【 三分の悪魔 】
◆dmcl4gACP6




124 名前:三分の悪魔(1/5) ◆dmcl4gACP6 :2007/01/06(土) 08:32:35.44 ID:oLkh5AtL0


──後、三分なんだ。何で、後、三分・・・。


俺には『三分の悪魔』が憑いている。

「また遅刻か。一体お前は何度言えば・・・」
呆れたを通り越して、諦めた様に呟く教師。いつも通りの朝。八時三十三分、俺の決まった登校時間。
朝の学活も終わり、授業が始まる。
「なあ、今日お前ん家行っていいか」
「ああ」
「俺も行きたいな、行ってもいいかな」
「いいよ」
毎時限、必ずこのタイミングで俺の周りはやかましくなる。そして授業開始から三分後だ。ほら来た。
「静かにしなさい!」
教師の一喝で俺の周りは静けさを取り戻し、ようやく俺は授業に参加できる。
授業が終わりに近づくと、今度は教師が黒板に被り、前の奴が頭を動かし、俺は板書きを写せなくなる。
当然、授業が終わるまでには板書きを写し切れず、授業が終わった後に写す事になる。
それも巧い具合に、全速力で写しても三分はかかる様に残る。こうして俺の授業終了は三分遅れる訳だ。
帰学活が終わると、教師に遅刻の罰として道具一式を運ばされる。そうして三分後に俺は解放される。
その他、待ち合わせや目的地への到着、殆どの行動が嫌味の様に3分遅れる。

そう、これが俺の言う『三分の悪魔』のだ。
この悪魔は、俺の行動に、事ある毎に干渉し、妨害し、結果として予定時刻より三分以上遅らせる。
例えば、朝の学活に間に合わせようと、家を六時に出たとする。
家から学校までは普段ならば一時間とかからない。にも関わらず、だ。
ある時は電車が遅れ、ある時は柄の悪い連中に絡まれ、ある時は目の前でお年寄りが倒れる。
どんなに頑張っても、俺が到着するのは、始業時刻の三分後だ。
この悪魔は、是が非でも俺の邪魔をしたいらしい。

125 名前:三分の悪魔(2/5) ◆dmcl4gACP6 :2007/01/06(土) 08:33:54.16 ID:oLkh5AtL0

悪魔がもたらす三分遅れた生活。それは幼少の時から今に至るまで止むことは無かった。
いつからか、家族からも友人からも、俺はルーズで進歩の無い人間だと思われていた。
当たり前だ、何度注意しようが、どんなに念を押そうが、必ず遅刻してくる。
そんな周りの目が嫌になって、俺は何度も悪魔に立ち向かった。
だが、その度に俺は悪魔の力を思い知らされる。
学校の前で夜を明かせば、警察に補導されて始業時刻には交番にいた。
あの手この手で板書きを全て写せば、教師のお小言を貰う羽目になった。
何をやっても悪魔には勝てなかった。
仕舞いには歩道にまで乗り上げてきたバイクに轢かれて病院に担ぎ込まれた。
悪魔は、俺が挑むには余りに強大だった。
遂に、俺は諦めた。いや、諦めざるを得なかった。これ以上は命が危なかった。

気付けば、俺は予定時刻の三分後を目安に行動するようになっていた。
悪魔の妨害に苦しむ俺を知らない他人の非難など、どうでもよくなった。
この苦しみは俺にしか解らない。お前達に俺を非難する資格は無い。常に心の中でそう呟いていた。
すると、悪魔の妨害は全く気にならなくなった。もう、気にしないようにした、と言った方が正しいか。
時間通りに行動する事を許されない俺にとっての、唯一の逃げ道だった。

今日も俺はいつも通り、遅れ気味に家を出る。
駅から発車した電車が俺の前を通っていく。いつも俺の乗る電車より三分早く発車する電車。
あれに乗れば学校に間に合う。生真面目にそう思ってた時期が俺にもあったっけな。
だが、もう何の感慨も無い。いつも通りただ見送るだけ・・・え。
──キィーン!ガガガガガ!ガァーン!
轟音と共に電車は脱線し、地を滑り、アパートに突き刺さった。
乗客を助けたい一心なのか、野次馬根性なのか、自分でもわからない。ただ夢中で駆け寄る。
付近の住民も一斉に駆けつけて、素人なりに一所懸命に救助を始めていた。
「とりあえず、怪我人を外に出してやらねぇと!そこの兄ちゃん、手伝ってくれ!」
威勢の良い中年親父に声を掛けられ、潰れかけた先頭車両に乗り込んだ。

126 名前:三分の悪魔(4/5) ◆dmcl4gACP6 :2007/01/06(土) 08:34:30.57 ID:oLkh5AtL0

車内は赤黒い血で染まっていた。どこかで見た事がある気がする。そんなはずは無いが。
余りに衝撃的な光景に思考と記憶が錯綜しているのだろうか。いや、実際そうなのだろう。
馬鹿げた考えが次々と頭の中をよぎる。
そういえば考えた事が無かった。何故『三分の悪魔』は俺に憑いたのだろう。
もし奴がいなかったら俺は多分この電車に乗っていただろう。俺を救おうとしたのか。
そんなはずは無い。散々俺を苦しめてきた。この日の為だったとでも言うのか。
ありえない。俺は先頭車両に乗る癖が。悪魔は天使だった。俺は何故ここに居る。
駄目だ、混乱してきた。思考纏まらない。気が狂いそうだ。目の前が真っ黒になっていく。
俺はこの時間の電車に乗らない。俺は時間通りが好きだ。俺はこの電車に・・・乗っていた!
そうだ、俺はこの電車で、俺は、俺は俺は俺は俺は・・・。

ここで死んだんだ。

   *

辺り一面真っ黒だ、ここは・・・。

──後、三分なんだ。何で、後、三分・・・。

どこからか声が聞こえる。

──いつも時間通り、頑張ってたのに、俺が、死ぬなんて、なんで・・・。

目の前には男がうずくまっていた。俺はただ見つめていた。

──もっと、不真面目だったら良かったのか。俺は間違っていたのか・・・。

こいつだ、こいつが俺を苦しめた。こいつが俺を助けた。
目の前でうずくまってるこいつが、お前が…。

127 名前:三分の悪魔(4/5) ◆dmcl4gACP6 :2007/01/06(土) 08:36:06.77 ID:oLkh5AtL0
「お前が、『三分の悪魔』なのか」
思わず口から出た。その言葉に、目の前の男は顔を上げる。やはりそうか、何となく分かっていた。
「お前は・・・俺か、何で俺がここにいるんだ」
目の前の男、いや、もう一人の俺が怪訝そうな顔をしながら言った。
「『三分の悪魔』・・・、一体何のことだ」
なおも怪訝そうな顔で男は続ける。そうだな、分かる筈も無いか。
「『三分の悪魔』って言うのは、意志だ。俺を怠惰にしようとする、な」
やはり、男は理解できないようだ。順を追って話すしかないか。
「そうか、三分後の電車に乗っていれば、そうすれば死ななかった。そう思ってたんだよな。
確かにそうだ。もし俺が遅刻をしていれば、死にはしなかったろうな」
「そうだ、俺がもし毎日遅刻するような不真面目な人間なら、死なずに済んだはずだったんだ」
「そして、お前は架空の自分を作り上げた。俺だ。その口振りだと無意識だったようだが。その
俺を、お前の思う不真面目な人間にしようとする意思。それを俺は『三分の悪魔』って呼んでる」
俺がそう言うと、男は嬉しそうな表情を浮かべて言った。
「そうだったのか、それでどうだった、死なずに済んだのか」
「ああ、死にはしなかった。いや、前より早く死んだかな」
俺のその言葉に、男は戸惑ったようだ。男は複雑そうな表情で、再び尋ねる。
「どういう事だ」
「事故死はしなかった。そういう意味では死ななかった。でも、俺は、俺では無くなってしまった。
自分の意志に従って生きられなくなった時点で、もう俺は死んでいた」
「贅沢を言うな。俺は事故で死んだ。お前は死ななかった。それだけで幸せじゃないか」
「違うな。人は自分の意志で生きるから全てを受け入れられる。それを、自分の意志を否定されながら、
他人に選択を委ねて生きれるはずがない。人は自分の選択だからこそ失敗を認められるし成功を喜べる。
違うか。少なくとも、俺は『三分の悪魔』の作った人生など受け入れない」
俺がそう言うと、男は黙り込んだ。
分かるはずだろ。お前は俺なんだから。
男はゆっくり口を開くとぽつりと言った。
「俺は、間違ってなかったのか」
「ああ、素晴らしい人生だったと俺は思う。確かにやり残した事ばかりだったが、最後の最後まで、
自分らしく生きていた。何一つ間違ってはいないよ」

128 名前:三分の悪魔(5/5) ◆dmcl4gACP6 :2007/01/06(土) 08:36:26.61 ID:oLkh5AtL0
男は再び沈黙した。
男は悩んでいるのだろう。当然だ。自分が否定してきたものが正しいと言われて、すぐに受け入れ
られる筈も無いだろう。
男は動かない。俺はただ、悩んでいるであろう男を見守った。何時間過ぎただろう。
やがて、男は悟ったような顔をして口を開き、言った。
「ありがとう。そして、すまなかった」
「気にするな、俺はお前だ。俺も悔いを残さずに済んで嬉しい」
「ああ、ありがとう」
そう言うと、男は満たされた様な顔で黒い空を仰いだ。
黒一色の景色が白んでいく。ああ、『三分の悪魔』は死んだんだな。やっと、これで・・・。
男は俺に手を差伸べて言った。
「それじゃあ、逝こうか」
「ああ」
向かい合う、もう一人の俺は、満ち足りた顔をしている。きっと俺も。


──さあ、安らかに眠ろう。



               <了>



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