【 彼方からの贈り物 】
◆2LnoVeLzqY




535 名前:彼方からの贈り物 1/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/24(日) 17:39:58.68 ID:An3WMEVR0
 彼は目を覚ます。
 無限に広がる真っ暗な闇のただ中。凍っていた彼の意識が、ゆっくりと溶け始める。
『惑星を確認。知的生命体存在の可能性を有する惑星を確認』
 そんなアナウンスが聞こえる。しかし今は無視する。
 冷凍睡眠装置のハッチを乱暴に開き、彼はのそりと体を起こす。
 ハッチが開くと、ぱちぱちぱちと次々に照明が点いて、船内が急に明るくなった。
 ――今度は、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 いまだはっきりしない意識の中で、彼はぼんやりとそんなことを思った。
 指示されていたとおりの注射を打ち、それから腕と足に力を入れて立ち上がる。
 ぺきぺきと関節が鳴る。運動能力が相当に低下したらしい。やはり長すぎる冷凍睡眠は体に悪い。
 経過した時間を確認するために、パネルに表示された数字の列を見る。桁数オーバー。表示はエラー。
 おいおい勘弁してくれよ――思わず彼は毒づきそうになったが、少し考えてからやめた。
 時間なんて、もはや自分には関係ないのだ。
 どうせ、家族は既に死んでいる。自分にこんなことをさせた奴らも、間違いなく死んでいる。
 もしかしたら、今ごろは自分の国すら滅んでいるかもしれない。
 そのくらいの、長い時間が経過したはずなのだから。

 判決は、死刑だった。強盗殺人だった。
 彼の行く先は、死刑台ただひとつ。そのはずだった。
 牢屋の中で死刑になるのをただひたすら待つ日々を、彼は過ごしていた。
 そんなある日のことだった。牢屋の中の彼のもとに、ひとりの男が尋ねてきたのは。
 自分は、国家をあげての宇宙開発プロジェクトの、責任者なのだ。
 目の前で、男はそう自己紹介をした。
 牢屋の中の彼は戸惑った。死刑囚である自分と、宇宙開発。どう考えても、結びつかなかった。
 そんな彼に対して、男は居住まいを正してから切り出した。
 あなたは大変に明晰だ。
 今回のプロジェクトに協力してもらいたい。
 協力してくれれば、死刑は免除される。上にも話はつけてある。
 もし協力してくれるならば、プロジェクトの内容はそれから説明する……。
 断る理由は、そのときの彼にはひとつもなかった。

536 名前:彼方からの贈り物 2/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/24(日) 17:41:14.95 ID:An3WMEVR0

 ――断るべきだったのだろうか。
 今でも彼は、ときどきそう思うことがある。
 だがそれは、どこまでいっても仮定の話なのだった。断るという選択肢は、はるか昔に消え去ってしまっていた。
 しかし、もし断らなかったとしたら……彼の行く先は、この宇宙と同じくらいの無限の暗闇。
 断っても死刑。断らなくても、死刑。
 まったく、傑作だ。美味くもない宇宙食をかじりながら、彼は笑う。
 プロジェクトの中で彼に課された使命はただひとつ。
 ――たった一人で宇宙を彷徨い、知的生命体の存在する星を探しつづけること。
 死刑囚である自分が、どうして宇宙開発への参加を頼まれたのか。
 その理由を、彼は出発時になって、ようやく理解した。
 “知的生命体”に、生きた標本が届いてくれればそれでいい。そんなプロジェクトなのだと。
 そうして理解したときには、彼は水と食料と、冷凍睡眠装置と、そして知的生命体に向けた複雑なメッセージと共に、一人乗りの宇宙船に乗せられていた。
 一方通行の、宇宙への死出の旅だった。宇宙船は、彼を乗せて勝手に進んだ。
 通信装置は積んでいない。帰り道もプログラムされてなどいない。
 あれから、どれだけの時間が経ったのか。彼にはもうわからない。
 彼は、たったひとりだった。
 機械に叩き起こされては惑星の調査。ときどき食事。それ以外は冷凍睡眠。
 それが、彼の生活の全てだった。孤独は、冷凍睡眠で紛らわせた。

『惑星を確認。知的生命体存在の可能性を有する惑星を確認』
 ――可能性、ね。
 再び流れ始めたアナウンスに、彼は皮肉めいた笑いを浮かべる。
 その可能性を信じて宇宙服を着込んで降り立った惑星にあったのは、赤茶けた荒野……そんなことはこれまで何度もあった。
 前回冷凍睡眠から目覚めさせられた理由も、そういえばそんな無意味な惑星の確認だった気がする。
 生命のかけらもない惑星の上に降りるたび、彼はいつも死のうと思った。
 じっとしていれば、宇宙服の中でいつかは死ねる。しかし彼は、いつも死ねなかった。
 急に怖くなるのだ。赤茶けた荒野をただひたすら眺め、何もせずに過ごすことが。
 理由はわからない。自分は死刑になるはずだったのだと言い聞かせても、どうにもならない。
 そのたびに彼は宇宙船に急いで戻り、冷凍睡眠装置に飛び込んだものだった。

537 名前:彼方からの贈り物 3/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/24(日) 17:43:11.03 ID:An3WMEVR0
 また、アナウンスが流れる。
『惑星を確認。知的生命体存在の可能性を有する惑』
 うっとうしくて、彼はアナウンスのスイッチを切った。
 宇宙食を食べ終わる。軽く体を動かす。またぺきぺきと関節が鳴る。
 それから気だるそうに窓の外を見やると、
 真っ青な、惑星が見えた。
 即座に全ての装置に電源を入れ、データ収集のための電波を送り出す。
 その間ずっと、彼は驚きをこらえきれずにいる。
 ――あの星は、まるで……。
 ふと浮かんだ考えを、しかし彼はすぐに捨てる。あれだけの時間が経ったんだ、戻ってきたなんてありえない。
 データの解析結果が表示される。それを見て彼は更に驚く。
 生命体が存在できる環境が、完全に整っている。
 あの青さは有毒ガスでも金属でもない。紛れもない、水。海。
 丸一日ほどかかる距離を隔てた向こう。
 宇宙の暗闇の中に、その惑星は青くぼんやりと浮かんでいる。
 彼に、迷いはなかった。迷いがなかった理由は、彼は自分でもわからない。
 残っていた全ての燃料を注ぎ込み、あの青い惑星に向けて全速力で宇宙船を飛ばした。
 突入まで残り二時間と表示される。
 恐らく、もう発射のための燃料は残らないだろう。あの星が、最終目的地で、俺の墓場なのだ。そう彼は思った。
 そしてカウントダウンが始まる。その惑星の青さはもはや、窓を覆い尽くすまでに大きくなっている。
 突入。船体が激しく揺れる。衝撃。轟音。窓の外が白く覆われ、そして視界が開けて、海の青、青、青、青、青。
 パラシュートが開く音。
 ――可能性、ね。
 アナウンスを思い出し、彼はもう一度だけ笑いを浮かべる。
 遠くに見える陸地の上には建築物が並び、彼は故郷の星を思い出した。
 船体はゆっくりと海の上に落下する。
 この星が、そこに住む原住民たちに「地球」と呼ばれていることを、そのときの彼は知るはずもない。


538 名前:彼方からの贈り物 4/4 ◆2LnoVeLzqY 投稿日:2006/12/24(日) 17:45:01.66 ID:An3WMEVR0
 200×年12月25日。
 メキシコ湾上空を飛ぶ未確認飛行物体が、アメリカ空軍のレーダーに突然映し出された。
 戦闘機とも、旅客機とも違う影。事態を重く見た彼らは、即座に調査隊を現場へと派遣した。
 静かなメキシコ湾の波の上。到着した調査隊が発見したのは、見たこともような色と形をした物体だった。
 調査の結果、その物体の素材には、地球上には存在しない物質が使われいること。
 そしてそれが、パイロットを乗せて宇宙を航行するための“宇宙船”であることが判明した。
 しかし調査隊が到着した時点で既に、その宇宙船はもぬけのから。
 懸命な捜索にもかかわらず、パイロットの行方は、ついにつかめなかった。
 宇宙船が発見された日にちなんで、「クリスマス事件」。
 後の世にそう命名されることとなる一連の出来事は、当時の世間が知ることもなく、闇に葬られた。


 ――断るべきだったのだろうか。
 今でも彼はときどき、そう思うことがある。
 しかし今となっては、彼の答えは決まっていた。
 彼の故郷の星から、この「地球」がどれほど離れているのか、彼は知らない。
 彼が故郷の星を出発してから、どれほどの時間が経ったのか、彼は知らない。
 彼がこの「地球」であとどのくらい生きていけるのか、やはり彼は知らない。
 この星には、彼と同じ生物はいない。
 彼はこの星で、これまでと同じように、ひとりぼっちだった。
 しかし、彼は思う。
 きっとこれは、孤独な旅に耐え抜いた自分へのご褒美なのだ、と。
 これまでみたいに怖いと感じることはない。死のうと思うこともない。
 仲間こそいないが、寂しいとも思わない。
 この星は楽しい。暇つぶしには事欠かない。時間はいくらあっても足りない。
 それに――この星には、自分の餌が、たくさんいる。

 今日も世界のどこかで、人間がまたひとり、不可解な死を遂げている。



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