【 リセットボタンと神の声 】
◆/7C0zzoEsE




359 名前:リセットボタンと神の声(1/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2007/01/07(日) 23:15:19.18 ID:ul5dvcsx0
 それは本当に不気味な人形だった。

 雪が体に触れるような日。学校の帰り道の途中。
近所のごみを収集している場所で、
その人形は捨てられてた。いや、それは確かに腰掛けていた。
 いまにも動き出しそうな本格的なもので。
「何だ……変な人形だな」
 俺が、ひょいとかがんで人形と目線を合わせる。
その瞳を覗き込むと、魂を吸い取られるような錯覚に陥った。
 良い意味でも悪い意味でもなく、俺は魅入られた。
フランス人形のような飾られたものではなく、
むしろ笑わす事のできないピエロのような。
 どこも傷が見当たらず、捨てるにはもったいない。
もしかすると高く売れるかも、そんなことを想像していた.
 ふと雪で冷えた指先が痛く感じたので、
何気なしに人形の前で手をすり合わせ息を吐いた。
 その瞬間、どこから声を出しているのか目の前の人形が喋りだした。
口元は、全く動いていない。
 このように不可解な事にも関わらず、俺は人形が喋っていると確信したのだ。
何故かは分からない。そして何と言ったのかも、はっきりと聞き取れた。
「三分前に戻るかい?」
「あ……?」
 俺の中で渦巻く疑問は、言葉にならない。
一瞬の間に俺と人形を残して、世界は壊れた。オーロラに抱かれて、空気が歪む。
美しいと思ったが、やけに気分が悪い。居心地が悪く、嘔吐感を覚えた。
 確かなものは、俺と奇妙な人形だけ。頭は混乱して、危機感だけが募った。
 しかし、それは長く続くことも無く、
気がつくと俺はつい先程歩いていた歩道で立っていた。
 人形は道の真ん中で堂々と座っていて、含み笑いをしていた。そのように見えた。

360 名前:リセットボタンと神の声(2/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2007/01/07(日) 23:16:26.08 ID:ul5dvcsx0
 胸の高鳴りは収まらないまま帰宅した。
小脇に、その人形を抱えて階段を上り自分の部屋に行く。人形を机の上に座らせて、俺は顔を覗き込む。
当たり前だが、全く表情は変化しない。眉一つ動かさない。
 一歩も動かず自分が立つ位置が変わっていたことと、人形が漏らした一言が繋がる。
 事実は小説より奇なり。
俺はもう一度確かめるために、人形に話しかけた。
「おい、お前さっきのもう一度やってみろよ」
 表情は全く変わらない。
「やってみろって、おい!」
「晩御飯の用意ができたわよ」
 下の部屋から別の声が聞こえてきた。これは、母が俺を呼ぶ声。
 生返事を返すと、俺はもう一度人形を覗き込む。
どうして、さっきのようにいかないんだ。
俺は幻を見ただなんて、自分を疑うような事はしない。
しかし、それならどうして。魔法のように起きた出来事を、思い出していた。
「まてよ……もしや」
 俺は一人で呟くと、まず腕に巻いている時計を確認する。
午後、六時四十五分。針はそう指していた。
 次に人形の目の前で手を合わせた。
「頼む! もう一度やってみてくれ」
 人形が、にっと笑ったような気がした。
「三分前に戻るかい?」
 お決まりの台詞なのだろうか、俺を異次元に連れ込み。
次に正気に戻れたときは部屋の中。
すぐ腕に目をやると、針は四十二分を指していた。
「こいつは、本物だ」
俺は震えた。歓喜、それとも恐怖からか。
下の部屋から声が聞こえた。
「晩御飯の用意ができたわよ」

361 名前:リセットボタンと神の声(3/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2007/01/07(日) 23:18:05.60 ID:ul5dvcsx0
 きっちり三分時間を動かすと、俺と人形以外は全てが過去に戻る。
それの仕組みは、どうしても分からなかった。
 どうして時間を元に戻せるのか。
そして、どうして三分なのか。
 俺には、神が生み出した人形としか思えない。
だから三聖の数だけ、時間を戻してくれるのだ。
そう考えると納得がいく、いわゆる超常現象的な出来事も。
 それがどうして俺の元に現れたのか、
きっと俺が信心深いことだからだろう。そう勝手に都合良く考えることにした。
 信仰心など皆無だというのに。
 何はともあれ、その便利な人形を手放すことはできなかった。
ようやく俺に向いてきた運。肌身離さず、それを持ち続けた。
 手に入れて間も無い頃は、どうしてもやり直したいときだけに活用した。
しかし、徐々に慣れてくると、それに頼りきりになる。

 そして俺は、恋愛でも、試験でも、何においても失敗することは無くなった。
何かがあると、すぐに人形が呟いてくれる。愛想を尽かすことも無く。
三分前に戻るかい、と呟く。
 俺は、そのまま成長していき、やがてある株式会社に入社した。
 どんな取引でも失敗することの無い、完璧な男と称されるようになる。
だれが、どう見てもバラ色の人生だったろう。
 大勢の人間に尊敬されるようになった。
 しかしその一方で俺は、人形を失くすことをひどく恐れて、
周りの人間が信用できなくなっていた。
 たとえば妻でさえも、そうだ。
これを盗まれることは、俺に死ねと言っているのと同じだと思うのだ。

362 名前:リセットボタンと神の声(4/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2007/01/07(日) 23:19:42.56 ID:ul5dvcsx0
 ある日のこと、残業を終えて帰宅しようとしたとき。
周りにはすでに誰もいないと思っていたのに、
給湯室から声が漏れていたので、ふと聞き耳をたてる。
「ああ、だから山本だろ? 変な人形持ってる」
なんだ、俺の話か? 俺は、完全に盗み聞きをする体勢になっていた。
「ああ、あの人はすごいよな。完璧な人間っているんだよな」
「そうかあ、大したこと無いだろ、あんな奴」
俺は急に気分が悪くなったが、次の言葉で血の気が引いた。
「夜の方は、大分ご無沙汰のようだったぜ」
「何でお前そんなこと……」
 男は、ゆっくりと小指を立てた。
「え! お前、それって、本当に!? まずいよ」
「ああん? 上司の奥様が求めてたんだから応えなきゃ、だろ」
 下卑た笑いが耳に入ってくるのと同時。
俺は飛び出し、腰に巻いていたベルトで、男の首を強く締めた。
 その後のことはよく覚えていない。
目の前の男は、青白い顔で糞尿を垂れ流し、
もう一人の男は、すでにどこかに消えていた。
 きっと人を呼びにいったのだろう。
俺は混乱しながらも、助けの神を取り出す。
 どうして、こんなことになったんだ。
頼む、助けてくれ。やり直させてくれ。もう一度、始めから。
 神の前で何度も手をすり合わせた。
今度は、もっと楽に生きてやる。株や競馬で食っていけばいい。
そして、何人も女をはべらして、遊び狂って生きてやる。
「最初からだ、やり直させろ! もう一度、時間を戻せ」
 刹那。人形が目を瞑ったのは一瞬。いやそれこそ幻だろうか。
人形が呟きだした。

363 名前:リセットボタンと神の声(5/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2007/01/07(日) 23:21:02.33 ID:ul5dvcsx0
「三分前に戻るかい?」
 すっかり慣れた、魔法に包まれる。
人形は俺の望み通りに、何度も、何度も呟いた。
「三分前に戻るかい? 三分前に戻るかい? 三分前に戻るかい? ……」
応えることもできないほど、早口になっていく。
 百八十秒が繰り返し、繰り返し重なっていく。
 この人形がある限り、俺は間違いを犯すことが無い。
俺だけの、俺の望む世界に住むことができるのだ。
 ゲームのリセットボタンを押すときのような感覚。
胸は期待で膨らむ。膨らむ筈なのに、妙に小さくなっていく。
「おい、おい何だよこれ」
 気がつくと俺は、人形に出会った学生時代よりも若返り、
いわゆる少年時代の体つきになっていた。
 それでも時間は止まることなく、俺は若返り続ける。
「おい! もう良いって! 止めてくれよ、止めろよ!」
人形は返事の代わりに、三分を問い続ける。
 壊れているかのように、耳に障るきんきん声で。
両手を合わせようとするが、手は丸っこくなり、ただの塊になる。
 涙も流れない。意識が朦朧としてくる。
「三分前に――」

 もういい、止めてくれ。お前なんかいらない。声にならない声で叫んだ。
叫んだはずだったが、人形には届かない。
 神に見放された愚かな俺は、知らない間にゲームの電源を消していたようだ。
 この世に、俺の影も形も無くなる。完全に消滅する。
いやそもそも俺という人間がこの世にいなかったことになるのか。
 悲劇。いや喜劇か。それでも人形は呟き続ける。金切り声で問い続ける。
 
                          (完)



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