【 機械仕掛けのラプソディー 】
◆tGCLvTU/yA




120 :No.33 機械仕掛けのラプソディー(1/3) ◇tGCLvTU/yA:06/12/17 23:37:07 ID:wGsW+Rmx
 夏の晴れた日。茹だるような暑さの中を、子供たちが楽しそうに駆け回って遊んでいる。微笑ましくて、少し羨ましい。
「さて、と……」
 昨日の晩からやっていた腕時計の修理をようやく終えて、軽く伸びをする。今日の仕事はもう終わってしまった。これ
から何をしようかと考えるが、特にすべきことも見つからない。
 時計を見るとまだ昼過ぎ。もっとも、昨夜はほとんど寝てないのでこれから昼寝でもすればいいだけの話なのだけど。
「なんだかもったいないような気がするんだよな……」
 この暑さの中で外に出るのも億劫だが、することがないので散歩でもしようかと考えていると、扉を控えめに叩く音が
聞こえた。
「博士、少々お時間よろしいでしょうか」
 考えるまでもなく、声の主は僕の作ったアンドロイド、マリアだった。
「ああ、構わないよ。どうぞ入ってくれ」
 ガチャリと、ドアノブを捻る音がしてゆっくりマリアが入ってくる。作った自分が言うのもなんだが、マリアはとても
機械には見えない容姿をしている。藍色の長髪に藍色の瞳。雪のような白い肌。何かの絵画を参考にして設計したのを
思い出した。
「それにしても、この時間にマリアが来るなんて珍しいね。どうしたんだい?」
「はい、すみません。ですが、どうしても博士に尋ねたいことがありまして」
 マリアの深刻そうな表情に僕は少しばかり首を傾げる。普段からあまり笑顔を見せない彼女ではあるけれど、ここまで
真剣な表情というのも珍しい。尋ねたいこと。一体なんだろうか。
「なんだい? 僕に教えられることなら何でも教えるよ」
 マリアは少しだけまごついたあと、意を決して口を開いた。
「その、夏……とは一体なんなのでしょうか」
 流石に、少しばかりの硬直を余儀なくされた。
「え?」
 ワンテンポを置いて、僕は間抜けな声を上げる。その一瞬に生じた沈黙に、マリアは申し訳なさそうにして俯いた。
「いえ、その……やはりおかしな質問でしょうか」
 沈んだ表情も束の間、いつも通りの凛とした表情でマリアは再び僕に問いかける。
「い、いや……そんなことはないさ。まあ、マリアが夏を知らないというのも無理はない。まだ生まれてから一年も経っ
てないしね。でも、何で急に?」
 彼女に何事にも疑問を持て、と教えたのは僕だし、こうして僕に疑問をぶつけてきてくれるのもとても良い傾向だと思
う。とはいえ、これは少し、いやかなり答え難い質問なだけに僕もどうすればいいのかわからない。情けない話だけど。

121 :No.33 機械仕掛けのラプソディー(2/3) ◇tGCLvTU/yA:06/12/17 23:37:39 ID:wGsW+Rmx
「単純に言えば、このところよく耳にするからです。先日、博士に頂いたラジオというものからも夏という言葉も聞きまし
たし、最近読んだ本でも見かけました」
 言われてみれば当たり前の話か、と思った。夏という言葉は普段当たり前のように使われている。そんな当たり前の日常
の中で、当たり前に使われている言葉に対して疑問を持つのも無理はない。だけど、
(それがよりによって夏という言葉とは……)
 表面では平静を装っているつもりだが、内心では頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。どう説明するのが彼女にとって
ベストなのだろうか。暑い、という概念は彼女にはない。さて、暑さを失くしてどう彼女に夏を説明しようか――
「博士」
 思考を目まぐるしく回していると、マリアの声が僕を制した。
「博士が思う夏とは、一体どのようなものでしょうか。夏そのものも知りたいですが、私は博士が感じる夏を共有したいです」
「僕の感じる、夏?」
 マリアは無言で頷く。あまり考えたこともなかった。僕が夏と感じるものは一体なんだろう。茹だるような暑さだろうか。
それとも――
「わかった。じゃあ僕の夏と感じるものを教えてあげよう。ただ、そのためには少し準備がいるんだ。少し待っててくれないか」

 先ほどのやり取りから二時間くらいだろうか。ようやく日が沈み始めた空を眺めながら、そういえば日が長いのも夏の特徴だ
なと思った。作り終えたそれをポケットに入れて、僕はマリアの部屋へと向かった。
「お待た――」
 ガチャリとドアを開くと、マリアは窓際に佇んでいた。そして、ただじっと日が暮れている空を見つめている。その光景はまる
で名高い絵画のよう。僕は声を出すこともせず、ただじっと、その姿に見入ってしまった。
「――博士、不思議ですね」
 その言葉に、僕は我に返った。
「まだ、夜になりません。いつもならこのくらいにはすっかり辺りは暗いはずなのに……」
「それもまた、夏なんだよ。夏はなかなか夜にならないんだ」
 マリアは視線を僕に移さず、ただずっと窓を食い入るように見つめて、不思議です。と呟いた。
 やはり容姿は大人の女性でも心はまだまだ子供なのだろう。心なしか、彼女の表情は少し活き活きとしているように見える。
「ちょうどいい、窓を開けてくれないか。僕が夏と感じるものも持ってきたよ」

122 :No.33 機械仕掛けのラプソディー(3/3) ◇tGCLvTU/yA:06/12/17 23:37:52 ID:wGsW+Rmx
 それを聞くと、マリアはいつも以上にきびきびとした動作で窓を開ける。さらにはちょこんと正座まで始めた。
 そんなに楽しみしてたのか、と少しだけ苦笑すると、僕はポケットからそれを出して、窓に飾った。
「これは……ベル、でしょうか?」
「うん、ウインドベルって言うらしい。ここの街の名物でね、子どもの頃からよくこの音色を聞いていたんだ」
 そう言うと、ちょうど良いタイミング風が吹く。ウインドベル特有の心地の良い音色が部屋に響いた。
 ちりん、ちりん。さっきまでの茹だるような暑さが和らいでいく。
「どうだい? マリア。これが僕の夏を感じるものだよ」
 マリアは狐につままれたような表情をしていた。やはり、涼しいや暑いという概念のないマリアには厳しかっただろうか。
「すごく、不思議です」
「え?」
「だって、ただのベルなのに。ベルなはずなのに。この音色を聞いた瞬間、胸の奥がとてもくすぐったくなりました」
 面を食らったような表情でマリアは言う。良かった、これを持ってきて正解だったみたいだ。
「夏という言葉自体に意味はないと、僕は思うよ。僕には僕の夏があるようにマリアにもマリアの夏があるんじゃないかな」
「私の夏、ですか?」
 マリアはベルをじっと見つめて、急に僕に視線を移す。
「博士、このベル……頂いてよろしいですか?」
 僕は微笑んで、ゆっくりと頷いた。ありがとうございます、とだけ呟くように言って再び音色に耳を傾けた。
 ちりん、ちりん。柔らかな音色が部屋を包む。
「――博士の夏とは、風が音色を運んでくるものなのですね」
 開いている窓から風が入って、マリアの髪がなびく。そんな彼女の表情は少しだけ微笑んでいるように見えた。
 あまり見たことのない明るいマリアの顔を見て、今年の夏は少しだけ長くなればいいなと、僕は思った。
 ―おしまい―



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