【 時価 】
◆sjPepK8Mso




228 名前:時価  ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/07(日) 00:13:56.60 ID:SFaxjvPS0
 三分がどれくらいに貴重かという事を今更説く必要なんてないだろう。
 時は金なりと昔から言う通りに、時は重要なものだ。金と比べてもいけないかもしれないが。
 まあその価値は、どう足掻こうと時価ではある。時間の価格が時間に左右されると考えると面白い。
 が、正確な事を言えば、時間が人間の感覚に振り回されているだけだ。
 卑しくも霊長類の頂点に君臨する人類は、時間の価格までも定めてしまいかねない。
 例えるならチューリップだ。今は昔、西洋で起こったチューリップバブルは一株の球根の値段を十万円にまで跳ね上げた。
 振り子なんかよりもよほど幅のあるこの価格変動の大原則は、麺が水を吸うまでの時間にすら適用される。
               ※
 
 主人のぞんざいな扱いによって、いじめられる灰被り姫の様に薄汚れたヤカンが鳴る。
 ピィィィィィ、と一定せずに高くなったり低くなったりの音は実に耳障りだ。
 動物が敵を威嚇する時にもこんな声を出すものか、と珪は思いながら火を消す。
 ヤカンの中には当然のようにお湯がある。お湯が注がれるのを今か今かと待つ国境無き保存食の口を開け、麺をお湯責めする。
 申し訳程度のかまぼこと乾燥したミンチの塊がお湯に浮いて油を撒き散らす。
 完全なミイラとなった具達は、三分で命を取り戻すのだ。
 三分を定めたタイマーのボタンを押す。
 付属品の割り箸でカップヌードルの口を留め、その割り箸は珪の目に留められる。
 一年三百六十日において、珪の食卓に多くの割合で出没するこの保存食は多大なる可能性を秘めている。
 カップヌードル一つあれば、珪の一日の食事の三分の一が救われる。
 ただ、珪はこの事について疑問を持たずにはおれない。
 この話においては、カップヌードルの国境の有無が重要になってくる。
 過去に珪の姉は言ったものだ。
 ――CMでも言ってるし、初めて宇宙に行った人も言ってるし、何より割り箸にその証明がある。
 しかし付属品の割り箸を作っているのは中国の木だ。
 はるか高い国境を悠々と飛び越えて、割り箸の原材料は中国から飛んでくるのだ。
 カップヌードルに国境が無いならば、付属の割り箸にだって国境なんて無い筈だ。
 だが実の所は、割り箸には越えるべき高い壁がある。それは中国と日本、ひいては全世界人類の壁でもあり、超重要事項と言えよう。
 その一つが関税である。人の決める価値と利益のバランスを保つ為に導入された、国と国との違いを大前提にした画期的なシステムだ。
 この画期的なシステムが壁となって割り箸に立ちふさがっている。
 富士山どころかチョモランマよりも高い壁を越えるには、前人未到の地を越える巨大なジャンプ力が必要だ。

229 名前:時価  ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/07(日) 00:14:06.75 ID:SFaxjvPS0
 そしてここでご登場願うのが、我らが価値の中心点、我らが永遠に追い求め、我ら都会人と切っても切れぬ関係にある金だ。
 札束の持つ力は凄い。地に這いつくばった人類のジャンプ台となり、三十八万キロメートルのかなたまでジャンプさせ得る無限のエネルギーだ。
 その札束にしてみればチョモランマを越えるなど軽い軽い。地球の成層圏を突破して中国から日本に一っ飛びだ。
 しかしその力だって無限というわけにはいかない。有限であるからこそ金には価値がある。
 金の力は最初っから相対的なものだからして、無限なわけなんてあるわけが無い。
 重要な問題だ。金は有限であるというのは。
 その有限を自国に引き入れる事で、中国は利益を得る。日本だってアドバンテージを持っているからこそ中国のお得意でいられる。
 結局は商売なわけだ。カップヌードルに国境は無いなんて言っても、その末端には陰惨な大人の事情が見え隠れしている。
 まあ大人の事情が見え隠れしているのはなにも末端にのみ言えることじゃないが。
 大体、カップヌードルで難民が救えるのかといえば結構難しい所なんじゃないかと珪は思わないでもないのだ。
 一日の水にヒイヒイ言ってる人たちがお湯なんて用意できるものかと思う。
 さらには、水不足の人間はカップヌードルのスープを飲み干すだろう。一日三食カップヌードルと仮定して、三杯のスープを飲み干す事になる。
 冗談じゃない。そんなことしたら塩分過多で死んでしまうのがオチだ。これは間違いなくアフリカの民を地獄に突き落とす魔のワナだ。
 しかも地球上の問題は発展途上国の飢餓だけではない。
 今もっともホットな全世界的問題といえば、地球温暖化に他ならないだろう。
 地球が正にホットになるこの現象を、今の今まで防いできた縁の下の力持ちは、世界中に広がる大森林である。
 ツンドラの針葉樹が、駅前の紅葉が、毎年花粉で珪を悩ませる杉が、マングローブが、そしてアジアの森林が地球温暖化を食い止めていたのである。
 その森林達は堤防だったのだ。
 珪はちょっと昔の事を思い出す。あれは小学生のころだったか。俳句コンクールに出した作品だ。
 
 堤防は いつか壊れる 時が来る
 
 不謹慎な俳句を詠んだものだなあ、と思わないでもない。

230 名前:時価  ◆sjPepK8Mso 投稿日:2007/01/07(日) 00:14:52.15 ID:SFaxjvPS0
 とにかく、堤防は今この瞬間にも崩れているのだ。
 重ねる事になるが、割り箸の原料は中国の大森林である。
 そして珪はその割り箸を使って、今正にヌードルにがっつこうとしているのだ。
 今、珪が使っている割り箸とは要するに、中国四千年の歴史が培った大森林のバラバラ変死体の一部だ。
 割り箸の元になった木は、確実に珪よりも長生きしている筈で、珪は年長者の死体を冒涜する人間だという事になる。
 コレは困る。非常に困る。
 今最高にホットな地球温暖化が行き着いた先は、日本に住む一人暮らしの学生の食卓の上である。
 さらにはその学生は、年上を愚弄して、その変死体で輸入小麦の塊をすする悪逆非道の悪の化身というわけだ。
 最低最悪だ。珪は今までの人生を通しても、それほどまでに酷いやつを見たことがない。
 テレビゲームの魔王だって、テレビアニメのライバルだってそんなに酷くない。
 地球の環境を今、この瞬間破壊しつくそうと笑っているのは珪その人に間違いない。地球最大級の極悪人は今この瞬間食卓で生まれたのだ。
 ランキングで言えば上から数えて七人目ぐらいではあると思う。
 やはり義を重んじる日本国民としては不本意極まりない事実である。若さゆえの過ちと言うのはやはり認めたくない。
 それでも認めざるを得ないのだから、せめてこれからは頭をそって高野山に上って心清らかに余生を過ご
 ピリリリリリリ
 三分間が経過して、タイマーの音に集中は一瞬で叩き壊される。泥の堤防は音の津波に一秒も耐えられなかった。
 タイマーのボタンを押してから丁度三分。
 カップのフタを開けたその先には、今日を生きる現代人の力の源がつまっている。
 腹が減っては戦は出来ぬ。武士は喰わねど高楊枝、なーんて言う前にしっかりエネルギーを蓄えなければならない。珪にとっては騎士道大原則なんかより食事の方がよっぽど大事だ。
 かくして、取り敢えずは思考を中断。
 心清らかな余生についてはまた今度考える事にして、まずは目の前のメシ。
 肩に力を一杯入れて手を合わす。毎日ころころと変わる食事の前の前口上を述べる。
(天にまします我らが父よ今日の糧を与えてくださって有難うございます。できれば貴方の肉と血も頂きたい所ですがお金がないので今日のところは勘弁してあげます。)
 口上が終わるや否や、珪は腹をすかした野犬もビックリの勢いでカップにむしゃぶりつく。
 さっきまでとえれえ違いである。三分の間に人である事と世界中の食糧事情と環境問題を悔やむ事ができたと言うのに、カップ麺を啜り始めた珪には思考を反復する気配さえ見えない。
 つまるところ、所詮過去の時間なんてのはすぐに値の下がるものなわけだ。
 今夜もずるずると、麺を啜る音ばかりが散乱する。



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