 煙の出所を探すと、丁度私の部屋から吹き抜けを挟んで対面の部屋から炎が上がっていた。壁や天井を嘗め
回す赤い悪魔の舌。聖水替わりに白い霧を浴びせかけると、その中から何者かが飛び出す。
「貸せっ!」
 それは真っ黒になった所長だった。全く、猪突猛進にもほどがある。二階にも備え付けられていた消火器で
入り口から順に消火しつつ進み、部屋の奥から火を消してきた所長と合流した。
「……警察に連絡だ」
 ただの小火ではない。彼の顔からそう悟った私は、駆けつけた従業員に細かい指示をだした。

「残念だが、真紀君は死んでいた。火事が原因ではない。何者かに殺された後、火を放たれたんだ」
 吹雪の中を何とか生還した所に仲間の死を告げられ、ショックを受ける森田と林原。泣き崩れる洋子に、
一名を除いた全従業員。警察が到着するまで真紀の部屋の前に見張りが立つ事になったが、それ以外のこの館に
いる全員が食堂に集められていた。
「遺体は俺が部屋に入った際、床にバラバラになって転がっていた。解体に使用されたのは、そこの暖炉に
くべる薪を割るための斧。駐車場の横に置かれていたが、先ほど確認したところ無くなっていたから間違いない。
そして人間の解体に要する時間は、普通の人間であれば生理的嫌悪から三十分以上かかるという。その後に、
部屋にあるストーブの灯油を撒いて火を点けたのだろう」
 証拠隠滅などを防ぐために、という名目で集められた彼らは、突然始まった所長の演説に不快感を顕にする。
「あんたは一体何様なんだ! 人が死んだってのに、何でそんなに落ち着いてるんだ!」
「俺は探偵だ。しかし犯人を告発する権利は無い。ただ警察が来るまでに現状をまとめる。それが彼女を殺した
犯人を捕まえる為の、最も良い手段だと信じてな」
 と力強く言い切った。その気迫に押され、皆は沈黙した。

673 名前:探偵助手の憂鬱 4/5 ◇BLOSSdBcO. :2007/01/14(日) 11:18:42.63 ID:HqyJIzS80
「最後に彼女を確認したのは洋子君とメイドのあなただな。それが六時半だ。つまりそれ以降、火を放つ準備も
含めて一時間近くの間、アリバイのない者が犯人ということになる」
 ギロリ、という擬音の似合いそうな鋭い目つきで全員を見渡す所長。
「では、一人一人、午後六時半からの行動を教えてもらおうか」
 そうして全員から聞き取り調査をする。従業員は全員が同僚に姿を確認されており、宿泊客の私達と洋子は
火の手が上がる数分前まで食堂にいた。つまり、アリバイがない者は森田と林原の二人組となる。
「ふざけるなっ! 俺達は吹雪の中を遭難しかけていたんだぞっ!」 
「吹雪の前に戻ってきていたら? 彼女の部屋の外には大きな木がある。窓からでも侵入できるだろう。二人で
いたというのもアリバイにはならない。君たちは知人であり、共犯の可能性もある。さらに、だ」
 激昂する二人を尻目に、所長は携帯電話を取り出して操作すると、その画面を彼らに向けた。
「これは現場の写真だ。これに見覚えはないかね? そう、森田君。君が駐車場から歩いてくる時に手に持って
いたライターだよ。大方これで彼女の部屋に火を放った後、炎の勢いに驚いて落としてしまったのだろう。
決定的とは言い難いが、重要な証拠だ」
 彼らの後ろに回り画面を覗き込む。確かに所長と煙草を吸っているときに手に持っていたのだ、が。
「このライター、火が点かないんだよっ!」
 そう、彼はこのライターを持っていたにも関わらず、林原に火を点けてもらっていた。ガス切れだろうか。
所長もそれに思い至ったのか、しばし考え込む。あのライターでは火を点けられない。となると、犯人は……
 私は夕食のときから疑問に思っていたことも含め、最後に真紀の寝顔を確認したメイド服に問う。
「――あ、確かに。三本だったはずなのに一本無くなってます。――彼女の寝顔ですか。穏やかなものでした」
 確定だ。犯人はあの人に間違いない。唸り声をあげる所長に近づき、そっと耳打ちする。
                       ◆
「皆さん、少ない情報から拙い推理をしてしまって申し訳ない。だが、有能なる部下の氷室君が有益な情報を
もたらしてくれた事により、ようやくこの事件の真相が見えてきた」
 数秒ほど考え込む仕草を見せた所長の顔は、次第に自らの推理を披露する喜びに溢れていった。
「ずばり、今回の事件の犯人。それは洋子君、あなただ!」
 驚きと怒り、非難の声が順にあがっていく。所長はそれを片手で制すると、ゆっくり語りだした。
「この事件の鍵は『何を使って火を点けたか』と『何故火を放ったか』の二つだ。順に説明しよう。犯人が
真紀君の部屋に火を放つ際、犯人が喫煙者であれば手っ取り早い。煙草と同じように火を点ければ良いのだ。
しかし犯人は煙草を吸わない、それどころか、自分の前で吸われることすら嫌っていた。それ故、愛煙家の
森田君がライターを持っていると分かっても、そのライターの火が点かないことを知らなかったのだ」

674 名前:探偵助手の憂鬱 5/5 ◇BLOSSdBcO. :2007/01/14(日) 11:19:48.05 ID:HqyJIzS80
 なるほど、という声と共に疑問の声があがる。
「では彼のライターで火が点けられないと知った犯人はどうしたか。簡単だ、火のあるところから持っていった
のさ。各個室にはコンロなど置いてない。火の気があるのは厨房、そしてこの食堂だけだ」
 皆がいっせいに暖炉を見る。しかし所長は首を振り、
「犯人も暖炉から火を運べないか考えたのだろう。だが、ここにはもっと良い物が置いてあった。テーブルの
上の燭台だ。他のものは全て蝋燭が三本づつある中で、二本しかないものがある。犯人が蝋燭を持っていった
証拠だ。私が犯人であったなら、そんな明らかに不自然な点は隠そうとする。それが出来なかったのは蝋燭の
置き場所を知らない宿泊客、つまり我々と君達だ」
 と解説する。要は宿泊客の中で非喫煙者が疑わしい、となる。それは私と洋子だけだ。
「氷室君は私と行動を共にしていた為に除外する。仮に私が共犯なら、私のライターを使えば良い。ああ、
言いたい事があるのは分かる。先ほど俺は六時半から出火までのアリバイを求めていた。確かにその時間帯に
洋子君が真紀君を解体する暇は無い。だが、それこそがこの事件の二つ目の鍵、『何故火を放ったか』に繋がる。
火を放つことで隠そうとしたのは、本当の殺害時刻。真紀君が殺されたのは、もっと早い時間だったのだ!」
 再び非難の声があがった。六時半に洋子とメイドの一人が真紀の寝顔を確認しているではないか、と。
「それは問題ない。メイドの彼女が確認したのは生きて歩き回る真紀君ではなく、寝顔を装った真紀君の首だけ
だったのだからな。先ほど氷室君が尋ねたところ、真紀君の寝顔は穏やかなものだったそうだ。風邪をひいて
いるにもかかわらず、ね。そう、真紀君の顔色は厚い化粧によって一定に保たれていた。たとえバラバラに
された後であっても、普段どおりの顔に見えただろう」
 怒りに顔を真っ赤にした森田が、そんなものはあくまで推測に過ぎないと抗議する。正論だ。
「確かに。だが、二度目になる台詞を言わせてもらおう。俺は探偵だ。しかし犯人を告発する権利は無い。
現状をまとめ、最も犯人と疑わしき人間に勧告するだけだ。火を放つことで殺害時刻などの証拠を隠滅しようと
したのだろうが、それは俺の懸命の消火活動により大した成果をあげていない。警察が到着して司法解剖に
回せば正確な死亡時刻が割り出される。さらに現場検証で蝋の溶けた跡でも見つかれば決定的な証拠となる。
……これからどうするかは、自らの意思で選んでくれたまえ」
 そう締めくくると、所長は腕を組んで沈黙した。皆の視線が洋子に集まる。彼女は泣きはらした顔を蒼白に
して強張らせ、しばらく耐えた後に膝から崩れ落ちた。

 こうして事件の幕は下ろされた。洋子と真紀は森田を巡る恋敵で、それが動機だそうだ。邪魔者を殺してまで
叶えたい恋か。私には理解出来ない。所長と共に様々な事件と人々の心を見てきたが、私の心は冷たいままだ。
 さて、次の事件は、私の心に火を点けてくれるだろうか?                   <完>



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