【 それでも用は足りる 】
◆Peaw0sF//U




652 名前: ◆Peaw0sF//U :2007/01/14(日) 02:52:05.40 ID:uD4uokfh0
 つまらない、安っぽい火だった。それでも用は足りる。
 俺は戦利品のひとつだった使いかけの百円ライターに、タバコを寄せた。
 熱が移ったタバコは火によって削られ、身は地面に落ち、魂は煙となって立ち昇っていった。自分の魂のように拡散して薄っぺらい煙は、晴れ渡った秋空に吸い込まれては消えていく。
 つまらねえな。半日苦労して稼いだカネから工面したタバコだって言うのに、いつもと同じ味、同じ軽薄さだ。
 もっとも、カネ自体ヒトサマが捨てたものを売り払って稼いでるのだから、軽薄でも仕方ないかもしれないが。
 ホームレスになってから、誰に教えられるでもなく始めた仕事だ。
 ……まあ、誰かの真似だったんだろうけどな。毎朝、ベッドタウンから都市部へ向かうビジネスマンと同じ電車でおしくらまんじゅうしながら駅を巡り、ゴミ箱から雑誌類をあさるのだ。駅で買って読んで、すぐに捨てるやつは少なくない。毎朝、週刊誌だけでも三十冊は集まる。
 電車であからさまに嫌悪の目を向けてくるやつがいるが知ったもんか。カラスだって捨てられたものに集まるんだ。役に立つごみに人間様が群がらないわけがないだろう。
 ベッドタウンの旭ヶ丘から都市部へ各駅で集めながら向かい、そこからまた鈍行で帰りながら集めて行く。午前中いっぱいかけて雑誌を集めても、二千円にはなかなか届かない。食うのに精一杯だが、しかし、ヤニはやめられない。
 フィルター近くまで吸ったタバコを捨て、次の一本を取り出す。おっと、憩いの河原が燃えてはかなわん――吸殻の火を土をかけてしっかりと消しておく。
 ついでとばかりに土を押し固める俺の上に、影が落ちた。
「おい、タバコ吸えるくらいのカネ、持ってんだろ」
 その声と同時に、側頭部に衝撃が走った。衝撃で土手に倒れこむ。
 それが何だったのか認識する間も無く、腹に第二撃が入った。
 反射的に、呻きが口をつく。
「よこせよ、カネ」
 俺の腹に足を押し付けながら、そいつは言った。制服を着崩し、ズボンは裾が地面につくほどに下げている。髪こそ染めていないが、その態度は不良そのものだった。
 ……このあたりじゃ、襲われたって話は珍しくないけどな。
 答えない俺に業を煮やしたのか、そいつは寝転がる俺の胸元に手を伸ばし、強引に引き寄せた。
「聞こえてんのかぁ?」
「聞こえてるよ」
 答えながら、吸殻を埋めた土をつかむ。
「そんなに吸いたきゃ、俺の吸殻でも吸っとけ、ガキ!」
 啖呵を切りながら、つかんだ土をそいつに向けて投げつけた。
 驚いたのか、そいつは俺の胸元を離し、顔をかばった。
 その隙に俺は距離を離し、立ち上がる。
 そいつは顔をぬぐってこちらを一瞥した。――と思うや、背を向けて逃げていった

653 名前: ◆Peaw0sF//U :2007/01/14(日) 02:53:21.98 ID:uD4uokfh0
 何だったんだ? 馬鹿にでもしに来たのか? せっかくの昼休みを台無しにしやがって……。
 土手の稜線の向こうに消えていったそいつに悪態をつきながら、気分転換にもう一服しようとポケットに手を突っ込んだ。
 なかった。どのポケットにも、まだ一本しか吸っていなかったタバコは入っていなかった。土手を見回しても見つからず、残ったタバコの行方はひとつだった。
「あんにゃろ、盗んでいきやがった」
 くそったれ! 空が青いのすら憎くなる!

 その日は苛立ったまま過ぎていった。
 だが、まともな社会生活をドロップアウトした俺はその日の風に吹かれて生きるのだ。翌日の朝になれば、すっきりと苛立ちは消えていた。しかし、雑誌集めが楽しくなるわけではなく。どこか胸にしこりを抱えたまま、その日も朝いちからゴミ箱漁りに専念していた。
 専念すれば、いろいろ嫌なことも忘れるものだ。あまりに長い間忘れたせいで、昔の悩みなんて雲散霧消してしまったほどだ。
 ただ、昨日のことがあったせいで人がそばに立つことに気が散って仕方なかった。
 もうすぐ昼近く。帰りの鈍行を降りて人気の少なくなった駅で漁っていると、また横に人が立った。俺が苛立ちをわざわざ顔に出してそいつに見せつける前に、そいつは口を開いていた。
「よお、昨日のホームレスじゃねえか」
 あからさまに馬鹿にするような、テンポが踊っている口調。
 顔は良く覚えていないが、言った言葉から昨日の不良なのだろう。
 関わりたくない。俺たちホームレスは下手に病院に世話掛けられないし、何より治療費が払えるほど裕福じゃない。仕事帰りに喧嘩して怪我なんてまっぴらだ。
 俺は無視を決め込んだ。
「なにやってんだよ。ゴミがゴミ集めかぁ?」
 なんか知らんが、絡んでくる。ただでさえ気が立っているんだ、うるせえな。
「メシのタネだよ! 雑誌を拾い歩いて売るんだ!」
 気がついたら、不良野郎に吠えていた。
 いきなり怒鳴られてすくんでいるのか、不良野郎は目を開いて止まっていた。
「……あんたさ、今日の朝もいただろ」
 作業を再開した俺に、野郎は話しかけてきた。
「当たり前だ。行ったら戻ってくるしかないだろう」
「これ、いつもやってんのか」
 野郎の声は火が消えたようにトーンダウンしていた。
 なぜか、不条理で怒鳴りつけたあとのように居心地が悪い。
「じゃなきゃ、オマンマ食えねえよ」
 ゴミ箱のふたを乱暴に叩きつけ、俺は丁度入ってきた旭ヶ丘行きの急行に飛び乗った。
 ドアが閉まるのを待ってホームを見返ると、野郎はまだゴミ箱の前に立っていた。

654 名前: ◆Peaw0sF//U :2007/01/14(日) 02:54:10.44 ID:uD4uokfh0
 翌日、昼近くになって帰りの鈍行に乗り、いつものようにゴミ箱を漁ろうとふたを開けたが、紙くずと新聞くらいしか入っていなかった。
 がっかりはするが、いつものことでもある。俺はあきらめてふたを元に戻し、次の電車が来るのを待つことにした。
 声が掛けられたのは、ふたを戻した直後だった。
「ここから旭ヶ丘まではもう空だぞ」
 声の主は昨日、そしておとといの不良だった。昨日のように絡むつもりで話しかけたのではないらしいが、俺にとっては関わりたくない存在だ。
 そう思って胡散臭そうに見ていると、そいつは脇に挟んだものを俺に見せてきた。
 週刊誌、四冊。
「こいつを換金してくれる奴に会うんだろ? 連れてってくれよ」
 思わず口をついて出たのは「……はぁ?」という呆れた吐息だった。
「勝手なのは分かってるけどさ、せっかく集めたんだ。換金させてくれよ」
「お前が集めたのか」
「旭ヶ丘から三駅、ここまでだけどな」
 四冊の週刊誌をしっかりとつかみながら、そいつは言った。
 その声は踊るようなテンポでも沈下したトーンでもなく、少し張りの出た自信のかけらが感じられるような声だった。
「ついてくるなら、勝手にしろ」
 気まぐれだったのかもしれない。ついそう言っていた。
 視界の端に大事そうに週刊誌を脇に抱えるそいつを見ながら、俺は時刻表に目を落としていた。
 次の旭ヶ丘行きは十分後だった。

 百円。四冊の週刊誌は一枚の硬貨に化けた。
 金額を聞かされて「少ねぇ!」と騒いだそいつは、それでもしっかりと硬貨を受け取っていた。硬貨を握って少しうつむいた横顔は、騒いだときとは一転して神妙なものだった。こっちとしては落ち着いてくれたほうがありがたいんだが。
 その場は買い取り業者の邪魔になると追い払われ、俺とそいつは揃って駅前公園から追い出された。いつものことだし、この辺は俺の知り合いが少ないから当然だろう。
 今日を生きる資金が手に入って、俺はまずメシよりもタバコが買いたかった。
 いつもタバコを買う自販機へ歩く俺の後ろを、そいつはついて来ていた。
「まだ何か用があんのか?」
 歩きながら後ろに声を向ける。
 そいつは何かモゴモゴとしゃべったようだが、背中越しでは聞こえなかった。
 俺はあえて無視したが、しばらくしてそいつは俺に向かって独白を始めた。

655 名前: ◆Peaw0sF//U :2007/01/14(日) 02:55:16.37 ID:uD4uokfh0
「俺の家さ、父親がいないんだ。離婚したんだとさ。母親もさ、仕事ばっかりで家に居なくて、たまに居れば、夜の仕事に向けて化粧してんだよ。夜なんか水商売だからさ、知らねえ男のために化粧してくんだぜ」
 唐突だった。俺は歩みを止め、振り返ってみた。
 実につまらなそうに、乾燥した目でそいつは語っていた。
「つまんなくてさ、どいつもこいつも。学校にも行かずに、あっちこっちぶらついてばっかいたよ。カネがないからゲーセンでもまともに遊べねえし、ケンカも弱かったから、どこ行ってもハブられてた。
そんときにあんたを見つけたんだよ。ただむしゃくしゃしてたし、ホームレスならいけるかと思ったんだ」
 返り討ちだったけどな。
 そいつは、それだけは小さく言った。
「あんときはすまんかった。ごめん」
「それが言いたかったのか?」
「ああ……うん……」
 歯切れが悪い。まだあるのか。
「あんたのゴミ箱漁ってる姿見て格好悪いと思ったんだけど、あんたに怒鳴られたとき、同じことを母親に言われたことあってさ、それを思い出したら、あんたとかあちゃんの姿が重なって、なんか悪いことしたような気になった。
あんたと同じことしたらなんか分かるかと思ってやってみたけど、何も分からなかった」
 そいつはポケットから硬貨を一枚、百円を取り出して見つめた。
「なあ、なんで、あんなかっこ悪いことしてまでカネを稼いでるんだ? 教えてくれよ」
 そいつは俺に向かって一直線に、百円を突き出してきた。
 俺は、それを受け取らず――少し受け取ろうか迷ったが、脇にあった自販機に向き合って、自分のカネを投入した。硬直したままのそいつを尻目にいつもの銘柄を買う。俺に受け取る意思が無いと分かると、そいつは百円を引っ込めた。
「まったく、勝手なヤツだな」
 タバコを開けながら、苦笑してみせる。開けた箱から一本を口に差し、もう一本を取り出してそいつに突き出してやった。
「やるよ」
 俺の言葉に従って、そいつは少し遠慮がちにタバコを受け取った。
 ポケットからおととい拾った百円ライターを取り出して、火をつける。
「必要だからだ。どんなにかっこ悪くても、俺たちにゃあ必要なのよ」
 そいつのタバコに火は移り、たちまちに灰を生み出していく。
 俺は自分のタバコにも火をつけた。
「こいつは、それが分かった祝いだ」
 小さくて安っぽい、つまらない火だ。
 それでも、用は足りる。



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