【 マイ・フェア・マミィ 】
◆/7C0zzoEsE




846 名前:マイ・フェア・マミィ(1/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/12/30(土) 22:18:36.07 ID:sC5Z3oqa0
 朝、目が覚めて始めに確認したのは煙草の煙。
部屋中が薄く白く感じられるのは、さながら霧の中の様。 
 すっかり慣れてしまったこれに、俺は嫌悪感も感じなかった。
しかしこんな時間から酒に溺れているお袋の姿に、
違和感が無いことに嫌気がさす。
 いつから、お袋はこんな風になったのだろう。
物心がついた頃から、お袋と二人で暮らしていた。
貧乏だったのは確か、親父の顔も声も知らない。
 お袋は三白眼で色気を感じる視線を、俺に浴びせる。
こんなやつれた顔だから分かりにくいが、
実際はまだ随分若いはず。女性としての魅力が最大限に引き立たされる年齢だったはずだが、
自分の年齢と差し引いた時に、絶望的な計算になるので覚えていない。
「ねえ、これ、何よ」
 お袋の利き手に握り締められているのは、一枚の紙切れ。
昨日、確かに捨てたはずだが、見つかったか。紙には参観日の知らせと、堂々と書いてある。
「ああそれ……。いいよ気にしないで、仕事忙しいだろ?」
 お袋はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、
いってきますと言って背中を向けた。
 
 中学生にもなって、親の来る授業参観などに胸は弾まない。
来ようが来るまいが、どちらでもかまわないと言うのが本音。
 ただし、お袋は仕事場にも酒を持っていくような人。
学校に酔っ払って来て、同級生の前で喫煙されたらたまったものではない。
 気づかれないことにこしたことは無いのだ。知らぬが仏とでも言うか。

847 名前:マイ・フェア・マミィ(2/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/12/30(土) 22:19:04.59 ID:sC5Z3oqa0
 学校の荷物と、ごみ袋を両手に抱えて家を出る。
ふと、アパートの前で邪魔な井戸端会議を見つけた。
妙に大きな内緒話が、耳につく。
「ええ、そう、203号室のね」
「あの年で、あんな大きな息子さんがいて」
「それにいつも酔っ払って、みっともないったらありゃしな……」
 肥満体型の婆さんが、俺に気づいて言葉につまる。
人の悪口くらいしか趣味が無いのか、みっともないのは手前達だ。
 俺はその連中を蔑んだ目で見て通った。
ばつが悪そうにしているが、また意味の無い会話を交わし始めていた。
 それのせいか、今日は一日苛立ちが抑え切れなかった。
たとえ、どんな様子であろうと俺はお袋を慕っている。
 それを、無関係の連中に馬鹿にされるのは腹がたつ。
学校の授業中も、ろくに話が頭に入ってこなかった。
 そして今度の参観日のことが、頭の中で渦巻いていた。

 悶々とした時間が過ぎ、橙色の夕焼け空が目に染みる中、帰宅する。
家の鍵を開けて、家の中に入ると、あっと声を漏らした。
「お袋! 何してんだよ、仕事は?」
 家の中には、普段の何倍か酒気を帯びている母が倒れていた。
目元を濡らして、声にならない声をあげている。
「あんた、あんた恥ずかしいんでしょう……っわたしがみっともないからって、
 参観日にも来て欲しくないんでしょうっ」
子供のように、泣きじゃくるお袋。何言ってるんだよ、とは言えなかった。
「もう嫌だよ……疲れたわ」
 弱音を吐く、お袋の姿。酔っ払っているときよりも小さく見える。
俺は怒鳴った。
「嫌なら、変わらなきゃだろ! そんじょそこらの人間に文句言わせないようにしないと」
 お袋はボーっとした目で俺を見つめて、次の瞬間嘔吐した。

848 名前:マイ・フェア・マミィ(3/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/12/30(土) 22:19:20.47 ID:sC5Z3oqa0
「少しは、ましになった?」
水を飲ませて、少しゆっくり寝かせておいた。
目が覚めたお袋は、予想通り開口一番頭が痛いと言ったので、頭痛薬を渡す。
 ちょっと間をおいて、お袋が話し出した。
「ねえ、私が変われば、参観日に行ってもいいの?」
「え? ……ああ、何言ってるんだよ」
 さっきの言葉を真に受けてくれたみたいだ、戯事とは思わなかったらしい。
「どうなの?」
お袋の語る目は、真剣そのものだった。
 たかだか、参観日くらいでここまで思えるものだろうか、一握りのプライドだろうか。
「ああ、勿論だよ。約束するよ」
 お袋は、よしといきこんだ後。少し悩んだような顔で言う。
「じゃあ……、手伝って。新しい、私になるから。約束するから」  

 変わると言っても、振る舞いから言葉遣いまで全てを矯正するのは難しい。
参観日まで、後一ヶ月も無いというのに。
 それでも、何度言っても改善しようとしなかった、
お袋の生活を変える良い機会になったなら、良しとしよう。
 まずお袋を、久しぶりの風呂に入らせた。頭のふけが目立っていたので。
その間に、家中の酒類、煙草類を隠す。家の事はほとんど俺が管理しているので、問題は無い。
 風呂からあがったお袋は、すぐに文句を言う。しかし、異論は挟ませなかった。
参観日のため、そう言えば苦虫をかみ殺したような顔で、口を閉じてくれた。

 禁煙、喫煙を徹底して、身にまとわりついてる臭いを消す。
一ヶ月も耐えると、きっと悪いイメージも無くなると信じる。これは、最低条件だった。
 言葉遣いは、なるべく敬語を習得させようとしたが、
尊敬語も謙譲語も丁寧語も、全てがごっちゃになってしまうので、どうにもならない。
なので、学校では決して話さないように、約束した。きっと問題は無いはず。
 三白眼は生まれつきなので仕方ないが、目つきが悪いのはきっと視力のせいだと考えた。
俺は、ずっと隠していた自分の小遣いを使って、お袋のための眼鏡を購入した。

849 名前:マイ・フェア・マミィ(4/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/12/30(土) 22:19:42.98 ID:sC5Z3oqa0
「凄い。あれ……あの教育ママって感じかな」
「うるさいわねえ」
 睡眠を十分にとって、目の下のくまを無くす。血色を良くする。
 姿勢を矯正するために、背骨に沿って棒を挟んだ。

 俺の言うことを、何一つ嫌がらずにこなしていく。
そうして何日か経っていく上で、あまりに分かりやすく見違えていった。
 近所の人が、仕事に出るお袋への視線が違って見えたのも、勘違いでは無いだろう。
 お袋は何か物事に目標を持てば、ここまで変われる人だったのか。
もっと早くに、こうしていれば良かったと思ってしまう。

 ついに迎えた参観日の日、教室の後ろには美しい女性の姿が見られた。
それは、俺の一言で本気を出してくれた自慢のお袋。真の親の姿。
 普通の母親と変わりなく、いやその若さから一段際立って光っていた。
授業が終わると、一目散に親の元へ行く。
「結構、様になってるじゃん」
 思春期を迎える俺の年、周りで母親に話しかけるような奴はいない。
羨ましく思うことだろう。こは、約束を守るお袋への感謝の印。
恥ずかしくも無い。同級生からの冷たい目も気にしない。

 家への帰りの道、お袋が恥ずかしそうに笑っていた。
「もう、足が痛かったわ」
風が冷たくて、耳の先まで真っ赤になる。
「本当に、感心したよ。凄いよ。見直した」
二人、大口を開いて笑う。
お袋が、俺の方を向いて何か言いたそうにしている。
「どうしたの」
「あのね、」
お袋は、耳の先まで真っ赤にしている。それは寒かったからに違いないはず。
「新しいお父さんって……欲しくない?」

850 名前:マイ・フェア・マミィ(5/5) ◆/7C0zzoEsE 投稿日:2006/12/30(土) 22:20:21.80 ID:sC5Z3oqa0
「ああ、もう! 無理しちゃ駄目だって!」
義父が、台所仕事をしているお袋を制す。
 前よりも、ずっと大きな家に住んで、何の不備も見当たらない。
仕事先で、義父と良い関係になれたお袋には、心から祝福した。
義父にも感謝している。この、家電も食事も住まいも全てが彼のおかげで成り立っているから。
 お袋はあれ以来、酒も煙草も完全に絶った。
 今なんて、全くの論外らしい。もう一つの生命には、何一つ問題を与えられない。
「常に気にしなくちゃ、私たちの子供なんだから」
 言い終わった直後に、しまったと言う顔をあからさまに。
「いや、あの……。気をつけるんだよ」
俺には気を遣ってくれなくてもいい。そんなものは必要ない。
 俺は苦笑いをして、学校へ行く用意を済ませた。

 別に気にするような事じゃない。
親離れができない子供じゃあるまいし、マザコンじゃあるまいし。
実の義父に、嫉妬に狂うようなことなどありえない。
 ただ、あの一ヶ月が妙に懐かしく思うだけで。
 玄関先で靴を履いて、部屋の向こうの家族を見つめた。
俺だけが隔絶されているような、そんな錯覚が頭に浮かんですぐに振り払った。

 できるかぎりの、笑顔を持って家族に声をかける。
片手でドアを開けて、
「行ってきます。お袋、おじさん」

             (了)



BACK−むかしむかし ◆IOXYmSMPl6  |  INDEXへ  |  NEXT−それぞれの温故知新 ◆2LnoVeLzqY