【 また新しい雪が降る 】
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569 名前:また新しい雪が降る 1−5 投稿日:2006/12/29(金) 23:05:23.55 ID:eYfTzUhs0
 新雪の感触が、足の裏を介して伝わってくる。さくさくと、カキ氷のような感触が心地よい。
 わたしはまっさらに積もった雪に、一番乗りで足跡をつけるのがなによりも好きだった。多分、男が処女の膜を破りたがるのと同じ感覚なのだと思う。傷物にしているという充実感がたまらない。
 それにしても。ふと足を止めて、顔を上げる。空一杯に広がっている鉛色の雲。ぼたん雪を狂ったように降らせるそれは、この北海道の地でも珍しいものだった。
 既に二、三メートルの積雪量を誇っているであろう雪は、民家の一階部分を完全に飲みこみ、更に侵食の手を伸ばしていた。
 とうのわたしも、既に真っ白に染められてしまっていた。吹雪の吹き付けるような激しさはないが、それでも尋常でない降雪にはほとほと嫌気がさしていた。
 まったく、誰かが雪女の機嫌でも損ねたんじゃないのだろうか。この地域の人間は、よくそんなことを言って豪雪を嘆じた。昔は本当に雪女と称される人間がいたというが、伝承の話だ。
 わたしは雪に足跡を残すのは好きだが、雪に不快な思いをさせられるのはごめんだ。わたしのそんな嫌悪感を知るか知らずか、グレーの雲は雪を降らせ続けていた。
 この雪の勢いを鑑みるに、今日は自主休校の可能性がある。引き返そうかと思ったが、既に道半ばだ。
 わざわざここまできた苦労がふいになったときのことを考える。それならば、そのまま学校へ向った方がいいような気がした。北国では、多少の積雪なら休校にはならないのだ。
 そこから十分ほどかけて、わたしは校門の前についた。三メートルほどの正門は硬く閉ざされ、しかし大量の積雪で頭頂部が一メートルほど見えている程度に全長を短くしていた。
 どうやら明らかに判断ミスをしたようだ。まさかここまで積もるとは。道中人を見かけなかったのは、わたしが新雪に足跡をつけるべく早起きしたせいだと思っていたが。どうやら古参の道民は、これを予見していたらしい。
 はあ、とうなだれる。引き返すという選択肢は既に潰れている。既にわたしの体は冷え切っていて、これ以上短いスカートから生足を出した格好をしていては、凍死は免れないというものだ。
 校内でどうにかして暖を取ろう。可愛らしい大きさの校門をまたぎ越え、雪の上を歩く。上をというより、中を這っているようなものだ。既に、太腿の辺りまで雪にうずまってしまっている。
 ああ、寒い。そろそろ死にそうだ。遺書でも書いて置けばよかったかと思い始めたころに、ようやく校舎の二階部分が見えてきた。自分から最短距離にあった窓ガラスを蹴って外し、校内に侵入する。
 外れた窓ガラスの上にわざと着地して粉砕し、更に足を動かして細かく砕く。思わずほう、と悦に入った表情になる。踏みにじるという行為は、わたしがこの世で最も愛する行為の一つだった。
 砕けたガラスのことは露ほども気にしない。この大雪の中では誰の目もないし、そもそもこの学校は、わたしの親が理事を勤める私立学校なのだ。好き勝手は、いくらでも許される。

570 名前:2−5 投稿日:2006/12/29(金) 23:05:55.90 ID:eYfTzUhs0
 さて。暖の取れる設備があり、かつこじんまりとした空間は何処だろう。服に付着した雪を払いつつ、考えを纏める。太腿が冷え切ってしまっている。早く暖めたい。
 保健室が妥当か、と私はめぼしをつけた。あそこなら毛布のあるベッドがあるし、なにより第一条件である設備と面積の点で及第点を取っている。
 ぐしゃりとガラスを土足で踏みしめて、保健室へ向う。階下では、雪の重みで圧迫された窓ガラスが悲鳴をあげていた。女子生徒に蹴破られる窓だ。保つだろうか。
 だが、今まで雪の重みによって窓ガラスが全滅した、という話は聞かない。ならば大丈夫だろう、と気にしないことにした。同じ理由で、自分の家の安否も考えないことにする。
 凍りかけた廊下に足を取られつつも、わたしはなんとか保健室へと辿り着いた。やっぱり帰ればよかったと悪態を吐きつつ、引き戸に手をかける。
「きゃっ!?」
 一息に苛立ちを込めて扉を引くと、無人の学校には不自然な暖かい空気と女性の声がわたしを迎えてくれた。眉根を寄せて、目を細める。どうやら学校にきている人間が、わたし以外にもいたらしい。
 後ろ手に扉を閉じる。先客の女性は身をすくませ、闖入者のわたしにびくついているようだった。白衣を着ているし、保険医だろう。
「あなた、保険医? よく学校にこれたわね。外、凄い雪よ」
「え……あ、はい……。わたし、雪が降る前にここについたので……」
「降る前? あなた、何時からここにいるのよ。それより何か暖かいものが飲みたいんだけど、出せるかしら?」
「ほ、ホットミルクでいいですか?」
 ええ、と返事を返しつつ、ベッドに腰をおろす。溶けた雪を孕んだ髪を手で払い、水気を飛ばす。手近にあったタオルを、保険医の承諾を得ずに使って頭を拭く。
 しばらくすると、保険医が両手にカップを持って戻ってきた。ありがとうと口だけで告げて、片方を受け取る。
「助かったわ。ほんとにもう、死ぬかと思ったもの。あなた、命の恩人ね」
「そんな……」
「あなた、名前はなんていうの? わたし、あなたの顔知らないわ」
 保険医は少し困った顔をしたあと、佐藤小雪です、と答えた。ふーんと鼻をならして、自分の名前を告げる。ホットミルクをくいと煽って、ぬるいわねと呟く。
 閑散とした部屋の中に、石油ヒーターが温風を吐き出す音だけが響く。わたしは気にならない程度だったが、小雪という保険医はこの沈黙に居心地の悪さを感じているようだった。
 カップに両手を添えてこちらの挙動を伺っている小雪は、小動物的な弱々しさを感じさせた。虐げられる存在特有の、嗜虐心を煽るフェロモンを発散させている。
 雌豹の如く、口元をほころばせながら舌なめずりをする。わたしは、彼女のような人物がこの上なく好きだった。理由は至極簡単。ネコとネズミに同じ、加虐と被虐で関係を結べるからだ。

571 名前:3−5 投稿日:2006/12/29(金) 23:06:29.53 ID:eYfTzUhs0
「そういえばあなた、本当に雪が降る前からここにいたわけ? 何時ごろからよ」
「たしか、3時ごろでした……」
「なんでそんな時間にいたの」
「わたし、今日全校生徒の前でのスピーチがあって……。それを練習してたんです」
 へえ、と適当な相槌を打つ。近いうちに保険医を新規で雇うことにした、という話を聞いたことを思い出した。そうか、コイツだったのか。出勤初日の、緊張にまみれている状態というわけだ。
「あなたがそんなことで夜遅くにうるさくしてるから、雪女が怒ったんじゃないの?」
「え……」
「知らない? この地方独特の言い回しなんだけど。大雪が降ったときは、雪女が機嫌を損ねたって言うのよ。まったく、いい迷惑ね」
「……すみません」
 謝る必要などないのだが。しかし、これで確信した。やはり小雪という人間は、そういう人間なのだ。下から上を見る、わたしのおもちゃになる素質のある人間。
 要すれば、虐めの対象にしやすいタイプの人間だということだ。次の遊びの主賓は、教師。それもまた乙なものだ。どうせこの学校にいる以上、誰もわたしに逆らえたりはしないのだ。
「そうね、じゃあ罰として見せてよ、スピーチ」
 小雪が一瞬、呆けた顔になる。しかしすぐに我に返って、首を横に振る。拒否? そんな選択肢は、はじめから存在しない。
「見せろって言ってるの。生徒の一人にも見せられないようなお粗末なものなわけ? 呆れた」
 眉をしかめて、半目で睨みつける。小雪はおびえたそぶりは見せたものの、しかし羞恥の方が勝るのか承諾はしなかった。それならそれでいい。違う方法を取るまでだ。
「じゃあ、あなたをこの学校で雇うのは止めにするわ」
「えっ? そ、そんなの、なんで……」
「あなたわたしを誰だと思ってるの? この学校の理事の娘よ?」
 言いながら立ち上がり、顔に恐慌を浮かべた小雪の頭頂部に手をやる。握り締めて、髪を引っつかんで立ち上がらせる。痛い、という悲鳴が甘美な響きを持って、わたしの脳髄に浸透していく。
 わたしは、世間的にいじめっ子と呼ばれる人種だ。対象の心に傷を負わせたり死に追いやったりする、社会悪だ。それはわかっている。わかっていても、してしまう。そして出来るから、する。
 生来の性質なのだと思う。遺伝でも、家庭環境ゆえに後天的に獲得した歪みでもない。生まれた時からわたしは、他人を痛めつけることに快感を覚える人間だったのだ。

572 名前:4−5 投稿日:2006/12/29(金) 23:07:04.36 ID:eYfTzUhs0
「やめて下さい!」
 浸っているのもつかの間、わたしは小雪に突き飛ばされて、ベッドに仰向けに倒れこんだ。手が当たった腹部に、鋭い痛みが走る。あまりの痛みに、うめきながら視線を患部に向ける。
 凍っていた。服が氷結して、肌が凍傷を起こしていた。驚愕に目を剥いて小雪に顔を向けると、小雪も同じような表情をしていた。我に帰った小雪は、すぐに駆け寄ってきて慌てふためき始めた。
 先程わたしが髪を拭いたタオルで、患部を抑える小雪。動揺しながらも、わたしは一部残った冷静な意識で状況を観察していた。手に絡まった小雪の髪に気がつく。根元が、白い。
 そこでわたしは、あることに気がついた。伝承の雪女。白い髪と赤い目をもつ、自在に氷を操る魔女の言い伝え。そうか、いたのか。
「あなた、雪女なんだ」
 わたしの言葉に小雪が顔を上げる。気の毒になる程に歪んだ顔が愛おしい。その顔に手を伸ばし、目の中に指を突き入れる。反射的に逃げようとする小雪の頭を抱えて抑え、目当てのものを手に入れる。
 真黒いカラーコンタクト。片目を抑えてうずくまる小雪に、満面の笑みを送りつける。ぞくぞくする。まさか、こんなファンタジーが目の前で発生するとは。
「馬鹿なことをしたわね。抵抗しなければただアルビノで通せたのに。ふうん、ということはこの大雪もあなたの仕業だったのね。すごいじゃない、雪女さん。なんでこんなことしたわけ?」
「わ、わたし……その、違います……」
「なにが? 大丈夫よ、安心して。わたしは雪女だからって差別をしたりしないわ。わたしがそんな人間に見える?」
 顎を少し持ち上げて、思い切り小雪を見下す私の顔は、間違いなく悪独裁者のそれだった。小雪は小刻みに震えたまま、顔を俯けた。
 しばらくして、小雪が顔を上げた。涙をためた血色の目に、ありありと敵意が浮かんでいる。今までわたしがよく目にした目と、同じ光を放っている。窮鼠猫を噛む。追い詰められた人間の、最後の力。
 小雪が立ち上がる。わたしは余裕の表情を崩さない。仮に雪女の力がわたしを何度殺しても余りのある力だとしても、所詮凍らせるだけの力だ。
「正体がばれたから、殺す? 今までもそうしてきたの? まあ、そうよね。雪女なんてばれたら、わたしだったら生きていけないわ。でもいいの?」
「……」
「わたしを殺したら、犯人はあなただって絶対にばれるわよ。この大雪だもの、学校にきてるのはわたしとあなただけ。仮に逃げおおせても、絶対捕まるわ。警察じゃなくても、わたしの父にね」
 確証はないが、確信はある。逃げたり死体を隠したとしてもとしても、小雪に不審な点が多すぎる。尋問されたりすれば、彼女のような人間はすぐにぼろを出すだろう。
 小雪の表情が翳る。迷った時点で、彼女は決断の機を逃したことになる。逡巡すれば、必ず諦める。弱い人間は、いつもそうだった。鼻で笑って、小雪に近づく。

573 名前:5−5 投稿日:2006/12/29(金) 23:07:39.58 ID:eYfTzUhs0
「悪いようにはしないわ。ただ、仲良くしてくれればいいだけのこと。ね? わたし、あなたがこの学校で最初に出会った生徒でしょ?」
 親しげな笑みを浮かべながら、小雪の肩に腕を回す。小雪の体は冷たかった。雪女なのだからか、それとも血の気が引いているせいなのか。定かではないが、そんなことはどうでもよかった。
「そういえばあなた、なんでこんな大雪を降らせたのよ。おかげで死ぬ思いをしたんだから、ちゃんと謝ってよね」
 保健室に一つだけある小窓の外は、完全に真っ白になっていた。外の様子を窺い知ることは出来なかったが、おそらく依然として降雪は続いているだろう。
 小雪は俯いたまま、私に肩を抱かれて俯いていた。覗き込むと、悲痛な表情で唇を噛み締めていた。眉根に、皺を寄せている。
「……スピーチ、頑張ろうって思ってました。ずっと前から考えいて、練習もたくさんしました。
 でも自信がなくって……上手く出来なかったらどうしようって思って……。だから雪を降らせて、もう一日だけ練習しようって……」
「は?」
「なんでですか……なんでみんな、わたしを虐めるんですか……? 髪が白いからですか? 目が赤いからですか? 雪女だからですか? わたしがなにをしたっていうんですか……」
 ばきん、という金属の破裂音が聞こえて、驚いて振り返る。そこには大きく亀裂が入った、氷付けの石油ストーブがあった。気付けば、部屋の中のものが次々と凍り付いていく。
「ち、ちょっと! 止めなさいよ! わたしを殺したらあなたもおしまいなのよ! わかってんの!?」
「ずっと我慢してきました。土足で頭を踏まれても、泥水に顔をつけられても、髪を切られても、よってたかって殴られても。
 ……そのたびに、雪を降らせました。心にも。惨めな自分を、覆って隠すために」
 小雪の目から焦点が消える。コンタクトの外れた赤目が、その色を濃くした。血走った目に、無感動な殺意が宿る。
 伝承の中の雪女。氷を操り吹雪を呼ぶ鬼。その魂は平坦で、冷たく白い銀の世界。氷の心を雪で覆う、柔らな表に欺かれるな。
「雪は皆に踏まれます。きれいだから、汚されます。新しい雪で隠しても、その下には怒りと憎しみがあるんです。あなたは知っていましたか? わたしのなにを、知っていました?」
 小雪の髪が白に染まってゆく。もとい、白に戻ってゆく。黒の目が血に染まって、わたしの瞳を捉えた。わたしは震えた。目の前に立つ雪女の目は、もはや小雪のそれではなかった。
「さようなら」
 私の顔の前に、手がかざされる。真白い肌に思わず見入る。白い。本当に、雪のようだった。白い、雪。雪。
 わたしは雪に足跡を残すのが好きだ。傷物にしているという感覚がたまらない。踏みにじるという行為は、わたしがこの世で最も愛す行為の一つだった。
「あなたたちはわたしの雪を、きれいと眺めます。ならば何故、足蹴にするのですか? それがあなたたちという存在の、本質なのですか?」
 小雪の透き徹った鈴のような声を聞きながら、急激な眠気にまぶたを落とす。そしてわたしはそのまま、意識を失った。



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