【 アカルイミライ 】
◆YaXMiQltls




521 名前:アカルイミライ1/5 ◆YaXMiQltls 投稿日:2006/12/29(金) 21:01:08.21 ID:CNHuTA2J0
 タカシが自殺した。マンションの屋上から飛び降りたらしい。高三の二学期最後のホーム
ルームで、泣きながら先生が言った。何人かの女子も泣き出していた。その中でも大声をあ
げている子に目をやると、彼女の後ろに見える窓の外に、初雪が降っていた。
 夏休みが終わって、文化祭の準備に勤しんでいたころだろうか。突然タカシは学校に来な
くなった。タカシはクラス内に親しい友達がいる様子もなく、休み時間だって一人で本を読
んでいるようなおとなしい奴だった。けれど、成績は模試の全国ランクに載るほどにずば抜
けて良くて、こんな二流進学校にいることが不思議なくらいだった。だからタカシが学校に
来なくなったこともどこか当然のような気がした。そのうえタカシは勉強だけでなくサッカ
ーの知識も半端なくて、スポーツ誌でさえ見ることのできない一流の批評を聞くたびに、感
心するしかなかった。俺たちはタカシを尊敬していた。要するにタカシは、クラスメイトの
俺たちが近寄りがたいくらいの、孤独なインテリだったのだ。
 帰り道は白かった。俺はいつものようにキョウヘイと二人で帰っていた。初雪だと言うの
に、俺たちはその話題には触れずに、無言で歩いていた。二人の足音が雪に伝染して空にこ
だまする。世界が残響の中にあるように思えた。先に口を開いたのはキョウヘイだった。
「なあ、なんでタカシ死んだんだろうな?」
「さあ」
「さあって。お前冷てえな」
「だってタカシとそんなしゃべったこともねえしよ」
「……タカシはおまえのこと気に入ってたぜ。態度が違った。俺にはわかる」
「お前が言うと、リアルだな」
「おう、間違いないぜ」
キョウヘイにカミングアウトされたのは一ヶ月前のことだ。自分はゲイなんだと。そして俺
のことが好きなんだと。キョウヘイの一世一代の告白は、俺らの関係を何も変えなかった。
俺はキョウヘイを恋愛対象として見ることはできないけれど、だからって軽蔑もしなかった
し、気まずくなることも無かった。「うれしいけど、ごめんな」それで終わり。何事も無か
ったかのように、俺たちは親友だった。
「あいつ、東大くらい余裕なのにな。バラ色の未来が待ってるのに死ぬなんてもったいねえ
よ。」
「そうだな。俺らの未来なんて高が知れてるし。もったいねえよな」


522 名前:アカルイミライ2/5 ◆YaXMiQltls 投稿日:2006/12/29(金) 21:02:06.31 ID:CNHuTA2J0
「まあ俺にはバラ族の未来が待ってるけどさ。あ、お前が俺のモンだって知って、やりきれ
なくなったのかな」
そういう冗談はさすがに不謹慎だし気持ち悪い。いろんな意味で。と思うけれど俺はキョウ
ヘイのこういう思ったことを隠さないところが本当に好きだ。だからこそ俺はキョウヘイと
ずっと友達でいたいと心から願っている。
 おかえり、と言う父親の声をいつものように無視して階段を上る。夏にリストラされた親
父はまだ次の職が決まっていない。親父が就職活動をしていたのは初めのころだけで、それ
から鬱になって、だいぶ落ち着きを取り戻した今は主夫の座に丸く収まっていた。リストラ
された日、帰ってくるなり親父は俺たちをリビングに集めて土下座して謝った。「やめてよ、
お父さんが悪いんじゃない!」「力を合わせて頑張りましょう、あなた!」姉貴とお袋が親
父に抱きつくと、俺はドッキリかと思った。それほどまでに現実は芝居じみていた。俺がそ
の輪に入らなかったからか、その日から俺は親父となんとなく気まずかった。
「お前宛てに手紙だぞ」
親父が俺の部屋に入ってきた。俺は雑誌を開いたまま、ベッドから手を伸ばして受け取った。
……親父は突っ立っている。
「なんだよ、用事済んだら出てけよ」
「いや、今日で学校終わりだろ? 通知表……あるだろ」
俺は無言で立ち上がると、かばんから通知表を取り出して渡した。親父がそれを開こうとし
たので、「向こうで見ろよ」とつぶやいたら、親父は出て行った。親父は何かきっかけを見
つけては親子のコミュニケーションをとろうとする。俺はそれがたまらなくいやだ。
 手紙の差出人を見て俺は驚いた。タカシだった。なんで俺に? 戸惑いながらも封を開け
ると折りたたんだルーズリーフが一枚入っていた。
「二一世紀はこんなはずじゃなかった、と大人たちは言う。その度に僕は思う。いやこんな
もんだろ。世界は至って平常だ。僕が生まれた日に、昭和天皇が崩御して平成になった。同
じ年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わった。天安門で大勢の人が殺された。やはり同じ
年に導入された消費税は、当初三%だったのに、いつの間にか五%になって、もっと増える
のは確実らしい。多くの事件が起こった。オウム真理教とか、酒鬼薔薇聖斗とか、9.11とか、
みんな馬鹿みたく世界の終わりのように話しているけれど、ちょっと待ってほしい。僕らに
とっては、これが生まれてから見続けてきた普通の世界なんだ。僕たちの世界は限りなく穏

523 名前:アカルイミライ2/5 ◆YaXMiQltls 投稿日:2006/12/29(金) 21:03:12.02 ID:CNHuTA2J0
やかで、これからもずっと変わらない。」
 う〜ん、電波。先生の話によれば、タカシは遺書を残していなかったらしい。けれど、タ
カシが死ぬことを決意して書いただろうこの手紙は、遺書以外のなにものでもない。俺はキ
ョウヘイに電話する。
「何それ?俺んところには届いてないよ」
「じゃあ、やっぱり俺だけによこしたのかな?」
タカシは俺を気にいってたというキョウヘイの言葉が思い出されたけれど、キョウヘイが今
から塾だと言うので、大した話もできないままに電話を切った。
 親父がリストラされて、俺は大学進学を取りやめた。家計のせいじゃない。もはや大学に
行く理由が俺には無かった。大学を出て、大手の会社に入って、三十年働いて切り捨てられ
た親父を目の前に見て、大学神話を信じるほど俺は馬鹿じゃない。むしろリストラされた当
の本人が、それを信じていて俺に進学を勧めてくることが不可解でしょうがない。まあ東大
や京大なら話は別だろうが、うちの二流進学校から東大に入るなんてまず不可能だ。タカシ
を別にして。そういえば親父がリストラされたころ、タカシが話しかけてきたことがある。
「大変だろ。うちの親父も昔リストラされたんだ。」
「うちはそうでもないかな、お袋も働いているし。まあリストラなんて今の時代どこにでも
転がってるし、その中で死んだりするのはほんの極わずかだろ。大部分の人たちはなんだか
んだで生活をしてるんだ。普通だよ。」
「普通か」
「うん、普通だよ」
タカシが学校に来なくなったのは、それから間もないころだった。
 塾で忙しいキョウヘイと会えたのは、大晦日の夜だった。さすがに大晦日は塾も休みなの
だ。俺たちは二年参りをするために、近所の神社へと向かっていた。久しぶりに会った俺た
ちは、タカシのことには触れずに、テレビの年末番組の話題で阿呆みたく盛り上がった。っ
て駄目だろ、キョウヘイは受験生なのに何をやってるんだ。
「お前、テレビばっか見てないで勉強しろよ」
「昼間やってんだよ。お前こそどうするんだよ進路?」
大学進学を止めたものの、それに変わる進路を俺はまだ見つけられずにいた。俺たちの未来
は高が知れてる。就職する、フリーターになる、大学に行く、ニートになる。選択肢はいく

524 名前:アカルイミライ4/5 ◆YaXMiQltls 投稿日:2006/12/29(金) 21:04:27.58 ID:CNHuTA2J0
らでもあるのに、すべてが同じに見える。おまけにいつ大地震が起こるか分からないし、戦
争だっていつだって起こりうる。
「今のまま、って選択肢があればいいのにな」
「なんだよそれ」
「俺は今のままが一番いいよ。学校行って、つまんない授業受けて、お前とかとくだらない
話して。それが続けば一番いい。」
 突然キョウヘイが立ち止まった。振り向いた俺が声をかけるより早く、キョウヘイの手が
俺の顔をつかんだ。突然のことに呆気にとられている間に、キョウヘイは顔を近づけてきて
俺の唇にキスをした。
「お前、俺がどんな気持ちでお前に告ったかわかるか?」
俺は何も返せなかった。というより話の流れがまったくつかめなかった。
「俺は思ったよ。お前と付き合えたらいいなとか、セックスしたいとか。でもそんな可能性
なんか全然なくて、お前から嫌われて友達ですらなくなるんじゃないかとか、すげえ考えて、
だったら告るなよって感じだけど、やっぱ言わなきゃ俺が駄目になりそうで、けどお前は何
にも変わらずに接してくれて。ある意味で俺が一番望んでいた関係になれたのかもしれない。
けれどやっぱり違うんだよ。俺は今だってお前が好きでキスもセックスもしたくてしょうが
なくて、でもできなくて。やべえ俺、何が言いたいんだろう……」
 俺は頬に冷たいものを感じた。キョウヘイは泣いていて、雪も降ってきていた。なんか二
年参りどころじゃない雰囲気になって、俺は「帰ろう」と言った。それから俺たちはずっと
無言だった。俺は何を考えていたんだろう。頭にはいろいろなことが浮かぶのに、水面に上
る空気の泡のように、浮かんだ瞬間には消えていった。
 居間でみんながテレビを見ているのを横目に俺は自分の部屋に向かった。「年越しそば食
うか」と顔を出す親父を無視して、部屋に入ったところでメールの受信音が鳴った。キョウ
ヘイからだった。
「俺がお前に告白したところで、問題は解決しないで、先送りにされただけだったかもしれ
ない。だけどそれはあのときの俺にとっては大切なことだった。答えがでない問題なんて世
の中にいくらでもあるけど、たぶんきっちりと回答期限だけは決まっている。そこで何かし
らの回答を出さないと、問題に押しつぶされてしまうんだ。それが誤答だってかまわない。
答えさえ出せば、期限は延びてくれる。その中でもっと深く問題について考えていけばいい

525 名前:アカルイミライ5/5 ◆YaXMiQltls 投稿日:2006/12/29(金) 21:05:15.39 ID:CNHuTA2J0
んだ。俺が言いたかったのはたぶんそういうこと。PSメール打ってて思ったけど、タカシ
はそれを放棄したのかもな」
 よくわからない。ああもう意味不明なことばかりだ。キョウヘイはなんであんなことした
のか。タカシはなんで俺に遺書をよこしたのか。二人は俺に何を伝えたいのか。肝心なこと
は何もわからなかった。
「何かあったか?」いつのまにか親父が部屋に入ってきていた。
「何があったかがわからないんだ」
「父さんと同じだな」俺は思わず親父の顔を見てしまった。
「リストラされたときに、なんで俺なんだって思った。原因を探ろうといろいろなことを懸
命に思い出したけれど、結局何が駄目だったかわからなかったんだ」
「不条理だな」俺の言葉に親父は笑った。
「でもな、そんなこと考えている場合じゃなかったんだ。お前たちのこととか家のローンと
かいろいろなことが一気に降りかかってきて俺はもう駄目だと思ったよ。お前はよそよそし
くなるし」
俺は何も言えなかった。けれど親父がそれを冗談ぽく言うことがどこか嬉しかった。
「父さんな、年が明けたら就活しようと思ってるんだ。やっと決心がついたよ。要するに大
事なのは、自分にとって一番大切なものは何かってことなんだな。そのために何をするか」
「……でもそのために自分が何をすればいいかわからなかったら?」
「う〜ん、お前が俺を避けるようになって、俺はどうしていいかまったくわからなかった。
今どうしてこうやってお前と話せているのかだって、俺はよくわかっていない。俺に言える
のは、そんなのわからなくてもなんとかなるってことだな」
「ありがとう。なんだか楽になった気がする」
 でも俺にはわかっていた。キョウヘイの言うように、問題は先送りされただけだ。俺は親
父との会話というとりあえずの回答を出して、すべてを後回しにした。キョウヘイのこと、
タカシのこと、それから俺のこと。遠くから除夜の鐘の音が聞こえてきた。とりあえず今は
新しい年を祝おう。
「親父、お袋たちのとこいこうぜ」
 ベランダには雪が積もりかけていた。暗闇の中で一面に白く輝くこの街を見て、タカシは
空で何を思うだろう。僕たちの世界は限りなく穏やかで、これからもずっと変わらない。



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