【 山童 】
◆e3C3OJA4Lw




551 名前:山童1/5 ◆e3C3OJA4Lw 投稿日:2006/12/24(日) 18:19:36.83 ID:q1CmTAJU0
 冬になって、河から山へと住処を移した。
山といっても、ここから遠くを眺めれば都会が見える。
色とりどりの光が見える。
「あいつ、どうしたんかなぁ」
まさか人間に捕まったのか。
一匹の河童が人間に捕まったっていう噂があったからな。
その河童があいつだったら、今年の冬はオレッチ一人で過ごすことになるのか。
オレッチ、あいつのこと、意外に好きだったのになぁ。
ぼきゅぼきゅ煩かったけれど。日本語くらいさっさと覚えろっての。
ため息を吐いて、樹の中に潜り込もうとしたとき、ふと一人の少女が目に入った。
「こんな夜更け山奥にどうして――」
腰まで伸びた黒髪を揺らしながら、とぼとぼと歩いている。
俯きながら、今にも泣きそうな表情をして。
どうしたものか。
オレッチが急に目の前に現れたら逃げてしまうだろうし、この暗い中で走るのはかなり危険である。
見守ることしか出来ないのかな。
少女は寒そうに体を自分で抱く。
オレッチは少女の後ろを付ける。
ストーカーだ。
けれどこの山童(やまわらわ)にストーカーと言われても別にダメージはない、と思う。
「どうしよう……誰もいないよ」
そんなことを少女はぼやく。
そりゃ、ここは山だからな。誰かがいたとしてもそいつは不審者的存在だ。
それよりも少女、お前は今どんな気持ちだい?
少女の表情が窺えないので推測するしかなかった。
寒くて、怖くて、寂しくて、疲れて、眠くて。
焦燥、恐怖、寂寥、疲労、そして孤独なのだと思う。
孤独、というものは一人であること。それは少し違う。
独りで寂しいと感じることが孤独なのだと思う。
「あっいたっ!」

552 名前:山童2/5 ◆e3C3OJA4Lw 投稿日:2006/12/24(日) 18:20:25.34 ID:q1CmTAJU0
突然に少女は叫ぶ。
不審者か、それとも両親か、と思ったら少女は地面にひれ伏していた。
そして仰向けになり、片膝を抱える。
ちょうど、少女の顔が見える位置。
「痛いぃ」
呻きながら涙目になっている。
きっと木の根につまずいて膝を擦りむいたんだろう。
そこはオレッチでも転んだことがある。
有名スポット「山童の刺客」だからな。
「もういやぁ……誰でもいいから来てよぉ」
今、誰でもいいといったな。いや、それでもオレッチはお呼びで無いか。
くそぅ、せめて人間の格好をしていれば、この暗闇でごまかせ――あ。
人間の視力ってどんなもんだっけ。この暗さでは全く見えないのかな。
いや、それでは歩けないだろう。なら少しは見えるって感じかな。
「……もうここで休もう。どっちに行けばいいかわからないもの」
そう言うと少女は樹の下に体育座り。体を丸めて顔をうずめてしまった。
仕様が無い、か。
少女には悪いが、唯一の光である月を隠させてもらおう。
これも、お前のためなんだから。
手を仰いで雲を動かし、月を隠す。
この水かきがあれば誰でも出来ること。
ビニールみたいな山吹色の皮膚までは変えられないが、身長くらいは変えられる。
百八十センチのクールな人間を演じてみよう。
所詮、見えなければいいのだが、触れられて身長が低いことを知られたくないしな。
それに、頭に触られたら、お皿があることがばれちまう。
山童というのは河童と同じ。
夏は河に住み、冬は山に住む童子。ただ名前が変わるだけだ。
いや、正確には、夏は水道管の中で。冬は樹木の中だ。
さて、少女に話しかけようか。
月は隠れた。身長も大きくして、頭に触られないようにした。

553 名前:山童3/5 ◆e3C3OJA4Lw 投稿日:2006/12/24(日) 18:21:05.21 ID:q1CmTAJU0
あとは、日本語。オレッチはあの雌河童と違って二十年も生きているんだ。完璧。
「やぁ少女。そんなところでどうしたんだい?」
オレッチには少女が見える。その少女はこちらの方に顔を向けた。
「あの、迷っちゃったの!」
「そうか、なら一緒に行こう。ほら、の木の枝をつかんで。離さないようにね」
どうやってエスコートをするか忘れていた。
木の枝を拾ってやり過ごすとは、我ながらファインプレー。
「え……うん!」
少女は元気だった。
人が来て、活気がついたのだろう。人じゃないけど。
にっこりと笑って、やはり、ファインプレーの痛いところを聞いてきた。
「何で木の枝なの?」
「んっと、オレッチ――じゃなくて僕は潔癖症でね。気を悪くしないでほしい」
「木の枝って多分バイキンだらけだよ?」
「河の水で洗ったのさ!」
「まぁいいや」
まぁいいのか。なら突き詰めないでくれよ。
オレッチもまぁいいけど。
こっちの方へ三十分歩けば、都会までは一本道になる。
そこまで送り届けてあげよう。
「あの、暗くて前が見えるの?」
後ろから付いてくる形をとっているので、少女の表情は窺えない。
「目が慣れているのさ」
「じゃあ名前はなんていうの?」
「じゃあって何だ。全然文が繋がってないぞ」
本当の名前を言ってしまうと、日本語じゃ表せない。
さて、どうするか。
「山田童だ」
「やまだわらわ? 全部ア段……」
「少女は?」

554 名前:山童4/5 ◆e3C3OJA4Lw 投稿日:2006/12/24(日) 18:21:49.55 ID:q1CmTAJU0
「私はねぇ、桃井桃子」
「藻っぽいな」
「普通桃だよ!」
「じゃあ、何歳?」
「十三歳。えっと、山田は?」
呼び捨てかよ。
いや、本当の名前じゃないから別にいいけど。
「二十歳。藻より七歳年上」
「桃! せめて桃にして!」
「藻々」
「そう、桃。学校ではそうやって呼ばれているもの」
「そうなんだ、藻々って呼ばれているんだ。かわいそうに」
「えっかわいそう? 何で?」
「いや、何でもないさ」
さて、あとは一本道になった。
別れるのが惜しいが、オレッチは人間でないから仕様が無い、か。
「じゃあ、この道を真っ直ぐ歩くといいよ。ほら、あの先に電灯が見えるだろ?」
小さな光がひとつ点灯している。
「あそこまで行けば、ずっと光はある。月も雲から出るだろう。このまま行けば街に着くはずだ」
この光は寂しいと思うことなく輝いている。だから孤独ではない。
この少女、桃子だって孤独では無いはず。
今はオレッチがついているからな。
オレッチも久しぶりに孤独から抜け出せたよ。
ひとまず、ありがとう、かな。
また山に戻れば、孤独になるけれど。一瞬だけ忘れられた。
「ありがとっ山田! 山田は街に戻らないの?」
「オレッじゃなくて僕は、まだ山に用事があるからね」
「そうなんだ……」
桃子はさも悲しそうな表情をする。
「そんな悲しい表情はするな。じゃあ、ここでお別れだ」

555 名前:山童5/5 ◆e3C3OJA4Lw 投稿日:2006/12/24(日) 18:23:08.73 ID:q1CmTAJU0
「そうだね。じゃあ、また会えるといいねっ! バイバイ!」
桃子は表情を明るくして、仄かに輝く電灯を目指して歩いていく。
それはオレッチ唯一の人間友達。
いや、向こうはこっちを人間だと思っているんだがな。
オレッチは手を仰いで、雲を動かし、月を出した。
今振り向かれたら、ばれちゃうかな。
桃子の姿が段々と小さくなってゆく。
オレッチの視力をもってしても、霞むほどに小さくなってゆく。
そして見えなくなったところで、「何か」に諦めて帰ることにした。
本当に何でもない「何か」。
残心に近しいものがある。
山童のくせに。
「さて、オレッチはオレッチの家に帰るとするかな」
すでに見えなくなってしまった桃子に背を向けて、山へ足を踏み入れた。
 
 
 
 家に戻ってみると、月に照らされている孤影があった。
それは独り法師ならぬ独り河童。
ぼきゅ、と鳴くそれはオレッチを優しく出迎えてくれた。

           「了」



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