【 それぞれの温故知新 】
◆2LnoVeLzqY




855 名前:それぞれの温故知新 1/5 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/30(土) 22:29:35.01 ID:wDZRdMee0
 一ヶ月前に買ってもらったばかりの新しいおもちゃを、少年はぽいと投げ捨てた。
 手から離れたおもちゃは低空飛行で宙を舞う。それから、がしゃんと音を立てて床に落ちる。
 広い広い部屋の中、その音が、妙に大きく響いた。
 召使いの若い女性が、すぐに壁際からそのおもちゃへと駆け寄る。そして、はあ、とため息を漏らしながら、彼女はそれを箱に戻した。
「……だって、飽きちゃったんだもん」
 彼女の視線に気付き、少年は言い訳のように呟く。
 ため息を、今度は心の中でついてから、彼女は諭すように少年に言った。
「いいですか、この国は今、戦争をしているんですよ。ただでさえモノが足りなくなったりしているんですから、大事にしてくださいね」
 七歳の少年に、しかも、甘やかされて育った少年に、戦争うんぬんがわかってもらえるかどうか……。
 少年の目を見つめる。目と目が合う。少年は、ちょっとだけ驚いた顔をした。
「大事にしてくださいね、いいですか?」
「う、うん。わかった」
 よろしい、と心の中で呟いて、彼女は壁際へと戻る。それから少年の様子を、召使いらしく見守ることにした。
 少年は、今度は一昨日買ってもらったばかりのおもちゃに手を伸ばした。おもちゃの弾が飛ぶ鉄砲だった。
 次に少年は弾を探し始める。そんな様子が、彼女は羨ましくもあった。
 彼女は、貧しい階級の生まれだった。当然のことながら、幼い頃はおもちゃに囲まれたことなんかなかった。
 戦争が始まって、彼女の兄は軍隊に入ってしまい、彼女自身は召使いとしてこの家に仕えることになった。
 それでもまだまだ、自分は恵まれている方なのかも、とも彼女は思う。
 改めて少年を見る。結局、弾は見つけられなかったようだった。
 すると少年は、手に持ったおもちゃの銃を、ぽいと投げ捨てた。
 がしゃんという音が響く。こりゃ駄目だ、と彼女はまた、ため息をつく。

   …………

「ずいぶん良くなったじゃないの」
 母親がそう誉めると、少女は照れるように笑った。
 そばかすだらけの少女が手に持っているのは、銀色に輝くフルート。
 アルバイトをして貯金をし、十四歳の誕生日に少女が自分で買った宝物だ。
「でもまだまだ。第二楽章が上手く吹けないの。練習が足りないわ」 
「あら、そうなの。その新しい曲、あたしには、すごく上手に聞こえるわ」

856 名前:それぞれの温故知新 2/5 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/30(土) 22:30:43.14 ID:wDZRdMee0
「……お母さんは詳しく知らないからよ」
 そう少女に言われ、母親は肩をすくめてみせる。
 この子の妙に気の強いところは、母親である自分譲りだろうな、と彼女は思う。そうは思うが、口にはしない。
 ――そしてこの子も大きくなったら、また自分と同じことを、子供に対して思うんだろう。
 彼女は木製の椅子に腰掛けると、優しげな目で少女を見た。
 そんな母親の視線に少女はちょっとだけ戸惑いながら、それでもしっかりとフルートを構えた。
 少女と母親しかいない家の中に、フルートの音色が響く。
 窓からは木漏れ日が差し込み、戦争という事実を忘れてしまいそうな、穏やかなひとときだった。
 そして、音色が止んだ。それからひとりぶんの拍手の音。
「やっぱり上手いじゃない。あたしは、詳しく知らないけれどね」
 母親が笑いながら言う。つられて少女も笑ってしまう。
「そういえば、前によく吹いてたあの曲、やってくれない?」
 母親が少女に言う。その途端、笑っていた少女の顔がちょっとだけ翳った。
「……あれは、もう吹かないわ。上手く吹けないし、それに、飽きちゃったから」
 そっけなく、少女はそう言う。
 母親は椅子に座ったまま、本当に残念そうに、「あら、そうなの」とだけ、呟いた。
 少しばかりの沈黙。木漏れ日が揺れ、少女の顔を照らす。
 ふと思い出したように少女が呟いて、その沈黙は破られた。
「戦争、早く終わってくれないかなあ」

   …………
 
 助手が研究室のドアを開くと、耳に飛び込んできたのはキーボードを叩く音。それも、並大抵の速さじゃない。
 ところどころでマウスをクリックする音が聞こえる以外は、ほとんどボタン連打に近いのだ。
「……博士、今度は何ですか?」
 助手である若い男性が、パソコンデスクに座る博士に近づく。
 博士はそれに気がつくと手を止め、彼の方に向き直った。
「何って、発明じゃよ、発明」
「……今度は何を作ろうとしてるんですか」
「空飛ぶ車じゃよ。これで、世界から渋滞が消えるはずなんじゃ」

858 名前:それぞれの温故知新 3/5 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/30(土) 22:31:41.78 ID:wDZRdMee0
 子供みたいにそれだけ言うと、博士はまたパソコンに向き直った。再びキーボードを叩く音。
 助手である若い男性は、手持ち無沙汰に散らかった研究室の中を見渡す。
 ――空飛ぶ車、ね。
 夢物語だな、と彼は思う。あくまでも、夢の話だ。
 だが、そんな夢のような話でも、現実のものとしてしまう。
 博士はそんな人なのだと、助手である彼はよく知っていた。
 新しいモノを、次々と作り出す。博士の、この前の発明だって――
「そういえば博士、この前までご執心だったあの発明品、もういいんですか?」
 博士はそこでふと手を止めて、彼の方に顔だけ向けた。
「いいんじゃ。あれはもう完成した。もう手の加えようなどないし、それに……」
「それに?」
「使う機会がないものって、やっぱりつまらないじゃろ?」
 そう言うと、博士は子供みたいな笑みを顔に浮かべた。
 まったく、やっぱり博士は博士だ。
 資料やら書類やらで埋まった部屋を見渡して、助手である彼は苦笑いを浮かべた。
 使う機会がないものはつまらない。使う機会があってこその発明。
 まさにそのとおり。博士が空飛ぶ車に夢中なのも頷ける。だが、あれは……。
 彼がそう思っていると、突然、研究室のドアがノックされた。

   …………

 少年がこっちの様子を見ている。きっと自分の行動がおかしいと思っているに違いない。
 おもちゃの箱を漁りながら、召使いの若い女性はそう思った。
「……ねえ、何してるのさ」
 少年は彼女に問い掛ける。彼女は相変わらず箱の中を漁る。少年の問いには答えない。
 さっき少年が放り投げたおもちゃの銃は、床に転がったままだ。
 やがて彼女はおもちゃの箱の中から、お目当てのものを見つけた。それはおもちゃの箱の、一番底にあった。
 それを取り出し、彼女は床に座る少年の前に置く。
「それ、何?」
「積み木の入った箱よ」

859 名前:それぞれの温故知新 4/5 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/30(土) 22:33:50.75 ID:wDZRdMee0
 彼女は蓋を開けた。三角、四角、丸。さまざまな形の積み木が、綺麗に箱に収まっていた。
 ひとつ、またひとつ取り出す。それを少年の目の前で積み上げていく。
 少年が、幼いころ良く遊んだ積み木。成長するにつれ、積み木への興味を失ってしまった少年。
 今ならば、きっと。幼い頃、積み木が唯一の遊び道具だった彼女にとって、それはある意味確信だった。
 積み木が半分ほど積みあがった。それは、まだ出来かけの、お城だった。
 彼女は、少年の目を見た。見たこともないぐらい、輝いた目だった。
 少年が積み木をひとつ掴む。そして、出来かけのお城の上に積んでいく。
 少年が、積み木をもうひとつ掴む。お城がまたひとつ、またひとつと完成に近づく。
 少年が放り投げたおもちゃの銃は、床に転がったままだ。

   …………

「前によく吹いてたあの曲、もう一度だけ吹けば、きっと戦争は終わるわよ」
 椅子に座ったまま、母親は少女に向けてそう言った。ため息をつきながら、少女は答える。
「そんなはずないじゃない……お母さん、私にそれを吹かせたいだけなんでしょ、ばかみたい」
 ばかみたい、と言ってから、少女はしまった、と思った。母親が怒るかもしれない。
 だが母親は椅子に座ったまま、じっと少女の目を見据えていた。
「……あの曲はね、お父さんが、とっても気に入ってたの。戦争に行っちゃって、生きてるか死んでるかもわからないけれど……」
 母親が静かに口を開く。少女はフルートの銀色を見つめる。それから、窓のそばにある写真を見た。
 木漏れ日が写真を照らす。その中にうつる父親の姿が、輝いて見えた。
「あの曲を吹けば、お父さんがそれを聞きに、戻ってきてくれるかもしれないでしょ?」
 母親の言葉に、少女は急に泣きそうになった。
 理由はわからない。けれどあの曲をもう一度だけ、吹きたいと思った。
 フルートを構える。そっと息を吹き込む。忘れはしないあのメロディを、そっと奏でる。
「!?」
 吹きながら、少女は驚いた。上手く吹けないはずの部分が、すんなりと吹けた。
 母親は、それを見てにっこりと笑う。
「あなたが今良く吹く曲、その曲より難しいんでしょ? それなら、上手くなっていて当然じゃない」
 二人しかいない家の中に、フルートの音色が響く。
 戦争、終わってくれたらいいな。フルートを吹きながら、少女は思う。

860 名前:それぞれの温故知新 5/5 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/30(土) 22:36:08.08 ID:wDZRdMee0

   …………

 ノックの音を聞き、博士の助手がドアを開く。
 そこに立っていたのは、スーツ姿の男性ふたりと、軍服の男性ひとり。
 ただ事ではないな、と助手は直感で思った。
「突然ですが、博士」
 スーツ姿の男性のうちの片方が、唐突に切り出す。
 博士は相変わらずのんびりと手を止め、男性の方に向き直った。
「軍の上層部より、発射許可が下りました。目標は敵国首都。宮廷の真上です」
「発射許可? ……発射許可……おお、あれか!」
 博士はそう言うと、キーボードを次々と叩いた。心底、嬉しそうに叩いた。
 発射許可。軍の上層部が、博士が、何をしようとしているのか、助手もすぐに気がついた。
「……博士、まさかあれを撃つのですか?」
「そうじゃが、何か問題でも? 言ったじゃろう。使う機会が無いものはつまらない。じゃが……」
 ――機会があってこその発明なのじゃ。
 そして、スイッチが押された。
 これで良かったのだろうか。助手はひとり、目を瞑り思った。


 その日、戦争が終わった。
 博士の開発した新型爆弾CH−2は、敵国の首都に命中。
 その国の人間の七割が、一瞬でその命を奪われたという。
 その中には、少年も、召使いの女性も、少女も、その母親も含まれていた。
 新型爆弾を浴びたその国は即日降伏。
 しかし、戦争に直接関係のないはずの、多くの敵国の人命が奪われた、という事実は、
 戦勝の熱狂の中においては、誰の目にも触れることはなかったという。



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