【 旅 】
◆Qvzaeu.IrQ




867 名前:旅 ◆Qvzaeu.IrQ :2006/04/16(日) 22:16:10.87 ID:E0o1OxiG0
 思えば、俺はいつも貴方の後ろ姿を追ってました。
 貴方の生き様に、俺はオトコを見ました。
 だから俺はこれからも、貴方の教えにそって生きていきます。

「さてっと、これで俺の授業は終わりだ」
 そう言って、師匠は『月島学習塾』と書かれた参考書のページを閉じた。
 師匠は、塾の数学の先生だ。弟子は、俺1人だけ。
「遼平、受験の面倒最後まで見れずに悪かったな。まあ、大人の事情って奴だからさ」
 そう言って、師匠はわはははと笑う。
「いや、しょうがないってば。ここ、よく持ちこたえましたよね」
「そうだな、三年生はお前1人だけだしなあ。小学のガキンチョは沢山いるけどな」
「そっすね〜」
 黒板の数式を眺めながら、二人で暫く話をする。
 師匠は変な人だ。俺も多分相当変な奴だろう。
 変な奴同士で気があって、次々と同じ学年の奴らが大手の塾に移るのを見てきた。
 黒板の破片を見ながら、最後は経営悪化で潰れるところまで。
「それにしても、武さんさ〜。黒板の傷どうするんですか?」
「黙ってりゃばれねってw」
「いや、そんな傷じゃないってば。ここ、新しくどっかの塾が買い取るんですよね? やばいっすよ」
 電車が通り過ぎ、明かりが、師匠の横顔を照らしては去っていった。
「まあなあ。でも、自分で言うのは恥かしいだろ?」
「授業中にヒートして、黒板殴ったら欠けちゃったんですもんねえ。良いんじゃないっスか? 教育熱心なオッサンで通りますよ」
「うるせえよ、オッサンじゃねえって」
「俺の倍の歳のクセに?」
「世間じゃ、30代は若いっつーの。お兄さんだろ。認識を改めろ、馬鹿」
「まあ、三倍じゃないだけマシですよね」
「殺すぞw」
 こうして話していると、ふと今までの伝説を思い出した。

868 名前:旅 ◆Qvzaeu.IrQ :2006/04/16(日) 22:17:15.66 ID:E0o1OxiG0
 この人は数多くの伝説を持っている。
 授業中に疲れてくると、師匠はその伝説をとつとつと語ってくれた。
 18の頃にヤクザの事務所で鉄砲玉をしていた事とか、二十歳になったら仙人の修行をつみに三年山篭りしただとか、20代の後半になって数学を猛勉強したとか。
 この人は、凄い。ヤクザの喧嘩でカタナ傷作った事の話なんか、本気でヤバイと思った。
 今もこの人の右足には、裂傷が残っている。酒の席で話してくれた。
「どうする? 孝祐。この後は何かあるのか?」
「いや、何もないっすよ」
「そうか、じゃあ酒に付き合え」
「まだ俺、16だし」
「またホッピー飲ませてやるよ」
 そう言って、師匠は豪快に笑う。
 この人のことを本気で慕ったのは、あの日からだ。
 丁度今日みたいな、冬の日だった。
 空気が凄く澄んでいて、どこまでも輝く星が見えたような気がした。
「思い出すな、あの日もこうやって孝祐と一緒に酒飲みに行こうって話したよな」
「あの時は自棄酒ですけどね」
「そう言うなって」
 彼女と喧嘩して、別れて、その時一度だけ師匠と酒を飲みながら話しをしたことがある。
 どうしようもないほど、情けない時のこと。
 真っ直ぐ歩けないほどに酔っ払って、俺に説教垂れて、最後はどれだけ彼女が好きだか延々と話して聞かせてくれた。
 ほんっと、あの時は情けなかった。イキナリ号泣しだすし、自分の不甲斐なさが何とか喚いていたし。
 でも、その時何故か、この人はすげえ人だと思った。
 両親見ても、学校の先生見ても、友達見ても、自分だって大したことない人だと思ってきたのに。 
「男だから、沢山はしゃべんねえよ。よく聞け」
「おう」

869 名前:旅 ◆Qvzaeu.IrQ :2006/04/16(日) 22:18:18.93 ID:E0o1OxiG0
 冬の寒い風が吹き付ける。勉強で熱くなった頭が冷えていくのを感じる。
「俺も歩んでいく、孝祐も歩んでいく。目の前見て歩け、死ぬまで歩け。そこに、俺や誰もいなくても歩いていけ。旅を辞めるな」
 それだけ言うと、ポケットの中に手を突っ込んだ。
「分かった」
 だから、俺も頷くだけにした。
 言いたい事も、思っていることも沢山あった。
 塾で学んだこと以外にも、この人には沢山お世話になったから。
 男ってモンを学んだ。
 だけど、思い出すのはもう辞める。
 今、この人とは別の道を歩いていくんだって思ったから。

 終わり



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